聖金曜日 2021 〜 Via Crucis 十字架の道行き | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

(復活祭直前の)聖金曜日だった。

 

今まで復活祭直前の聖週間は毎日教会行事に出ていたが、昨年は帰国中で出られず。そして今年は仕事が始まり平日の行事はとても無理。日中はもちろんで夜の行事や聖歌隊の練習も時間的に厳しく、まず体がもたず全てパス。

 

聖金曜日の前夜である木曜日は、イエスの「最後の晩餐」の夜であり、弟子の足を洗って模範を見せたと言うことで、「洗足式」をする所が多い。そして金曜日は十字架にかけられ亡くなられたのが15時ごろ、ということで、15時から”Via Crucis"(十字架の道行き)を始める所もある。我がパロっキアもご多分にもれず、毎年15時から行われるが、聖歌隊は14時45分に集合、翌日の復活前夜祭のミサの聖歌の練習もするとメッセージが入ったが、無理〜。泣く泣く欠席。

 

しかし、仕事の帰りに、サンタンブロージオによって祈りを捧げようとしたら、15分後の18時半からVia Crucisが始まるというので、そのまま残った。席は長椅子に両端に一人ずつしか座れないとはいえ、お御堂はいっぱい。外にも人が溢れていた。我が教会のヴィア・クルーチスといえば、70歳代以上の女性ばかりだが、サンタンブロージオは20代前後あたりから5,60歳代あたりまでの男女と割に若くて驚いた。

 

 
 
告解もかなり人がいて、次から次へと入っていたが、私は心の準備ができておらず今日はできなかった。

 

 
 
サンタンブロージオの今年の復活祭のご絵

「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)

 

帰宅し、次男と食事の後にPCでパパ様のヴィア・クルーチスを見た。普段はローマのコロッセオで行われていたが、昨年から新型コロナのパンデミックによりヴァチカンにて行われていた。
 
今年はウンブリア州のスカウトのグループとローマ教区の子供達によって瞑想と祈りが捧げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親愛なるイエス様、

 

私たち子供たちにも十字架があり、大人よりも軽くも重くもありませんが、それらは本当の十字架であり、夜でも重く感じます。そして、あなただけがそれを知っているし、まじめにそれを取ってくれます。

 

暗闇や孤独を恐れないことが私にとってどれほど難しいかは、あなただけが知っています。

 

私を毎日びしょ濡れになる程泣き、引きこもり、目を覚ますのがどれほど難しいかは、あなただけが知っています。

 

他の人と同じように話し、素早く考え、正しいことをすることがどれほど難しいかを知っているのはあなただけです。

 

また、両親が喧嘩をし、ドアを強く叩き、何日も口を聞かないのを見るのが辛いか、あなただけがそれを知っています。

 

他の人にからかわれ、仲間外れにされることが辛いことをあなただけが知っています。

 

そして、貧しくて、友人が持っているものをあきらめなければならないでいる、という意味をあなただけが知っています。

 

裏切られたり、非難されたり、信じられないのかを恐れて、私を傷つける秘密を取り除き、誰に言うべきか分からないのがどれほど難しいかを知っているのはあなただけです。

 

親愛なる良いイエス様、あなたは私のような子供で、遊び、またおそらくあなたも転び、怪我をしたりしたでしょう。そして学校へ行き、宿題が出来なかったり、宿題をしなさい、ゴミを捨てなさい、ベッドメーキングをし、部屋を片付けなさい、というお母さん、お父さんがいて、時にいうことを聞きたくなかったりしたでしょう。また喜びをもってカテキズムに行き、祈ることをしなかったかもしれません。

 

親愛なる私の良いイエス様、世界には食べ物も教育もなく、搾取され、戦争を強いられた子供たちがいることを何よりもご存知です。

 

あなたが運んだように私たちの十字架をもたらすために毎日私たちを助けてください。あなたが望むように私たちが良い子になれるよう助けてください。そして、あなたがいつも私の近くにいてくれて、見捨てることなく、特に私が最も恐れている時、私を守り、照らしてくれる守護の天使を送ってくれたことを感謝しています。アーメン。

 

私たち大人も、子供のような素直な心をもって祈ることが大切だと改めて教えられた気がした。

 

ヴィア・クルーチス 祈りPDF