長男、再び出発 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

1ヶ月ちょっと帰宅していた長男が、再び日本へ戻った。
 
本来は2日後の出発であったが、予約していた飛行機がキャンセルになり、急遽2日前倒しの出発となった。
 
「いなくなっちゃうと寂しいでしょ?」一人息子を持つ友人に聞かれたが、「ぜーんぜん!」と答えていたのに、出発の数日前から何気に気持ちがワサワサして来た。
 
以前イタリアに訪ねて来てくれた両親が、特に母が日本へ帰国した時、逆に私が日本からミラノに戻る時もなんともいえない心のザワザワ感があった。まさにそんな感じ。
 
根性の別れじゃあるまいし、と思うのだが、やはり目に見えない絆というかいろんな思いが溢れてくるのだ。
 
今回長男とは、あまりにも時間のすれ違いが多く、家で食事は何度かしたが、ゆっくり話という話もしておらず、顔を合わせれば、何かと私の質問攻めであったが、何をどう考えているのかはあまりつかめなかった。とはいえ、もう成人しているのだから、見守るしかないとはわかりつつも、気がかりなことは多い。
 
ところで、先週長女が家にやってきた。長男と昼食に出かけるという事だった。「あれ、私たち(両親)は?」と聞くと、「いや、Yといろいろ話したいから…」というので、それもいいことだろう、と思った。彼らは、次男に一緒に来たいか?と聞くと、でもお金がない、と答えていたようだが、連れて行ってあげたようだ。
 
何をどう話したのかは知らないが、食事後、長男が全部払おうとしたので、長女が割り勘だといいつつ、次男の分も払ってあげたようだ。
 
いまだに思春期で、特に私には当たりまくりの次男であるが、いろいろあった長女、長男であったが、「まだDは子供だから。これから成長してよくなっていくと思うよ。」と大人気なことを言う。やはり上二人は実家を出、長女は4年間ボローニャで、現在は彼と、そして長男も祖母の家とはいえ、実家から出て、アルバイトをしつつも自分のお金でやりくりし始めてかなり変わったなあ、と感じる。親には言えない、悩みや考えも兄弟間でシェアしているのだろうか?よくWhatsAppでやり取りをしているようだ。子育ては大変であったが、彼らにとっては兄弟がいて良かったと思う。
 
出発当日、私が仕事へ出かける際、長男はまだ寝ていたが、声だけかけて出かけた。夫に空港まで送ってもらい、チェックインをし、少し時間があったようなので、メッセージが来た。出発前に何か食べたか?と聞くと、パンを買ったけれど何か不安で胃が痛い、という。何が不安なのかと聞くと、やはり出発だからかな…と。
 
物事は考え方次第でかなり変わる。何事も努力は大切だけれど、なるようにしかならないと思った方がいい。と伝えると、最近かかっていた心療内科の先生にも同じことを言われたという。
 
不安も一つの感情だけれど、それから逃げるよりも共存しないといけない、と。受け止め方や考え方を変えれば、まず感じ方が変わり、自分の望みも変わり、行動も変わってくることだろう。少しずつでいい。そうやっていろいろ悩み、成長していくのだ。
 
今日は、シッター先のご夫妻の都合で夜の10時まで残業をしていたのだが、帰りがけ飛行機の乗り継ぎで時間があった長男から電話があった。特にどうという話ではなかったが、ミラノを出る時も、祖母に電話をしていたようだ。
 
そして、帰宅すると両親に向けた手紙がいつも私が座るキッチンの椅子に置かれていた。私たちの仕事や健康を気遣い、自分もなかなかタバコが辞められないが、辞める努力をすると。いつもありがとう。お世話になりました…と。泣けた。
 
考えてみれば、私がイタリアへ出発する日、母が新宿まで送ってきてくれたのだが、帰宅時に気づくようやはり手紙を置いてきた。それを読んで泣けた、と母も言っていたっけ。やはり感謝の気持ちが伝わると、ぐっとくるものがある。
 
明朝私が仕事が始まる頃、祖母宅に到着することだろう。「おばあちゃんにはあまり心配はかけないでよ。」と伝えておいた。どこの家でも聞くことだが、祖父母は実の子を看るよりも孫の面倒は、何かと心配するようだ。
 
心身共に健やかで自分に恥じる事のない人間になって欲しい。いつでも、いつまでも親は あなたの味方です。