恩送り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

長男が夏休みでミラノに戻って来た。

 

石の上にも三年。自分で決め日本へ行ったのだから半年で戻ってくるのは早すぎないか?と思ったが、まあ全て自分のバイト代で戻って来ているし、お小遣い云々一切聞いてこなくなったからその分少しは自己管理も出来るようになったのか?

 

空手の師範に挨拶に行く、と言っていたが逆に稽古に出てこい。皆も喜ぶに違いない、と言われたそうだ。

 

考えてみれば、昨年末、コロナ禍で急遽オンラインで黒帯の昇段審査を受けそのまま帰国。黒帯は頂いたもののその後の稽古には出ていない。日本の道場にも行けたら行きたいと言って道着は持って行ったが、そのままのようだった。

 

なので急遽次男の道着と師範より黒帯を借りて稽古に参加。何気に後ろの方にいたら、「お客さんじゃないんだぞ〜、黒帯なんだから前に出てこーい!」と言われ、更に礼の号令に指名された。

 

(空手は)礼に始まり礼に終わる。

 

長男は一瞬声が出なかった。「正面に対し礼」で始まる三つの礼の1番初めで躓いたか?

 

「おいおい...」師範が何か言い出したところでなんとか言葉が出て来た。ほっ。後は続いて出ていたが。

 

私も次男もそうだが、稽古も間が空いてしまうと、型の流れは覚えていても、我流が出がち。初心、そして基本に立ち返るべきだと実感。

 

その次男も6月の道場での稽古から復帰しているが(私は公園稽古の5月から)、茶黒帯の集まる土曜日の時間帯の稽古には出ていなかった。

 

余談だが、次男はこのコロナ禍が始まった頃から15キロほど痩せ、身長も一気に伸びた。髪ははじめの頃はバリカンで坊主にしていたが、ある時から伸ばし始め今は肩まである。上の部分は自分で適当に漉き、スケボー仲間とお互いに脱色したり色を入れたりしている。

 

彼は今までずっとぽっちゃりしていたのに、あまりにも変わってしまったので、道場に来ても、皆帰国した長男が友人を連れてきたのか...あたりに思っていたようで、今一つ反応がない。えっ皆気づいていないの?爆 それこそ、お客さんと思われていたか?苦笑

 

稽古後、茶帯黒帯クラスの集合写真を撮った。ずっと仕事で休んでいたイタリア人黒帯保持者も来ており、一番喜んでいたのは師範のようだった。

 

今後ミラノで母子3人共に道場で合流することもあるのかどうか...。家族で写真を撮ろうとしたが、どうせなら師範ご夫妻と一緒に...と思い仲間に撮影をお願いした。

 

 
今週末の稽古が夏休み前最後の稽古となるが、私は2度目のワクチン接種で残念ながらお休み。始めは稽古は一度出ればいいんでしょ?と言っていた長男だったが、気持ちが変わったか?今週末も出ると言っていた。
 
流派は違ったが6歳の頃から空手を始め、一時は空手と平行しながら、野球をやったりサッカーをすることもあり、また波はあったもののやっと黒帯取得。本来はこれからなのだが、環境の変化で続けられていなかったが、やはり空手は自分の原点となる場所であって欲しいと思う。
 
人に隠れて必死に努力するタイプではなく、幸か不幸か全国大会に出ると、穴場的カテゴリーなのか?(それは、私にも言えることだが)1、2位を取ってしまうタイプで、頂点目指して365日欠かさず稽古を続けている人に申し訳ない気が親としてはあった。何事ももっと追求しようよ、と思ってきたものだ。
 
とはいえ、人の面倒見はよく、道場内の大会ではよく子供達を見ており、膝に座り込む子さえいたものだ。いずれにしても、空手や稽古を通じて、困った人がいた時、仲間が頑張っている時や、後輩が悩み苦しんでいる時、その苦労に共感し徐々に手を差し伸べられる人間になってきているかな...という面も見られるようになって来た。
 
共感や思いやりは、絆となり、人の和を形成する原点となっていく。

 

私自身、まだ黒帯になっていないので、子供達にそれを求めるのもなんだが、今まで得てきたもの、指導を受けてきたものを、逆に、次のものに伝えていって欲しい。

 

空手のみならず、頂いた「恩」の「恩送り」ができる人間になってくれるよう願うばかりだ。