月命日 〜 その3 おかげさま | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

最近、父の月命日を忘れがちであったが、今月は覚えていた。そしてそろそろお盆だ。

 
夏の帰国は毎回、成田空港まで送り迎えをしてくれた。特に到着時は、私たち母子がロビーから出てくるところでいつもカメラを構えて待っていてくれた。とはいえ、車中では口数は少ない。
 
お酒を飲んで、気分がよくなってはじめて、やっと口が滑りだし人並みのペースで話す父だった。東北出身で寒い中で育ったせいなのか、本当に忍耐強い人だったと思い出す。心筋梗塞が始まりつつ、苦しい時でもギリギリまで我慢をするから、危険な時が数回あったという。

すぐに飽きてしまいそうな漢字パズルは、広辞苑片手に一日中やっていたし、漢字熟語のパターンなど、項目別に分け、熟語辞典でも作っているのか?と言うくらい趣味の枠を超えた正に研究のような晩年だった。
 
ところで、最近、上所重助(かみところしげすけ)という方の作品に出会った。その中の「おかげさま」に心を打たれた。
 

「おかげさま」

夏が来ると「冬がいい」と言う 
冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い 
痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い 
暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い 
自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う
 

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
所帯を持てば 親さえも邪魔になる
 

衣食住は昔に比べりゃ天国だが 
上を見て不平不満の明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

 
どうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい
一体自分とは何なのか

 
親のおかげ
先生のおかげ
世間様のおかげの固まりが自分ではないか
つまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう

 
「俺が」、「俺が」を捨てて
「おかげさまで」、「おかげさまで」と
暮らしたい

 

 

人間は一人で生きていくことはできない。周りの人の支えがあってこそ、つまり「おかげ」によって生かされる。

 

意外に人はそれに気づきにくい。


生かされていれば必ず成長する。この成長自体やはり一人ではできないもの。何事も自分一人で闘って、自分の努力だけでなしえることがあるというのなら、それはエゴかもしれない。支えてくれる親がいて、先生や師と呼ぶ人がいて、また友達もいるだろう。また、競うべき他者がいることによって、最終的には自分自身を成長させることが出来、自然と相手に対し「おかげ」であるという心が沸いてくるのではないだろうか。

 

まず、自分の「命」があるのは親のおかげ。

 

父の月命日に、改めて、自分の存在を思い、おかげさま、と感謝したい。