最近気がつくと、父の月命日を忘れがち。
昨年、この時期身内の一周忌、または諸々の手続きで帰国して、私のようにミラノにすぐに戻れなくなった人、逆に不幸があっても日本に帰るに帰ることが出来なかった人、今やっと法事と諸手続き云々で帰国している...などという人がが周りにいる。
実際遺産相続の有無に関わらずその手続きは面倒で、土地家屋の手続きなんて本当に大変だった。結局私が全部やってしまったのだけれど、ミラノにいたらとてもじゃないが、出来なかったと思う。だからそれはそれで良し、なのだが、今月半ばに帰国中で実家にお世話になっている長男がミラノに一時帰国?してくることになった。無理して帰って来なくてもいいのに、と言ったのだが彼には彼なりの打算?計画があるのだろう。
考えてみれは、母は父が亡くなった翌日からずっと一人ではない。私がいて、今は長男にバトンタッチした。それはある意味、心身ともに回復するには大切なことだったと思っているが、父の介護中はずっと一人で心身共に必死で頑張ってきたため、お陰で痩せ細り、知らない内に起きた圧迫骨折から体が曲がり、また捩れ、あんなにすたすたと歩く母のイメージがなくなっていた。
ところで、母の周りには未亡人が多いのだが、亡くなった途端、急に人が変わり姑に攻撃的になったという嫁がかなりいて驚いた。そういうもの?同性者として考えられない話なのだが、実際なん軒からも聞いた話。そうでなくても、気落ちして精神がまいっているところに、理由はさまざまだが(その大半はお金がらみ)自分の要求ばかりしてくる嫁の多さにショックを受けた。母にも万が一何かあったら、全面的に母を守る!とさえ思ったくらいだった。
話は逸れたが、母はやっと精神的にも落ち着いて、体調も回復してきた。体重に関しては全く平均値以下なのだが、体重はあまり増やしては健康上よくないと医者に注意されたそうだ。
...何れにしても、いつだったか母は友人に「やっと一人でゆっくりできるのに」という内容の話をしていたので、長男がいることで、煩わしくさせていないか?気になったものだった。
そういう意味では、体調がよくなってきた今だからこそ、少しの間一人でいるのも悪くはないかな?と思う。
ところで、つい最近、父の夢を見た。週末の朝、寝不足と疲れがたたり、一度起きて二度寝のうたた寝中、父が夢に出てきたのだ。
亡くなる数年前あたりの父なのだが、「ビール!」といって私に催促をしている。よく夕食時になると、先にテーブルについている父にビールを出してくれ、焼酎を出してくれ、と言われたものだ。
亡くなる前の帰国中だった夏、ほぼ自分の足で動けないのに、父はビール(その時はノンアルコールだった)に日本酒を混ぜてくれ、と言ったものだった。「何言ってるの?動けないのに、アルコールが入って余計に足がもつれて大変だよ」、といった覚えがある。日本酒をちょこっとしか入れないと、「少なすぎる!」と言われたものだった。
だから夢の中でも、何言ってるの!と放っておいたら、逆に無言の抵抗をされ、こちらが折れて少しコップにビールを注いでいるところだった。
あれは、なんだったのだろう?と思う。よく、夢に亡くなった人が出てくるのは「思い出してね、お参りしてね」というサインだと聞くが(カトリック信者はこういうことを言ってもいいのだろうか?)忙しすぎて、父のことは忘れていたからだろうか...。それともゆっくり休みなさい、ということだったのだろうか...。
ミラノの家には仏壇もお花も飾っていないけれど、父のことを思い出しましたよ。
画像は、昨年帰国中実家に買った百合の苗が、花を咲かせ、仏壇に飾ったというもの。
白梅のお線香の香りが家のフレグランスのように心地よかったので、私も日本から買って帰って来た。純真可憐な白梅を思わせる清らかな香り。(白梅の)お線香イコール仏壇ではないし、百合とも違うが、この清楚なフローラルな香りは私にとって祈りのイメージ。
お父さん、どうか私を見守ってください。
