空手 〜 指導すると言う事 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

久々の空手の話。

 

49歳で子供たちと空手を始め、怪我やらコロナ禍で一時稽古中断あり、精神的にも波風あったが、55歳でやっと黒帯取得。

 

奥が深い空手。自分なりのペースでまだまだ探究していきたいが、以前なら永遠に初段、自分が学ぶ側だけにいられればいいと思っていた。が実際問題、門下生も増え、近々師範ご夫妻が本帰国を控え、指導する立場になると、教えられる人以上に復習、そして学ばなくてはいけない事が沢山ある。また相手からも沢山学ばされる貴重な立場だと気付かされる。

 

流派によっては黒帯になっても、指導者養成コースを受けないと門下生の指導が出来ないところもあるらしいが、確かに経験を積みながらわかることも沢山ある。

 

定義を教え、またセンスもよく、そこそこについてこられる人を教えるのは楽しいが、そうでない方が一般的だ。(自分もそうであったと思うが) 門下生一人一人の状況に対応するのが重要だと思う。それが指導者の使命であるのではないか?と。しかし、人数の割合やら割り当てられた時間から誰に合わせるか?というのは、学校での教育とも同じことが言える。

 

何れにしても、書くのは容易だが、非常に難しい。とにかく級や段位に関わらず、ただ続けていればうまくなるのではないし、道場に子供を入れれば躾が身につくわけでは決してないのだが、そう信じている親も少なくない。

 

蹴りで上段まで足が上がらなければ上がるようになるまで柔軟体操を繰り返し毎日訓練を続けるのも大切だし、シニアなら足腰の痛みを歳のせいにせず、どこから来ている問題なのか見つめる心も大切だろう。

 

よく武道のホームページを見ると、学校のホームページ同様「人格形成(完成)につとめる」と書かれているところが多い。


「人格」とは、何をもって定義するのだろう。

 

大辞泉によれば、

 

㋐独立した個人としてのその人の人間性。その人固有の、人間としてのありかた。

㋑すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・人格ともに備わった人物」

2 心理学で、個人に独自の行動範囲をあらわす統一性全体。性格とほぼ同義だが、知能的面を含んだ広義の概念。パーソナリティ。

 

とある。

 

また段位と人間性に相関性があるのかどうかはわからない。 むしろ黒帯になった事で、勘違い?尊大で下品な人間だっているかもしれない。

 

空手の目的は、強くなる、試合に勝つだけでなく、最終的には、自分の心を磨き、正直な、正義感のある人、親切な人、社会に役立つ人になるために努力する、という事。 

 

 

強いて言えば、優しく暖かい心を持って、困っている人、弱い立場の人に対して、親身になって助けてあげられるよう世の中のためになる事を率先できる人、人からしてもらえる幸せよりも、自分がしてあげられる幸せを実感できる人になるよう、たゆまず稽古し修行する。

 

しかし、空手というのは実にストイックな武道だと思う。耐え忍ぶ精神。だからこそ「道」なのであろう。

 

まだまだ黒帯ひよっ子。これからが本当の「道」。

 

押忍。