琉歌 ~ 忍び忍びしや誰でも忍ぶ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

琉歌(りゅうか)は、琉球、つまり沖縄地方、奄美群島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島に伝承される叙情短詩形の歌謡の事を言うそうだ。ちなみに和歌と同様に”ウタ”とも言われ、詠むための歌であると同時に謳うための歌でもあるのだそうだ。奄美群島においては、主に”島唄”と呼称される。

それらの魅力はなんといっても、その独特な音の響きと語感のもつ温もり。”てぃんさぐぬ花”を振り付けつきで歌った時、言葉は覚えられない、振りは覚えられないという二重苦があったが、言葉の意味を理解したら、すとんと心に落ちるように振り付けが簡単に覚えられたものだ。

その琉歌、八八八六調の韻律は音楽的リズムを作り出し、口ずさむだけで乾いた心に潤いをもたらしてくれる。

忍び 忍びしや 誰でも忍ぶ
忍ばらん 忍び忍びしど忍ぶ


忍(しぬ)でぃ忍(しぬ)ぶしや
誰(た)がん忍(しぬ)ぶしが
忍(しぬ)ばらん忍(しぬ)び
すしどぅ忍(しぬ)び
(こちらは沖縄の言葉、ウチナーグチ表記)

耐えて耐えられるものは誰でも耐えるが、耐えがたき忍苦を耐えるのが本当の忍耐である、と言うのが意味らしい。

ところで、空手では、『オッス‼︎』と挨拶するが、漢字を見た時は、驚いた。「押す」に「忍ぶ」?

耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、押さば押せ、引かば押せ、これすなわち自己滅却の精神也。我が道にいかに険しき山あれど踏みて越えん押忍の精神。

『忍ぶ」を大辞泉で調べると、辛い事を我慢する。じっと堪える。耐える。と出てくる。そして「忍」の漢字は、「心」の上に「刃」。心に刃が刺さってる。痛さを我慢する忍耐ではなく、痛ささえ感じない、心が動じない、「心の強さ」なのではないだろうか?
本当に忍び難きを耐え、艱難辛苦をひたすら耐え忍ぶ事。これぞ『忍」の境地。

そういえば、私が所属する琉球少林流空手道月心会の宗家岡田先生は55年前に道場を立ち上げられた際、始めの3ヶ月は入門者がなく、誰もいない道場で一人座禅を組み、上記の忍びの言葉を繰り返し心の中で唱えられたそうだ。

耐え忍ぶ精神、つまり「積極忍耐」。

人生には楽しい事、嬉しい事同様、辛い事や嫌な事は多い。それらの感情を自らの意思で忍び、成し遂げるのが積極忍耐。痛い事も怖い事も嫌なもの。

空手の稽古は痛みなしでは出来ないが、手足の骨や脛の部分で打ち合う小手鍛えで骨と痛みを感じる感覚は徐々に強くなる。

空手仲間のDは、自宅で拳でくるみを割る練習をしていたが、最近は小石を入れた麻袋のサンドバッグを自作し蹴り、試割用ではなく本物の木製バットを打っており、ドS加減に開いた口が塞がらない。しかも真っ赤になった腕や脛の画像を私に送ってくる。そんなの趣味じゃないって!!

彼は特別だが、辛い事も苦しい事も、前を向いて積極的に耐え、乗り越えようとする心の持ち方が大切。ストイックなほど得るものも多いのではないだろうか。これぞ積極忍耐。でなければ、言われた事、与えられた事しかしていない、受け身な人間でしかあり得ない。

それは、子供たちが大人になり、社会に出て行くとき、タイプが大きく2つに別れるはず。つまり、積極忍耐を持って前向きに取り組むかどうかで、人生の豊かさも変ってくるだろう。

忍び 忍びしや 誰でも忍ぶ
忍ばらん 忍び忍びしど忍ぶ

いつか、忍んでいることを辛苦に思わず、心や肝の修練・修養だと気づく時が来るだろう。

 

押忍

 

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