ある人に連絡をしなきゃ、しなきゃと思っていたら、思わずクリスマスが過ぎてしまった。
主のご降誕のご挨拶が遅れた旨、詫つつも近況をお知らせしようと思ったらエラーメールで戻って来てしまった。なんで?複数回送っても同様。SNSのWhatsAppで送ってみたら?と友人に言われ今朝送ってみると、ちょうどイタリアにクリスマス休暇で来ている共通の友人夫妻が自宅に来るから、ご一緒にどう?と声をかけて頂き出掛けてきた。
上記知人の方は、ご両親が100歳を超えるほどの長寿家系であったし、健康に気を使われ、バランスの採れた食事と的度の運動は常にされ病気知らずで,やはり長生きされるのだろうと思っていた。
が、去年の秋にお会いしてから一切お目に掛からなくなり、風の噂で乳ガンに罹られたと耳にした。
近頃では欧米では減って来ていると言われているが、日本では、3人に1人がガンに罹ると言われている。医学の進歩で昔はわからなかったガンまで発見されるようになったからだろうが、私の身の回りでもガンに罹る人が多い。
そして、ガンはもう当たり前の病気の一つになったので、昔のようには隠さない。不治の病扱いをして、昔は「ガン告知」を「死の宣告」のように言われたが、時代は変わった。それでも、あの○○さんが?! と信じられなかった。それは、ご本人も同じだったかもしれない。
抗がん剤治療もかなりきついと聞いた。一度だけ、彼女ご夫妻の結婚記念ミサに参列しお会いしたが、普段は電話してもいいのだろうか? 具合が悪かったら申し訳ないし、メールはどうだろうか? 考え出すときりがなく、ただお祈りを捧げた。
それでも、彼女が弱音を吐くどころか前向きに状況を受け入れている話を再び人伝に聞いた。
数年前、別の友人がガンに罹った時、入院先にお見舞いに行っても、気の効いた言葉をかけられず、涙ぐんでしまい逆に冗談を言って笑わせてもらったものだ。
ところで、「禍福は糾える縄の如し」という言葉がある。これは、災禍と幸福とは糾った(縒り合わせた)縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がないということを言う。
つまり、良い事と悪い事は複雑にからみあっており交互に起こるものだ、という意味。
ついてない時、うまく行かない時に、じっとこらえる、というのはそれが必要と分かっていても、難しいもの。昨日書いた日記にも同じことが言える。
生きていれば、いい事もある分、嫌な事、困った事、辛い事、悲しい事、出来れば避けたいマイナスな事もいっぱいある。
だから、今が辛くても必ず良い時が来るだろうと希望と勇気を持つことが大切。
「私はね、このガンで変わったの。」と○○さんは仰っていた。
いい時も悪い時も淡々に受け止める叡智が欲しいと思った。
○○さんの快癒を祈りたい。
