私は言い訳が大嫌い。そして、言い訳をして目の前のチャンスを見逃す人間が嫌い。そういう人は、なんだかんだ言って、一生やらないし、そういう人にチャンスは巡ってこない。
空手の大会なんぞも出る人はいつも同じ。裏を返せば出ない人は皆一緒。大会中怪我などの理由とは全く別にドタキャンする人もいる。
恥をかきたくない。失敗したくないという自意識過剰。完璧じゃないと気が済まないというただ害悪なだけの完璧主義か?ひどいのが勝負に興味がないという人。人に対する勝ち負けじゃなくって、自分との闘い、勝負でしょ。
やらないという選択....。やらなければ失敗しないと思う負け犬根性。まだ自分にはその時がきていないと勝手にタイミングを判断する腐った言い訳根性。そういうのがたまらなかった。まっ最終的には他人は他人なんですが。
私は目の前のチャンスに全力で向き合いたいと常に思ってきた。ベストを尽くさない限りチャンスは二度とやってこない、と。甘えない。腐らない。
ところで、今日年内最後の膝の治療のテカールテラピーがあった。今日で7回目。残すはあと3回なのだけれど、未だに炎症と腫れが微妙に残っているという。全く痛みがないといえば嘘になるし、普通に歩いているつもりでも見た目には完全に引きずっている形で、会う人、会う人にどうしたの?と聞かれる。1月復帰どころか2月ももうダメだなあ...と思い、自分の中では春の陣もダメかも...と思い始めたところで、師範から、ここはもう腹をくくって春復帰にしたほうが、焦燥感もなくなり精神的にもいいのでは?だからもう腹をくくれ!と言われてしまった。
それを友人に話したら、「まあ宗方コーチと岡ひろみみたいじゃない!」と言われ、脱力したが(じゃあ、お蝶夫人は誰だ!)精神的苦痛は、成長のチャンス!と友人たちに言われ、頭では十分にわかっていたのだが、凹みつつも、まずは私自身、状況を受け入れる謙虚さがないことを認めざるを得なかった。
自分との闘い、と言いつつ、どこかで負けたくない対象がやはり外に向いていたのだろうと思う。完璧主義ではないけれど、害悪な自意識過剰。やらないのではなく、やれない負け犬根性。言い訳はしないが、出来ないと腐る...
結局、自分は自分と言いつつ、他者に自分の姿を見て嫌いだと思っていたのだろうか。自分のコトは棚に上げ周りの欠点ばかり見ている。まさかそれが自分の欠点とは思いもせずに。
困難なことを問題とは呼びません。むしろ、チャンスと呼びます。
~すべてがうまくいっているときに、成長はありません。「これ以上できない。限界だ」と思うほど苦しいときこそ、成長のためのチャンス。限界の向こうには、自分自身もまだ知らない本当の自分、思ったよりずっとタフで力強い自分が待っています。限界の向こう側へ行きましょう。
昨日(26日)の片柳神父様訳のマザーテレサの日めくりカレンダーの言葉。うわっ参りました!と思った。もう腹をくくろう。人生の道標はふとしたところで出会う。
しなやかに、強くなりたい。
