花の命 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ここ数年、植えているヒヤシンスが開花した。
 
家に置いておくと、部屋の暖かさですぐに咲いてしまうので、今回は少しずつ開花をワクワクしながら待とう!と思い、テラスのプランタに植えてみた。
 

 

 

黄緑色の芯のような蕾が少しずつ白くなり、輝くように開花していく。

 

大雪が降る、降る...と言われつつも、結局なんだかんだいって暖冬のようだった気がする。とはいえ、寒さの中でただじっとしている姿は力強く、美しい。

 

どんな環境であっても自由に咲くうる花の命は、人間よりも強い。 富めるものにも貧しきものにも、花は平等に楽しみを与えてくれるのだ。

 

「置かれたところで咲きなさい」とおっしゃったのは今は亡き、シスター渡辺和子。己の環境に不平一つ言うでもなく、命の可能性をいっぱい咲かせる花々。

 

あー今が美しいから散らないで!枯れないで!と思ってしまうのはエゴイストか。

 

花は散るから美しいのかもしれない。

 

底力を蓄えながら、時を待つ花の美しさ。

 

ところで、昨日、父が82歳の誕生日を迎えた。母と話したが、こんなに辛いのに長生きする意味があるのか...とぼそっと言っていたという。

 

また昨日、シスターPを訪ねて老人ホームに出かけた。2,3週間ぶりだっただろうか?また、周りの友人たちもなかなか訪問ができなかったようで、よってしばらく日本語や日本人に触れることがなかったようだ。やはり外に出ることもなく、同じフロアーの同じメンバーとしか顔をあわせることもなく、イタリア語もそうそう話しているようではないようだ。というか徐々に億劫になっていくのだろうか。だから精神的にすごく落ち込んでいるように思われた。

 

今日もまた、友人たちとシスターPをたずねると、昨日とはうって変わって、明るく、足も軽やか。

 

人間は、生きていながら悲しみ悩む...

 

晩年の弱さや脆さを考えさせられた。

 

人生は望んだ通りにはいかない。勉強にしろ仕事にしろ、家庭生活にしろ、「不本意だ」「こんなはずじゃなかった」と思うことばかり。上記シスター渡辺は、著書『置かれた場所で咲きなさい』の中で、「境遇は選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」。そして、「どうしても咲けない時は、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです」とおっしゃっている。

 

天与の花を咲かす喜び 

共に咲く喜び 

人見るもよし

人見ざるもよし

我は咲くなり (by武者小路実篤)

 

今年は、ヒヤシンスを外に植えているため部屋中が独特な甘く濃厚な、それでいて爽やかで、またスパイシーな香りに満たされないのが残念。

 

美しい命の花を咲かせ、また香りを漂わせる花々よ。香りとは生き方。その花が消えても風にのって香りが漂うような生き方ができたら素晴らしいと思う。

 


「風信子」

https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12246291352.html

「人間いたるところ」

https://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11319532292.html