米寿のお祝い | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで31年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

昨日9月30日、日本人のシスターであるシスターパオラが88歳、米寿を迎えられた。

その前日が彼女の洗礼名である「ミカエル」の祝日であったので、イタリアでは本来誕生日は早めに御祝いするものではないのだが、(現在は終生誓願の際の名前「パオラ」が彼女の名前)洗礼名も非常に大切にされておられるのと、関係者の予定云々で誕生日前日にお邪魔してきた。

 

本来夕方5時からロザリオが始まり、6時からお食事。ロザリオの前の4-5時が約束の時間であった。この日、私は空手の稽古は道場の都合で普段よりも稽古時間が遅く終わったので、慌ててて帰宅しシャワーを浴びてから出たが、ちょっと遅刻。それでも和気藹々小さなグループでのお祝いとなった。

 

春に大腿骨を骨折され手術、そして夏にしっかりリハビリをされ杖なしでも歩けるほど回復したが、やはり疲れやすいので普段は歩行器で歩いておられる。身長140cm、体重も30キロと風が吹いたら飛んでしまいそうな小柄なシスターだが、芯はぶっとい。笑

 

夏休み前に、「自叙伝」を書きましょうよ、という話をしていたが、昨年日本からどなたか来られた際、シスターとの会話を録音しテープを起こしたものを読ませていただいた。そこには、シスターがなぜ洗礼を受けられ、今に至ったかが、掻い摘みながら綴られていた。

 

カトリック系の病院で薬剤師として働いておられ、薬の研究中に爆発。失明と重度の火傷で入院、数度の手術。シスターという役職、人間は大嫌いだった、というシスターがなぜ洗礼を受け、シスターになられたか。非常に興味深かったが、意外に笑える理由で皆大笑い。今回、「蟻の町のマリア」と呼ばれた北原怜子さんとは学校の先輩後輩だったと知り、驚いた。

 

「私は好きなことだけをしてきたの。」と常にシスターはおっしゃっていたが、本当に日本津々浦々、拘置所を回っておられたようだ。カウンセラーでもあったシスターは死刑宣告を受け、執行待ちの受刑者に会うことも多かったそうだ。昔は今ほど制限も厳しくなかったからね....とおっしゃる。いつも受刑者と仲良くなっていたのよ、と言っておられたが、いわゆる 教誨師だったようだ。教誨師とは、受刑者と対話し、教えを説く宗教者のこと。今でこそ、死刑廃絶の声が大きくなっているが、死刑囚と向き合った話を、単に好奇心、というのではなく、いかに人に対して偏見を持たず一人の人間と向き合うか、そういうことを聞いておきたいなと漠然と思った。

 

また船で3ヶ月かけてローマへ渡った話や、その後1962年から始まった第2バチカン公会議ではちょうどローマにおられ、当時のパパ様であったヨハネ23世から、後を継いだパウロ6世に遂行された会議の内容は非常に興味深い。(たまに記憶が定かではないが、かなりしっかりしておられる!)

 

とはいえ、ミラノの養老院に入られるため、数度目の来伊約3年。シスターのお母様が88歳で帰天されたそうで、自分も88歳で死ぬのだといつからか言い出された。それでもお姉さまが97歳帰天だったというので、そこまでは頑張りましょうよ、と話していたが、先日もカレンダーを指差し、9月30日は何の日?と言われるので、「シスターのお誕生日ですね」というと、その日に死ぬから、というので苦笑してしまった。

 

とりあえず誕生日までは待ちましょうよ、といつも笑って話題を変えていたが、その日も自分は明日死ぬ、と言い出された。そこへ偶然、修道院長が来られ、「皆にお祝いしてもらってよかったわね...」と言われた途端、また「私は、明日死にます」と始まり、こちらの方が目をパチパチさせてしまった。

 

「許可は出しませんよ」と院長。思わずうまく言い返されたな!と思った。同室の94歳のシスターがやはり大腿骨を骨折されていたけれど、明日退院してくるので、声をかけてあげるのが、あなたの役目です、と言われ、しぶしぶsi,si...と答えておられた。

 

シスターのプライヴァシーもあるのでこれ以上は書けないが、非常にユーモアもあり、また破天荒的なところがあって、こちらの方がハラハラすることも多いのだが、聖職者でもあっても人間なんだよな...と思うことも多い。

 

次は、日本人ミサでお会いしますからね。まだ、逝っちゃいけませんよ。と伝えてきた。


生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。(コヘレト3)

 

何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
だから人間が知り尽くすことはできない。

与えられた今を、精一杯生きること。それが私たちの使命。

私達に与えられている賜物としての聖霊の導きにただただ感謝。

 

 

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