2021年7月2日、ABCテレビ制作・テレビ朝日系の視聴者参加型クイズ番組『パネルクイズアタック25』が今年9月末で終了し46年半の歴史に幕を下ろされることが正式発表されました。この衝撃的な一報は、SNS上では「#アタック25の思い出」というハッシュタグが立ち上がるぐらいでした。
私も何度か予選会にチャレンジし幸運にも2回番組に出場させてもらいました。私も記憶が残っている限り「#アタック25の思い出」を綴りたいと思います。
私が『アタック25』を見始めたのは、「日興証券・日興投信」が冠スポンサーで番組ロゴが台形状の頃でした。クイズとオセロゲームを合体させた番組内容に魅了され「僕も、将来この番組に出てみたい!」と思うようになりました。
余談ですが「日興証券」時代の『アタック25』は、山形地区は土曜日の夕方5時に放送していました(私の記憶に間違いがなければ)。当時は、民放が2局しかなく正式なテレビ朝日系列が無かったからです(当時の山形のテレビ事情を綴ると長くなるので割愛します)。
高校卒業後の1998年6月21日、初めての『アタック25』山形予選に参加しました。当時のペーパークイズは30問ではなく20問で、問題をスタッフの人が読み上げ制限時間内に解答用紙に書き込むというスタイルでした。残されている記録によると初参加の時の予選参加者は45名だったようです。初挑戦の予選会は当然ペーパークイズで敗退しました。
その後何度か予選にチャレンジし、2002年2月24日に参加した予選会で初めてペーパークイズと面接を突破して予選を通過しました。そして2002年秋に待望の本選初出場を決めました。
初出場を決めた2002年は、唯々「番組に出られる!」「大阪に行ける!」という嬉しさだけが先行し、番組で結果を残すために対策勉強などはしなかったと思います。強いて言えば、所有していたクイズの問題集を片っ端から読み漁る程度でした。
初めて大阪に上陸したときは飛行機で行ったのですが、周囲から聞こえる大阪弁や関西弁が外国語のように聞こえた覚えがあります。当時、応援に駆けつけてくれたのは、私の母親、母親の友人、親戚の伯父・伯母でした。
本番が始まる前に1人ずつパネルの取り方の練習をしたのですが、リハーサルの時から緊張していたのか、角が取れる場所を見逃しパネルの選択ミスをしました。その時、司会を務めていた児玉清さんから「本番では言い直しが出来ないから、よく見てよく考えて言ってね。」と注意されたことも。
初出場の成績は5問正解出来たものの、パネル4枚(賞金4万円)獲得で終わりました。収録終了後、スタジオ内を自由に写真撮影することが出来、私も司会の児玉さん、出題の沢木美佳子さんとともに記念写真を撮らせてもらいました。その際、児玉さんから「いやー、君は惜しかったよ。もうちょっとだったんだけどなぁ…。」とお声掛けしてもらったことも覚えています。
私がボタンを押して答えた問題で放送に乗ったのは以下の通りでした。当時の解答者席は「赤」でした。
問題;1982年12月8日、タレントの三波伸介が亡くなっています。彼が伊東四朗、戸塚睦夫とともに組んでいたお笑いトリオの名前は何でしょう?
正解:てんぷくトリオ(11番を選択)
問題;【映像問題】今から出来上がる漢字2文字の言葉は何でしょう?
「読、重、和、入、圧、枕、澄」
正解:空気(15番を選択→12番、13番、14番が赤に変わる)
問題;【映像問題】さて何でしょう?次の5つのヒントからお答えください。
第1ヒント 起源は16世紀ヨーロッパ
第2ヒント ふしぎなポケットの楽譜
第3ヒント 「パッチ○○○」「シーム○○○」「フラップ○○○」
第4ヒント ビリヤードの台の写真
第5ヒント 「○○○モンスター」
正解:ポケット(3番を選択→8番が赤に変わる)
問題;1インチあたりの点の数を表す単位で、パソコンのプリンターやスキャナーの解像度を示すのに使われる、アルファベット3文字は何でしょう?
正解:dpi(誤答で2回休み)
問題;次の3人の作家のうち、ノーベル文学賞を受賞しているのは誰でしょう?
「ルイス・キャロル」「メーテルリンク」「アンデルセン」
正解:メーテルリンク(誤答で2回休み)
問題;【アタックチャンス】現在、発行されている日本の紙幣の番号はすべて何桁でしょう?
正解:6桁(誤答で2回休み)
問題;釣るし切りが有名。七つ道具と言われる体の部分が珍重される、冬の味覚の代表のひとつである魚は何でしょう?
正解:アンコウ(18番を選択→8番、13番が赤に変わる)
問題;トラックでスピードを競うスピードスケート。オリンピックで男女ともに、一番距離の短い種目は何mでしょう?
正解:500m(25番を選択→19番が赤に変わる)
この時初めて出題される問題には、数年周期で繰り返し出題される「定番問題」と最新の話題が出題される「時事問題」が出題傾向としてあることを知りました。再出場することを目標にして、この頃から始めたのが…
①番組は必ずビデオテープに録画して、しっかりと観る。
②インターネット上に掲載されている、放送で使われた問題を纏めて自分なりの問題集を作る。
③2006年7月から、VHSビデオからHDDレコーダーに変更し録画した番組はDVDに全て保存する(VHSビデオの時は上書き録画していた)。
④2006年7月から、インターネットニュースや新聞を細かくチェックし、自分なりに予想問題として作成する。
さらに、各地で開催されるクイズのオープン大会に参加したり、2006年末から仙台のクイズサークルに足を運んだり、兎に角クイズ現場の場数を多く踏み、「クイズの真似事」ではなくクイズに対して本腰を入れるようになりました。
《続く》