局内に案内され控室に荷物を置いた後、タレントさんが使用するメイク室でドーランを塗ってヘアスタイルを整えてもらい、細かなルールや注意事項などの説明・打ち合わせをした後、いよいよ決戦の舞台となるスタジオに案内されました。

スタジオに入ると、応援席には私がお声掛けした方たちも既に座っていましたが、その近くには他の解答者の応援者でクイズのレジェンドの皆さんが座られており、その光景にビックリしました。その後、司会の谷原さん、問読みの加藤明子アナウンサーが入られ、解答者と一緒に記念撮影。1人1問ずつボタンチェックを兼ねた練習問題、谷原さんとのトークなどのリハーサルを経て、いよいよ本番に突入しました。

 



私がボタンを押して解答した問題は以下の通りでした。当時の解答者席は「緑」でした。序盤は中々分かる問題に巡り合わず、ボタンを押すことが出来ずに数問経過しました。

問題;【音楽問題】まずは、こちらをお聴きください。これは、りんともシスターズwithマジーが歌う『カリビアン・サンバ』です。このユニットをプロデュースしているのは、かつてサンバの曲で話題を呼んだ俳優で歌手です。誰でしょう?
正解:松平健(24番を選択)
※本番当日の早朝、出発準備をしながら観ていた情報番組(日テレの『Oha!4 NEWS LIVE』だったかな?)で偶然放送されており、問題を聞いていて「どっかで聞いたことある話だな~」と思い「今朝、テレビでやってたじゃん!」と思い出して解答。

問題;今月7日から導入されている、国際観光旅客税。外国人・日本人問わずに、日本から出国するたびにいくら納めるでしょう?
正解:1000円(12番を選択→18番の赤が緑に変わる)
※本番の数日前、NHKのニュース番組で知り予想問題として作問していたので知っていました。

問題;江戸幕府の15人の将軍のうち、名前に徳川家康の「家」という漢字が使われていないのは4人です。吉宗、慶喜、綱吉と誰でしょう?
正解:徳川秀忠(3番を選択→8番の白、13番の赤が緑に変わる)
※『第7回アメリカ横断ウルトラクイズ』準々決勝・オルバニーの「落下傘パラマキクイズ」で、全く同じ問題が出題されていました(答えは違っていたかも)。歴史のジャンルは苦手だけど、事前に『第7回ウルトラクイズ』の映像を見ていたのでラッキーでした。

その後、数問が経過し迎えた映画問題。

問題;【映画問題】今月25日公開の映画『ヴィクトリア女王 最期の秘密』。イギリスのヴィクトリア女王とインド人の若者との間に芽生えた強い絆を描いた作品です。彼女は、繁栄を極めた大英帝国の象徴として知られていますが、女王に即位した時の年齢は何歳でしょう?次の3つの中からお選び下さい。
《選択肢》18歳、20歳、22歳
正解:18歳(22歳と解答。誤答で2問休み)
※正直、3択なので勘で解答しました。後で、この映画の宣伝映像をYouTubeで確認すると最初の方のナレーションではっきりと言っていました。

映画問題の後も、知っている問題が無くボタンを押すことが出来ずにいました。他の解答者が正解を重ねていき、アタックチャンスのチャイムが鳴った時、気付いたら24番のパネル1枚しか残っていませんでした。アタックチャンスの問題も、他の解答者に正解され窮地に立たされた状態で出題された問題が…、

問題;先頃、2020年の東京オリンピック公式映画の監督に就任した、『萌の朱雀』や『殯の森(もがりのもり)』などの作品で知られる映画監督は誰でしょう?
正解:河瀨直美(22番を選択→23番の赤が緑に変わる)
※事前に予想問題として作問もしていましたが、前夜に日テレ『news zero』でも特集が放送されていたので答えられました。

問題;慣用句で、ハッと驚いた時は「飲み」、静かにする時は「殺し」、ホッとする時には「つく」ものは何でしょう?
正解:息(6番を選択→12番の青、18番の赤が緑に変わる)

この時点で私のトップ賞の可能性は無くなっていましたが、パネルを1枚でも多く獲得しようと迎えた最後の問題。

問題;2025年大阪・関西万博の開催場所は、大阪湾に浮かぶ人工の島です。「( ? )洲」でしょう?
正解:夢洲(ゆめしま。5番をラストコール)
※この問題は、年末に放送されていた『クイズサバイバー』で同じ問題が出題されていました。ボタンを押した瞬間、「大阪万博のアンバサダーってダウンタウンだったよなぁ」と思いましたが「人口の島です。」という言葉が聞こえたので「夢洲」と答えました。

最終結果は正解数6問、パネル7枚・賞金7万円獲得でした。因みに、賞金7万円の一部で電子辞書を購入しました。本番に参加している時は、収録が凄く楽しくてガチガチに緊張していたというのは無かったと思います。本番終了後、「河瀨直美」と「息」の問題で指名した22番、6番のパネルの指名を逆にしていたら、パネル10枚・賞金10万円を獲得し私がトップ賞獲得となってことが判明。それに気付いたときは後悔しましたが、2002年の初出場時と比較し1.75倍に躍進したので満足はしていました。(でも悔しかったかも…。正直言うと、この時空腹で頭の回転が良くなかったのもあるんだよなぁ…。)



収録終了後、出場者とその応援者の皆さんたちで打ち上げが行なわれました。「アタック25パーフェクト達成」「FNSクイズ王」「BSスカパー!地下クイズ王」など、私が幼少期にテレビで活躍を拝見していたレジェンドの皆さんも参加され、打ち上げの時まで夢のような一時でした。もし、この世に「ドラえもん」のタイムマシンが存在するのであれば、約30年以上前に行って幼少期の自分自身に「おい!テレビに出ているそのクイズ王の人たちと30年後に知り合いになるぞ!!」と言ってやりたいです。

 



本番終了後も大阪に滞在し、USJや通天閣、なんばグランド花月での吉本新喜劇鑑賞など大阪観光を思う存分満喫しました。大阪グルメも「お好み焼き」「うどん」「タコ焼き」「ミックスジュース」と充分堪能、2019年1月14日に地元に帰還しました。

 

《続く》