帰省先の佐渡島に、福島の子どもたちの保養を目的とした築100年以上経った古民家「へっついの家」があります。
この保養所を知ったのは、お盆の帰省直前でした。
偶然にも夫の実家から歩いても行かれる場所にあったので、ボランティアに興味のあった娘がスタッフとして働かせていただくことになりました。
主な仕事は、女性スタッフたちと共に食事の準備です。空いた時間は、子どもたちの夏休みの宿題を見てあげたり、一緒に遊んだりしたらしいです。
充実した3日間で、娘にとって忘れられないいい経験になったようです。
助け合って生きて行くこと、いい出会いと繋がること、自分で判断すること、人生を楽しむこと…
娘と息子に伝えていきたいです。
上の画像は、福島ー佐渡 むすんでひらく保養プロジェクト 「佐渡 へっついの家」Facebookよりお借りしました。
https://ja-jp.facebook.com/sado.hettsuinoie
この保養のイベントを企画している関久雄さんのご自宅は、福島県二本松市にあり、現在は、ご家族で山形県に避難しているとのこと。
ご自宅は除染後、線量は少し下がったものの、現在でも毎時0.27マイクロシーベルトあるそうです。
100万人に1人と言われる小児甲状腺がんが、福島では、2300人に1人の割合で発症しており、現在127人の子どもが順番に手術をしている状況とのことです。
チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシの子どもたちが、北海道で1か月保養すると、体内のセシウムなどが排泄され体調が回復したというデータ(チェルノブイリへのかけはし
http://www.kakehashi.or.jp/?p=10553
)があるので、福島県の高線量地域で生活している子どもにも保養が必要と考える人は多いようです。
関さんは、子どもたちにただ保養に来てもらうだけでなく、自然の中の遊びや生活を通して、原発がなくても生きていかれるチカラや知恵を授けたいとおっしゃっていました。
この「へっついの家」を福島と佐渡の子どもたちのための「プレイパーク」にすることが夢だそうです。
「へっついの家」には、実際へっつい(かまど)があり、庭には、ドラム缶で作ったお風呂があり、竹で作ったブランコがありました。
国の方針は、2017年3月で自主避難者への住宅支援を打ち切り、福島に戻ってきた人たちには補助金を出す方向だそうです。
子どものことを考え、泣く泣く避難した人たちの気持ちを想像すると、とてもやるせなくなります。
「私たちはチェスの駒じゃない」と訴えている避難先の母たちの気持ちよくわかります。
http://momsrevo.blogspot.jp/2015/05/blog-post_28.html
(ママレボ通信)
2011年3月11日から4年の月日が経ち、東京は、何事もなかったように平常の生活に戻りました。
(もちろん、東京からもっと西の方へ避難した方たちもたくさんいます。)
福島のことは気になっていたものの(特に子どもたちのこと)何をどう支援していったらいいのかわからず、今に至ってしまいました。
偶然見つけた「佐渡へっついの家」でしたが、何かのご縁でつながったのかもしれません。
私も娘に続いて自分にできる小さな支援から始めたいと思います。