今回は、わたしのバイリンガル育児の土台ともなっている、
大学院でのことをお話したいと思います
アメリカから日本に帰ってきて15年、
アメリカは遠い場所となりつつありましたが、
それでも幼少期の想い出が強く残っていたため、
アメリカは「いつか住みたい場所」となっていました。
それがいよいよ現実のものとなります。
言語学で有名な研究者がいるということで
ハワイ大学に進学することを決め、いざハワイへ。
「ハワイ」と言うと、
南国でリゾートなイメージですが、
大学院での日々は、
ハワイに住んでいることすら忘れてしまうほど 超ハード。
授業では毎度
数十ページの研究論文を2、3個読んで、
授業のディスカッションに備えるのが大前提。
それに加えて
定期的に出されるレポート課題に
プレゼンテーション。
英語ネイティブのクラスメイトでも
付いて行くのに必死なのだから、
留学生のわたしにとっては 尚更です。
寝ても覚めても勉強ばかりだったので、
日焼けもほとんどせず、
友達には「本当はハワイにいるなんてウソだろう」と言われていました
最初の一年は付いて行くだけで必死で、
自分の研究分野のことを考える余裕もありませんでしたが、
一年目の終わりに
わたしの人生を変えるほどの出会いが。
それが言語学者 Lourdes Ortega氏との出会いです。
SLA(第二言語習得)の分野では
とても著名な教授。
だけど普段はそんなことを感じさせない
気さくな人柄と穏やかで優しい雰囲気でした。
幸運にもそのOrtega氏が指導教授となり、
面談のためにオフィスに行くと、
「何を研究していきたい?」と聞かれました。
「正直まだ分からない」と答えると、
「あなたが以前書いたエッセイ、とても興味深いわ。『ライティングで自己表現をしてきた』と書いてあったけど、スピーキングで自己表現するのとは どう違うと思う?」
「わたしの場合、話すことは得意ではないから、書くことの方が自己表現しやすい」
「それは なぜかしら?」
「英語にコンプレックスを抱いてきたから、話すと自分の言いたいことが言えなくなるんです」
「どうしてコンプレックスを抱いてきたのか、掘り下げて考えてみるといいかもしれないわね。それが どうライティングに繋がるのかも」
Ortega氏のオフィスを出た わたしは しばらく放心状態でその場を動けませんでした。
そのときはまだ、幼少期の経験が
今の自分のアイデンティティと
繋がっているなんて思いもしなかったから。
それから数日、悶々と過去を振り返り、
それをノートに書き留める作業を続けました。
reflective journal(自己内省日記)というものです。
過去の出来事や自分の感情を
掘り下げて
ブレインストーミングしていくのです。
この、自分の感情を掘り下げていくという作業は、
その後の大学院生活でも欠かせない存在となり、
研究でも何度も救われることとなります 。
そして再びOrtega氏との面談。
「研究したいテーマは見つかった?」とOrtega氏。
「英語習得とアイデンティティの関係を研究してみたい。学習者のライティング材料を通してそれを見れるのかどうかは 分からないけれど・・・」
「そういう研究はあるし、とても面白いと思うわ。わたしの専門分野でもあるから一緒に頑張りましょう」
こうして『英語習得とアイデンティティの変移』についての研究が始まったのです。
Ortega氏に会ってなかったら、
過去の自分と
とことん向き合うことも
なかったかもしれません。
そして何よりも、
アメリカの大学院で認めてもらうことが、
大きな自信に繋がったんだと思います
その勢いに乗って、
ハワイ大学併設の語学学校で
英語の先生としても働き始めます。
初めこそ
「留学生に英語なんて教えられるのか?!」
なんて怖じ気づいていましたが、
ちょこっとハッタリ、
あとは努力で何とか乗り切りました。
「英語コンプレックス」が
徐々に薄れてきた頃に、
ベトナムでの教育実習話に
乗ってしまうのですが、
その話は また別の機会に
自己紹介⑥『バイリンガル育児の始まり』につづく。