Mother's Food

DJみそしるとMCごはん/平野ゼミ
ラジオから「マカーロニー♪」とはじまるつぶやきに釘付け。以前「カレー、コーヒー、チョッコッレイト♪」というポップスがステインのCMソングだったこともあり、オンエア曲かCMかハテナ?後日、正体は「いちいち本を見なくてもいいように、家庭料理のレシピをラップにする」という、女子学生の卒制であったことを知る。タイトル『マカロニグラタン』『大学芋』『ピーマンの肉詰め』、「…が好き」も「今夜は…」もつかない。レシピだから!しかし、なんでしょうこの出来上がりを待つ幸福感。本当は言いたいことなど無くて、テンプレ踏襲して母ちゃんに感謝しちゃう系ラップよりよっぽど温度が伝わってくる。鍋やフライパンからあがる湯気の。→
RE:La-xion 2nd

RE:La-xion/independent*
バンド名のリラクションの当て字?メールにつくと「~について」という返信の意味の「RE:」だが、Re:start、Re:birth、Re:boundといった文字遊び曲名も多数。ひたちなか海浜鉄道の復旧支援ソング『Re:gain』の活動等、再生!回復!のエールに、地元アイドル的な人の良さを感じる。デジロックというか、エレポップ+激弾きギターの上に見えるオリジナリティは人の良さだ。回る出っ歯♪みんながサイコー♪みたいなニッコリ笑顔のライブに、クール刹那に決めてみせるのが『再起動 -Re:start-』。何百年先の遥か未来でなく2、3年先のがんばれば結果を変えられる未来に背中を押してくれる。→
吉祥寺

flawright/independent*
井の頭公園隣接2階建ロフト付1R、ガーデンハイツの彼女と待ち合わせて、池に浮かんだ桜の花びらの量が凄すぎって笑って、あてもなく歩いた。そんな記憶を思い出すフェアライトの曲『吉祥寺』について。「僕たちは」という歌、あるいは「私たちは」という社説の信憑性の無さは、みんなの共感を拾いに行ってる底の浅さだ。教室で一括りにされた時代が終われば、みんななんて居ないじゃないか。だから歌は私小説でいい。私が過ごして、君が好きだから、超個人的で胸いっぱいの気持ちの細い声が、吉祥寺代表の集合記憶だ。そうだろう中央線の恋人たち。弦で弾いてるエレキチェロあれは何?!映画『吉祥寺の朝日奈くん』もまた見よ~っと。→
シャルトリュー
Chartreux/ON THE STREET LABEL
好きになったんだからしょうがない、っていうそのトキメキってなんだよと。つまりは期待感だ。新しいデジタルガジェットを買っちゃう人も、まだ聴いたことのないセカンドアルバムを発売日に手に入れて開封したいのも、初対面の人と話しが盛り上がってこれから友達やそれ以上になれるかもしれない、そのトキメキ期待感。まだ裏切りに合ってない蒙古斑。レディガガにだって音楽作品よりも、世間に対し勇猛に戦う姿に賭けたいんだ。日常を変えて欲しい期待感。フライングVとロックと文系猫女子、見たことない変な髪型、そんなシャルトリューの佇まいにはロック界にじゃなくて、僕の日常に新風を吹かすトキメキが潜んでいる。→
十年目のプロポーズ

マキタ学級/FUTABAMUSIC
今日本で最も売れかけている芸人マキタスポーツが、ネタでなくガチでやっているバンド、マキタ学級の『十年目のプロポーズ』『歌うまい歌』が、最も売れかけている芸人を世に知らしめ…るとまではいかなかったが、好事家に存在を示した。作品は極めて批評的でありつつ、音楽的な完成度が高い。ナンセンスソングではない。競技化されたカラオケ音楽を敵に回すタブー、誰も口にしない事を評論文でなくバンドが表現するガチでカッコイイスタイル。藤岡弘の名言を借りるなら「技は力の中にあり」。このバンドがカバーする曲、解説する曲は全部チェックしたいし、このバンドの新曲が常に待ち遠しい。マキタスポーツ名義でもいい、もっと高く売れるはず!→
月のうさぎ

はなわちえ/コロンビア
爺さまが叩くじょんがら節の鳴き三味線がぁ~風にちぎれて聴こえてくるよ~♪ぺぺぺペンペンペンペン!したっけ、爺ちゃもいつまで生ぎでるもんでね。へばの、おらさに聞ごえてぐるのは俺達の世代の鳴き三味線、んだべ。シンセやダンスと組んでもキリリとした音の佇まいが希望の光を示す。新しい事に迷って古典楽器に似合わない曲を弾くような努力違いはしない。YouTubeの津軽じょんがら節は独奏だが、CDでは控えめなタイミングでスペイシーな音響がバックにフェードイン、終盤は音像全体をダイナミックな広がりにしていたり。古典も新曲も、美しく津軽三味線を聴かせるための的確なアレンジに、はなわちえ渾身の音色、しなやかで凛々しい強さ感じる。→
転校生

転校生/EASEL
無力を宣言しなければならない。知り合いの情報、彼の情報が、SNSを通じてどんどん流れこんでくるからだ。「あー、その日は先に別の約束があってライブに行けない」「猫の病院行かなくちゃ、本当ライブ行きたかったのに」そう断った日は、楽しく遊んでるツイートは出来ないけど、彼のその日の写真には「いいね!」しとく。本当は彼らのつまんないバンド見るの面倒くさかっただけ…みたいな日常を送ってる人は携帯スマホ手放して、転校生のライブに行けばいいじゃん!「僕には何にもできない」「何も聞こえない」そんな甘い絶望を頼りなく唄う彼女に無力なる者の共感。あいつへの無力宣言は「スマホ壊れちゃった」で済ませて、君にだけ投げかけてくる音楽を聴け。→
羅生門

水曜日のカンパネラ/つばさレコーズ
職業シンガーソングライターがデビュー後にネタ切れ3rdアルバム辺りで必ず入れる「サンデー日曜日はどうしたこうした、マンデー憂鬱でチューズデイが火曜日ー♪」みたいな歌、私はクソだと思うんだけど、なんで皆そういう曲つくるの?一方、好きなのがカタログ化ソング。1964年小林旭の『自動車唱歌』、1992年森高千里の『ロックンロール県庁所在地』等、テンポよく脳内陳列される歌は、シャンパンタワーにシュワシュワが注がれていくようにあがる~↑大切なのは語感の持つ音楽性で羅列系はラップとの親和性が高い。『モノポリー』に登場する地名駅名はとても音楽的で、硬い法則性は無い。そこにルールに縛られない性格が出ていて痛快。→
芸人の墓

水中、それは苦しい/JOHNNY DISC
ギター、ドラム、バイオリンのスリーピースバンド。「詩人になろうと思って家を出て、今こんなんなってる」って語るのはボーカルのジョニー大蔵大臣。欺瞞的なオリジナルの言葉は唄わなくて、既にパワーを持った単語、ドラゴンボールのセリフやタレント名のダジャレを引用加算する歌詞が多かったことからライブは常に笑いが先立っていた。ドラクエ、ガンダム、安めぐみから乙武さんまで鷲掴みでぶん投げていたスタイルは、熱量を伝える叫びを生み出していた。谷川俊太郎『詩人の墓』を(ちゃんと本人許可取って)引用した意欲作『芸人の墓』で一つの頂点を迎えたと思う。終身芸事に生きた男を、シンプルに心を打つロックバイオリンで唄う。→
魔女図鑑

吉澤嘉代子/ヤマハ
ボーカリストを好きになる時、好みの声だから何を唄ってても好きになっちゃう理想の声ってのがあるけど、吉澤嘉代子の場合、声でなく、歌い方のそのまた根本の、口の中が大好きだ。唄い語り気味の『未成年の主張』のモノマネをしてみて欲しい。ま、わ、ぴ、ん、は、わん。彼女のモノマネをした時の、口元のモニョモニョする発音の身体感覚と恋がユーモアに暴発した恥ずかしい感じの、なんという共感覚。赤んぼうが「ママ」と発する時には、口元の筋肉に優しい快感があるという。言葉の意味の説得力よりも、もっと神秘的な口腔の中の気持よさ。もしかしてアルバム『魔女図鑑』を「まじゅじゅかん」って言うのも、口に出すと「まじゅじゅかん」の方がキモチイイから?→