熊野古道、熊野本宮大社をめぐる冒険⑩中辺路で気になったエピソード「小判地蔵」 | Smalllest Bar 小野ちはるの冒険

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山形の月山(がっさん)ビールとプレミアムテキーラでおなじみの錦糸町「Smalllest Bar(スモーレスト・バー)」の店主、小野ちはるです。
お店と私の事を書いていきたいと思います。
テキーラ・マエストロ。月山観光大使。2017サハラマラソン完走。

こんにちは。

Smalllest Barの

小野ちはるですおすましペガサス

 

4月に行った

熊野古道の旅、

続きです。

 

1, 旅の全容・熊野古道概要

2, Day1和歌山県田辺市滝尻まで移動、民宿「古道の杜あんちゃん」

3, Day2熊野古道・中辺路①滝尻王子〜近露王子

4, Day2近露・「民宿なかの」

5, Day3熊野古道・中辺路②近露・比曽原王子〜熊野本宮大社

6, Day3 「農家民宿・茶の香」

7, Day4 大峯奥駈道・玉置山「玉置神社」

8, Day4 十津川温泉「平谷荘」

9, Day5 帰路「日本一長い路線バス」「谷瀬の吊り橋」

▷10, 中辺路で気になったエピソード「小判地蔵」

11, 中辺路で気になったエピソード「奥州藤原氏の伝説」

12, 中辺路で気になったエピソード「三体月伝説」

13, 全体を振り返って

 

中辺路、

小辺路、

伊勢路等々…

何本かある

熊野古道ですが、

今回の小辺路を

滝尻から熊野本宮大社まで歩いた中で

気になった道中のエピソード編です。

image

1日目の道中だったと思いますが、

「小判地蔵」様という

石像がありました。

 

詳しい説明書きが

そばに建ててあったと思うのですが、

概要としては、

道半ばで力尽きて、

そこで息絶えた

巡礼者がいらしたのだそうで…

 

記憶と

ネット情報を照らし合わせると、

その出来事は

江戸時代のことで、

大分県から詣でた巡礼者さんが

(現地の説明だと

 お坊さんだった気がする)

飢えと疲れで息絶え、

その時に

小判を口にくわえて

亡くなったのだそうです。

 

それを哀れに思った

その土地の有力者が、

それを弔う

お地蔵様を建立したのだとか。


(その地蔵さまの画像ナシ)

 

なんだかこのエピソードが

印象に残って

考えさせられたんですよねー。

 

昔は飛行機とか

電車とかがないから、

遠路はるばる

徒歩で詣でるしかなかったわけで。

 

大分からだったら

海路もご利用でしたよね。

 

命懸けの旅路ですね。

 

一説によると昔の旅人は、

行き倒れても

葬儀をあげてもらえるように、

葬儀代を持ち歩いていたらしい。

 

その地域の代表として

詣でたような

そんなお話だった気もするけど、

何か強い祈りがあって

参拝する必要があったのか…

 

貧しくて

食料を携帯していなかったのか、

それでも

小判は持っていたのに、

食べ物は手に入れずに

もしもの時のために

取っておいたのか、

今となっては謎ですが、

なんとも皮肉な情景です。

 

お金は便利なツールだし、

現代社会では

なくては生きていけない、

大切な物です。

 

ですが、

小判や紙幣などの

その物質だけでは

直接的には役に立ちません。

 

やっぱり

生きていく上では、

ごはんが食べられるということが

最低限の基本的な

幸せなのだと

あらためて考えました。

 

そう言いながらも

私は山歩きの時の行動食は

あまり食べられないタイプで、

持参しても結局残して

廃棄することも多いのですがあせる

 

小判地蔵は、

日々の食事には

本当に感謝だと思わせられる、

古道のスポットでした。

 

お金の先の豊かさに

焦点を合わせたいと思った

エピソードでした。

 

当たり前と思っていることが

実はとても

ありがたいことなのだと

振り返る機会でもありました。



そして、

ちらっと小耳に挟んだところ、

今後の日本でも

食料不足におちいる

可能性があるそうで、

そういった場合に

備える気持ちも

必要かなあと思います。

 

お金に頼らず

可能な範囲で

自給自足する方向で、

考えることも必要かなあと

思っています。

 

個人的にはなかなか

実行には移せないのですが。

 

近頃は、

畑や田んぼを

始める方も多いですよね。

 

せめて私も

ベランダ菜園をやりたいのですが、

一昨年の失敗の思い出が

躊躇させますあせる

 

とにかく、

私の中の

人間の基本的欲求を

再認識いたしました。

(120歳まで生きたいし!)



それとはまた別の視点で、

この亡くなった

巡礼者の身になって考えてみました。

 

いにしえからの

有名な熊野詣。

 

日本全国から

巡礼者が訪れる場所ですが、

江戸時代の当時

ウワサの熊野に、

みんなの代表として

参拝しに行こうと決意した巡礼者。

 

それってけっこう

勇気のいる

決断だったかもしれませんよね。

 

でもご本人は

その旅に出てみて、

幸せを感じたんじゃないかなーと

ふと思いました。

 

その方の価値観は

存じ上げませんが、

普段の暮らしの枠から出て

未知の世界に

足を踏み出すのは

とっても勇気がいることだけど、

いざ踏み出して

そこに見える

新しい景色って、

とっても

素晴らしいものじゃないでしょうか?

 

その人は

道半ばで息絶えたけど、

きっと魂的には

幸せだったのじゃないかなー、

と思いました。



これも小耳に挟んだのですが、

人が息を引き取ってから、

死後の世界で

閻魔様のお裁きを受ける、

みたいな話があると思いますが、

ああいうのが

形は違えどもあるらしく、

なんかその人生の

点数(ポイ活的な?)みたいのを

付けられる場面があるらしいのです。

 

そこでは

どんなことで

高得点がもらえるかというと、

どんだけ人に親切にしたとか

どんだけ社会に貢献したかとか

どんだけ偉い人になったかとか

そういう観点ではなく、

どんだけ

新しいことに

チャレンジしたかという

そんな観点だという話!

 

嘘かまことか

知るよしもないですが、

火の無いところに

ウワサは立たないと言いますし…

 

まんざら

嘘でもないかもしれない。

 

でもそこで

高得点を取ったら

どうなるのかというのは

忘れてしまったのですが…

(たしか手相芸人の

 島田秀平さんの

 YouTubeで見ました)

 

そういうわけで

江戸時代に覚悟を決めて

熊野詣に

乗り出したお坊さんは、

けっこう

いい人生だったのかもしれません。

 

ましてや没後に

お地蔵さんも作ってもらって、

巡礼者の皆さんに

手を合わせてもらうことにもなって、

とっても魂が癒されてるかも!

 

そして、

旅人のこともきっと

見守ってくれているのでしょう。

 

そう考えると、

皮肉なエピソードを越えた

やさしい世界の

魂の癒し合いスポットと

捉えてもいいなーと、

勝手に結論づけたところです。

 

さすが熊野古道!

 

 

また別のエピソードへつづく…