It's me again

--過食or拒食の極端な日々--

「痩せ」願望にとりつかれてはや10年。もうそろそろ脱却したい!

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「そうだ、京都に行こう」

と、言い出し計画したのは主人。

新幹線のグリーン指定を取り、宿を取り、京懐石や豆腐料理の予約を済ませ、デジカメや衣服の準備を済ませた上、ガイドブックを眺めては準備に余念がない様子。

わたしはそれを眺めては、ただため息をつくだけ……。


まあ、わたしだって寺院めぐりや寺田屋を尋ねたり、竹林を散策したりすることが楽しいことだという認識ぐらいはある。感動したり、感慨にふけったり、いにしえに思いを寄せたりもするだろう。

しかし、だ。

食事をどうしよう。どうやって、どのくらい食べよう。どうやってやり過ごそう。

そのことばかりが頭の中でいっぱいで少しも「楽しみ」だと感じることができないのだ。

名物やご馳走や珍しいものよりも、わたしはわたしだけのわたしの許すものを許すだけ食べるほうが確実に幸せなんですよ、夫よ。


申し訳ないし、ばちあたりだし、我がままなのは十分承知している。

それでも、これが正直な気持ちだ。


明日からの二泊三日。

「自由」と引き換えに、わたしは「家族」を演じなくてはならない。

どうかうまくやり過ごせますように。


妹のこと

久々に実家へ帰り、墓参りをした。

父、母、妹が眠る墓に手を合わせる。


まだ、妹が逝ってから一年と数ヶ月、まだ生々しい悲しみが胸に広がっていくのを感じた。

誰もが認める容姿と頭脳を合わせて持っていた妹。

天は二物を与えず、という言葉があるが、妹には「神からの贈り物」すなわち「才能」さえも

持ち合わせていた。

妹は幼いころから文章がうまく、プロの作家としての道も拓けていた。が、その途中、病に

倒れ、入退院を繰り返し、そして他界した。


妹が生きていたころ、私は正直彼女が嫌いだった。

小さいころから可愛い容姿の妹は両親はおろか周りの大人に可愛がられ、友達に人気が

あった。年頃になればなったで、わたしの男友達はみんな妹に夢中になっていき、私は

いつも置いてきぼりの気持ちでそれを見つめていくだけ。

みじめだった。

かろうじてそれに耐えられたのは、そのころ、父の仕事の都合でアメリカに住んでいたから

という背景がある。

「妹がもてるのは、外人受けしているだから」という思いで、私は嫉妬という気持ちをごまかして

いた。

しかし。

私の大学入学に合わせるように、私たち家族は日本に帰国した。残念なことに、ここでも妹は

人気者であることにかわらなかった。

私はますます嫉妬した。私は妹のすべてが欲しかった。可愛らしい話し方や、長い髪も、趣味の

よい洋服など、真似できるものは真似をし、そればかりかそれよりもおしゃれに見えるよう、豪華

に見えるよう、いつも努力していた。


私が摂食障害になったのも、きっと妹の存在が大きいと思う。

生まれつき、骨格から「美人」な妹は幼少から習っていたバレエのせいもあって、手足が長くて

すらっとしている。しかも、いくら食べても太ったりしない羨ましい体質でもあった。それに対抗

するため、私のできることは絶食に近い食事をするだけ。でも、それは長く続くはずもなく、反動で

私は過食になった。


妹が亡くなって、かれこれ一年半。

私はやっと妹の痛みがわかるようになった。

夢がかなう道半ば、病に倒れてどんなにか悔しかったろう。

愛が深い性格だったので、幸せな結婚もできたろう。

母性豊かだった妹のことだ、どんなにか母親になりたかっただろうか。


私には家庭も子供も、そして健康な体もある。

なのに、考えていることといえば「食べること」と「痩せること」。

なんてくだらないことか。


妹は生前、私ことをどう思っていたのだろうか。

そして、今の私をどう感じるのだろう。


私は恥ずかしくてたまらない。

体重

久しぶりに体重を量る。
思っていた通りの数字だった。自分の理想の数字(もっとも痩せていた頃の体重)よりも、少し重い。体のラインで予想できたそれを、現実として受け入れなくてはならない。


頭では分かっている。理解しているのだ。でも、心ではそれを受け入れがたい。「摂食障害を治すためには食べるのだ」「体重を安定させるのだ」と言っている割にはいざ体重が増えてくると、焦ったり嫌悪感を持つ自分がいる。毎年、冬場は体重が増えることや、この季節に「食べられる」食品が多いことや、代謝が鈍ることをふまえて捕らえることもできないのだ。


そして、健康的に近づいたその数字にストレスを感じる始末……。強いストレスを受ける→セロトニンが減る→食べてストレスを緩和しようとする→高カロリー系の大量摂取というコース。情けない。


自分の中の矛盾をどう処理したらいいのだろうか。

知恵も術も希望もありません。

二十歳の頃

成人になった人達を見かけて思ったこと。


二十歳の頃、すでにこの病にかかっていたけれど、まさか何年も続き、増して結婚して出産しても治らないでいるなんて思ってなかった。


毎日毎日、「食べること」の葛藤と「食べること」への戦いと「食べたもの」のカロリー消費のために一日の殆どの時間を使う暮らしをしている自分。

そんなこと全然予想もしていませんでした。

休日

三連休の中日ですが、実はわたし休日は好きではありません。

旦那さんが家にいるからです。

彼のことが嫌いなわけではありませんが、旦那さんが家にいることによって自分の自由が無くなってしまうのが耐えられないの。


一に、好きなものを食べられない不自由。

旦那さんと同じものを食べる=自分なりに決めたいつもの食べ物を食べられない。


二に、好きな量を食べられない不自由。

午前中にたくさん食べて午後に食べないということができない。


三に一人で食べられない不自由。

食べるということを誰かとしなくてはならない。


今日もドライブがてら遠くのお蕎麦やさんに行きましたが、いろいろな不自由のせいで心底楽しめませんでした。

家族サービスをしてくれていることに感謝の気持ちはあるのですが、正直ひとりで過ごすほうが(子供はいても大丈夫)今のわたしには楽なのです。ごめんなさい。

食べたいけど食べたくない。


午後の運動中にふと、オニオングラタンスープを作りたくなりました。

食べたくなりました、とここで表記できないのは食べるか(食べられるか)どうかわからないからです。


独自のレシピで作ります。

まず、玉ねぎを数個、皮付きのままオーブンで焼きます。←今、ここです。いい香りがしてきました。

次に皮をむいて、大きめにザクリと切って軽く炒めコンソメスープでひと煮立ちさせてから、
耐熱容器によそってバゲットとチーズをのせて再びオーブンに入れて焦げ目をつける。

と、これは玉ねぎをソテーするバターの量と時間を最小限にできる作り方です。
ふうふうしながら時間をかけて食べるので、意外に満足感が得られるメニューではあるのですが、

なにしろ今はなにがスイッチになるか分からないので、作りながらも不安で……。

いつものメニューでないもの、増して思い入れがあったりするもので、それを仮に美味しく食べたとして、

普通だったら「ああ、美味しかった」と満足するところなんでしょうが、わたしの場合は違います。

止まらない。
もっと食べたいと思ってたくさん食べる。

そして、そこで止めればいいのにわたしの脳は「食べ過ぎたら更に追加!」という指令を出すのです。

異常ですね。

食べるかどうかわからないスープを作りながら、そんなことを考えるなんて本当に変。

食べたいものを満足して食べられるようになれたらどんなに幸せなことか、と己を恨みます。


自分らしさ

自分らしくいるってどういうことだろう。
自分らしくってなんだろう。

---かねてからの疑問。



一見しっかりしてそうに見えるけど
実はそそっかしい。
せかせか動いてしまうわりに空回りばかり。

こだわりを持つことが長所でもあり短所。

というか、諸刃の剣。

食のこだわり、時間の過ごし方のこだわり、モノへのこだわり。

それを貫くことで自分は満足するけど、時にはヒトを傷つけたり、大切な何かを無くしたり。


自分勝手という名のマイペース。


結局、それか。

食事

今朝もカフェオレで始まり、

時間をおいてブロッコリーとキャベツときゅうりのサラダを大量。

残り物のおでん(大根とはんぺん)を三個ずつ。

ほたてのオリーブオイル焼きを3枚。

その後に、大きめの焼き芋を食べました。


過食すれすれのセイフティーライン。

過食はしないで済んだのはいいのですが、ダイエットにはならない食事量です。さつま芋をあんなに食べていては痩せられるわけがありません。

うーん、このところ少し増えたであろう体重を減らさなくてはいけないはずなのですがね。


でも、大好きな物も食べたいのも確か。それくらいの潤いや満足感くらいいいじゃない、って思う気持ちが今はあります。

要はこの欲望とダイエットと過食抑制を戦わせて勝利するのにはどうしたらいいのかということです。
本当に美味しいと思うえて許せるものを、食べる時間を考慮して「食べること」に折り合いをつける、ことかしら。


それにしても、いくら食べても太らない体、いいえ適量で満足できる脳が欲しい。



挫折

お正月に育った贅肉を落とさなくてはならないのに過食してしまう。

朝起きて、

カフェオレ


旦那さんの出勤後

キャベツときゅうりのサラダ

ヨーグルト500ミリリットル

サーモンのオイル焼き1枚


ここまではよかった。が、旦那さんの昨日のお土産のチーズケーキをひとつ。

美味しかったです。でも、いつもよりカロリーを摂ってしまったと直ぐに思い始め、そこで崩れてしまいました。

あとはいつものパターン。

パンや干し芋やお菓子を詰め込む始末……。

馬鹿です。意思が弱いわたしが悪いのは自明です。


なのに、あのチーズケーキが無かったら、と旦那さんを恨んでいる自分もいます。

ーーー自分勝手ですね。


明日から

明日から、生活を正さなくてはならない。

年末から食生活が乱れっぱなしで、体のラインが明らかにおかしくなってしまっている。

まあ、確かに食べているから仕方ないのだけれど……。

家族だったり知人だったりと過ごす時間が増えると、食べる機会も比例するのでどうしても食べすぎてしまう。

増して、家族といると普段のウィークディのように運動も出来ないのだから、そりゃ体重が増えるのも当たり前の話しだ。

果たして、何キロ増なんだろう?今、体重を量るとショックを受けることまちがいないので、もう少し絞まってきたら量ることにしよう。


日常のわたしの食生活は基本的に午前中にしか固形物を摂らない。

朝から昼にかけて満足するだけ食べて、午後からは飲み物や家族のための食事の味見をするくらいしか摂らないようにしている。午前中に食べたものを完全に消費してから一日を終えるように。

もっとも、これは旦那さんの帰宅が遅いことと子供が小さいからこそ出来うることだ。子供が大きくなったら、一緒に食事しない昼、夕食を疑問に思うだろうし、一緒に食べないことでさびしい思いをさせてしまうだろう。だから、いつまでもこんな食生活を続けられないとは思う。でも、今はこれで体重をコントロールしている状態で今のわたしにはこれが必要なのだ。馬鹿みたいだけど。


いつか遠くない将来に、こんな食生活や摂食障害ややせ願望を治して健康的な生活を送りたいと思う。それが今の切実な願望です。