あの空へ、いつかあなたと -2ページ目

あの空へ、いつかあなたと

主に百合小説を執筆していきます。
緩やかな時間の流れる、カフェのような雰囲気を目指します。

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思わず右手でリコを庇うようにして身構える。
「だ、誰……!?」
「ちょ……! ちょっと待って待って待って! 待ってって!?」
暗がりで姿は判別できないが、その声色は確かに男のものだ。
でも慌てふためいたようなシルエットと言葉は、私の抱く不安とはかけ離れたもののように思えた。

少しずつ、まるで猛獣を前にするリアクション芸人のような奇妙な足取りで私たちの方へ向かってくる。
「あのさ……君さっきコンビニの前を通った子だよね?」
「……はい、そうですけど……」
「い、いやいやいや! 別に怖がらせたいんじゃないんだよ!?」
何故見ず知らずのこの男がいきなり話しかけてくるのかという警戒心はあった。でもそれ以上に、私たちを怖がらせまいとするあまり完全に腰が引けた姿を見ていると、どこか滑稽ささえ感じてしまう。

「こ、これ……落としたでしょ?」
そう言って男が差し出した手を見ると、見覚えのあるものがそこにあった。
慌てて制服のスカートのポケットを確認する。案の定あるべきはずのものがそこになくて……

間違いようがない、それにはあのキーホルダーが付いていたのだから。
私が里穂からもらった、あのキャラクターのキーホルダーが。

「はい、確かに私のです……でも、どうして?」
「だから落としたんだって。あそこのコンビニの前を君が歩いているときにさ。声かけたのに走ってっちゃうから慌てたよー」
そうだったのか……あの時の声は私を威圧するためでなく、引き止めるためだったのだ。そうとも知らずにリコと逃げてしまった私を、彼は必死に探していたのだ。

「いや、ごめんよ。声かけたの俺の友だちなんだけど、あいつ声もガタイも大きいからすぐに相手をビビらせちゃうんだ。でもああ見えて気持ちが一番優しくてさ。届けないときっと困るって、自分では怖がらせちゃうから俺に行ってくれって言ったのもあいつなんだよ」
そう言って顎を向けた先には、先ほどコンビニの前にいたグループの男が立っていた。私に気を遣っているのか、精いっぱい身体を縮こまらせているようだった。
「ありがとうございます……あと、ごめんなさい」
「いいって、無理もないさ。……あんな事件が起こってるんだから、警戒するのも仕方ないよ」

「あんな事件って……まさか、知ってるんですか!?」
座っていたリコが立ち上がって、男の方へと詰め寄った。その反応はどこか慌てているようにも見える。
「あ、ああ……俺たち同じ大学のサークルなんだけど、その仲間の子が一人被害にあっててさ。俺たちで犯人とっ捕まえようぜーなんて話してたんだよ。あのコンビニにいたのも、それが理由ってわけ」
「その人は……その人は、今何してるんですか!?」
「いや、今日は用事があるって言っていないけど普通に学校来てるよ。さすがに夜道を一人では歩けないって言ってるからいつも誰かが付き添ってるけど……」
「そう……ですか…………」
そういうと、リコはまたベンチに腰掛けてしまった。その唐突な行動に私は一瞬困惑する。

「……まあ、そういうわけでさ。色々気を付けた方がいいよってのも言いに来たんだ。もう暗いしね、早く帰った方がいいよ」
「はい、本当にありがとうございました」
お辞儀をする私に、男は爽やかな笑顔で手を振って返した。入り口にいた身体の大きな男と合流し、そのまま道を歩いていく。
その姿を見ていると、さっきコンビニで私が感じていた恐怖などは、ただの思い込みだったのだと思う。

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弱々しく呟くような声でありながら、それでもリコは話を続けた。
「ルイは優しかった……ふさぎ込んでいた私に温かい笑顔を向けてくれた。その温もりが、私に安らぎをくれた……それがただの同情だったとしても、私にはそれがすべてだった」
「北崎さんを保健室に運んだのは、それじゃあ――――」
「ええ、私だけじゃない。他の子たちにとってもルイが安らぎの存在だったから」

包み込むような眼差しと柔らかな微笑み。男子だけでなく女子からの人気も高い先生。
ルイが傷を抱えた少女たちにとって救いの存在であったことは、容易に想像できた。


でもリコ自身が言うように、ルイのしてきたそれは同情とか先生としての責任感といったものによってであったはずだ。
決して愛情、ひいては恋愛対象として相手を見てなどいなかったことだろう。

だがそれではあの時のリコとルイの姿には結びつかない。
暗がりで二人キスをするあの光景は、単なる被害者と相談者の関係を超えたものとしか思えなかった。


「私がルイに迫ったの。同情でも慰めでもいいから、一人の女の子として私を見てって。私の立場を盾にとって、それを弱みにして、ね」
私の疑問を察したのか、なおも続くリコの話。たどたどしくも一歩ずつ噛みしめるように、言葉を紡ぐ。
「結論から言って私の願いは受け入れてもらえたわ。誰に対しても優しいルイの、その中でもより一層の特別な存在になることができたと思ってる」
「……うん、私も同じく思ったよ」
いや、そうであってほしいと思ったという方が正しい。あのキスが単なるリコの一方的な要求と、それに応じるルイの同情によるものだったとは思いたくなかったのだ。
そうでなかったのなら、私の抱く想いは何物でもなくなってしまうから…………

「いまさらだけど……勝手に見て、ごめん」
「本当にいまさらね……今でも、誰にも言ってないのね」
「…………うん」
「すぐに校内に知れ渡ってしまうだろうなと思ったのに」
「……言わないよ。言うはずがない」

思えばそれが私とリコをつなぐ全てだった。
あの時の光景が全ての始まりだった。リコのあの言葉が私の心を揺さぶる全てのきっかけだった。

脳裏に浮かぶ黄昏時の保健室。それを思いながら私は答えた。
「だって、侵しちゃ駄目だって思ったから……誰の手でも、私の手でも……壊しちゃ駄目だって思ったから」
「…………女同士なのにって、言わないんだ……」
「誰かを愛する気持ちに……性別なんか関係ないよ」
「……っ! ……そう、だね」

リコは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
潤んだ瞳を前にして、無意識のうちに視線を逸らす。


すると公園の入り口に一人、誰かが立っていることに気が付いた。
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街灯に明かりがつく。
太陽はすでに山の向こうに落ちていて、空の紺色が少しずつ広がっていっている。

ほのかな光の中に、私とリコはいた。


「……何をされたか、聞かないのね」
「そんな……! 聞くわけないよ!?」
思わず立ち上がってリコの言葉に応える。
リコは座ったまま、顔を下に伏せていた。上から見下ろすリコの姿は、とても小さく見えた。
北崎がそうであったように、私の与り知らないところで少女たちがそうであったように。
リコもまた……孤独の苦しみに耐え忍んでいたというのだ。

「心の傷は言えないままで……癒えないままだった。きっとこれからずっと、抱えたままなんだと思ってた。……そんな時、出会ったの」
「それってもしかしてル…………織部先生のこと?」
「いいよ、無理に気を遣わなくて。なんとなく……そんな気はしてたから」
ゆっくり顔を上げたリコの表情は意外にも穏やかだった。体育館の裏で私を押さえつけたときのような冷たいそれではなかった。

「指の包帯、ルイにやってもらったんでしょ?」
「あっ…………うん、ごめん。部活で……」
「うん……バスケ、大変だもんね」
そう言って微笑むリコ。どこか生気の宿らぬその表情の奥底で、一体何を思うのだろう。
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