ユメミルSEKAI  〜 次から次へと夢が実現していくメカニズムを笑顔で探求するブログ

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自分らしく、自由に生きていくためのメカニズムを、笑いとともに探求します。

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笑うって
何か。


笑うことは
大切か。


笑うことより
大切なことはあるか。



気持ちに余裕があるから、
笑えるのか、


笑うから、
気持ちに余裕が生まれるのか。



どうしても
考えて答えを出そうとしてしまう時がある。


楽な気持ちになりたくて、

答えがほしくて、

気持ちが楽になる答えを
いろいろと頭で探し始める。


そんな時は、
今の状態を受け入れられていない証拠。

今の状態をどうにかしようと焦っている証拠。


どんどん焦燥し、
疲れてきてしまう。


そんな時は、
一旦、今の状態を受け入れる。


何かしなきゃとか、
どうにかしなきゃとか、

焦っている自分に、

どうにかしようとしなくていいんだよ、

そのままでいい、

と声をかけてあげる。


何かを為さないといけないと


自分を追い詰めすぎ。


何かを為さなくてもいいんだよ、


と自分に声をかける。



笑える世界は、

まずそこから始まる。


まず、

焦っている自分に、

大丈夫と声をかけてあげて。

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気分が、

いつでも穏やかだったり、

テンションが上がりっぱなしだったり、

い楽しかったり、面白かったり、嬉しかったり、

いつもそんなことばかりではない。


逆に、
いつも、
怯えていたり、
不安にかられていたり、
イライラしたり、
悲しくなったり、
切なくなったり、

そんなことばかりでもない。


つまりは、

いろいろな感情に揺られている

ということを、

まず受け入れること。




いつも同じ感情や気分でいることはない。




いろいろな感情や気分の中を

漂っていることを

受け入れる。



気分が良くなかったり、

ネガテイブな感情になったからって、

どうにかしようとしなくていい。



そういうもの、


ゆらぐものが人間なんだと


受け入れる。





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なぜコタエではなく、質問を探すことをすすめるのか。

それは、コタエは常に変わるモノだから。

だとして、なぜ質問なのか。

“この状況を把握する適切な質問は?”

↑の問いにより、

常に変化する状況に対応したコタエが自然と導き出されるから。

質問のコタエは、

驚くべきことに、
気づかずに自分で体現している。


質問により、コタエは出ているのであれば、

何を質問するかが、
ポイントになる。

その中でも上質なシツモンが、

“この状況を把握する適切な質問は?”

お試しあれ。
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期待とは何か?


ヒトに期待されると、

期待を裏切ってはいけないと

期待に応えようと、

時に無理してしまう。


期待とは何か。

希望や願いなど、
キラキラしたものばかり。

なかなか裏切れないよね〜。

でも、その結果、
無理して自分の心の調子を崩してしまう。

大抵、このジレンマ。

どうするか。

“この状況を把握する適切な質問は?”

やってみそ。


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“この状況を打破する適切な質問は?”

このシツモンは、
かなり上質なシツモン。

上物でっせ。

自分のココロや頭が影響を受けているのは、
それを取り巻く状況。

“この状況”という言葉により、
一旦、脳が状況を把握することになる。

しっかり状況を把握した上で、
打破するシツモンを探し始めてくれる。

“この状況を把握する適切な質問は?”

オススメの一品です。

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これだ、という唯一無二の言葉はなかなか存在しない。

この言葉だけで全てがうまくいく、
みたいなのはない。

それは、
自分の状態は常に変化しているから。

過去にこれだと思ったことが、
いつまでも当てはまるわけではない。

コタエは風化する。

つまり、

コタエ探しではなく、

シツモン探し。


“この状況を打破する問いは何か。”


シツモンを問いかける。

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ジブンが読みたいモノを書く。

問いかける。

“ジブンが読みたいモノとは何か。”

気分がスッキリしてくる。

ジブンが一番の読者になれるように☆




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シルことは喜び。

ジブンをシッた、
ジブンが何を求めていたのか、
ジブンが何に引っかかっていたのか、

それが分かった時は、
スーッと、つっかえていたわだかまりが消え、
ココロが解放されていくのを感じる。


では、
どうやってジブンをシルことができるか。

今、引っかかっていること。
大抵、ヒトのことだろう。

“それは何だ”

と問いかける。

何かすぐに思い浮かぶか、感じる。

それが恐怖心なら、

“その恐怖心は何だ?”

と問いかける。

思い浮かばなくなったり、
感じなくなったら、
問いかけをやめる。

いずれ自然と思い浮かぶから。

たったこれだけ。

あとはうまくいく。




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ラ・ラ・ランドは、

 

二人の男女が、

夢と愛の間で、

 

笑い、泣き、


相手を心から思う、


素敵な物語。

 

徐々にすれ違っていく二人のココロの動きを

表現していきたいと思います。

 

 

主人公の一人、セブ。

ジャズピアニストで、

夢は、チキンとジャズを提供する自分のお店を出すこと。

お店では、自分の好きな曲を、好きな時に、好きな方法で演奏することを夢見る。


 セブが開店したいお店の場所は既に決まっており、

ヴァンビークという、昔、著名なジャズミュージシャン達が演奏を行っていたお店。

 

今は、ジャズではなく、タパスとサンバを提供するお店に”なり果て”ている。

 

それでも、セブは往時のお店を懐かしむと同時に、

いずれはあのお店で、自分の店を開くべく、

お店が見渡せる向かいのパーラーでコーヒーを飲みながら、

嬉しそうにお店を眺めるのが楽しみになっている。

 

ちなみに、セブが、チキンにこだわるのも、

好きなジャズミュージシャンが、

birdというあだ名がつくほどにチキンが好きだったから。

 

それくらい、セブにとって、

昔の古き良きジャズへの思い入れや憧れは強く、深い。

 

ただ、ジャズへの思い入れが強すぎる一方で、

定職にはつけず、

生計を立てるためレストランやパーティーのBGMを演奏し、何とかやりくりしている毎日。

 

そのため、姉からは、ジャズの店を開きたいなどというロマンティストが抱くような夢は捨て、

早く社会人としてまともな生活をするよう諭されている。

 また、セブはどちらかというと一匹狼で、

自分だけの世界に浸る傾向があり、男にありがちな面も持っている。


一方、もう一人の主人公、ミア。

女優を目指して、大学を中退し、

ロサンゼルスに移り住んで6年。

 

何百回もオーディションを受けては落ちることを

繰り返している。

 

広大な敷地に様々な映画セットが設置されているエリアで、

女優になることを夢見ながら、

コーヒーショップでバイトする毎日。

 

彼女が女優を目指したのは、すでに他界している女優だった叔母の影響。

叔母は、どんなに人からバカげていると言われようが、夢を追うことがいかに大切かをミアに教えてくれた。


また、ミアはルームメイトやボーイフレンドなど、

ミアの周りにはいつもミアを支えてくれるヒトがいる。

 

こんな主人公二人が、偶然出会い、恋に落ち、

互いの夢について語り合ったり、

互いの夢の実現に向けて応援する。

 

しかし、転機が訪れる。

 

たまたま、故郷にいる母親と電話をしているミアの会話が、

何となく聞こえてきたセブ。

 

セブについていろいろ質問をする母親に

受け応えするミア。

 

セブはいい人で、店を開く準備をしていること、

(お金の心配をする母親に)多分貯金があるのだろう、

(仕事は定職についているかの問いに)定職はこの時勢厳しい、

等々、セブをかばうやりとりをするミア。

 

これを聞いたセブは、

決意する。

 

愛するミアとこれからもいっしょにいるため、

本当にやりたいことではないが、

安定した収入が見込める仕事をしようと。

 

仕事は成功する。

仕事の内容は音楽ではあるが、

セブの好きな音楽ではない。

 

好きではない仕事で忙しくなるセブ。


一方、自作自演の舞台の準備に夢中になるミア。


 ミアとの愛を育むために好きではない仕事に就き、“大人”になろうとするセブ。


好きな女優の仕事をするために、一念発起したミア。


二人の人生に対する考え方にズレが生じ始める。


仕事で長い間留守にしていたセブがサプライズで一時的に帰宅し、ミアと食事を共にする。


仕事で出かけることの多いセブは、

自分といっしょに来ないかとミアを誘う。


ミアといつまでもいっしょにいたい、

ただそのためだけに好きでもない仕事をやっており、

セブからすれば自然な申し出。


そう、彼の人生の真ん中は、

“夢”ではなく、“ミアへの愛”になっていたのだ。


一方、ミアが愛していたのは、

夢を追い求めるセブであり、


セブが夢を諦めていたことを初めて知り、

セブに夢を諦めるな、

夢への情熱が人の心を動かすのだとセブに説く。


一方、セブは、それは甘い考えで、“大人”になろうとミアを諭す。


愛のために夢を諦めたセブと、

夢を追い求める中で互いの愛を育もうとするミア。


二人はすれ違う。


ミアの単独公演は終わり、

失意のミアは実家に戻る。


ミアの単独公演を観に来た配役会社のディレクターからセブに、

ミアに今度撮影する大作映画のオーディションを受けるよう、

オファーの連絡が来た。


そのことをセブはミアに告げる。


ミアは、次落ちたら立ち直れないから

オーディションは受けないと言う。


セブは、人家に聞こえるほど大きな声で、

「What!!」と叫ぶ。


それは、ミアの夢が叶うことを世界中の誰よりも願い、応援している男の魂の叫びだった。



驚くミア。


納得いく説明を言ってみろと迫るセブ。


自分には才能がない、

女優に憧れていただけだ、

もう傷つきたくないと告げるミア。


君は赤ん坊だと言うセブ。


夢を諦め、現実的な仕事をすることを“大人”と言っていたセブの考えが、

ミアが好きだったセブの考えに戻った瞬間だった。


 そう、セブは、

夢を追い求めることが、

人生を歩む上でいかに尊く、すばらしいものか、

これまでの葛藤から改めて気づいたのだ。


そこに

大人だとか子供だとか、

そんなものは関係ない。


ひとがこの世に生を受け、

生きるということは、

好きなことを好きなようにやること、

あるいはそういう生き方を目指すこと、

そういう姿に意味があるのだ。


彼が、以前、ミアに、

自分の夢は、好きな曲を好きな時に好きな方法で演奏するジャズバーを持つと言っていたように。


ミア、君が正しかったんだ!

それでいいんだ!いや、それが人生なんだ!


だから君はそのまま歩むべきだ、

僕が歩んだ道ではなく。


明日、ミアが来ようが来まいが、

迎えに来ることを告げるセブ。


ミアは翌日のオーディションを受け、力を出し切る。


オーディション後、

ミアはセブに問いかける?


「Where are we?」

私たちの関係は、今、どういう関係?

問い直す、これからどうする?


しばらくは全力で女優の仕事に専念すべきと言い切るセブ。


その後はしばらく様子を見ようと言い、


互いに愛していると告げる二人。


5年の歳月が流れ、

ミアは大女優に、セブは大繁盛のジャズの店を持っている。

どちらも思い描いていた夢を実現している。


しかし、ミアの夫はセブではなく、

夫との間には、2歳くらいの可愛い女の子を授かっている。


一方、セブは、夢は実現したものの、独身の寂しい生活を送っている。

 

セブの店の壁には、

ミア主演の次回作の大きな広告が掲載されている。


そう、セブは、

今でもミアを心から愛し、ミアの夢がいつまでも実現し続けられるよう、心から願っているのだ。


セブのミアへの愛は、

ミアの夢を応援するというカタチ。


セブは、この5年間、ミアと連絡を取ろうとはしなかった。ミアが求めた時ですら、連絡を取らなかった。


セブは、自分の何気ない言動でミアが夢を諦めてしまうことを恐れた。

かつての自分がそうだったように。

ミアのことを心から愛しているからこそ、

ミアの夢が実現することを誰よりも切に願っているセブ。


セブは、自分も夢を実現し、

互いに夢を実現した上で、

再びいっしょになる日を秘かに夢見ていた。


そんなセブの思いを知る由もないミアは、

セブへの気持ちが次第に薄らぎ、いつしか優しく自分を包み込んでくれる男性といっしょになる。


ちょうどセブが自分の夢だった店を持った時、
メディアを通じてそのことを知るセブ。


もっと違う方法があったのかもしれない。

自分の夢は実現したが、
心の真ん中がポッカリと空いている。

夢と愛。



オーディションから5年後、夫との夕食デート後に、たまたま駐車していた車の前のバーに立ち寄ったミア。


お店のロゴを見て時が止まる。

それは、
セブと付き合っていた頃に、
ミアが作成し、セブに提案したが却下されたロゴだった。


店内に入ると、
沢山の客。お店がいかに繁盛しているか、
一目瞭然。席に座れないで溢れかえっている。

お店には、チキンではなく、
沢山のお酒がズラリと並んでいる。

ステージがよく見渡せる真ん中の席につくミア。


ステージが終わり、
マネージャーらしき男性が、
演奏者の紹介を軽快に行う。


セブだ。



驚きで息づかいが大きくなるミア。


セブもミアに気づく。


互いの時が止まる。


「Welcome to Seb's.」


ミアが考えたお店の名前をつぶやくセブ。

ピアノの椅子に腰を下ろすセブ。

いつもの流れは、
ここでセブのピアノソロ。


セブはピアノを弾かずに止まっている。



「もし、君と出会ったあの時に戻れたなら。。。」

 セブの心の中にずっとあった思いだった。


初めてミアと出会った時の曲を弾き始めるセブ。


もし、時間がまき戻せるなら。。。

今とは違った夢の叶え方があったかもしれない。


互いの夢を実現しつつ、同時に愛を育めるあり方があったかもしれない。

いや、あったはずだ。

もし、そうならば、今頃、私たちは。。。


ピアノの演奏が終わる。


今になって、

全てを理解したミア。

時は巻き戻せない。


事情など全く知らない優しい夫は、

まだ聴いていく?と優しくミアに尋ねる。


これ以上このお店にいることはココロがもたないミア。

いいえ、行くわと応える。


去って行くミアに気づくセブ。


出口まで来た時、セブへの愛があわくよみがえり、

振り返るミア。


見つめ合う二人。


夢を叶え、5年ぶりに僕の前に現れてくれたミア。


今でも僕が心から愛しているミア。


「ミア、君はあれだけ心から望んでいた夢を叶えられたんだね。心からおめでとう。やっと僕はそれを君に伝えられる。」


心の中でそうつぶやき、

微笑むセブ。


全てを理解しつつも、

まだ動揺を隠せないミア。


私が心から愛し、

私を誰よりも心から愛してくれていたセブ。

そう、今この時まで。

動揺しつつも、

「ありがとう、セブ。そして、あなたも、あれほど夢中になって私に語っていた夢を叶えた、よかったわね、セブ、おめでとう。」

微笑むミア。


その気持ちを理解し、

「ありがとう。僕らは夢を叶えたんだ。僕たちはこれでよかったんだ。」

そうミアと自分に言い聞かせるように頷いてみせるセブ。


本当にこれでよかったのか、ミアには分からない。

それでも時は巻き戻せない。

立ち去るミア。



また一人になったセブ。


この5年間、いつだってミアが心の真ん中にいた。


ありがとう、ミア。そして、さようなら。

「ワンツー」

セブが新たにピアノを弾き始めた。


The End


 (この記事の冒頭にある、星空の下で二人がダンスしている画。星は“夢”を現し、二人が、それぞれの夢、二人の夢を抱きながら、楽しく交わる、そんな夢を目指して生きる二人の淡く切なく、美しい瞬間を現している。)

 

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善って何か。

悪って何か。

それぞれについて、
現実社会でも思い当たることはあるだろう。

ただし、
善一辺倒、
悪一辺倒、
というヒトはなかなかお目にかからない。

善だけ人間とか、
悪だけ人間とか、

なかなかお目にかからない。


でも、往々にして、
ヒトを、
善だけ人間、
悪だけ人間、
とレッテルはりしてしまう。

古いがマンガ「北斗の拳」の
ケンシロウに指一本で倒されるザコキャラは、
どこまでいっても悪である。

マンガやアニメは、
どこまでいっても悪、
主人公はどこまでいっても善。

そして、
江戸時代以降の大衆受けするモノは、
決まって、
勧善懲悪。

悪は懲らしめられる対象とすべく、
酷いことをさんざんやりまくり、
恐怖心と敵愾心をあおる。

そして、善が悪を懲らしめたとき、
それまで溜め込んでいたストレスが
一気に解消される。

時間としては、
悪がはびこる時間が9割で、
善が悪を懲らしめる時間が1割。

ストレスを溜め込む時間が圧倒的に長く、
善の登場の期待値をあげる仕組み。

マンガやアニメの多くがこのパターン。


すなわち、
悪と判断した場合、
悪に対する恐怖心と敵愾心が無条件に発動するとともに、9割まで我慢してしまうのだ。
恐怖心&敵愾心の9割耐え。

恐るべき勧善懲悪の影響。

ここまでくると、
マンガやアニメって、
野放しにしていいのかと思いつつ、
毎週一つ二つ楽しみにしているマンガ
もあったりする。

厄介なのは、
悪とみなしてしまう癖(へき)だろう。

モチロン、
一番大切なのは、
気の合う仲間と楽しく遊ぶことで、
人間観察する眼が養われるのだけど。