航空業界ブログ -45ページ目

はじめまして。

はじめまして。


福岡で航空業界を目指す為のスクール【スカイブリッジ】で働かせていただいている江上と申します。


いつも、業界に関するNEWSをピックアップさせていただいているのですが


今後、たまに個人的な感想・気付いたことなどを書いてみようと思います。



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第一回目のテーマは「勘違い」


飛行機の模擬訓練をする機械↓


航空業界ブログ

皆さんこの機械の名前はご存知ですよね?


フライト○○○○○○○  


私はずっとフライトシュミレーターだと思っていました・・・


でも本当は


フライトシミュレーター(simulator)が正解でした。   


勘違いして覚えていました。


でも業界の方もシュミレーターって言う人が結構多いような・・・


雰囲気・・・(ふんいき)と(ふいんき)みたいなモノですかね?




これからもたまに更新いたしますので宜しくお願いいたします。



JAL客室乗務員カレンダー来年から欠航

日本航空(JAL)の人気カレンダー「JALキャビンアテンダント(客室乗務員)カレンダー」が09年を最後に打ち切られることが1月31日、分かった。バブル景気に沸いた1989年から続いた人気シリーズだったが、景気悪化を受けた経費削減の一環で姿を消すことになった。

 カレンダーは壁掛け型と卓上型の2種があり、毎年暮れになると大型書店などで販売されていた。モデルになる客室乗務員は「サービスイメージに合った笑顔の良さ」という審査基準で毎年約20人が選抜されてきたまさにJALの“華”。人気がピークに達した93年には壁掛けタイプが約10万部印刷された。年代物は1万円以上で取引されることもあるほどだった。

 当時の客室乗務員は女性の「なりたい職業」の上位に君臨、あこがれの存在だった。採用に当たっては外国語に堪能であることが必須条件。160センチ以上という身長制限、体重制限や、運動能力や家族構成などのチェック項目が多数あり、当時としては破格の高収入が約束されていた。人気の背景には、人気テレビドラマ「スチュワーデス物語」(83年)などの影響もあったものとみられる。

 男性側からすれば、客室乗務員イコール良家出身の聡明(そうめい)なスリム美女-というイメージを想起させるに足る存在でもあった。しかし94年にJALが給与水準の低い「契約制客室乗務員」を導入してから、職業としてのステータスも下降した。カレンダーの販売部数も徐々に減少し、09年版は往時の約半分の5万部程度に減っていた。02、03年にモデル撮影を手がけた写真家の立木義浩氏は「撮影当時、世間にはまだ客室乗務員へのあこがれが強かった。時代の流れを感じます」と話した。

客室乗務員

日航便、16年の歴史に幕

1993年3月の開港以来、福島空港で定期便を運航してきた日本航空が31日、約16年の運航業務を終え、完全撤退した。全日空とともに国内線の一翼を担い、県内の観光とビジネスの“動脈”としての役割を果たしてきた。利用者が急減する空港の存続への地元の危機感は強く、関係者からは最後まで撤退を惜しむ声が漏れた。

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 午後6時55分、小雪が舞う滑走路から伊丹空港行きの「JL2266」便が無事飛び立つと、空港勤務の日航関係者たちは手を振りながら深々と頭を下げ、最後の仕事を終えた感慨に浸った。中には目頭を押さえる職員もいた。デッキには最後のフライトを見ようと大勢の住民が駆けつけ、記念写真を撮る親子連れもいた。

 ウルトラマンキャラクターの常設展示を通じて空港の活性化運動を続けてきた須賀川市の「サークルシュワッち」理事の岩崎哲久さん(45)は、約16年前の空港開港日の華やかな場面を思い出し、「なぜ、こうなってしまったのか」と日航の撤退を残念がった。

 福島空港の歴史は、伊丹発の日航便を迎えることから始まった。県にとっても悲願だった空港が開港し、住民は盛大な歓迎ムードの中で満席の第1便を迎えた。ウルトラマンの着ぐるみ姿で第1便に乗った一人が岩崎さんだった。

 「上空から空港を見た光景は今でも目に焼き付いている。滑走路横の土手には到着を待つ人垣ができ、機内で須賀川市出身の乗務員が『希望を乗せてただいま、福島空港に降り立ちます』と涙声でアナウンスしたのを覚えている」。岩崎さんは当時の思い出を振り返り、「これからも空港存続のために手伝えることは何でもします」と誓った。

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 この日、最後の日航便を利用した乗客たちは、名残惜しさを口にした。夕方に那覇便で空港に到着したいわき市の松本きえ子さんは「これが最後だと思うと残念です」と話した。

 伊丹行きの最終便が空港を飛び立つと、1月いっぱいで閉店することが決まっていた空港内の売店では、早くも施設の解体作業が始まった。

 日航撤退の余波で直営店の一部を閉店させ、人員削減などを余儀なくされた福島空港ビルの関係者は“いばらの道”となる今後の空港運営に強い意志をにじませる。「日本航空が撤退した現実を受け止め、新しい体制を作ることが第一。空港存続のためには県民が一体となって機運を盛り上げていかなければいけない」。




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