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静岡県知事が辞任表明 立ち木による空港開港遅れ引責

静岡空港の滑走路近くに航空法の制限を超える立ち木が残って開港が遅れた問題をめぐり、静岡県の石川嘉延知事は25日、臨時の記者会見を開き、辞職する意向を表明した。引責によって「完全開港」を実現するのが目的。辞職後の知事選への立候補は「ありえない」と否定した。

 静岡空港を巡っては、昨年9月、空港西側の私有地に残っていた立ち木が航空法の高さ制限を超えていたことが判明。県の土地収用の作業ミスなどが原因で、 県は本来2500メートルの滑走路を暫定的に2200メートルに短縮する追加工事を実施する方針を打ち出した。その結果、今年3月に予定していた開港は6 月4日にずれ込んだ。


 立ち木問題について、石川知事は1年もの間、事実関係を公表しなかったうえ、地権者には当初、航空法との関連をあいまいにしたまま、地滑り防止工 事として立ち木伐採を提案していた。こうした経緯から、地権者は伐採を拒否。県は事実関係を明らかにした昨年10月以降、2500メートル滑走路での完全 運用に向けて、地権者と話し合いを続けていたが、地権者は立ち木伐採の条件として、石川知事の辞職を求めていた。


 静岡空港の開港延期問題について、石川知事はこれまで、給与カットなどで責任を取ることを表明する一方、辞職要求は拒んでいた。今回、辞職の意向 を固めた背景には、明確な形で開港延期問題の責任を取り、空港の早期の完全運用につなげたい意向があるとみられる。地権者の男性は「明確に責任を認めて辞 職するのであれば、私も立ち木を除去するなどの対応をとる。辞職の内容をしっかり把握して決めたい」と話した。


 石川知事は同県掛川市出身で68歳。1964年に自治省(現総務省)に入り、静岡県総務部長、自治省公務員部長などを経て93年の知事選で初当選。05年に4選を果たし、7月に任期満了を迎える。

航空:前年比12%減…下落幅は過去最大 09年予測

航空:前年比12%減…下落幅は過去最大 09年予測

 世界の航空会社が加盟する国際航空運送協会(IATA)は24日、世界的な経済危機の影響で09年の航空業界の収入が前年 比12%減の4670億ドル(約46兆円)に落ち込むとの予測を発表した。減収は米同時多発テロの影響を受けた02年以来7年ぶりで、下落幅は過去最大。


 金融危機の深刻化に伴い、旅客、貨物とも大きく減少するため。航空業界全体の最終損益は47億ドルの赤字と予測した。原油価格の値下がりで、08年の赤字(85億ドル)よりは改善する。


 地域的には、アジア・太平洋地域の損失が17億ドルと最も大きくなると予測。欧州も10億ドルの赤字予想だが、米国は経済危機への対応が早かったとして、1億ドルの小幅黒字予想とした。

初代ユニフォーム復刻版をお披露目--大韓航空、創立40周年記念フライト

大韓航空の復刻版ユニフォームに身を包んだ客室乗務員が22日、羽田空港に降り立った。乗務員たちはソウル・金浦空港から歴代のユニフォームを着て搭乗。羽田空港の出発ロビーに赤い絨毯が敷かれると、マスコミ関係者に加えて一般の旅行者も集まり、即席の"ユニフォームショー"が開催。同社創立年の1969年に採用された深紅のデザインにはじまり、歴代11種類のユニフォームが披露された。

3月22日、羽田空港・国際線ターミナルに集まった復刻版ユニフォームを着た乗務員

今月から4月上旬にかけての1カ月間、復刻版ユニフォームを着たクルーを乗せた大韓航空のスペシャルフライトが世界各地を巡っている。同社ではスペシャルフライトのために約20人の乗務員を選抜し、特別チームを編成。3月16日のロサンゼルス便を革切りに、22日の羽田便、さらに24日のシンガポール便、29日の北京便、4月9日の香港便、11日のシドニー便など、ソウル発着の国際線、さらに韓国国内線にも特別チームが搭乗する予定だ。

また、4月1日から5月31日まで同社Webページ 上でキャンペーンを展開。「大韓航空にベストマッチする制服を探せ!」と題し、ユニフォームの人気投票などを実施。応募者の中から総勢160名に大韓航空のオリジナルグッズが当たるキャンペーンを予定している。

乗務員による華やかなセレモニーが終わると、搭乗率が90%を超えて満席に近いKE2708便は、旅行地として人気絶頂ともいえる韓国へ向けて飛び立っていった。

(左)初代(1969年3月~1970年2月)。当時、洋裁文化の大家と呼ばれたソン・オク氏による深紅のユニフォーム(中)2代目(1970年3月~1971年6月)。当時の流行を取り入れ、ミニスカートを採用(右)3代目(1971年7月~1972年12月)。初代ユニフォームを手がけたソン氏のデザイン。この頃はほぼ毎年デザインが変わっている

(左)4代目(1973年1月~1974年4月)。爽やかな印象を与えるユニフォーム。水色のほか、淡い黄色の2種類があった(中)5代目(1974年5月~1976年5月)。パリへ初就航した時期。当時の大韓航空のロゴだった赤いスワンがデザインされたブラウスを着用(右)6代目(1976年6月~1977年12月)。すっきりと清潔感のあるユニフォーム。2年ぶりに登場した帽子は、以後使用されなくなった

(左)7代目(1978年1月~1980年3月)。初代デザイナーのソン氏が三度手がけたデザイン。ブラウスの赤と紺の波紋模様は同社としては画期的、との評価も(中)8代目(1980年4月~1986年3月)。路線のグローバル化に合わせてユニフォームもグローバル化されていく(右)9代目(1986年4月~1990年12月)。米国のジョイス・デクソン氏がデザインした。はじめて海外のデザイナーに依頼

(左)10代目(1991年1月~2005年2月)。14年に渡って着用されたユニフォーム。まだ記憶に新しい(右)11代目(2005年3月~現在)。イタリアの有名デザイナー、ジャン・フランコ・フェレ氏によるユニフォーム。一流ブランドを採用し、イメージを一新。コンセプトは「韓国の伝統美と現代のファッション性との調和」

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