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欲しい状態を得ようと思ったら
それにふさわしい自分に
ならなきゃいけない。
いくら欲しがったって
それを 使いこなせないから。
心の底から欲しいものは
必ず得られるようになっていますから
手に入らないということは、
それは『 心底欲しいものではない 』
ということです。
だって、
本当に欲しいものなら、
どんな努力も
怠らないですよね ?
みなさん、推しの芸能人などのライヴや
聖地めぐり?などのために
せっせと時間を作り お金を使い
労力を惜しみませんよね?
芸能人じゃなくても、神社巡りとか
話題のスイーツとかグルメとか
スポーツとか 収集とか。
〇〇の内容は 人それぞれですが、
それらが
人を動かす原動力になっているのは確か
です。
そんなわかりやすいものを
彼らが 利用しないでいるでしょうか?
その対象を、自分という神に向けることで
最強無敵になれるのです。
( 自分を神=創造主だと思えない人は
自分の中の 神さまだと思ってください )
これは 例え話ですが、
良くなりたいのに
周りが変わることを期待して
自分が動かないでいることは
寒い寒いと言いながら
暖かい服に着替えたり
カラダを動かしたりして
温めてあげることなく
あたたかくなってくれないかな
とか 思いながら
じっとしているようなもの。
わたしといえば、最近
質の良い 暖かい上着を購入したことで
重ね着する必要がなくなって。
ただ 暖かい上着を羽織るだけ (=行動)で
解決することだってあるんだと
日々の小さなことから 感じています。
↑ 袖が細すぎて着られない上着を ベストにリメイク。
ほかのことを 全て忘れるくらい
全力でその対象に向かえば、
たとえ 手に入らなかったとしても
やり切ったことで
サッパリと諦めがつきます。
ここまでやって無理なのだから
仕方ない。
と、清々しい気持ちになれるのです。
わたしの 子供との向き合いも
そんな感じで
あきらめてきたことが たくさんありました。
精神的な問題だけでなく
物理的なことも含め
なくても 大丈夫な自分になること を
これでもかと とことん容赦なく
強制的に余儀なくされました ⭐︎
トイレ探検していて
何度も警察のお世話になったり
どこかへ行って
何時間も帰ってこなかったり
大切な写真や本、CDや洋服や枕を
切り刻まれたり
ガラスコップをすべて叩き割られたり
家じゅうの洗剤や トイレットペーパー
ティッシュペーパーなどを1日で使われたり
一日中 洗濯機を回し続けたり
食事をゴミ箱に捨てられたり
お店で売るものを ぜんぶ食べられたり
書ききれない 笑
長男によって 大掛かりな 禊 (みそぎ)が
行われたため
最終的に残ったのは 愛だけ。
ちょっとやそっとじゃ動じない
強いわたしが 手に入りました 笑
5年生から不登校になった娘に至っては、
もはや 学校に行って欲しいという思いも
皆無で、
命があればいい。 と
心の底から思っていました。( 今も。)
縁あって わたしのところに来てくれた
子どもたちですから
まわりが我慢するのでも
好き放題にさせるのでもなく
尊重して、思いを汲んで
とにかく ラクな呼吸で生きられるように
いて欲しかったのです。
別の言い方をすれば、
死んだように生きて欲しくなかった。
人生の中で 必ず対峙しなければならない
『 自分の内側との対話 』が
はやくに 訪れただけなのですから。
ひとりでやろうとして 進まなかったこと
人任せにして 進めなかったこと
明らめて 諦めたからこそ
手に入った いまの状態。
自分の力でやり切ること
ひとの手をお借りすること
どちらに偏ることなく
自立できることが
あるべき姿です。
自分を良くしたかったら
甘やかしてないで
がんばらせてあげること。
推しのライヴは それ自体がご褒美で
ライヴがんばったから ご褒美あげよう
なんて思いませんよね?
自分をよくするために
それと同じくらいの熱量で
使命に打ち込めば
それ自体が ご褒美になります。
それまでは、自分のために
時間もお金も手間も かけてあげてください。
築約130年の古民家倉庫を
23日 (木)臨時休業