詩「出会いと別れ」
出会いと別れに思う。。
人生には
男と女の出会いと別れがある。
当たり前のこと。
どちらかが100%悪いというわけでもない
結婚していたって離婚も多い現代。
つきあって
うまくゆかずに別れがきたとしても
仕方のないこと。
超えられない壁があったり
衝突があったり・・・。
時の移り変わりの中で
かならずしも実るわけでもなく
悲しき変容もある。
別れ、それは多かれ少なかれ
誰もが繰り返すこと。
出会うことばかりが
素晴らしいことじゃない。
別れることで
また新しい広がりもある。
辛い一時の寂しさはあるけど
またそれぞれがそれぞれの道を
歩き出していく中で
それまでとは違う新しい日々もあれば
またきっと新たな出会いもあるだろう。。。
もちろん
いつまでも出会いと別れを繰り返したくはない。
生涯をともに歩みたい・・
そう思える人と出会いたいと願う。
どちらも心にそう思い
悲しみを抱きながらも
別れを受け入れるのだろう・・・。
別れはそれぞれの旅立ちである・・・。
この詩は
男女における普遍的なものへの想いとして綴ったことで
べつに僕のプライベートとは関係ないよぉ^^。
あくまで「詩」としてお受け止めください。。
人生には
男と女の出会いと別れがある。
当たり前のこと。
どちらかが100%悪いというわけでもない
結婚していたって離婚も多い現代。
つきあって
うまくゆかずに別れがきたとしても
仕方のないこと。
超えられない壁があったり
衝突があったり・・・。
時の移り変わりの中で
かならずしも実るわけでもなく
悲しき変容もある。
別れ、それは多かれ少なかれ
誰もが繰り返すこと。
出会うことばかりが
素晴らしいことじゃない。
別れることで
また新しい広がりもある。
辛い一時の寂しさはあるけど
またそれぞれがそれぞれの道を
歩き出していく中で
それまでとは違う新しい日々もあれば
またきっと新たな出会いもあるだろう。。。
もちろん
いつまでも出会いと別れを繰り返したくはない。
生涯をともに歩みたい・・
そう思える人と出会いたいと願う。
どちらも心にそう思い
悲しみを抱きながらも
別れを受け入れるのだろう・・・。
別れはそれぞれの旅立ちである・・・。
この詩は
男女における普遍的なものへの想いとして綴ったことで
べつに僕のプライベートとは関係ないよぉ^^。
あくまで「詩」としてお受け止めください。。
ヒロ榎本、爆発。
今回、初個展にして、
そしてその個展の初日という今日、
ヒロ榎本氏、爆発人気でした。
なんと、いきなり5作品の絵画が
売れました~♪
その作品をご紹介します。。

『フルーツ』

『ブドウ』

『JAZZ』

『コーヒー』

『夜の海岸』
(ギャラリストからの声)
彼の絵には、その筆遣いに
のびのびした勢いといったものがあり、
それが全体としての
柔らかさやなごやかさといった
画家の内面の息づかいが画面に表れてる点が
まず何よりも魅力なのだと思う。
そして、プライス。
これも大事な点といえる。
まるで量販店ドンキホーテを彷彿とさせる
その安さ。庶民の味方なのである^^。
彼は自らをして貧乏画家と呼んでいるが
一人の商社マンでもある。
あくまでまだ画家としては
『貧乏』ということである。
つい、画家専業になる前のゴーギャンを
思い起してしまう。。
ちなみにかの巨匠も元は商社マンだったのだ^^。
そんな一口雑学はどうでもいいとして^^;、
彼の絵は、とてもインテリア性も高いといえる。
部屋の片隅にかけるだけで
そこはまさにカフェバーみたいな空間
を演出する魅力がそこにある・・・。
初日のこの成果に、ギャラリストとしても
とても嬉しい限りである。。。
というわけで、ご興味の有る方、
月末までやってますので
よろしかったら見にきてください♪
●個展の詳しい日時は当ブログの
1月23日付けの記事、
「黒は美しい」と彼は言った。
の記事内に詳細が載っております。。
また、ヒロ榎本氏のブログは
http://profile.ameba.jp/hiro-enomoto/
「人との距離」とか「ほんとの自分」とか。
44の僕が18の頃、
そう、もう随分むかしのことだけど、
大阪から出て来て、一時期、
教材セールスの仕事をしたことがある。
学研のマイコーチみたいなその類い。
無一文での上京(正確には
家出というらしい/笑)だったので
持参金3万、交通費つかって
残り2万という東京でのスタートだった。。
新生活というより、住所不定のスタート
という方が正しかった(笑)。
なので、最初の職探しは、
寮完備が絶対条件だった。。
まぁ、それはさておき、
とりあえず、参考書や家庭向け教材を作ってる会社に
営業セールスとして入ったわけです。
で、なんだか知らんけど
あれよあれよで、本社・全国の支社・
営業所・代理店ふくめて、
わずかな期間でトップに。。
ちょっと、天狗になるほどの
好調ぶりな状態となったのですが、
そのうち、ひと月ほど
ノイローゼ状態となった。。ことがある。
とりあえず内面の状態とは関係なく
見た目には、仕事は元気にこなしたが、
その時期は仕事がおわれば、
日々のつき合いも断り、家に直行のみ。
休みの日も誰とも合いたくない
という時期が少しあった。。
まぁ、その頃いつか文筆で生計立てたい
という思いもあり
(のちに広告学校行って、コピーライター
になったけど)
やむえずとはいえ、やりたい仕事してない
というのもあったわけだけど、何より
仕事で接するさまざまな人に
「合わせてる」自分が耐えられなかった。。
まぁ、そんなに自分の我(が)なんて
出せないもの。
営業なんで特に仕方ないのだけど。。
あと、とかく若いうちは
それでなくても、「本当の自分は」とか
ということに悩んだりするものだし、
人との距離感などでも悩むものである。。
まったく「真の自分」というのが
日々の中で見いだせなくなったのだ。。
たとえ業績がよく生活が安定していこうが・・。
で、ひと月ほどのノイローゼに突入。。
さんざん悩み、、ある日、
自分の中で、解決するある「考え」に至った。。
この世の中には、さまざまな人がいる。
インテリの人もいれば、下町のおっちゃん
という感じの人もいる。理屈っぽい感じの
人もいれば、まったく喋らない無口な人も
いる。体育会系の人もいれば、職人タイプな
頑固な人もいる。
ともあれ、どんなタイプの人にも
合わせられるというのは、
これはすごいことではないか・・とそう思った。
自分なりの逆転の発想。。
2チャンネル(掲示板ではない)のような人にも
フジテレビのような人も、柔軟に
その人の周波数に、波長をあわせられる
多チャンネルな幅のある自分ということに
逆に喜びをもつべきではと思った。。
すると急に心が軽くなった。
みんなそれが思うようにできないから
仕事の業績があがらずに悩んでる人も
いっぱいいたわけだし。。
全員、販売するものの商品知識は
何度も研修を受けて充分にある。。
あとは、その人の「対応力」みたい
なもんだもんなぁ~、とそう思った。
すると、なんかノイローゼになってた自分が
馬鹿らしく思えた・・・。心が晴れた。
営業なんて、ただ、ぺちゃくちゃ、言葉巧みに
喋れば売れるというものではないのだ。。
逆にそれは嫌われることも多いし、
まずは一番になんてなれない。
本当の意味で特にセールスなんて
そんなに甘いものではないし。。
周波数の波長なんて例えたが、
自分なりに気づいた(つもり)のことは
自分目線だけでのみ考えないということ。
それは人との中、時に衝突や無駄なストレスも伴う。
人それぞれに差異があるのは当然。
相手のキャラクターを知り、会話の中で
この人はどうしてそう考えるのか
どうしてこの発言なのかなどというようなことを
相手の立場でも考えたり察したりしながら
接してゆくことの大事さ、とともに
自分の心の間口を広げるということ、
「自分」だけに固執しない在り方
そこに新たな自分も見つかるといったこと、
そういうことに気付かされた(つもり)
の内省期間でもあった。。
そんな若き日の一ページ^^

別角度からもうひとつ・・
とはいえ、どうしても話しの通じない人はいる。
それはどうしても合わない周波数か
もしくは相手の受信機が故障しているという
場合もある。(笑)
そして、もちろんこちらの送信機が
故障しているという場合もある(笑)
ブログでの、新発見。
アメブロのこと、かなり詳しい気でいた。
いったん話しはそれるが、
アナログでの面倒なことは
そこそこできる。
しかし、デジタルな世界の面倒なことは
なかなか出来ない。。
でも、今回、気合いをいれて、スキンを編集し
そしてヘッダー画像を変えた。。
そんなことをある人との会話の中でしたら
「いつも携帯でみてるけど、、
携帯だとヘッダー画像みれないよ」
との事。。。
驚愕の新事実でした(笑)
しかも、・・さらに・・
これは謎なのですが、
パソコンでみても・・・
ある人によれば、
以前読者登録してくれた際のチェックリスト
から見にきても、
「以前のままのヘッダーですよ」
とのこと。。
えっ、ど、どういうことなのだろう。。
な、なぜ??
でも、すでに、コメントやメッセージでも
数人の方から「ヘッダー変わりましたね」
とお声をいただいている。。。
う~ん、なぜなんだろう。。。
くやしいから、
記事の中にものせちゃおうと。。


詩「山登りする人しない人」
詩というわけでもなく
感じたままの言葉の羅列・・・。
人生は山。山の連続。
自分の山を登り続け
いつか山頂の清々しい風を感じ
美しき見晴らしに包まれたら
またより大きな山を目指す。
ひたすら山登り。
人生の登山家になりたい。
そう思えば気が楽だ。
平坦な道や花園ばかりを求めていると
かえって魂は疲れるのだ。
たとえば絵を描く僕が思うこと、
もし輪廻転生があるなら
何千年何万年かかっても
レオナルドダヴィンチ級になりたい
ピカソ級になりたい
ずっとそんな気持ちで生きていけたら
それが幸せ。
天体望遠鏡が好きな人ならば
アインシュタインを超える気持ちで
宇宙と向き合ってほしい。
永遠に「飽きる」という感情は
もはや芽生えないだろう。。。
たとえ恵まれた環境や地位にいても
不満ばかりの日々ではその人は不幸。。。
たとえ人里はなれた寂しい場所に住んでても
自然を愛し静かな日々を心から満喫していれば
何もなくてもその人は幸せ。。
日々の中 何を感じ何を思ってるかで
その人の幸せは決まる、なんて最近よく思う。
しかし、より肝心に感じることは
周りに不満な人は不幸。
自分自身に不満は人は幸福なのだ、ということ。
そう自分自身になんて満足はしなくていいのだ。
何歳になっても、ひたすら、さらにさらに、
もっともっとと思っていれば
課題や目標が次々とでてきて
充実した魂の日々を実感できるはず。。
時に険しい道があっても
自分の決めた道を
文句も言わずひたすら突き進める人は
きっと幸せだ。僕もそうありたい。
厳しい境遇でも満たされた境遇でも関係なく
つねに成長し続けていける人こそが
ほんとの幸福人間とそんな風に思ってる。
もう自分は完成された、と思った時点で
人は生きる意味を失うか
少なくとも惰性と諦観の日々が訪れる。
僕は 雨の日も 寒風の日も
あの地で この地で
一生懸命やってる仲間を思い起こしながら
今日も 明日も
たとえ一人でも 心はともに
この道をひたすらに進み続ける
描きつづける 働き続ける。
また君に会ったとき笑いあえるために
もう批判や理論ばかりの頭でっかちで
何ら行動もできない残念な人とは
時間の無駄なのでつき合いたくない。。
交わりたくもない。冷たいようだけどね。
前見てる人間とだけ飲みに行きたい。
そして心ある人とともに
今日も明日も 前へ前へと歩み続けたい
時代の風潮なんかにも負けないで。
生きてる以上
その1日1日はすべての人に平等に
その時間が与えられている
その時間を虚しく生きたくはない
この現実の日々を。
時にこの社会では
ジメジメした湿っぽい空気を
押しつけてくる人がたまにいる
やっても無駄とか
どうせ・・・とか
何かをする前から諦めてる連中も多い
環境や社会のせいにだけして
自分をただその犠牲者にして
何も変えようとしないまま
なのに愚痴は人一倍の人もいる・・
そういう人と話すととても疲れるから
もう相手にしない 干渉もしない
生き方違うから話しても通じない
我は我が道をただ歩みつづけるだけ。
ともに山登りしてる人だけを
我が仲間としていきながら。。。

(注釈)
ちょっと自分に酔いながら書いてみました(笑)。
とはいえ、時にはカラオケしたりして
はしゃぐ時もあれば、
ダラダラとテレビを見てしまう時もあります。
はい、ただのフツーの人間です^^;
でもまぁ、こうした気持ちを忘れないように
なるべく、だらけた心にムチ打って
日々を充実できるようにやっておる次第です^^;
感じたままの言葉の羅列・・・。
人生は山。山の連続。
自分の山を登り続け
いつか山頂の清々しい風を感じ
美しき見晴らしに包まれたら
またより大きな山を目指す。
ひたすら山登り。
人生の登山家になりたい。
そう思えば気が楽だ。
平坦な道や花園ばかりを求めていると
かえって魂は疲れるのだ。
たとえば絵を描く僕が思うこと、
もし輪廻転生があるなら
何千年何万年かかっても
レオナルドダヴィンチ級になりたい
ピカソ級になりたい
ずっとそんな気持ちで生きていけたら
それが幸せ。
天体望遠鏡が好きな人ならば
アインシュタインを超える気持ちで
宇宙と向き合ってほしい。
永遠に「飽きる」という感情は
もはや芽生えないだろう。。。
たとえ恵まれた環境や地位にいても
不満ばかりの日々ではその人は不幸。。。
たとえ人里はなれた寂しい場所に住んでても
自然を愛し静かな日々を心から満喫していれば
何もなくてもその人は幸せ。。
日々の中 何を感じ何を思ってるかで
その人の幸せは決まる、なんて最近よく思う。
しかし、より肝心に感じることは
周りに不満な人は不幸。
自分自身に不満は人は幸福なのだ、ということ。
そう自分自身になんて満足はしなくていいのだ。
何歳になっても、ひたすら、さらにさらに、
もっともっとと思っていれば
課題や目標が次々とでてきて
充実した魂の日々を実感できるはず。。
時に険しい道があっても
自分の決めた道を
文句も言わずひたすら突き進める人は
きっと幸せだ。僕もそうありたい。
厳しい境遇でも満たされた境遇でも関係なく
つねに成長し続けていける人こそが
ほんとの幸福人間とそんな風に思ってる。
もう自分は完成された、と思った時点で
人は生きる意味を失うか
少なくとも惰性と諦観の日々が訪れる。
僕は 雨の日も 寒風の日も
あの地で この地で
一生懸命やってる仲間を思い起こしながら
今日も 明日も
たとえ一人でも 心はともに
この道をひたすらに進み続ける
描きつづける 働き続ける。
また君に会ったとき笑いあえるために
もう批判や理論ばかりの頭でっかちで
何ら行動もできない残念な人とは
時間の無駄なのでつき合いたくない。。
交わりたくもない。冷たいようだけどね。
前見てる人間とだけ飲みに行きたい。
そして心ある人とともに
今日も明日も 前へ前へと歩み続けたい
時代の風潮なんかにも負けないで。
生きてる以上
その1日1日はすべての人に平等に
その時間が与えられている
その時間を虚しく生きたくはない
この現実の日々を。
時にこの社会では
ジメジメした湿っぽい空気を
押しつけてくる人がたまにいる
やっても無駄とか
どうせ・・・とか
何かをする前から諦めてる連中も多い
環境や社会のせいにだけして
自分をただその犠牲者にして
何も変えようとしないまま
なのに愚痴は人一倍の人もいる・・
そういう人と話すととても疲れるから
もう相手にしない 干渉もしない
生き方違うから話しても通じない
我は我が道をただ歩みつづけるだけ。
ともに山登りしてる人だけを
我が仲間としていきながら。。。

(注釈)
ちょっと自分に酔いながら書いてみました(笑)。
とはいえ、時にはカラオケしたりして
はしゃぐ時もあれば、
ダラダラとテレビを見てしまう時もあります。
はい、ただのフツーの人間です^^;
でもまぁ、こうした気持ちを忘れないように
なるべく、だらけた心にムチ打って
日々を充実できるようにやっておる次第です^^;
「黒は美しい」と彼は言った。
あさって1月25日(月)から
私のドラードギャラリーで
31日(日)まで開催される個展をご案内を・・。
彼の名は、ヒロ榎本。
すでに画集も出している。。

「Black is Beautiful」
この画集のタイトルにもなっているのが
現在の彼の絵画スタイル。
黒く塗りつぶされたキャンバスに
様々なモチーフを表現する。

彼は絵を描きはじめ
すでに14年に至るが
今回が記念すべき初の個展。
とはいえ、これまで
地道に画業を築かれてきた。。

彼とは、去年末に
このブログを見てもらったことがきっかけで
そして私のギャラリースタイルに
賛同していただき、今回の個展となる。
これもまたブログが生んだ
出会いと繋がり。。
この記事を見て、彼の絵に
興味を持ってくれた人が
一人また一人と画廊に来てくれ
さらに新たな広がりが生まれたらいいな・・。
というわけで、よろしくお願いします^^。
水曜は休廊で、あと最終日のみ19:00まで。
それ以外は12:00~20:00で営業です。
ヒロ榎本氏のブログは
http://profile.ameba.jp/hiro-enomoto/
大したご報告でもないのですけど・・
僕の好きな九ちゃんの懐メロBGMでも
聞いていただきながら、、
ちょっとご報告が。。。
はい、ほんとたいしたことでは
ないのですが・・・。。。
ふと、気がつけば・・・このブログ
去年の1月下旬に開始し・・
1周年となりました♪。
どうもありがとうございました・・・
これからも頑張ります。。
振り返ってみると、365日、ほとんど全部
記事書いたなぁ~。。。
楽しんで、書いてこれました。。。
皆さんがいかたら^^。
たまには・・・人間なので
疲れ切った日とか
テンション低すぎる日とかもあったけど
そんな元気のない時も、
少し気持ちのささくれた時も、
ふとしたメッセージに
励まされたり、
ネットの垣根を超えて勇気をもらい・・
そんな日が
1年の中には、たくさんありました。
毎日、また毎日にように
読みに来てくれた人・・・
そんな方も多く増えて
いろんな人に応援ももらえて
ここまでやってこれました。。
(まだ1年だけど/笑)
そして今では実際の日々の中でも、
たくさんの方々と
交流しあうことができました。。
今日もブログで知り合った方が
訪問してくれました。。
先日の個展でも
すごくあちこちから駆けつけてくれて・・
なんかいつもまにか
友達100人は出来た感じです。。
これからも、一日一日、いろんな人と
繋がってゆきたいと思います。。。
ブログをやりはじめた頃、
バーチャルだど
ちょっと否定的だった友人も
いまでは僕のブログみて
いろいろうらやましがって・・
で、やり始めたりしてます。
ブログ、サイコー(笑)。
ほんとに、いろんな人と
性別も年齢の差も超えて
たくさんの想いも共有できて
分かち合えて・・刺激もしあえて・・
友情も生まれて・・・
すごい心の財産だなぁ~と思います。。
これからも、
真面目な記事のほか、ちょっとお馬鹿な話、
情熱的な記事、そして時には歯の浮くような詩^^、
いろいろ書いていきますので、、
どうかよろしくです。。
SIZINGAKA
好きな表現。嫌いな表現。
(昔の記事を一部リライトして再掲)
「好きな表現・嫌いな表現」
と題しましたように、
これから書かせてもらうことは、
あくまで個人の「趣向」の見解です・・・。
これまで、わりと多くの本に触れてきましが、
その中で感じる「好きな表現」は、
かりに難解なことでも、難解に表現せず、
わかりやすく簡単に表現している文です。
そういう文体こそとても好きに感じる表現。
そういう文に触れると、
「こんな世界のことを、
よくこういう風にシンプルに
しかも核心をついて書けるよなぁ~
ああ、なんていい表現の仕方だなぁ~」
などと関心してしまうことがあります。
(滅多にないけど^^)
それとは逆に・・
たまに批評系の本を読んでると、
なかには、さしたる内容でもないのに(たぶん)
やたら、難解な表現を
あえて好んで使ってるような文筆が
よく目につきますが、そんな時は、
なんだかなぁ~と思ってしまうことが多い。
まるで哲学書を間違って買っちゃったような(笑)。
翻訳本なんかでも、
これ、もっと簡単に訳せるでしょ~いくらなんでも。
っていう文もよくあるものです・・・。
(たまたま、年末に買った美術の翻訳本は
原文が超難解なのに、日本語訳がめちゃ
わかりやすかったので感動。。後日紹介)
とはいえ、批評の世界などは、
ある程度は難解であるほうが、
いわゆる高尚な文であるほうが、
何だかありがたい感じがするでしょうから
そんな風に文章を難解に難解にと
表現するその気持ちはよくわかりますが・・。
たとえば美術批評系の本でも、
この絵は、すごい。なんて上手いのだろう、
などと作品について書けるはずもなく(笑)、
それはおいしいものをおいしいというだけで
芸がないから、それなりの表現でなされる
わけだけど、やたら難解オンパレードの
文体も目につくもの。。
なんかこう・・・例えば、
ちょっと参考程度に文章つくってみます。。
(かなり適当に作成^^;。。↓)
●たとえばダリのような絵、細密な幻想絵画の場合。
細密性と幻想性を伴なわせつつ、
形而上の存在と現実的存在との対極が、
二律背反をしながらも、陰と陽、光と影のように
せめぎあうなかに生まれる融合の世界観。
それは、たんなる抽象画ではなく、
いわゆる具象画でもなく、
またその中間的な半具象というものでもなく、
具象の中に抽象があり、抽象のなかに具象があるといった、
二極の融合から生まれる世界の構成なのである。
みたいに^^;
まぁ、なんだかよくわからないけど、
とてもありがたい感じになりますよね。(^^)
自分で書きながら、ちょっと酔っちゃった(笑)。
まぁ、どんな絵のことでも、凄いように書こうと思えば
プロの文筆家ならこうした文章は
いくらだって書けるもんだし、悪く書こうと
思えばそれもいくらだって書けるもの。
けれど、すでに名の定まった芸術家のリアルタイムでの
悪い批評はほとんど聞いたことがない(笑)。。
19世紀、印象派でクソミソに酷評されてた画家が
数十年経て巨匠として認められると
もうどの批評家も何も言わないどころか
大絶賛の批評ばかりなのも、一つの事実。。
ゲンキンなものである。。まぁ、仕方ないか。。
話しの方向が難解な言葉ばかり使いたがる批評家
の批判のようになってしまったきらいがあるが^^;
(中には素晴らしい人もいっぱいいるけど)
きちんと本質的な側面を、単に左脳のお遊びや
文章のアカデミック化に酔わず、不特定多数の
読者にもっと意味を通じやすくしてもいいのでは
ないだろうかと純粋に思う一人である。
特に、美術系の本は今、ほんとに売れ行きが悪いが
こんな風にどうも難しい言葉ばかり使ってるのが、
そのあまり売れない原因の一つにもなってる気が。。
まだ、上記に掲げた、例えの文章程度ならまだしも、
こういう文体に専門用語や横文字を多様すれば、
もうほんと豪華絢爛なカオスの世界に突入です。
それをどのページでもされたら、さすがに頭痛が。。
(もちろん、すべてがそうではなく、最近はちょこちょこ
面白おかしいくらいの美術解説書などは出て来てはいる)
ともあれ、よく美術館での作家の紹介文でも
やたら難解に書いていてあって・・・
個人的には、一般のおばちゃんが来ても、
もっとよ~くわかるように書けんのかい?
と思うことが多い。
まぁ、ビールでいえば「おいしい」の代わりに
「コクがあるのに、キレもある」(笑)
くらい程度のわかりやすさにというか。。
(あくまで、僕個人の感想ではありますが^^;)
最近、たまたま読みたくなるタイトルの本にかぎって、
脳みそ疲れる系の本が続いたので、
ちょっと愚痴ってみました^^;。
まぁ、僕がそれほど頭良くないからいけないのですが、
たまに、難解な本のその中の単語を調べていくと、
あ~こんな事を言いたいために
わざわざこんな表現して・・と思う時がある。。
なんというか
絵画にしろ、音楽にしろ、芸術全般に
批評家は、作家と観賞する人の間の橋渡し
をするような立場なので、
あまりに一般世間とかけ離れたような
文章で書いても、それは一部の人には喜ばれても
本来の目的には、なかなか到達しえないのでは・・
などと思う。。
なんて、感じるまま、やみくもに書きましたが
たんに僕が難解な文章は僕は苦手だし、
どうも好きになれない、
難解をわかりやすく表現した文が好き、
というだけの話しでした。。。(笑)
それに伴い、けっこう批評の世界にも
踏み込んで書いてしまいましたが・・
批評家してる人が万一みてたらゴメンナサイ。。
あくまで個人の趣向と感想です。。
※記事の内容で美術本を中心に展開しましたが
さすがに一般の美術雑誌や、たまにやる
有名雑誌(ブルータスやPENなど)の美術特集、
あれはとても優れたライター陣をそろえてると
思います。。幅広い読者層を意識し、かといって
それに迎合してるわけでもなく、難解な文体書いて
喜んでるようなものも感じないし・・・。
ちゃんと考えられてるな~なんて思います。。
(文責)もっと本屋で美術本コーナーが広くなって
ほしいと願う一人のオヤジ。
「好きな表現・嫌いな表現」
と題しましたように、
これから書かせてもらうことは、
あくまで個人の「趣向」の見解です・・・。
これまで、わりと多くの本に触れてきましが、
その中で感じる「好きな表現」は、
かりに難解なことでも、難解に表現せず、
わかりやすく簡単に表現している文です。
そういう文体こそとても好きに感じる表現。
そういう文に触れると、
「こんな世界のことを、
よくこういう風にシンプルに
しかも核心をついて書けるよなぁ~
ああ、なんていい表現の仕方だなぁ~」
などと関心してしまうことがあります。
(滅多にないけど^^)
それとは逆に・・
たまに批評系の本を読んでると、
なかには、さしたる内容でもないのに(たぶん)
やたら、難解な表現を
あえて好んで使ってるような文筆が
よく目につきますが、そんな時は、
なんだかなぁ~と思ってしまうことが多い。
まるで哲学書を間違って買っちゃったような(笑)。
翻訳本なんかでも、
これ、もっと簡単に訳せるでしょ~いくらなんでも。
っていう文もよくあるものです・・・。
(たまたま、年末に買った美術の翻訳本は
原文が超難解なのに、日本語訳がめちゃ
わかりやすかったので感動。。後日紹介)
とはいえ、批評の世界などは、
ある程度は難解であるほうが、
いわゆる高尚な文であるほうが、
何だかありがたい感じがするでしょうから
そんな風に文章を難解に難解にと
表現するその気持ちはよくわかりますが・・。
たとえば美術批評系の本でも、
この絵は、すごい。なんて上手いのだろう、
などと作品について書けるはずもなく(笑)、
それはおいしいものをおいしいというだけで
芸がないから、それなりの表現でなされる
わけだけど、やたら難解オンパレードの
文体も目につくもの。。
なんかこう・・・例えば、
ちょっと参考程度に文章つくってみます。。
(かなり適当に作成^^;。。↓)
●たとえばダリのような絵、細密な幻想絵画の場合。
細密性と幻想性を伴なわせつつ、
形而上の存在と現実的存在との対極が、
二律背反をしながらも、陰と陽、光と影のように
せめぎあうなかに生まれる融合の世界観。
それは、たんなる抽象画ではなく、
いわゆる具象画でもなく、
またその中間的な半具象というものでもなく、
具象の中に抽象があり、抽象のなかに具象があるといった、
二極の融合から生まれる世界の構成なのである。
みたいに^^;
まぁ、なんだかよくわからないけど、
とてもありがたい感じになりますよね。(^^)
自分で書きながら、ちょっと酔っちゃった(笑)。
まぁ、どんな絵のことでも、凄いように書こうと思えば
プロの文筆家ならこうした文章は
いくらだって書けるもんだし、悪く書こうと
思えばそれもいくらだって書けるもの。
けれど、すでに名の定まった芸術家のリアルタイムでの
悪い批評はほとんど聞いたことがない(笑)。。
19世紀、印象派でクソミソに酷評されてた画家が
数十年経て巨匠として認められると
もうどの批評家も何も言わないどころか
大絶賛の批評ばかりなのも、一つの事実。。
ゲンキンなものである。。まぁ、仕方ないか。。
話しの方向が難解な言葉ばかり使いたがる批評家
の批判のようになってしまったきらいがあるが^^;
(中には素晴らしい人もいっぱいいるけど)
きちんと本質的な側面を、単に左脳のお遊びや
文章のアカデミック化に酔わず、不特定多数の
読者にもっと意味を通じやすくしてもいいのでは
ないだろうかと純粋に思う一人である。
特に、美術系の本は今、ほんとに売れ行きが悪いが
こんな風にどうも難しい言葉ばかり使ってるのが、
そのあまり売れない原因の一つにもなってる気が。。
まだ、上記に掲げた、例えの文章程度ならまだしも、
こういう文体に専門用語や横文字を多様すれば、
もうほんと豪華絢爛なカオスの世界に突入です。
それをどのページでもされたら、さすがに頭痛が。。
(もちろん、すべてがそうではなく、最近はちょこちょこ
面白おかしいくらいの美術解説書などは出て来てはいる)
ともあれ、よく美術館での作家の紹介文でも
やたら難解に書いていてあって・・・
個人的には、一般のおばちゃんが来ても、
もっとよ~くわかるように書けんのかい?
と思うことが多い。
まぁ、ビールでいえば「おいしい」の代わりに
「コクがあるのに、キレもある」(笑)
くらい程度のわかりやすさにというか。。
(あくまで、僕個人の感想ではありますが^^;)
最近、たまたま読みたくなるタイトルの本にかぎって、
脳みそ疲れる系の本が続いたので、
ちょっと愚痴ってみました^^;。
まぁ、僕がそれほど頭良くないからいけないのですが、
たまに、難解な本のその中の単語を調べていくと、
あ~こんな事を言いたいために
わざわざこんな表現して・・と思う時がある。。
なんというか
絵画にしろ、音楽にしろ、芸術全般に
批評家は、作家と観賞する人の間の橋渡し
をするような立場なので、
あまりに一般世間とかけ離れたような
文章で書いても、それは一部の人には喜ばれても
本来の目的には、なかなか到達しえないのでは・・
などと思う。。
なんて、感じるまま、やみくもに書きましたが
たんに僕が難解な文章は僕は苦手だし、
どうも好きになれない、
難解をわかりやすく表現した文が好き、
というだけの話しでした。。。(笑)
それに伴い、けっこう批評の世界にも
踏み込んで書いてしまいましたが・・
批評家してる人が万一みてたらゴメンナサイ。。
あくまで個人の趣向と感想です。。
※記事の内容で美術本を中心に展開しましたが
さすがに一般の美術雑誌や、たまにやる
有名雑誌(ブルータスやPENなど)の美術特集、
あれはとても優れたライター陣をそろえてると
思います。。幅広い読者層を意識し、かといって
それに迎合してるわけでもなく、難解な文体書いて
喜んでるようなものも感じないし・・・。
ちゃんと考えられてるな~なんて思います。。
(文責)もっと本屋で美術本コーナーが広くなって
ほしいと願う一人のオヤジ。
カメラフィルムの話し。
作品をきちんとした写真で
おさめておきたいと思った。
いつものデジカメではなく・・・。
どうしてもデジカメが歪みがでたりするものだし
色も、何万画素でも
所詮、アナログの鮮明さには勝てないと思う。。。
なにより、ポジフィルム・・・素晴らしい。。
現像フィルムさえあれば、いま
それを対応にした、プリンターもあるし。
で、おととい職場の近くにあるカメラ屋さんに行った。
いまどきのカメラ屋さん。
おもに年賀状などの印刷に
デジカメプリントにって感じの店。
でも、いくらなんでも・・・
カメラ屋さんで、一般のフィルムも少しは並んでるのに
「ポジフィルムありますか?」ときいて
「フジフィルムはあります」と答えないでほしい。。^^;
「あの~フジではなく、ポジですが・・・」
「えっ、ポジ?」
悲しくなった。。。(笑)
「あ、いいです、ごめんなさい」と店を出た。
そして、昨日、自宅近くにある
昔ながらのカメラ屋さんに・・
「ポジフィルムありますか?」
「ASA100がいいですか、それとも400?」
という店の回答。
さすが、というか、カメラ屋さんなら
当たり前のやり取り。。
この話し、友達に話したら爆笑された。。
