○前回、ブログ『すゑよしのすみよし』として枕詞「すゑよし」の話をした。ただ、ブログ『すゑよしのすみよし』でも言及しているように、『すゑよしのすみよし』ではなくて、『すゑよしのすみのえ』である可能性も高い。と言うか、本来は、『すゑよしのすみのえ』だったとする方が、妥当なのである。
○それは表記「住吉」を何と読むかに関係してくる。現在、私達は、普通に『すみよし』と読むけれども、古代に於いては、『すみのえ』と称したことがはっきりしている。このことについては、以前、「古事記」と「日本書紀」と「万葉集」の全記録を検証したことがある。
・テーマ「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か⑪ー古代国語の音韻に就いて』
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・テーマ「吉野山の正体」:ブログ『吉野山は何者か⑫ー「可愛・吉・延」の表記法』
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○「古事記」と「日本書紀」と「万葉集」の全記録に見える「吉」の表記例は、次のようであることが判る。
き・きち よ・よし え
古事記 20 10 0 計 30例
日本書紀 128 89 11 計 228例
万葉集 244 93 31 計 368例
総数 392 192 42 合計 626例
○これらの表記から、吉備・吉野・住吉の地名と吉師・吉士の役職名を除くと、次のようになる。
き・きち よ・よし え
古事記 0 5 0 計 5例
日本書紀 12 16 0 計 28例
万葉集 244 60 0 計 304例
総数 256 81 0 合計 337例
●つまり、「吉」字は、古事記・日本書紀・万葉集において、「吉」の全表記例は626例存在するけれども、吉備・吉野・住吉の地名と吉師・吉士の役職名を除くと、半減して337例になってしまう。
●古事記・日本書紀・万葉集に、「吉」字を「え」と読む例が42例存在するけれども、それはすべて「住吉」の表記であることが分かる。古事記・日本書紀・万葉集には、「住吉」以外に「え」と読む例は存在しない。また、古事記には「住吉」の表記例は全く存在しない。
●吉備・吉野・住吉の地名と吉師・吉士の役職名を除くと、「吉」字の使用例は古事記でわずかに5例、日本書紀でも28例しかなく、万葉集には、304例が存在する。
●ただ、万葉集の中では、「き・きち」の読み方と「よ・よし」の読み方は一様に現出しているのではない。一字一音の万葉仮名の場合は、「き」の読み方がほとんどであるのに対して、漢字を二音以上で訓読する場合は「よ・よし」の読み方がほとんどである。つまり、万葉集には、二通りの表記法が存在していることの証明にもなっている。
○こういう古事記・日本書紀・万葉集の表記を検証すると、やはり、住吉は「すみのえ」と読んでいたことが判る。もちろん、それは八世紀の話である。つまり、八世紀当時、住吉神を斎き祀るところは、すでに河口付近に来ていたことが判る。
○上流部にも住吉神を斎き祀る社が存在したことも間違いない。大淀川で例を採れば、それは金御岳(472m)と言うことになる。住吉山(267m)とは大淀川を挟んで対峙する山である。大淀川の源流は、この金御岳にある。
○諸県(二之方)からは、両方に川が流れて行く。いわゆる水分(みくまり)である。北へは大淀川、南へは菱田川。その両方で諸県(二之方)だと言うことになる。北側が北諸県郡、南側が南諸県郡と言うことになる。
○大淀川の上流にあるのが住吉山(267m)で、大淀川の河口近くに鎮座ましますのが「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」の江田神社であり、住吉神社である。ただ、注意すべきは、住吉山(267m)近くにも檍原が存在する点である。禊の場は必ずしも海では無いのである。
○住吉山(267m)近くには、嫁坂が存在する。これは黄泉(よみ)坂が訛って嫁坂となったと言われている。なかなか日向国は面白い。