從六位:平山太郎之墓 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2020年7月23日の宮崎日日新聞の文化欄に、平山太郎の墓の話が出ていた。寡聞にして、平山太郎なる人物を知らない。ただ、この文の中に、平山太郎の墓の碑文を書いたのが重野安繹だと言うのが気になった。

○以前、重野安繹がものした碑文を目にした記憶があったからである。それが誰の碑文だったか。記憶が定かでない。ブログ内検索で探したところ、それが『天然居士米山保三郎墓銘』であることが判った。

○米山保三郎の墓は、東京本駒込の養源寺にある。向かいには、郷土の偉人、安井息軒先生のお墓が存在する。これまで、何度か息軒先生のお墓参りには出向いている。

  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『天然居士米山保三郎墓銘』

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  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『米山保三郎墓銘』

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○併せて、『天然居士米山保三郎墓銘』にかこつけて、漱石文学についても、長々と言及している。あまりに長いので、その最初と最後のみを案内しておく。

  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『天然居士米山保三郎墓銘:其の一』

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  ・テーマ「文学散歩」:ブログ『天然居士米山保三郎墓銘:其の十四』

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○その重野安繹がものした碑文が宮崎に存在すると言う。これは是非とも、見ておきたい。それで、2020年7月29日に、江田神社や住吉神社へ参詣した折に、佐土原へ向かった。

○宮崎から山崎街道をそのまま佐土原へと進む。有料道路の下をくぐった先に信号があって、佐土原町明神山とある。その信号を右折した先が明神山地区らしい。平山太郎の墓はその明神山地区の共同墓地にあると新聞にはあった。

○しかし、共同墓地が何処にあるかが判らない。ちょうど農作業をしていらっしゃるご婦人が居たので、尋ねると、「この道を上がっていった先、300mくらいに松林へ行く道があって、その先に墓地はあるよ」と教えていただいた。

○教えていただいたところに明神山地区の共同墓地はあった。松林の中、砂山に埋もれるようにして墓地は存在した。放置しておけば、間違いなく、そのまま砂に埋没してしまう環境の墓地であった。ある意味、好ましい墓地環境であると感じた。

○墓は数基ごとに分かれて存在しているようだった。それぞれ一族ごとに埋葬されているのだろうか。そういう中、『從六位:平山太郎之墓』は、ひと際、大きく立派なものである。墓の様について、宮崎日日新聞は、次のように載せている。

   平山の墓は宮崎市佐土原町・明神山地区の共同墓地内に、ひっそりとたたずんでいる。表面には

  「從六位平山太郎之墓」とあり、裏面には功績をたたえた碑文がびっしり。碑面の大きさは高さ122セ

  ンチ、横60センチで、どっしりとした存在感を放つ。建立は啓次郎の父で最後の藩主島津忠寛、碑文

  は鹿児島遊学時代の師で日本歴史学の泰斗、重野安繹によるもの。書は高鍋藩主の弟で書家とし

  ても知られた秋月種樹が手掛けた。そうそうたる顔ぶれだ。

○平山太郎なる人物がたいそう気になった。また、『從六位:平山太郎之墓』碑文を読んでみたいとも思った。一応、写真を撮ってきたが、そのまま読める様子ではない。しっかり洗墓する必要がある。それには相当の時間を要する。暇を見付けて、是非とも、読んでみたい。