〇ここまで、「テーマ:辺塞詩」として、塞下曲に関して、王昌齡「塞下曲四首」、李頎「塞下曲」、高適「塞下曲」、李白「塞下曲六首」、常建「塞下曲四首」と見て来た。すでに、塞下曲を16首案内しているわけである。
〇ただ、塞下曲は、多くの詩人が取り上げている題目である。もうしばらく、塞下曲を続けるしかない。「塞下曲六首」としては、李白、盧綸、戎昱の作品が有名らしい。それで李白の「塞下曲六首」に引き続き、盧綸「塞下曲六首」を取り上げる。
〇今回はその第6回、最後で、盧綸の「和張僕射塞下曲六首・其六」詩になる。
【原文】
和張僕射塞下曲六首・其六
盧綸
亭亭七葉貴
蕩蕩一隅清
他日題麟閣
唯應獨不名
【書き下し文】
張僕射に和す塞下曲六首・其六
盧綸
亭亭として七葉貴く、
蕩蕩として一隅清し。
他日、麟閣に題して、
唯だ應に獨り名あらざるのみなるべし。
【我が儘勝手な私訳】
匈奴に大勝利した栄誉は遥か子孫末代まで褒賞され、
勿論、将軍そのものがその果てしない栄誉を一身に受けることになる。
後日、将軍はその姿を漢王朝の麒麟閣に肖像画として描かれる栄誉を受け、
当然、未来永劫、語り継がれる唯一の名となるに違いない。
〇盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩を、其一から其六まで、通しで見て来た。盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩は組作であり、連作となっている。したがって、その全体を眺めないと、その全容を知ることは出来ない。
〇そのことについて、中国の検索エンジン、百度百科では、次のように案内する。
和張僕射塞下曲六首・其一===将军发号施令
和張僕射塞下曲六首・其二===夜巡射虎
和張僕射塞下曲六首・其三===雪夜逐敌
和張僕射塞下曲六首・其四===奏凯庆功
和張僕射塞下曲六首・其五===郊野狩猎
和張僕射塞下曲六首・其六===述志抒怀
〇これに拠れば、盧綸の「和張僕射塞下曲六首・其六」詩は「述志抒懷」だと言うことになっている。しかし、当古代文化研究所では、そんな簡単なものでは無い気がしてならない。
〇それは盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩が、当代の唐代の作品では無くて、あくまで、漢代に仮託されたものであることからも、明らかだろう。盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩を読んで、誰もが共通して思い浮かべるのは、霍去病以外に考えられない。
〇つまり、盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩は後日談に過ぎない。霍去病への讃美歌が盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩なのである。そう思って、盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩を読むと、すんなり、納得される。
〇ただ、盧綸は、そういうことを微塵も表に出さない。それが盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩なのである。こういう感覚は、なかなか外国人には理解されない。盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩が霍去病を詠じたものであることは、中国人であるなら、誰でも理解していることなのである。
〇2024年8月22日に、咸陽の茂陵を訪れた。茂陵は漢の武帝の墓である。もっとも、正確には、訪れたのは、茂陵博物館であり、茂陵は眺めたに過ぎない。実際、咸陽で、茂陵を訪れると言うことは、茂陵博物館を訪れることになる。
〇その際、茂陵博物館の高台から茂陵を望見した。その茂陵博物館の高台が実は、霍去病の墓なのである。そういうところに、霍去病の墓は存在する。次のブログに詳細は書いているので、参照されたい。
・テーマ「西安漫歩」:ブログ『茂陵博物館:霍去病墓』
〇盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩は、霍去病への讃美歌なのである。そう思って読むと、実によく判る。盧綸の霍去病への尊敬が、
亭亭七葉貴 亭亭として七葉貴く、
蕩蕩一隅清 蕩蕩として一隅清し。
であることが良く判る。そしてそれが、
他日題麟閣 他日、麟閣に題して、
唯應獨不名 唯だ應に獨り名あらざるのみなるべし。
であることも。
〇改めて、盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩を、其一から其六まで、読み返してみると、盧綸の「和張僕射塞下曲六首」詩が霍去病への讃美歌であることを納得させられる。その一つ一つが、実によく出来ている。









