ひきこもりを考える・最終回(2)
親は、わが子をホームに迎えるべし と思います。
とは言っても、難しいことはお察しします。いい年したわが子が仕事もせずに家にいるなんて。世間体もあります。「自立せよ!」という気持ちが、活火山のマグマのように次から次へと溢れ出て来るでしょう。
でも、本人もそのマグマに追われています。マグマから逃れて、静かに自己対話をしたいのに、逃れるための格闘で精一杯です。
【滞在期・前半】が、この格闘に該当します。それが心置きなく出来れば、【滞在期・後半】へと移行すると思います。
わが子がまだ小さかった時は、わが子をあたりまえのようにしてホームに迎えていたと思います。それは、〔する・do〕が小さくても、〔ある・be〕を感じていたからです。そこに戻ることから始めたらどうでしょう。
食事を作って置いておく…(冷めちゃったけれど)…食べているなぁ、うれしいぞ
廊下で久しぶりに出会う…(髪の毛ボサボサだけれど)…時間かかるんだなぁ、何があっても見守っているよ
親は何もできない。小さな、ささいなことしかできない。
でも、親自身の不安をわが子にぶつけるよりもいいはずです。
これにて連載を終わります。ご無礼いたしました。(鮮)