5:35  起床、意外と早く目が覚めた。予定している広島行きの準備する。
7:25 出発、この時点で車が多いが、渋滞も無いようなので高速は使わず2号線で行く事にした。一路広島へ、2号線をまっしぐら、運転手は絶好調のようだ。
2021.12に、広島城は廃止が発表された。耐震性に問題があるとして25年に閉鎖が決まった。広島城には行っていないので、お城愛好家としては行かない訳にはいかない。
9:55 到着、市営駐車場は待つ車でいっぱいだった。仕方なく周囲のコインパーキング🅿️にとめた。回り道は遠いので庁舎の敷地を通って入口まで行くことに、堀の横で休憩したが、天守閣まではかなり歩く。曇り空から陽がは差してきた。石段を登ると、お城に到着する、高齢者は180円と優遇、当然エレベーターはない、5層を階段で上がらなくてならない。今風の合成樹脂の手すりで違和感があり、といえども安心して上がれる。コンリートの階段もしかりである。城内は空調があるが、たまらなく暑い。刀の展示が多く、甲冑など少ないがさまざまな資料があつた。最上階は7〜8m四方で周囲に1m余りの展望デッキがある。どこの城も一緒だが、手すりがあり見晴らしが良いが、ここは上から下まで格子で囲ってあり少々見づらい。広島の中心部が見えた。さすがに風もあって爽快な涼しさにほっとした。そこで写真を撮ってしばらく眺めた、ここに記念メタル製造機もおいてあった。帰りはひたすら階段に、3階で係りの人が「ありがとうございました」と一人ひとりに挨拶された。丁寧な事におどろいた。途中に大型扇風機が置いてあった、暑い城内で唯一の安らぎであった。帰りは堀の手前の林で車🚘待つ事に、ところが一向に帰ってこない、
パーキングメーターは、7月3日の新貨幣の発行により旧貨幣しか使えない。従って旧貨幣への両替はコンビニでもやってくれない。頼み込んでやっと手にした。その間に200円追加となり ¥3400となった。10分200円は高過ぎである。コインが入らない、 運転手の右往左往する様を後から何度も聞される事になる。無事に一件落着となった。

教訓。旧貨幣なるべく手放さなようにしなくてならない。そうしないと不便になるだけだ。 新貨幣は自動販売機、レジも困った事が起こります。お店の対応が気になります。

ペルセウス座流星群

山の日の代休の休み、猛暑は続いていたが夜は涼しさ感じた今日であった。

8月12日21時頃出発、有名な美星町の天文台がある公園を目指した。細い山道で次々と車がやってくる。着いた時には道の脇は車が列を作って停めてあった。下の広場は車がいっぱいてあった。展望台は途中から上がる道があり、案内の標識にあと400mとあった。真っ暗な山道で明かりがないと歩けない。頂上迄は行かないが平らな広場があったのでそこで見る事にした。

最初、流星が見えたのは数分後、一瞬で0.3秒くらい、それも早くてあっと言っただけである。

1時間で40個くらい見えると書いてあったが結局ほぼ1時間で見たのは3個で終わった。0時から夜明けまでがピークらしく、早過ぎかたも知れない。

山の風は気持ちがいいが、寒くなったので早々に退散した。帰りに道の駅に寄った。ここでもいっぱいの車、シートを敷いて寝て天体観測の人も多くいた。今日の歩行距離4000歩を少し越えていた。いつもより多い。帰宅は12時を回っていた。

 

 

資料 : ペルセウス座流星群は、毎年8月12日から14日ごろに多くの流星が見られる流星群です。1月の「しぶんぎ座流星群」、12月の「ふたご座流星群」とあわせて、毎年ほぼ安定してみられる3大流星群の一つとされています。
今年のペルセウス座流星群の活動は、昨日12日午後11時ごろに極大となりましたが、今日13日夜~14日未明も観測チャンスがあるでしょう。午後9時頃から流星が出現しはじめ、夜明けに近づくにつれて、流星の数が多くなると予想されています。

今夜も月明かりの影響をあまり受けず、良い条件で見ることができそうです。※8月13日の東京の月の入りは午後10時48分。
空の暗い場所での流星数はピークで1時間あたり40個程度。今日13日夜~明日14日未明にかけてはそれよりは少ないものの、空の暗い場所で1時間あたり20個程度の流星が期待されています。tenki.jpによる

 

高速で明るい流星が多いペルセウス座流星群は、数ある流星群の中でも、もっとも見応えのある流星群として知られています。 母天体は1862年にアメリカのスイフト氏とタットル氏により発見されたスイフト・タットル彗星という周期彗星で、だいたい135年ごとに太陽の近くに戻ってきます。  

 

 

母の日。Wikipediaによると、母の日は、アメリカのアンナ・ジャーヴィスという女性が、1907年頃に敬愛する亡き母の追悼するために、教会で亡き母が好きだったカーネーションを配ったことが起源とされている。日頃の母の苦労をねぎらい、母への感謝を表す日。 5月の第2日曜日に祝い、起源や日付は国ごとに異なるとされている。

 

そんな訳でお祝いに母の日という事で、朝から車のお迎えがあり一緒に出かける事になった。8時半に出発予定であったが、あいにく雨模様である。

 

鳥取県、大山の山麓に美味しいお寿司屋さんがあるらしい。どうやら目的地はここらしい。山陰の山を越えていく。目的地は標高290mであり山麓と言っても結構高い、大山は1729m日本で150位の高さは中国地方中で一番高い山である。予約は時間に余裕があるので、他の所にも行く事になり山の中をぐるぐる回りある目的地に着いた。山の中に木に覆われた建物があった。探しても同じ所には来る事は出来ない迷路のような気がする。美味しいパン屋さんらしいが残念なことに休みだった。

 

次に「みるくの里」というお店に行くことになった。車にいれば雨は気にならないのだが、山の天気は恐ろしいものである。車から出るといきなり突風である。歩かれない程である。傘を持つ手に力が入る。店から50m程の距離だが懸命に歩く。傘は無事だったが横殴りの雨で顔以外は濡れてしまった。

 

牧場があり乳製品を多く売っている。店頭にソフトクリームを売っていたので頂いた。さすがに凝縮した濃いミルク味であった。とても美味しい味である。店内入ると一番にいっぱいの「白バラ牛乳かりんとう」と言うのが目に入る。売りはこれかと思い無造作に持ってすぐ支払いをすませた。しばらく店内にいたが買ったのはこれだけだった。眼下に牧場があり放牧された乳牛が見えるはずであるが嵐のような雨である。晴れていたら高台の眺めが素晴らしいと思うがあいにくである。帰りも傘を狭めて顔だけ濡れまいとして急ぎ車にむかった。

 

予約の時間になったので目的の場所に、駐車場は広場になっており数件のお店があった。森の中の落ち着いた場所である。店内に入りしばらくして注文の鮨が並ぶ、寿司は肉3貫、魚は8貫であった。寿司の説明があった。肉は、魚は・と、一つ一つ、魚の名前を聞いても分からないネタもあったが、肉は美味しい。魚も肉厚で満足感があり一段と美味い。デザートもあり、ゆっくりと味わって食べた。しかしボリュームが多すぎて小食な私は2貫も残したが、至福のひとときを過ごせた。

 

大山は鳥取県の米子の近くに有るが遠目で見るだけで山に上がった事はなかった。思いもしなかった事であるが、リゾート地というか、観光地であった。別荘、ペンション、ゴルフ場、牧場、スポーツクラブ。等もあり、いろんな施設があった。雨の中、山の周辺を回って帰った。良き一日で、片道3時間の道のりであった。

 

 

 

建国記念日の振替で一般の会社は休みになる。そこでどこか温泉に行こうと誘いを受けた。どこがいいと言われても有名な所しか分らない。結局どこに行くか分らないままついて行った。ミステリーツアーか? ‥‥運転手まかせである。

 

 

着いた所は、山陰の島根県大田市、温泉津(ゆのつ)温泉。2月にしては寒くなくてよかった。『本と喫茶のゲンショウシャ』と言うお店が目的だったと見える。2023年4月1日 に開店したようである。

 

丁度 昼になったので食事に・・メニューはカレーしかない、、瀟洒 (しょうしゃ)な店内には大きなストーブがあり木造の素朴な階段、むき出しの曲がった梁には今風で好感がもてる。荒削りなデザインには拍手。 デスクの照明はセンスがあって良い。

 

注文は、5種類の中から好きな あいがけカレーを選ぶ、2~3のカレーを選ぶ事が出来る。組み合わせで 2種類で1400円 ~ 3種類で1600円の値段、二種類のカレーを注文した、あいがけカレーは初めてである。独特な風味があり普段食べたことが無いやさしい味がする。カレーの味はもう少し辛くても良かった気がする。トッピングも選べる様である。

 

 

帰ってから読んだタウン誌によると --

『世界遺産の湯の町、温泉津にアートな店『本と喫茶のゲンショウシャ』オープン お店の雰囲気もさることながら、スパイスカレーが絶品。こだわりが詰まったアーティスティックな店内は、読書や仕事するのにもピッタリですよ。とあった。』

ネットにより有名になったと思えるようで、次々と客が来ていた。田舎町の温泉も活気が有りそうである。

温泉津重要伝統的建造物群保存地区になっている。由緒ある場所らしい。

 

 

しばらく歩いて温泉に行った。銭湯もあったが、元祖の元湯温泉の方に行った。

むかし栄えた、ひなびた温泉地と言った感じがする、街道筋には老舗旅館が何軒もあるし、昔は温泉街の名残りを感じた。温泉は車がやっとかわせる道にある、着いた場所は案内所と思ったが、風呂屋の番台であった。入湯は500円で手ごろな価格である

 

道を挟んで4〜5台置ける駐車場と便所が有る。温泉に神様がいるので便所は外にあるらしい。意外にも綺麗で洋式であった。    

元湯は古びた建物で歴史を感じる。正面が山で建物は傾斜地に建てたようである。入るとすぐに下に階段がある。浴室も階段を下りる。勾配になっていた。

 

浴槽は3つあり初めての方38~40度で体を慣らし、ぬるい湯42~44度に入る、熱い湯では46~48度で、ぬるい湯と言ってもかなり熱い。説明書には最初、数秒 湯に入り2回・3回~から慣れるようになると書いてある。熱いので1~2分でギブアッフ、何回かは入ったが、さすがに熱い湯の方は挑戦できない。

浴槽は幅2m程で狭い手すりはあるが熱い槽の側に有るので反対側に座ることにしたが、足が十分に利かないので段差は手伝ってもらった。歩くにはゆっくりでいいが、手すりがない所は行かない方がよいと今更ながら分かった。

温泉の色は濁食であるが空気に触れる前は透明の綺麗な色らしい。底まで見えないと温泉の効き目がある様であるが、見えないと不安な気もする。温泉とはこんなものだと思うが。

 

 

話題の週刊文春、週刊ポストで薬師湯として紹介されていた。全国で17軒(中国地方では1カ所)のオール5の温泉に選ばれたことがPRとして渡された。源泉は50度の塩類泉で効能は呼吸器、胃腸系、リューマチ、ヒステリー、半身不随、婦人病、慢性湿疹、等で何でも直るような湯治場でもある。いつまでも温かく気持ちがいい時間を過ごせた。

 

                                                                                                 

温泉場もそうであるように、一帯が岩見銀山の世界遺産登録地でもある。

次は岩見銀山に行った。新たな道のようで迂回路で手間取った。小川のほとりに五百羅漢がある。石段を登れば受付があるが、車から降りるとすでに入湯券を買っていて、私は足元が悪いので行かないと言った。結局みんな行かかない事になり、払い戻しをしてもらった。折角連れていってもらい、悪い事をしてしまった。

五百羅漢も世界遺産であり、記念に写真を一枚撮って帰った。

帰りは来た道と同じ、三次を通って帰った。

 

 

 

 

岡山、新見市 井倉洞  

 

本当に暑いので涼しい所にでかけようと探してみた。

海‥ 暑い、木陰でも暑いのでNG

山‥ この前に行った温泉、山陰の山なら5度は下がるが、まだあつそう。

高原‥ 山と同じで温度差は同じようなものだ。

地底ならば‥ 鍾乳洞がある、何年も前に行った涼しい事を思い出していたので、

岡山県の1.2キロの長さの鍾乳洞に決定。

 

車で山道2時間の距離で到着、入場料1000円だった。

長い階段を上がり広い川を渡るとやっと入口がある。

夏の服装では寒い位で涼しくなってくる。温度は17度で想像以上に涼しい。

この前に来た時は楽に歩けたけど、加齢と病気で足の弱さが気になっていた。

 

狭い鍾乳洞の間をくぐり抜けて通るのだが、

やっと一人が通れる狭い岩を通る事になる。

高低差が90mもある。建物にすれば30階建てである。

 

途中は階段も至る所にあり脚力を試すところであるが、

距離が長くて耐えられない、この前は無かった椅子を4.5脚置いてあった。

鍾乳洞の幅は50㎝から1mもあればいい方で、歩くのが遅いので

人が後から来ると狭いので広い所を探して交わす事になる。

 

岩をくり抜いてわざに休憩所をあちこちに作ったと見える。

休憩所ごとに休んでいた。

この前までは休憩所は2.3か所だと記憶している。

 

数年前から比べれば体力の低下が著しい。

普通の体力があれば涼しくて避暑には最高の場所に違いないと思う。

案内では40分のところ、2時間以上は掛かって到着。

洞窟を出ると普通の暑さに戻った。

⿁の舌震(したぶる)、亀嵩温泉(かめだけ)、

 

 

今年の夏は暑いので中国山脈の高い所が涼しいと思って、避暑のつもりで出かけてみた。出発が遅いので途中の道の駅「奥出雲おろちループ」に着いたのは11時前であった。

 

田舎の道の駅は売ってる物も変わりがえしない。店の奥まで進んでいくと、細麺のそばがあった、よく見ると異常に安い。他の蕎麦より半額でそこにのみ食いついた。2食分である。ひとまず買って帰る事にした。調理方法がかいてあった。汁にしないで、レンジで3分間チンする。たれを器に入れてつけ麺風で頂く。結構美味しかった。3個ぐらい買って帰れば良かったと後で思ったほどである。

 

道の駅で話題になったのは木次線の廃線の話である。2023年11月で廃止になる。

奥出雲おろち号といい、トロッコ列車は観光用の 三段式スイッチバック と人気があったが、老朽化と、採算が取れないとの事らしい。 スイッチバックは標高726mに位置する JR木次線の出雲坂根駅から三井野原駅間(標高差170m、約6500m区間)の急こう配を、列車が前後に折り返して運転するとある。

 

つぎに⿁の舌震、山で囲まれたⅤ字型の渓谷は駐車場から遠い、この前来た時は渓谷が一面に見えて圧巻だった。岩々の連なり、ほとりに立って眺めていたが、今回はすぐには下に降りられない。その代わりに細長い橋が架かっていた。「舌震の”恋“吊橋」と銘がうってあった。幅1.5m程の細い橋で高さは分らないが恐怖を感じて渡らず。いわれも書いてあったが伝説がある様だ。この度は木が茂っていたので渓谷は見えず退散。

 

途中で道に面して糸原記念館の売店があったが休みで来客も少なそうなどで、記念館には寄らずそのままで帰った‥ 糸原記念館:江戸時代にたたら製鉄で隆盛をきわめた、名家・絲原家が伝承してきた資料を展示する歴史資料館です。庭が綺麗な博物館である。ちなみに入場料は金1000円也

 

最終目的地である亀嵩温泉では大浴場があり露天風呂は日差しが強めで30分もいれば満足感は得られる。真夏の温泉は暑いので入浴後の休憩が心休まる時で一時間もゆっくりして売店でぶらりと見て楽しんだが結局何も買わなかった。 休憩室の壁一面に『砂の器』の映画の撮影風景の写真が飾ってあった、 温泉:29.5℃ の源泉:泉質はアルカリ性単純温泉 効能:神経痛、筋肉痛、疲労回復、とある。入浴料金600円は安い。 

 

亀嵩は無名であったが… 昔はそろばんの産地でもあった。

松本清張の『砂の器』は、昭和35年(1960)読売新聞に連載された推理小説の傑作でベストセラーとなリ、「亀嵩(かめだけ)」の地名とズーズー弁が推理の鍵をにぎり、この地方が広く知られるきっかけとなりました。記念碑は湯野神社参道入り口に昭和58年(1983)松本清張の揮毫により建立されました。 所在地    島根県仁多郡奥出雲町亀嵩1284

 

松本清張の 『砂の器』50歳の時の作品   平成4年(1992) 享年82歳

 

 

 

黄泉比良坂 

 

古事記 日本神話 において、生者の住む 現世 と死者の住む 他界 ( 黄泉 )との境目にあるとされる 坂がある。

島根 松江東市出雲町の黄泉比良坂、1940年に「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」の石碑を同町揖屋に建立した。とある。

 

 

今回この伝説の場所に行って見る事にした。

松江道は高速道路であるが満開な桜で綺麗な印象があった。 

東出雲で降りると国道9号線がある。海岸線に沿った幹線通りであるが意外に車が多い。

黄泉比良坂に標識をたよりに間違いながら池に沿った細い道路を通り目的の場所についた。

まさに坂であった。

 

到着すると車が止められる場所があり、人は来ないが観光地化した感が見受けられた。

大きな案内板があり、黄泉比良坂のいわれと、揖屋神社のこともあわせて書いてあった。

 

揖屋神社(いやじんじゃ)はイザナミを主神とし、この場所こそが黄泉比良坂の

イザナミとイザナキの物語であることを想像した。

一段高い所に小さな池があり1mほどの通路の先に低い鳥居があり、その鳥居をくぐって奥にある千曳(ちびき)の岩がある。(生者と死者の住む領域に境界場所があるとする岩)

 

横を通り過ぎると黄泉比良坂伝承地としての「天国への手紙ポスト」が3つも設置がしてあった。

この手紙どこに送られるのか、など考えてはいけない。

天国(黄泉の国)への手紙、黄泉の入り口からあなたの愛を伝えますと書いてある。

 

帰りには宍道湖サービスエリアによって眼下の宍道湖を見た。爽快な空が目に映った。

 

 

 

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解説によると 古事記 黄泉 (よみ)とは、 日本神話 における死者の世界のこと。 古事記 では 黄泉國 (よみのくに、よもつくに)と表記される。 語源には諸説ある。 最も有力なのは大和言葉の「ヨミ」に、 漢語 の「黄泉」の字を充てたものであるとされ 、また、漢語で「黄泉(こうせん)」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となったともされる。 「山」説。 黄泉が「坂の上」にあり、原義は山であるとする 。 黄泉国には出入口が存在し、 黄泉比良坂 (よもつひらさか)といい、 葦原中国 とつながっているとされる。 イザナギ は死んだ妻・ イザナミ を追ってこの道を通り、黄泉国に入ったという。

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奈良旅行  2022.02.11(金)

 

前日の午後8時に奈良に行く事に決定した。 行き先は未定であるが、行く道中に決める事にした。 奈良は蔓延防止が解除されているのでひとまず安心。

 

8:30 出発: 山陽高速を通り途中通行止めがあるので京都経由で一路奈良まで。

 

12:08 奈良に到着: 脇道から奈良公園のほうを目指し街並みを眺めながらひたすら歩く、少々足がだるい。

 

12:48 東大寺: いきなり大仏殿に着いた。足が弱いので車椅子を借りた。階段の手摺があれば大丈夫だけれど、あえてお願いした。車椅子用の通路(廻廊)を通るよう言われたのでそうした。普段通られない場所で回廊の内部まで見て、斜めから写真を取ることもできた。親切な従業員さんに写真を撮ってもらった。廊下の端には屋根の両端の「しび」のレプリカが置いてある。見られてラッキーである。

 

12:56 大仏: 見に行ったのは4回目だが、相変わらずであった。変わったと言えば実物大の鼻の穴の「くぐり抜け」が出来なくなっていた位である。コロナのせいで柱が木でふさがれていた。元より不可能であるが、‥

 

13:20 南大門: 逆回りであるが南大門を出た。参道には土産物店も数が多くあり、土産に奈良漬を買った。だんご屋がありベンチで座って食べた。 鹿が多く寄って来るが餌をやっている人は少ない。殆ど鹿は座ってのんびりしていた。

 

13:51 昼食: 遅い食事で空腹で駄々をこねる人が約一名いた。早速食堂に駆け込んだ。自分は体調がよくないので天ぷらそばにした。細目の麺で白い蕎麦であったが意外と美味しかった。

 

14:31~14.40 春日大社境内通過: 草原の様な風景で穏やかである。

 

15:00 平城京跡地、遣唐使の船: 広大な広間があった。遥かかなたに立派な門がある。その向こうに宮殿があったと思う。道路沿いには遣唐使船が見えた。長さは40mあるそうだ。一瞬だが立派な船に見えた。

 

15:17 唐招提寺: 駐車場が前にあるので助かった。門を入ると正面に金堂がある。階段を上がらず、裏手から回ってはいる。大きな仏像で圧倒される、また千手観音像も繊細であった。参拝客も少ないので、丁寧に教えてもらいあちこち行くといいよとか言われてうろうろした。

 

15:54 鑑真さんの墓: 奥手に墓があるが、中庭に細い木が間を空けて立っている。その下には苔が一面に生えている。薄緑の色で魅惑的である。光線で輝きが違って見える。思わず無意識にシャッターに手を添えていた。小さな池があり細い石橋がある。その向こうに祭壇があり高い石段の上に鑑真さんの墓がある。閉門が四時半と聞いていたので急いで戻った。塀に特徴はあり、土塀であるが補強に瓦を用いている。

駐車場では早めに清算したらしく出口に向かったが駐車券がない。 車を引きかえすと駐車券がそこに取らずにあった。こんな事はよくある話だが、後から思い出していた。

 

16:14~16.30  郡山城跡: 帰路に向かうはずが、最後に法隆寺にも寄る事にした。途中に郡山跡の看板が目についた。城と言えば条件反射的に反応する。写真を撮って素通りした。

 

17:14 法隆寺: 遅くなったが法隆寺に行って見たが、5時過ぎたので、みやげ店が開いていたので、お土産を買って帰る事にした。帰りには大阪城を見た、ライトアップされていた。六甲山のライトアップの綺麗でいつまでも見えていた。

 

21:15 帰宅

 

 

-------- 奈良旅行記、資料 -------

東大寺  聖武天皇 743年 創建 (752年)大仏開眼

     鑑真は東大寺に5年住んでいた。

◎唐招提寺  759年 戒律の専修道場 創建   

     鑑真(唐から) 688年~763年

     

聖武天皇の時代 第9次遣唐使 732年 580名の文化的、宗教的の派遣があった。

( 参考:遣唐使が15回行われた。)

仏教が伝来180年であり仏教においても混沌としており何も決まっておらず唐から吸収しなくてはならなかった。

当時40余り寺があったが、経典も少なく日本では戒律(修行者の生活規律)が備わっていなかった。

 

当時の仏教の中心地は唐であった。まず唐より優れた戒師を迎えて、正式な授戒制度を布くことが必要とされ、 今度の遣唐使派遣に、二人の青年僧を派遣することになった。

 

青年僧は鑑真に巡り合い、唐から鑑真一行は5度目の渡航の失敗を重ね、6度目に日本に向かった。20年後の第10次遣唐使に乗って、鑑真は来日した時には旅の途中で失明していた。奈良では大仏殿の西に鑑真は戒壇院を築き、授戒をもって仏教入門の正儀となった。

 

天武天皇亡き後、孝謙天皇は「唐招提寺」勅額を掛けた。 天皇は、出家たる者はまず「唐招提寺」にはいって律学を学び、のち自宗を選ぶべしと申した。 寺には学徒が集まり講律授戒が盛んになった。 

 

(感想) 授戒は仏教史の基本と言えると思う。難破したり当時の航海の大変さがわかった。

 

カキのシーズンが来たので漁港の岡山の寄島に行ってみた。 

12月に入って行こうと思ったが、すでに遅くなっていた。10軒ばかりある直売店がある。   ほとんどで予約注文がいっぱいであった。一軒ずつ歩いて売っている店を探してみた。 殻付きのカキを5キロばかり買った。

 

去年は小振りのカキしか買えなかったが、今年のカキは大きい。賞味期限は4日と店の前に書いてあった。生では2~3度食べるにはちょうどいい量である。やはり大きな方が格段に美味しかった。

 

帰りに笠岡によってみた。 笠岡にはカブトガニ博物館がある。広い庭園には実物大の恐竜が多く展示してあった。遊歩道もありゆっくり過ごすことができる。子供たちの遊園地もあり子供ずれでも退屈しないように配慮されていた。

 

建物であるが、背後は急勾配の山である。敷地は平坦な広場になっていることから埋め立て地であることが容易に想像できる。

 

私が過去に建設中に施工の立場でチェック、検討したことがある。 基礎は杭を打っているがその数の多さに驚いた。壁は鉄筋コンクリートで屋根は鉄骨のトラスのアーチであった。外観はカブトガニの形の建物である。

 

カブトガニは2億年から進化せず、生きた化石と言われている。寿命は10年以上とされ、何回も脱皮を繰り返し成長していく。生物の分類ではサソリ、クモの仲間とされている。

水槽では数匹のカブトガニが展示してあった。 飼育室もあるのだが、工事中で見られなかった。

 

カブトガニシアターとした80人が座れる大きなスクリーンではカブトガニのテーマの映像を放映している。カブトガニの知識も得る事が出来た。

 

笠岡湾の繁殖地では、カブトガニ保護区としていて潮干狩りなどは禁止されている。

境港

 

山陰の魅力は何と言っても海産物がおいしいことである。

11月になってカニ漁が解禁になったので山陰に出かけることにした。

 

中国やまなみ街道(松江道)を通り中継点で高野の道の駅による。いつも降りるところである。

休憩とちょっとした買い物をする。この前かった漬物が美味しかったので2個も買ってしまった。

 

尾道~松江間は高速道路がほとんど無料である。 (とは言っても最初と最後は有料である。 山陰への誘導のためだと思うが、全区間を走ると往復で1620円である。距離からすれば安いが微妙である。)

ゆえに山陰に行く機会も増えてきた。今回は境港に行くことにした。 松江から中海を島伝い境港に行くコースであるが、大根島から江島に渡る。

 

ここで江島大橋がある。‥「山陰新名所ベタ踏み坂」としてテレビ、ネットで話題になった橋である。 橋の手前のガソリンスタンドで燃料補給して写真をとった。何人も写真を撮っていた。 低い位置で撮れば傾斜が急になって見える。それで地面にすれすれでしゃがんで写真を撮っていた人達がいる。 並んで撮っているので 滑稽であった。 

写真を撮っていたら、ガソリンスタンドの人から その橋の写った絵はがきをもらった。

 

 

境港市内に入りさかな市場を探す。着いた所に広い駐車場があった。ナンバーは色んな県名の車がある。 建物の中に入ると広いが客はそれほどでもない。ひと通りみて次も行ってみようという事になって移動した。

 

今度の市場は道路いっぱいに車が並んで待っている。駐車場は広いがいっぱいで、整理員が2~3人いてさばいていた。10分くらい待って入った。細長い店内がるが昼前でカニは早く売れていたかどうか分からないが、売ってるカニは意外にも少なかった。ここは人も多くて歩くのもまともに進めない。あちこち見て蟹を買った。他に小魚等、色々買って帰った。 カニはいつ食べても美味しい。 今度はカニツアーに行ってのんびり一日過ごしたい。

 

食事には20分くらい待って2時過ぎになった。大きな生簀(いけす)がある筈が、コロナの為か水槽には水も無かった。寂しいかぎりである。 おまけに席に座ると大きな水槽がおいてあるのがいいけれど、いっぱいのメダカが泳いでいた。この店はどうなっているのか? あきれてしまった。 大きな店ではあるがコロナで相当に弱っているらしい。飲食店のダメージも十分感じる事ができた。

 

他も予定もあったが、回り道をすると遅くなるので最終目的地に行くことにした。境港と言ったら「水木しげる」である。 境港駅から鬼太郎、妖怪、怪獣、など水木しげるの関連の建物ばかりでいっぱいである。

 

メインの通りは 「水木しげるロード」 とされており、駅から 幅10メートル程の道路で両側に歩道がある。しかも、歩行者専用である。歩道にいたるところに椅子があり、ゆっくり休む事が出来て心地よい。一般の道路には人通りもすくないが。水木しげるロードと称する所は異次元かと思われそうである。都会の繁華街と言っても過言ではない。

 

商店街はどこまでも続き歩道には177の妖怪のブロンズ像がある。ひとつずつ見てもきりがないが、興味のあるひとは、ゆっくり見るのも面白そうである。時間があればいつまでたっても飽きないと思われた。

店の雰囲気が昭和の感覚でレトロ風であり、愉しい気分である。お店も子供が喜びそうなグッツでいっぱいである。小さい子供には興味をそそる物がいっぱいで、お勧めである。

 

最後に水木しげる記念館にいった。立派な建物があった、妖怪のところで写真を撮って建物には入らず、円形の大きいベンチがあったのでそこでしばらく休んで帰った。

 

海産物もいいが、水木しげる  も一大産業になっていた。一帯は水木しげるオンリーであった。