突然の訪問であった。2021年5月12日の朝だった。
彼はN氏と言い、よく聞いて見れば鹿児島の支店からこちらに転勤したという。 その鹿児島の支店の取引先の中にOさんがいて、私のことを分かれば探して欲しいという事だった。N氏は私に会った事で、やっと使命を果たされたと言って喜んでいた。
その名前を聞いた途端、懐かしさが込あげて来た。若い頃東京で一緒に建築を学んだ仲である。卒業以来、会っておらずそれと無く気に掛けて、ネット上で探した事もあった。N氏も私の事を探すのは容易ではなかったはずと思う。感謝である。
早速Oさんに連絡をとった。当初コロナ禍であり、緊急事態宣言があり他府県には移動は禁止されていた。やっと緊急事態宣言が解除されて、今回観光を兼ねて鹿児島に行くことにした。夫婦でのんびりと行く予定だったが、子供が心配して一緒に行ってくれる事になった。
2021.11.06(土)
0:05 出発であるが、昼間駆けるのは遠いので着くのは夜になってしまう。従って深夜に走ることにした。コロナもおさまったので、運良く高速道路の休日割引が3日から再開していた。
4:52 古賀SA 休憩、小振りな竹輪を買って食べたが肉厚で意外と上手くて印象に残った。
7:58 諫早経由で高速道路とはお別れ、雲仙の周りを有明海に沿っていった。比較的広い道路で安心した。 -----参考(普賢岳の高さは1483mであり10~15㎞の幅で20の山からなり雲仙普賢岳の名称と混同されて用いられる。) とある。
9:22 最初の目的は島原城である。三方を掘りの一部が残っていた。高さ10m位で城内に入ると立派なお城が目に入る。城の入口まで車が入るので助かった。島原の乱の時は一揆軍が占拠した場所である。主戦場は原城であるが城跡もないので今回は行かなかった。
展示品はキリシタンのものが大半であった。マリア観音像、十字架、キリシタン鋏、渾天儀(天文観測機)、人体解剖図、キリシタン武将の刀に付けるキリシタン鍔等、火縄銃もあった。定番の鎧兜(甲冑)、大きな島原の乱の絵図も印象であった。
建物は復元であり階段もRC造なので5階建てなのは仕方ないとしてもコンクリートの上に板を貼るとか工夫が欲しいところである。最上階は見晴らしが良くて気持ちがいい
島原城
-------資料:独立式層塔型5重5階(1964年RC造復興)廃城は明治3年(1871年)遺構 石垣、堀 指定文化財は長崎県指定史跡である。
島原の乱と言えば福山藩主の水野勝成が75歳を迎えた寛永15(1638)年、島原の乱が起こり、鎮圧のため、幕府は勝成に出陣を要請。幕府上使を除き九州の大名以外で唯一、勝成に出陣の沙汰が出されたのは、老齢にもかかわらず勝成の抜群の戦歴が評価されてのことといわれている。総勢6000人の軍勢で臨んだとある。
この時、勝成は大転輪丸という御座船で島原に出征した。大転輪丸は勝成が福山築城の後に造らせた二十一反帆五十挺立の巨船で、大きすぎ入川の船入りに繋ぐことができず、田尻高島の地に新たな船入りを設け座床としていた。
大転輪丸は島原の乱の後も歴代藩主が参勤交代の際に船便として使用した。
10:36 帰り際もう一度、反対から写真を撮って出発した。
12:23 諌早から長崎までは山が多く高速道路が便利である。 長崎の中心部からの分岐点が分かりにくい。2度通ったが2度とも間違えている。
おかげで一部ではあるが、長崎の街の全容が見えた気がした。とにかく山が多いので道は急斜面で、曲がっている。坂道の両側には急斜面に沿って家が建っている。50m~100mの高さはあると思えた。平地は中心部だけなのか。
12:42 中心部に着いた、長崎.中華街にて食事をとった。皿うどんと蟹しゅうまいを食べた。皿うどんが、異様に甘い、しゅうまいは美味しかった。中華街は人がすくない、店も客が少ない。食事が済むと、さすかに寝ないで運転した運転手はダウンで、車に戻って寝る体制に、…
13:29 中華街をあとにして近いからと言って出島の方面に歩いて行くことにした。
14:11 出島入口を探すまで40分歩いたことになる。出島は50mx250mの大きさと見た。とぼとぼ歩いていると結構時間がかかる。中に入ると出島のミニチュアがおいてあった。1/15の大きさだ。プロテスタントの神学校、社交クラブ、他は貿易関係の建物は多くあった。
15:11 流石に歩き過ぎの感あり、疲れ気味で異国情緒溢れる街をあとにすることに。出島の入口周辺で出店が並んで騒がしく賑わっていた。
15:42 諌早のホテルにチェックインしたが、あまり寝てないのでしばらく仮眠する。
18:10~18:50 諫早市真崎町「たがわ」で食事。長崎では観光と言っても余り見てないので引き返すことにした。
20:00 長崎めがね橋に到着、川岸からライトアップがあり自動シャッターで3人の記念撮影をする。ひと通りは少ないが夜の長崎もよかった。
20:32 平和公園は高台にあった。ライトアップはしてあったが夜なので寂しい所であると感じた。
8月6日には広島、8月9日にはここで原爆を落とされた事は、悲惨な事と感じられずにはいられない。
11:00 就寝
2日目 2021.11.07(日)
6:30 起床、 朝一番にフェリーの状況を確かめてみた。時刻表は見ていたが、予約制であることを知ったのはその時だった。前日でないと予約出来ないと知って慌てた。港までは1時間はかかる。担当の人は今の時点では乗れるかどうか確約は出来ないという。心持てない返事にフェリーはやめて急遽、陸路に変えた。
8:00 ホテル出発 有明海のまわりを進むらしく、山道を上っていった。時間的に変わらないと言うのでしばらく一般道を行くらしい。高速道路を通らないので妻は気にいらない様子である。ナビによるとそう悪くない。運転手に権限があるが私もそれでいいと思った。
12:37 宮原SA 長時間の車で足腰を伸ばす。
12:59 桜島SA
13:30 いよいよ到着だ。坂を上って着いたところが待ち合わせの城山観光ホテルである。 駐車場に車を止めて着いた事を電話する。玄関先でOさんが出迎えてくれていた。見慣れた顔がそこにあった。卒業してから初めての対面である。感動である。私の方は体重も3割増え様変わりである。一瞬では分からないと思った。
奥さんにも会えてよかった。Oさんは相変わらずの男前で仕事も楽しそうで何よりでした。
テーブルについても絶える事がない話がいっぱいあって楽しい時間を共有出来てよかったと思った。当時の事を思い出しながらお喋りするのもいいものであると今更ながら感じていた。
15:00 トンネルを抜けて着いた所に広場があった。城山公園である。駐車場がありおみやげ店があり観光地の雰囲気がある。‥ バス停もあり観光地そのものである。 少し上がると展望台がある。人は多くはなかったが眺めのいい場所に行くのは少し待つくらいだった。
眼下は鹿児島の街が広がっている。正面は桜島が見える絶好の場所だった。ガイドの人があれこれと教えてくれる。親切の人ばかりである。今日の桜島はきれいでこんな日は珍しいと教えてもらった。天気もよくて景色がいいので写真もいい感じがする。記念の写真を撮ってもらったがあいにく日陰ですこし暗かったがいい思い出になった。
桜島(城山より)
15:25 Oさん夫妻とは一旦分かれる。
15:35 中央公園駐車場に行った。そのはす向かいに高い位置に西郷さんの銅像がある。信号を渡って上見使いに写真を撮る。自身の写真も撮ってもらう。しばらく行くと美術館があり、隣に黎明館がある。
その前の歩道にお城の石積の現物の見本があり面白いと思った。しかし知らない人は興味をそそるかどうか? 大部分の人は通り過ぎて行くだろうと思う。
黎明館に行ったが、建物には入らない、篤姫の銅像を見たのと、立派な門を見たくらいで、余りにも広いので足の負担が多くなり断念し、とりあえずホテルに向かって荷物の整理と休憩をすることにした。
17:21 JR北九州ホテル鹿児島チェックイン。 ホテルは駅ビルのアミュプラザにあり駐車場の入り口がどこにあるのか分からない。駐車場の中に広くて置いた所がわからない‥、車が多くてややこしい所に宿をとるのは失敗だった。しかし部屋は広くて快適だった。
18:20 再び城山ホテルに。 席は用意してあり、お食事をごちそうになった。奥様の心遣いに感謝である。引き続き仕事の事、昔のことなど話に花が咲いた。Oさんは穏やかな生活を楽しんでいるように感じた。
私は仕事そんなにはしてないが、もっと仕事の話も聞きたかった。あっというまに時間がすぎていってしまった。今度会う機会があればその時まで置いてまた話をしたいと思う。 それから高価なお土産をいっぱい頂きお礼の言葉も足らずに帰ってしまった。
23:20 就寝
3日目 2021.11.8(月)
8:45 チェックアウト。 一路熊本に、ドライブも 3 日目となると慣れてくる。そう言っても 目的地はあと一つになった。
9:33 昨日聞いていた O さんのグループの建物が見えた。建物が大きいのでピント合わせがゆ っくり出来てバッチリ、カメラに収まった
11.40 熊本城到着、桜の馬場、城採苑。案内所のところで商店街にあって催しとして刀舞をやっていた。
天守閣までの道のりは板張りの床手すりで囲ってありコースは決まっている。修学旅行の小学生もいた、ガイドの話を聞いて石垣の作り方など参考になった。小雨があったが途中エレベーターもあり何とか本丸までたどり着いた。
12.40 着いたら手すりはなくオープンだった。記念に近くの人に頼んで写真を撮ってもらった。天守閣にはエレベーターがあることが後から分かったが、天守閣にはあがらなかった。いつもそうだが城はともかく広くて歩くのは疲れる。城を見て回るのが好きだから始末が悪い。
売店まえに来場記念の写真撮影の場所があって2度目の写真を撮った。その横に西南戦争の時の火災で焼けた瓦、壁の解けた塊が展示してあった。

熊本城
--------(解説) 熊本城の石垣は、通称で武者返し(むしゃがえし)と呼ばれています。石垣は熊本城の特徴のひとつです。下はゆるやかで、簡単に登れるように見えますが、上に向えば向かうほど反り返りが激しくなり、登ることができません。武士はもちろん、身軽な忍者でさえも、登れないことから武者返しと呼ばれています。
13.08 二の丸に駐車場があると聞いて車を移動してもらって。売店で休憩する。新しいお城に行くと名城100選という本にスタンプを押すことにしている。それが二の丸にあると聞いてここに来たわけである。記念に「くまもん」のボールペンを買った。孫にも「くまもん」の靴下を買った。
13:38 熊本と言えばからし蓮根だ。 修学旅行で何も知らずに一気に食べて辛かった事を思いだす。涙ぽろぽろ …わざわざ製造元まで行って買った。おみやげに買って帰ることにした。 熊本市 元祖森からし蓮根(有)
--------三百五十年ほど前、肥後細川家初代忠利公は、日頃から体が病弱でお困りでした。羅漢寺玄宅和尚は 蓮根に造血効能があることを和漢の書で知り、麦味噌に和辛子粉を混ぜたものを蓮根の穴に詰め、麦粉、そら豆粉、玉子の黄身を混ぜ合わせた衣をつけて油で揚げ、逸品を完成させました。
14:27 最後に遠回りになるが気になる菊陽町のホテルを見て帰った。このホテルに泊まる予定だったが、予約がいっぱいで取れなかった。建設前は他の建物はなかったが建物が増えていた。実はこのホテルは昔、私が関わったもので構造設計をやっている、熊本空港の近くで、菊陽町は近年TSMCの誘致で話題を集めている。

14:34 帰路へ
15:38 広川 SA 下関~徳山辺りで 大雨で渋滞発生、50キロ規制。激しい雨で前が見えないほどであったが無事に帰還出来てよかった。
21:00 到着