黄泉平坂(よもつひらさか)

 

古事記 日本神話 において、生者の住む 現世 と死者の住む 他界 ( 黄泉 )との境目にあるとされる 坂がある。

島根 松江東市出雲町の黄泉比良坂、1940年に「神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」の石碑を同町揖屋に建立した。とある。

 

 

今回この伝説の場所に行って見る事にした。

松江道は高速道路であるが満開な桜で綺麗な印象があった。 

東出雲で降りると国道9号線がある。海岸線に沿った幹線通りであるが意外に車が多い。

黄泉比良坂に標識をたよりに間違いながら池に沿った細い道路を通り目的の場所についた。

まさに坂であった。

 

東出雲町の黄泉比良坂・伊賦夜坂

 

 

到着すると車が止められる場所があり、人は来ないが観光地化した感が見受けられた。

大きな案内板があり、黄泉比良坂のいわれと、揖屋神社のこともあわせて書いてあった。

 

揖屋神社(いやじんじゃ)はイザナミを主神とし、この場所こそが黄泉比良坂の

イザナミとイザナキの物語であることを想像した。

一段高い所に小さな池があり1mほどの通路の先に低い鳥居があり、その鳥居をくぐって奥にある千曳(ちびき)の岩がある。(生者と死者の住む領域に境界場所があるとする岩)

 

横を通り過ぎると黄泉比良坂伝承地としての「天国への手紙ポスト」が3つも設置がしてあった。

この手紙どこに送られるのか、など考えてはいけない。

天国(黄泉の国)への手紙、黄泉の入り口からあなたの愛を伝えますと書いてある。

 

帰りには宍道湖サービスエリアによって眼下の宍道湖を見た。爽快な空が目に映った。

 

 

 

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解説によると 古事記 黄泉 (よみ)とは、 日本神話 における死者の世界のこと。 古事記 では 黄泉國 (よみのくに、よもつくに)と表記される。 語源には諸説ある。 最も有力なのは大和言葉の「ヨミ」に、 漢語 の「黄泉」の字を充てたものであるとされ 、また、漢語で「黄泉(こうせん)」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となったともされる。 「山」説。 黄泉が「坂の上」にあり、原義は山であるとする 。 黄泉国には出入口が存在し、 黄泉比良坂 (よもつひらさか)といい、 葦原中国 とつながっているとされる。 イザナギ は死んだ妻・ イザナミ を追ってこの道を通り、黄泉国に入ったという。

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境港

 

山陰の魅力は何と言っても海産物がおいしいことである。

11月になってカニ漁が解禁になったので山陰に出かけることにした。

 

中国やまなみ街道(松江道)を通り中継点で高野の道の駅による。いつも降りるところである。

休憩とちょっとした買い物をする。この前かった漬物が美味しかったので2個も買ってしまった。

 

尾道~松江間は高速道路がほとんど無料である。 (とは言っても最初と最後は有料である。 山陰への誘導のためだと思うが、全区間を走ると往復で1620円である。距離からすれば安いが微妙である。)

ゆえに山陰に行く機会も増えてきた。今回は境港に行くことにした。 松江から中海を島伝い境港に行くコースであるが、大根島から江島に渡る。

 

ここで江島大橋がある。‥「山陰新名所ベタ踏み坂」としてテレビ、ネットで話題になった橋である。 橋の手前のガソリンスタンドで燃料補給して写真をとった。何人も写真を撮っていた。 低い位置で撮れば傾斜が急になって見える。それで地面にすれすれでしゃがんで写真を撮っていた人達がいる。 並んで撮っているので 滑稽であった。 

写真を撮っていたら、ガソリンスタンドの人から その橋の写った絵はがきをもらった。

 

 

 

境港市内に入りさかな市場を探す。着いた所に広い駐車場があった。ナンバーは色んな県名の車がある。 建物の中に入ると広いが客はそれほどでもない。ひと通りみて次も行ってみようという事になって移動した。

 

今度の市場は道路いっぱいに車が並んで待っている。駐車場は広いがいっぱいで、整理員が2~3人いてさばいていた。10分くらい待って入った。細長い店内がるが昼前でカニは早く売れていたかどうか分からないが、売ってるカニは意外にも少なかった。ここは人も多くて歩くのもまともに進めない。あちこち見て蟹を買った。他に小魚等、色々買って帰った。 カニはいつ食べても美味しい。 今度はカニツアーに行ってのんびり一日過ごしたい。

 

食事には20分くらい待って2時過ぎになった。大きな生簀(いけす)がある筈が、コロナの為か水槽には水も無かった。寂しいかぎりである。 おまけに席に座ると大きな水槽がおいてあるのがいいけれど、いっぱいのメダカが泳いでいた。この店はどうなっているのか? あきれてしまった。 大きな店ではあるがコロナで相当に弱っているらしい。飲食店のダメージも十分感じる事ができた。

 

他も予定もあったが、回り道をすると遅くなるので最終目的地に行くことにした。境港と言ったら「水木しげる」である。 境港駅から鬼太郎、妖怪、怪獣、など水木しげるの関連の建物ばかりでいっぱいである。

 

 

 

 

メインの通りは 「水木しげるロード」 とされており、駅から 幅10メートル程の道路で両側に歩道がある。しかも、歩行者専用である。歩道にいたるところに椅子があり、ゆっくり休む事が出来て心地よい。一般の道路には人通りもすくないが。水木しげるロードと称する所は異次元かと思われそうである。都会の繁華街と言っても過言ではない。

 

商店街はどこまでも続き歩道には177の妖怪のブロンズ像がある。ひとつずつ見てもきりがないが、興味のあるひとは、ゆっくり見るのも面白そうである。時間があればいつまでたっても飽きないと思われた。

店の雰囲気が昭和の感覚でレトロ風であり、愉しい気分である。お店も子供が喜びそうなグッツでいっぱいである。小さい子供には興味をそそる物がいっぱいで、お勧めである。

 

最後に水木しげる記念館にいった。立派な建物があった、妖怪のところで写真を撮って建物には入らず、円形の大きいベンチがあったのでそこでしばらく休んで帰った。

 

海産物もいいが、水木しげる  も一大産業になっていた。一帯は水木しげるオンリーであった。

 


 

奈良旅行  2022.02.11(金)

 

前日の午後8時に奈良に行く事に決定した。 行き先は未定であるが、行く道中に決める事にした。 奈良は蔓延防止が解除されているのでひとまず安心。

 

8:30 出発: 山陽高速を通り途中通行止めがあるので京都経由で一路奈良まで。

 

12:08 奈良に到着: 脇道から奈良公園のほうを目指し街並みを眺めながらひたすら歩く、少々足がだるい。

 

12:48 東大寺: いきなり大仏殿に着いた。足が弱いので車椅子を借りた。階段の手摺があれば大丈夫だけれど、あえてお願いした。車椅子用の通路(廻廊)を通るよう言われたのでそうした。普段通られない場所で回廊の内部まで見て、斜めから写真を取ることもできた。親切な従業員さんに写真を撮ってもらった。廊下の端には屋根の両端の「しび」のレプリカが置いてある。見られてラッキーである。

 

 

 

東大寺:大仏殿

 

 

 

12:56 大仏: 見に行ったのは4回目だが、相変わらずであった。変わったと言えば実物大の鼻の穴の「くぐり抜け」が出来なくなっていた位である。コロナのせいで柱が木でふさがれていた。元より不可能であるが、‥

 

13:20 南大門: 逆回りであるが南大門を出た。参道には土産物店も数が多くあり、土産に奈良漬を買った。だんご屋がありベンチで座って食べた。 鹿が多く寄って来るが餌をやっている人は少ない。殆ど鹿は座ってのんびりしていた。

 

13:51 昼食: 遅い食事で空腹で駄々をこねる人が約一名いた。早速食堂に駆け込んだ。自分は体調がよくないので天ぷらそばにした。細目の麺で白い蕎麦であったが意外と美味しかった。

 

14:31~14.40 春日大社境内通過: 草原の様な風景で穏やかである。

 

15:00 平城京跡地、遣唐使の船: 広大な広間があった。遥かかなたに立派な門がある。その向こうに宮殿があったと思う。道路沿いには遣唐使船が見えた。長さは40mあるそうだ。一瞬だが立派な船に見えた。

 

15:17 唐招提寺: 駐車場が前にあるので助かった。門を入ると正面に金堂がある。階段を上がらず、裏手から回ってはいる。大きな仏像で圧倒される、また千手観音像も繊細であった。参拝客も少ないので、丁寧に教えてもらいあちこち行くといいよとか言われてうろうろした。

 

15:54 鑑真さんの墓: 奥手に墓があるが、中庭に細い木が間を空けて立っている。その下には苔が一面に生えている。薄緑の色で魅惑的である。光線で輝きが違って見える。思わず無意識にシャッターに手を添えていた。小さな池があり細い石橋がある。その向こうに祭壇があり高い石段の上に鑑真さんの墓がある。閉門が四時半と聞いていたので急いで戻った。塀に特徴はあり、土塀であるが補強に瓦を用いている。

駐車場では早めに清算したらしく出口に向かったが駐車券がない。 車を引きかえすと駐車券がそこに取らずにあった。こんな事はよくある話だが、後から思い出していた。

 

16:14~16.30  郡山城跡: 帰路に向かうはずが、最後に法隆寺にも寄る事にした。途中に郡山跡の看板が目についた。城と言えば条件反射的に反応する。写真を撮って素通りした。

 

17:14 法隆寺: 遅くなったが法隆寺に行って見たが、5時過ぎたので、みやげ店が開いていたので、お土産を買って帰る事にした。帰りには大阪城を見た、ライトアップされていた。六甲山のライトアップの綺麗でいつまでも見えていた。

 

21:15 帰宅

 

 

-------- 奈良旅行記、資料 -------

東大寺  聖武天皇 743年 創建 (752年)大仏開眼

     鑑真は東大寺に5年住んでいた。

◎唐招提寺  759年 戒律の専修道場 創建   

     鑑真(唐から) 688年~763年

     

聖武天皇の時代 第9次遣唐使 732年 580名の文化的、宗教的の派遣があった。

( 参考:遣唐使が15回行われた。)

仏教が伝来180年であり仏教においても混沌としており何も決まっておらず唐から吸収しなくてはならなかった。

当時40余り寺があったが、経典も少なく日本では戒律(修行者の生活規律)が備わっていなかった。

 

当時の仏教の中心地は唐であった。まず唐より優れた戒師を迎えて、正式な授戒制度を布くことが必要とされ、 今度の遣唐使派遣に、二人の青年僧を派遣することになった。

 

青年僧は鑑真に巡り合い、唐から鑑真一行は5度目の渡航の失敗を重ね、6度目に日本に向かった。20年後の第10次遣唐使に乗って、鑑真は来日した時には旅の途中で失明していた。奈良では大仏殿の西に鑑真は戒壇院を築き、授戒をもって仏教入門の正儀となった。

 

天武天皇亡き後、孝謙天皇は「唐招提寺」勅額を掛けた。 天皇は、出家たる者はまず「唐招提寺」にはいって律学を学び、のち自宗を選ぶべしと申した。 寺には学徒が集まり講律授戒が盛んになった。 

 

(感想) 授戒は仏教史の基本と言えると思う。難破したり当時の航海の大変さがわかった。

 

カキのシーズンが来たので漁港の岡山の寄島に行ってみた。 

12月に入って行こうと思ったが、すでに遅くなっていた。10軒ばかりある直売店がある。   ほとんどで予約注文がいっぱいであった。一軒ずつ歩いて売っている店を探してみた。 殻付きのカキを5キロばかり買った。

 

去年は小振りのカキしか買えなかったが、今年のカキは大きい。賞味期限は4日と店の前に書いてあった。生では2~3度食べるにはちょうどいい量である。やはり大きな方が格段に美味しかった。

 

帰りに笠岡によってみた。 笠岡にはカブトガニ博物館がある。広い庭園には実物大の恐竜が多く展示してあった。遊歩道もありゆっくり過ごすことができる。子供たちの遊園地もあり子供ずれでも退屈しないように配慮されていた。

 

建物であるが、背後は急勾配の山である。敷地は平坦な広場になっていることから埋め立て地であることが容易に想像できる。

 

私が過去に建設中に施工の立場でチェック、検討したことがある。 基礎は杭を打っているがその数の多さに驚いた。壁は鉄筋コンクリートで屋根は鉄骨のトラスのアーチであった。外観はカブトガニの形の建物である。

 






カブトガニは2億年から進化せず、生きた化石と言われている。寿命は10年以上とされ、何回も脱皮を繰り返し成長していく。生物の分類ではサソリ、クモの仲間とされている。

水槽では数匹のカブトガニが展示してあった。 飼育室もあるのだが、工事中で見られなかった。

 

カブトガニシアターとした80人が座れる大きなスクリーンではカブトガニのテーマの映像を放映している。カブトガニの知識も得る事が出来た。

 

笠岡湾の繁殖地では、カブトガニ保護区としていて潮干狩りなどは禁止されている。


突然の訪問であった。2021年5月12日の朝だった。

彼はN氏と言い、よく聞いて見れば鹿児島の支店からこちらに転勤したという。 その鹿児島の支店の取引先の中にOさんがいて、私のことを分かれば探して欲しいという事だった。N氏は私に会った事で、やっと使命を果たされたと言って喜んでいた。

 

その名前を聞いた途端、懐かしさが込あげて来た。若い頃東京で一緒に建築を学んだ仲である。卒業以来、会っておらずそれと無く気に掛けて、ネット上で探した事もあった。N氏も私の事を探すのは容易ではなかったはずと思う。感謝である。

                   

早速Oさんに連絡をとった。当初コロナ禍であり、緊急事態宣言があり他府県には移動は禁止されていた。やっと緊急事態宣言が解除されて、今回観光を兼ねて鹿児島に行くことにした。夫婦でのんびりと行く予定だったが、子供が心配して一緒に行ってくれる事になった。

 

 

 

2021.11.06(土)

 

0:05 出発であるが、昼間駆けるのは遠いので着くのは夜になってしまう。従って深夜に走ることにした。コロナもおさまったので、運良く高速道路の休日割引が3日から再開していた。

 

4:52 古賀SA 休憩、小振りな竹輪を買って食べたが肉厚で意外と上手くて印象に残った。

 

7:58 諫早経由で高速道路とはお別れ、雲仙の周りを有明海に沿っていった。比較的広い道路で安心した。 -----参考(普賢岳の高さは1483mであり10~15㎞の幅で20の山からなり雲仙普賢岳の名称と混同されて用いられる。) とある。

 

9:22 最初の目的は島原城である。三方を掘りの一部が残っていた。高さ10m位で城内に入ると立派なお城が目に入る。城の入口まで車が入るので助かった。島原の乱の時は一揆軍が占拠した場所である。主戦場は原城であるが城跡もないので今回は行かなかった。

 

展示品はキリシタンのものが大半であった。マリア観音像、十字架、キリシタン鋏、渾天儀(天文観測機)、人体解剖図、キリシタン武将の刀に付けるキリシタン鍔等、火縄銃もあった。定番の鎧兜(甲冑)、大きな島原の乱の絵図も印象であった。

 

建物は復元であり階段もRC造なので5階建てなのは仕方ないとしてもコンクリートの上に板を貼るとか工夫が欲しいところである。最上階は見晴らしが良くて気持ちがいい

 

 

島原城

 

 

 

-------資料:独立式層塔型5重5階(1964年RC造復興)廃城は明治3年(1871年)遺構  石垣、堀  指定文化財は長崎県指定史跡である。

 

島原の乱と言えば福山藩主の水野勝成が75歳を迎えた寛永15(1638)年、島原の乱が起こり、鎮圧のため、幕府は勝成に出陣を要請。幕府上使を除き九州の大名以外で唯一、勝成に出陣の沙汰が出されたのは、老齢にもかかわらず勝成の抜群の戦歴が評価されてのことといわれている。総勢6000人の軍勢で臨んだとある。

 

この時、勝成は大転輪丸という御座船で島原に出征した。大転輪丸は勝成が福山築城の後に造らせた二十一反帆五十挺立の巨船で、大きすぎ入川の船入りに繋ぐことができず、田尻高島の地に新たな船入りを設け座床としていた。

大転輪丸は島原の乱の後も歴代藩主が参勤交代の際に船便として使用した。

 

10:36 帰り際もう一度、反対から写真を撮って出発した。

 

12:23 諌早から長崎までは山が多く高速道路が便利である。 長崎の中心部からの分岐点が分かりにくい。2度通ったが2度とも間違えている。

おかげで一部ではあるが、長崎の街の全容が見えた気がした。とにかく山が多いので道は急斜面で、曲がっている。坂道の両側には急斜面に沿って家が建っている。50m~100mの高さはあると思えた。平地は中心部だけなのか。

 

12:42 中心部に着いた、長崎.中華街にて食事をとった。皿うどんと蟹しゅうまいを食べた。皿うどんが、異様に甘い、しゅうまいは美味しかった。中華街は人がすくない、店も客が少ない。食事が済むと、さすかに寝ないで運転した運転手はダウンで、車に戻って寝る体制に、…

 

13:29 中華街をあとにして近いからと言って出島の方面に歩いて行くことにした。

 

14:11 出島入口を探すまで40分歩いたことになる。出島は50mx250mの大きさと見た。とぼとぼ歩いていると結構時間がかかる。中に入ると出島のミニチュアがおいてあった。1/15の大きさだ。プロテスタントの神学校、社交クラブ、他は貿易関係の建物は多くあった。

 

15:11 流石に歩き過ぎの感あり、疲れ気味で異国情緒溢れる街をあとにすることに。出島の入口周辺で出店が並んで騒がしく賑わっていた。

 

15:42 諌早のホテルにチェックインしたが、あまり寝てないのでしばらく仮眠する。

 

18:10~18:50 諫早市真崎町「たがわ」で食事。長崎では観光と言っても余り見てないので引き返すことにした。

 

20:00 長崎めがね橋に到着、川岸からライトアップがあり自動シャッターで3人の記念撮影をする。ひと通りは少ないが夜の長崎もよかった。

 

20:32 平和公園は高台にあった。ライトアップはしてあったが夜なので寂しい所であると感じた。

 

8月6日には広島、8月9日にはここで原爆を落とされた事は、悲惨な事と感じられずにはいられない。

11:00 就寝 

 

 

 

2日目 2021.11.07(日)

 

6:30 起床、 朝一番にフェリーの状況を確かめてみた。時刻表は見ていたが、予約制であることを知ったのはその時だった。前日でないと予約出来ないと知って慌てた。港までは1時間はかかる。担当の人は今の時点では乗れるかどうか確約は出来ないという。心持てない返事にフェリーはやめて急遽、陸路に変えた。

 

8:00 ホテル出発 有明海のまわりを進むらしく、山道を上っていった。時間的に変わらないと言うのでしばらく一般道を行くらしい。高速道路を通らないので妻は気にいらない様子である。ナビによるとそう悪くない。運転手に権限があるが私もそれでいいと思った。

 

12:37 宮原SA  長時間の車で足腰を伸ばす。

 

12:59  桜島SA

 

13:30 いよいよ到着だ。坂を上って着いたところが待ち合わせの城山観光ホテルである。 駐車場に車を止めて着いた事を電話する。玄関先でOさんが出迎えてくれていた。見慣れた顔がそこにあった。卒業してから初めての対面である。感動である。私の方は体重も3割増え様変わりである。一瞬では分からないと思った。

 

奥さんにも会えてよかった。Oさんは相変わらずの男前で仕事も楽しそうで何よりでした。

テーブルについても絶える事がない話がいっぱいあって楽しい時間を共有出来てよかったと思った。当時の事を思い出しながらお喋りするのもいいものであると今更ながら感じていた。

 

15:00  トンネルを抜けて着いた所に広場があった。城山公園である。駐車場がありおみやげ店があり観光地の雰囲気がある。‥ バス停もあり観光地そのものである。 少し上がると展望台がある。人は多くはなかったが眺めのいい場所に行くのは少し待つくらいだった。

 

眼下は鹿児島の街が広がっている。正面は桜島が見える絶好の場所だった。ガイドの人があれこれと教えてくれる。親切の人ばかりである。今日の桜島はきれいでこんな日は珍しいと教えてもらった。天気もよくて景色がいいので写真もいい感じがする。記念の写真を撮ってもらったがあいにく日陰ですこし暗かったがいい思い出になった。

 

 

桜島(城山より)

 

 

 

15:25 Oさん夫妻とは一旦分かれる。

 

15:35 中央公園駐車場に行った。そのはす向かいに高い位置に西郷さんの銅像がある。信号を渡って上見使いに写真を撮る。自身の写真も撮ってもらう。しばらく行くと美術館があり、隣に黎明館がある。

その前の歩道にお城の石積の現物の見本があり面白いと思った。しかし知らない人は興味をそそるかどうか? 大部分の人は通り過ぎて行くだろうと思う。

黎明館に行ったが、建物には入らない、篤姫の銅像を見たのと、立派な門を見たくらいで、余りにも広いので足の負担が多くなり断念し、とりあえずホテルに向かって荷物の整理と休憩をすることにした。

 

17:21 JR北九州ホテル鹿児島チェックイン。 ホテルは駅ビルのアミュプラザにあり駐車場の入り口がどこにあるのか分からない。駐車場の中に広くて置いた所がわからない‥、車が多くてややこしい所に宿をとるのは失敗だった。しかし部屋は広くて快適だった。

 

18:20 再び城山ホテルに。 席は用意してあり、お食事をごちそうになった。奥様の心遣いに感謝である。引き続き仕事の事、昔のことなど話に花が咲いた。Oさんは穏やかな生活を楽しんでいるように感じた。

 

私は仕事そんなにはしてないが、もっと仕事の話も聞きたかった。あっというまに時間がすぎていってしまった。今度会う機会があればその時まで置いてまた話をしたいと思う。 それから高価なお土産をいっぱい頂きお礼の言葉も足らずに帰ってしまった。

 

23:20   就寝

 

 

 

3日目 2021.11.8(月)

 

8:45 チェックアウト。 一路熊本に、ドライブも 3 日目となると慣れてくる。そう言っても 目的地はあと一つになった。 

 

9:33 昨日聞いていた O さんのグループの建物が見えた。建物が大きいのでピント合わせがゆ っくり出来てバッチリ、カメラに収まった

 

11.40 熊本城到着、桜の馬場、城採苑。案内所のところで商店街にあって催しとして刀舞をやっていた。

天守閣までの道のりは板張りの床手すりで囲ってありコースは決まっている。修学旅行の小学生もいた、ガイドの話を聞いて石垣の作り方など参考になった。小雨があったが途中エレベーターもあり何とか本丸までたどり着いた。

 

12.40 着いたら手すりはなくオープンだった。記念に近くの人に頼んで写真を撮ってもらった。天守閣にはエレベーターがあることが後から分かったが、天守閣にはあがらなかった。いつもそうだが城はともかく広くて歩くのは疲れる。城を見て回るのが好きだから始末が悪い。

売店まえに来場記念の写真撮影の場所があって2度目の写真を撮った。その横に西南戦争の時の火災で焼けた瓦、壁の解けた塊が展示してあった。

 

熊本城

 

 

--------(解説) 熊本城の石垣は、通称で武者返し(むしゃがえし)と呼ばれています。石垣は熊本城の特徴のひとつです。下はゆるやかで、簡単に登れるように見えますが、上に向えば向かうほど反り返りが激しくなり、登ることができません。武士はもちろん、身軽な忍者でさえも、登れないことから武者返しと呼ばれています。

 

13.08 二の丸に駐車場があると聞いて車を移動してもらって。売店で休憩する。新しいお城に行くと名城100選という本にスタンプを押すことにしている。それが二の丸にあると聞いてここに来たわけである。記念に「くまもん」のボールペンを買った。孫にも「くまもん」の靴下を買った。

 

13:38 熊本と言えばからし蓮根だ。 修学旅行で何も知らずに一気に食べて辛かった事を思いだす。涙ぽろぽろ …わざわざ製造元まで行って買った。おみやげに買って帰ることにした。 熊本市 元祖森からし蓮根(有)

 

--------三百五十年ほど前、肥後細川家初代忠利公は、日頃から体が病弱でお困りでした。羅漢寺玄宅和尚は 蓮根に造血効能があることを和漢の書で知り、麦味噌に和辛子粉を混ぜたものを蓮根の穴に詰め、麦粉、そら豆粉、玉子の黄身を混ぜ合わせた衣をつけて油で揚げ、逸品を完成させました。

 

 

 

14:27  最後に遠回りになるが気になる菊陽町のホテルを見て帰った。このホテルに泊まる予定だったが、予約がいっぱいで取れなかった。建設前は他の建物はなかったが建物が増えていた。実はこのホテルは昔、私が関わったもので構造設計をやっている、熊本空港の近くで、菊陽町は近年TSMCの誘致で話題を集めている。

 

 

 

 

14:34  帰路へ

 

15:38 広川 SA 下関~徳山辺りで 大雨で渋滞発生、50キロ規制。激しい雨で前が見えないほどであったが無事に帰還出来てよかった。

 

21:00  到着

 

 

少し前になるがUPしてみた

 

2021.4.11

 

岡山県矢掛町の道の駅 「山陽道やかげ宿」 が、3月28日にオープンした。

早速行って見た。

 




2階建で 一階は町内の観光スポットなどを紹介するスペース、2階は子どもが遊べるキッズルームを設けているだけであとは何もなし(道の駅でなくて案内所か??驚いた)

駐車場も39台だけ、バスは数台のみ。… 道の駅として駐車場はもう少しは欲しい。 当初は止めるのに長時間待たされた。

 

一般的な道の駅と違って、隣接する矢掛商店街に人を誘導するため、飲食や物産のコーナーを設けていないのが特徴だ‥と書いてあった。 自販機があったのが何よりも救いだ。  

 

風情漂う商店街とはいえ街の雰囲気として、集客はしても分散して帰ってしまいそう。

感想を言えば開放感のない商店街の整備が先であるべきと思った。店の入口はほとんど戸がしまっている。 道路から商品が見えないし戸を開けて入って見ないで興味を注ぐ訳もないと思う。

 

全国で1180番目の駅…販売する物がない道の駅は全国で初めてだそうな。

山陽道の本陣がある宿場町とはいえ、賛否は分れそうな気がした。

… 総事業費 13.5億円 町にとっては大事業である。

 

矢掛町の本陣、脇本陣の両方が重要文化財に指定されているのは全国で唯一矢掛町のみである。

文献によれば、かつては諸大名に人気の宿場とされていたらしい。

13代将軍の妻、篤姫が宿泊したという記録もある。(売りにしている)

 

矢掛のゆべし (和菓子のゆべし) 江戸時代から名物として知られ、矢掛は山陽道の中でも大きい宿場町だったため、銘菓として 参勤交代の大名達にも好まれ、同地に宿泊した天璋院(篤姫)も好み大量に食したとある。

 

 

 

かねてより待望の新しい車の納車があり、古い車の保険の手続きに行った。これは息子の話であるが、試運転を兼ねて同乗することにした。

 

2時を回っていたが遠いけど先日行く予定だった夢二の生家を目指すことした。また出発が遅いので岡山の美術館のでもいいと思っていが、国道は混んでいて間に合うどうか心配であった。しかし意外にも早く4時過ぎには着いた。

 

閉館までは時間がある。この前に行った時は建物には入らず周囲をみて回ってだけであり売店で買った布状の絵え画を壁に飾ってある位である

 

生家は全ての部屋が展示場になっていた。稼業は酒造であり大きな藁葺きの家である。中にはいると平屋とは言え部屋の数も多くて、展示は全ての壁面に展示されている。

 

夢二の部屋は4畳半の部屋であった、裸電球で雰囲気が出ている。有名な話で、嫁に行った姉をしのぶ有名な鏡文字がうすく残っていた。プラスチックの板で保護されていた。

 

もとは倉庫であった奥にある2つの部屋は撮影禁止であったがそれ以外が撮ってもいいと言われ数枚の写真をとった。別棟の納屋が事務所になっており喫茶コーナーがあり、展示もあり、作品を買うことが出きる。 値段は安くはないが、手頃である。

 

コロナ禍とは言え客はほとんどいない。 我々と一組である。一時は竹下夢二も人気もあったが、今となっては、過去の人になったのか? とは言っても駐車場にはバスのスペースは2台確保されている。入場料600円は高くはない。

 

とは言え企画展がはじまっていた。夢二生家記念館、少年山荘企画展である。少年山荘とは夢二が設計したアトリエ兼住宅を大正13年に東京世田谷に建てられたものを息子の不二彦氏が昭和54年に生家に再現した物である。 7室を展示室としていた。

 


夢二生家記念館、少年山荘

 

 

2階は夢二が好きだった猫、黒の助の展示である。猫の絵も美人画と並んだテーマの一つ思える位である。岡山の本館美術館の入り口にも猫が出迎えくれている。 5時に閉館なり最後に少年山荘の写真を撮ったが木が茂って全体が見えないが洋館風で洒落た建物だった。当美術館には3000点の収蔵があると聞いて驚きである。

 

せっかく来たのでもう一か所ということで、日本のエーゲ海と言われる牛窓方面に行くことにした。途中に橋の景色が綺麗で絵に描いた様で素晴らしい所があった、海も山も有り夕陽も赤くそまって感動の一瞬だった。

やがて山から降りて道の駅ではなく海の駅に着いた。海産物がいっぱいあり、スーパーも一緒になっていた。大型スーパーといってのいい位だった。遅いので品物は少なくなっていたが客は比較的多かった。

 

日は沈むところであり夕陽がきれいである。2時間かけて帰りやっと食事にありつけた頃は9時をまわっていた。

 

9.15 出発する。

 

この時にはコースは未定である。いつも通り朝決めて今日はどこに行こうと考えていた、が …  気になっていたことがあってオリンピックを開催された代々木の新国立競技場の設計者のことである。

隈研吾その人である。岡山県であるが鳥取寄りの蒜山(ひるぜん)というに変わった建物を知っていたからである。その蒜山に行くことにした。

 

遠いから高速道路で行けばいいものをドライブがてらのんびり行けばいいと思ったのが誤りだった。古いナビをセットしてみたがこれが信用できない。山道はすれ違いができない細い道でも推薦されてしまう。方向だけは参考としてみた。 距離を比べてみたが、山道のこと山越は免れない。近いと言っても不安内である。山中をさ迷いあちこち回って蒜山に着いたのは1時過ぎ、4時間がかかっていた。

 

道の駅「風の家」で先ずは食事であるが、まよわず定番の 「 ひるぜん焼きそば 」である。

蒜山焼きそばは2011年B-1グランプリで優勝した事で全国的に有名になった。いまだにその人気は衰えていない。具は高原のキャベツとかしわの廃肉らしい。だしはジンギスカンと味噌だれ使っていて美味しい。もじって早い時間で朝だと「あさぜん焼きそば」がある。ひるぜん焼きそばに目玉焼きを載せてある。値段が同じで640 円であった。

 

蒜山ではジャージ牛が有名である。乳牛としてはホルスタインで有名だがジャージ牛は小さいが牛乳は美味しい。原産はジャージのジャージ島であり、イギリスの王室御用達であり濃厚なミルクを出るように改良されている。日本では蒜山が一番多く飼育している。高原の気候に合っていると思う。

 

目的の建物であるがひるぜん高原センターの前にある。ジョイフルパークの本館は子供ずれで遊ぶことが出きる。観覧車をはじめゼットコースター等楽しめる場所である。

 

道をはさんで、隈研吾展がある。真庭市蒜山ミュージアムがたっていた。高さは12.~13mはありそうで構造といえば、柱は20㎝のH型鋼で組立であり、梁にあたるのは2~3㎝の板(合板)である。 外観は木で覆われた風に見える。彼の作品は木を題材にした建物が殆どであり、瀬戸内海の島々にも作品は多い。

展示場では作品が数多く紹介さていて、全部木で出来ている。あるいは鉄骨であるが木でカモフラージュした物で木にこだわっている。新国立競技場もしかりである。実用的でない代わりに気持ちを柔らかげてくれる。多くの建物の模型がおいていた、また図面もおいてあった。設計料が気になるところである。

 

展示場は変わった建物で軒は板を横に重ねて厚みを出している。

貸自転車のトレックのマウンテンバイクを見たところ10台程度置いてある。起伏の激しい所なのでマウンテンバイクはタイヤが太くて乗り心地がいい。安くても十数万の自転車は乗ってみたいものだ。この建物も放物線状には壁だけと屋根だけのたてものであった。隈研吾の作風が分った気がして来た。

 

買った物はミルクのお菓子、新そばだけである。

帰りにはアクシデント発生で、途中で分かったのであるが、予定の道が通行止めになっていた。

倒木で復旧してない。やむなく違う道を帰って来ることに。帰りは順調で3時間で着いた。

往復を除き現地に居たのは2時間であった。

 

 

 

1年ぶりの仕事も大詰めであったが仕上げのめどがついたので一日休みとした。

 

コロナ禍という訳でもないが外に出ない日が続いて運動不足になり、どこか出かけようとしたのが午後1時すぎ、この前にいった竹下夢二の生家をもう一度行って見ようという事になった。

出るのが遅いので、 岡山辺りでもう3時であり交通渋滞でもないがなかなか着きそうもない。このままでは、4時までかかってしまう。急遽、行先を変える事に・・

 

岡山から倉敷に向けて行った。予定が大きく変わってしまった。結局4時過ぎに市営の地下駐車場へ着いた。 大通りを渡ってすぐに大原美術館がある。路地を通り美観地区にはいると美術館の入り口があったが、あいにくコロナで9月30日まで休館となっていた。庭は広く散策のできるし、木陰でゆっくりと出来るのでお気に入りの場所である。 しかも売店もしまっていた。

仕方なく川沿いの道に出ると賑わいが目にはいった。連休もあって相変らず人が多い。

川には白鳥も浮かんで優雅な気分にもなる。

 

車が長かったので少し休もうと喫茶店に入って休憩した。

アイスコーヒー660円 今では普通の値段か? このお店も時間制限で5時までで閉店になる。少し遅いと間には会わないところだった。 早くウイルスの心配を無くして欲しい限りである。

喫茶エル・グレコ は入口の白い戸だけあり、ツタに覆われた建物で大正時代の洋館らしい。

お店の中はよく言えばレトロ風の雰囲気のある落ちついた場所である。空気が読めない人では殺風景な部屋と思うであろう。カウンターはレンガで出来ており、あくまでもこだわっていた。

評判は隠れた人気店らしい。

 

大原美術館ではエル・グレコの作品が多くて有名である。

川のはす向かいは大原美術館の旧大原家の跡が記念館としてあった。ここも時間が遅いので入れなかった。国の重要文化財に指定されていた。入場料が大人500円なので今度は観てみようと思う。

 

お土産のお店が並んで立っている。店先のコロッケ売り場では揚げたての物を待って店先で頂いた。 チーズ入いりの人気のコロッケがあるが売れきれで、ここも閉店の準備である。

お土産店を2、3軒まわって、見たが目にとまる物はちょっと高めで、興味が引くものはあったが結局、孫に昔風な金平糖と飴を買って帰ることにした。

 

倉敷は何度も来ているが、美観地区だけあって昔風でもお洒落なお店が多くて魅力的な街でした。

 

 

   喫茶 グレコ

 

 

 

 

竹下夢二の生家は岡山県の田園地帯にあるが、偶然見つけ2年前に行っている。今回は岡山市の美術館に行った話である。

後楽園の前に夢二の美術館があるのは知っていたが やっと、行って見ることにした。出発は10時過ぎで一般道から国道2号線バイパスにと片道2時間の行程である。

 

美術館の敷地内にバスの停留所があり、夢二の好きな黒猫の絵も同時に描かれていた。駐車場は意外に広く10台は楽に入る大きさであった。

 

夢二郷土美術館 (案内書より)

 

 

美術館の玄関脇には詩が石に刻まれて書かれてあるが達筆な字は読めない、右側には黒猫が蝶ネクタイをして出迎えている。入場料は800円で岡山県人なら割引きがあるらしい。

展示室は6部屋あり最初はビデオの部屋である。岡山生まれの歴史家、磯田道史の解説もあり興味深いものであった。夢二は明治19年に生まれ、昭和9年、49歳に亡くなっている。代々酒造業を営む家に次男として生まれる。 夢二はマンドリンを片手に持った明治、大正時代の都会風の青年であった。裕福そうな感じがあった。

展示は美人画、版画、詩、童画、油絵、書、デザイン等、多岐にわたり展示してあった。ゆっくり見て回った。目を引く物はやはり美人画だろう。

 

一通り見て回った。裏口にレストランに続く通路があり、平屋のガラス張りの建物で昼食はビーフカレーにした。簡単なセットでありコーヒーは美味かった。(¥1870)結構な値段である。

10席ほど店内には、所狭しと夢二の作品が飾ってある。値段が付いてあるのはA4版で10万円程であった。

 

レストランの中には販売コーナーがある。美人画、黒猫(夢二のねこ、黒の助)が多く他にもいっぱいあったが、ポストカード3枚を含めて6点の買い物をした。(¥3036)

どこにも寄らずに帰宅したのは5時になっていた。