2021. 3.20~3.21 京都

6.00 出発

10.10 東寺到着 五重塔は日本一の高さ、新幹線からも見えます。流石に大きい。他の五重塔より幅が大きい。仏像もいっぱいあって迫力あり。桜 木によっては五分咲き程度
◎ 東寺は真言宗の総本山、弘法大師空海の創建 823年 平安京遷都後。 

    
11.30 二条城 広いただ歩くのみ。本丸御殿は修理中二の丸御殿は長い廊下を見て周り、ウグイス張りの床板も体験、 大政奉還の場所も確認松の庭は圧巻で綺麗でした、砂利の風情は良かったけど、歩くには大変。
◎ 徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と宿泊ためのお城。

 

13.25 吉川 天ぷらのフルコース、京都故に量は少なめで美味しいと上品なお食事を頂きました。

 

14.45 京都御所 二条城より数倍広い。建物の入れない。決まった期間でないと無理ここも庭が綺麗でゆっくり出来ればいいと思う。流石に足が十分でないので電動車椅子を借りて快適な見学が出来よかった。 二条城も御所も建物が綺麗で特に金具が金ぴかで印象に残った。
◎ 大政奉還、明治維新まで天皇の住まい。500年の歴史がある。

 

16.30 銀閣寺 参道には店舗もありお寺の雰囲気もあり期待出来そうだ。入って
すぐに建物があり引き返して銀閣寺を見る感じ。山が綺麗で地味な銀閣が溶け込んで、京都は綺麗な所と実感できた。
◎銀閣寺は金閣寺と同じ臨済宗に属する。1482年室町幕府8代将軍足利義正の造営。 金閣寺は3代将軍足利義満の創建になる

 

 

 

19.00 アパホテル。着 チェックイン

20.00 花見小路で食事。

21.00 初日終了

 

二日目

6.30 起床

7.00 地下でバイキングの軽い食事をする。パン1 サラダ 他少々

8.18 雨の八坂神社の20段ほどの階段を‥ 道路からいきなり階段があり参道も何もない。立派な赤い門があった。 境内に上がって写真を2.3枚撮って早々に退散。
◎ 斉明天皇 神衹官達により八坂神社と改称するまで、祇園社と称していた。
素戔嗚尊を奉斎したこと始まるという。諸説あり。。

 

9.47 八坂神社の裏手に円山公園があり、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像がある。雨の中、写真を撮ってきた。公園の中には木もあり、しだれ桜は満開であった。
後から分かったことだが円山公園には「祇園の夜桜」という有名な桜があるそうな。

 

 

 

 

10.25 龍馬つながりで伏見、寺田屋に行くことになった。6mの道幅で、閑静とは言えないが落ち着いた場所にあった。事件は伏見奉行が龍馬捕縛の準備を進めていたところ襲撃にあった。龍馬は両手指を斬られ療養に..これは日本の最初の新婚旅行とされている。

 

 

1.10 近江屋 龍馬最後の地 『坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地』石碑(京都市・河原町)12m道路に面したかっぱ寿司京のとんぼ店になって… 記念碑,しっかり写真に収めた。

 

11.12~13.59 移動~錦市場 狭い通路いっぱいに並んでいるお店なんと117店舗、人が多かった気がするが、普段はもう少し多いのかな? 魚屋20、加工食品の20,菓子屋13.飲食13、京漬物6、多様なお店並んでいた。 結局、お土産は京の漬物になったようである。

 

14.00 平等院鳳凰堂 帰路の時間を考えると最後は一か所になった。宇治はお茶の産地らしく茶畑もちらほら見えた。平等院について最初目にとまったのはよく手入れされた高い木の塀である。どこもそうであるが砂利じきの敷地は特に歩きにくい。車椅子で押すのも大変そうである。”感謝” 雨も小降りになり写真も順調に撮れた。十円玉は見て知っていたが、現物を見ると大げさだが感無量のものもある。1万円にある鳳凰も写真にとった。同形の鳳凰の展示してある。池はあり落ち着いた建物である。藤の花が有名だが咲く時期でないため見ることができない。残念。
◎ 平等院は1052年藤原頼道によって創建。浄土宗とみられる。

 

 

平等院鳳凰堂

 

14.30 帰路へ 途中宝塚のパーキングにより遅い食事。 大きいパーキングでしばらくゆっくりして帰った。

20.00 帰

山陰の旅行   


2021.07.06-07

松江方面は豪雨の大災害の日でした。 
出雲文化伝承館は 明治29年築である。
門の前に外堀状の池に鯉がいっぱいいて橋を渡って長屋門を通り出雲屋敷に入ると、         
出雲の豪農の屋敷、庭園が立派でくつろげ出雲流の庭園を満喫できる。
 
松籟亭は伝承館オリジナルな生菓子と抹茶を楽しむ事ができる。有料で500円だった。
数寄屋造りの質素な建物で落ちついた雰囲気でゆっくりと味わう事が出来る場所であった。
こういう場所で抹茶を頂くのは滅多にないのでしっかり味わって帰った。
予想に反し甘く感じた。
 
独楽庵は千利休が建てた茶室で松江藩主が伝えた全国でも稀有とされている。
古い建物で外観を見る事しか出来ない。再建とはいえ貴重なものである。
茶室とは幅も高さも小さいことが実感できた。
故人はこの茶室でどんな話をしていたのでしょうか?

 

 

 

 


 


出雲は風が強いので、海側2辺には背の高い松の暴風林があった、
そばが有名で、献上そば羽根屋が一角を占めていたが休みであり食べられない、残念だった。
羽根屋の支店は多くあり、本店には数回行った事があるが割子の天ぷらそばが絶品である。
 
帰り際に、鯉の餌を無人の100円で買い、雨の中濡れながら餌やりで夢中になっていた。

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山陰旅行の2日目

出雲大社

出雲大社に行く途中で出雲ドームが見えてきた。出雲ドームいえば、完成間際に鹿島建設の設計者の説明会に参加したのを思いだした。

古代の出雲大社の高さが48mという事で高さは48mとしたそうだ。 
社員3人と共に一泊した時だったが台風で停電になり一晩中暗い中で過ごした。勾玉で有名な玉造温泉での話である。
島根ワイナリーは有名でワインの試飲が出来、島根に行ったら必ず寄っている。全国の名産品もあるので好きな場所である。

出雲大社だが全国でも珍しい下りの長い松の参道であるが。小雨も降っており時間がないので近くの同系列の神社の駐車場に行った。
不敬にはなるかどうかは分らないが、鳥居を通らず本堂の横の入口から入った。 いきなり拝殿に行った。 
 

 

 



それから十九社を見て回った。十九社とは、神無月、10月に全国の神々が出雲大社に集合したと言われている、その神様が7日間の泊まる場所であった。
東西の19の扉があり滞在中は扉が開けられている。

そういう意味から「神無月」と言われるようになり、出雲では10月を「神有月」と呼ばれている。
神々の来ることは知っていたが、この度詳しい事を知る事ができた。遅く行ったので閉門の時間がきてしまった。早々に退散した。

海岸に稲佐の浜がある。ここで国譲りの話、諏訪に追放の話がある。
この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜らしい。

「みさきうみねこ街道」と言う道路があり、稲佐の浜はここにある。夕陽はちょうど沈み込こむ瞬間をみることができた。日本海は波が高くて風も強くて、数人の人がサーフィンを楽しんでいた。

この浜の砂を持って出雲神社の本堂の裏に素鵞社の下に箱がある。その中に砂を入れる。同じ量を持って帰ると素鵞社で清められた砂は、撒くと土地を清めるといわれています。


--------------- ここから先は自身の勉強の資料 ------

縁結びの神様(説明書より)
大国主大神とスセリヒメ神が出雲大社にお鎮まりになられた由緒を紹介する「縁結びの碑」があります。二柱の神は様々な試練を克服して愛を育み、夫婦の契りの盃を交わして永遠のご縁を結ばれました。
「縁結びの神様」と呼ばれる由縁はここにあります。


出雲の伝説。大黒さんの話 (勉強不足につき‥)
日本書紀は異国向けに書かれたもので正史とされている。 古事記は国内向けであり多少違っている。 

古事記によれば
最初 5組の神々が登場する。次にイザナミとイザナキの登場となる。
その子が「アマテラス」は、天皇の祖先となる。
他の子の「スサノヲ」がいる。
その 「スサノヲ」の6代目に(大国主命神)がいる。

「おおくにぬしのかみ」はたくさんの兄弟(八十神)がいた。
ある時。兄弟たちが 「ヤガミヒメ」に求婚するために向かっていた。
末っ子の「おおくにぬしのかみ」はのけ者にされ大きな袋を背負わされていた。
 
このとき 因幡の白兎の話しが出てくる。
ワニに毛皮を剥がされた兎は助けてもらい、やさしいあなたが「ヤガミヒメ」にふさわしいといった。

(八十神)たちは「ヤガミヒメ」の求婚を断られたため「おおくにぬしのかみ」を殺そうとたくらんでいた。。
‥「おおくにぬしのかみ」は殺されたが彼の母神が蘇生させた。
結局「おおくにぬしのかみ」と「ヤガミヒメ」は結ばれた。

所かわって、根の国:(八十神)から逃れた「おおくにぬしのかみ」は 「スサノヲ」の所に向かう。そこで会った娘の「スセリヒメ」とすぐに心を交わせた。
父である「スサノヲ」が厳しい試練を与えた。
試練とは、蛇。ムカデ。火。シラミ。‥ これらのいっぱいいる中に閉じこめる‥ 

これに耐えて合格して、結婚を許された。そして国造りをはじめた。
正妻「スセリヒメ」の結婚まえに。…‥ 「ヤガミヒメ」。「ヌナカハヒメ」。等々の恋愛譚を残しています。

出雲大社は「おおくにぬしのかみ」 大国さんを国造りの神として祭ってある。