奈良旅行  2022.02.11(金)

 

前日の午後8時に奈良に行く事に決定した。 行き先は未定であるが、行く道中に決める事にした。 奈良は蔓延防止が解除されているのでひとまず安心。

 

8:30 出発: 山陽高速を通り途中通行止めがあるので京都経由で一路奈良まで。

 

12:08 奈良に到着: 脇道から奈良公園のほうを目指し街並みを眺めながらひたすら歩く、少々足がだるい。

 

12:48 東大寺: いきなり大仏殿に着いた。足が弱いので車椅子を借りた。階段の手摺があれば大丈夫だけれど、あえてお願いした。車椅子用の通路(廻廊)を通るよう言われたのでそうした。普段通られない場所で回廊の内部まで見て、斜めから写真を取ることもできた。親切な従業員さんに写真を撮ってもらった。廊下の端には屋根の両端の「しび」のレプリカが置いてある。見られてラッキーである。

 

12:56 大仏: 見に行ったのは4回目だが、相変わらずであった。変わったと言えば実物大の鼻の穴の「くぐり抜け」が出来なくなっていた位である。コロナのせいで柱が木でふさがれていた。元より不可能であるが、‥

 

13:20 南大門: 逆回りであるが南大門を出た。参道には土産物店も数が多くあり、土産に奈良漬を買った。だんご屋がありベンチで座って食べた。 鹿が多く寄って来るが餌をやっている人は少ない。殆ど鹿は座ってのんびりしていた。

 

13:51 昼食: 遅い食事で空腹で駄々をこねる人が約一名いた。早速食堂に駆け込んだ。自分は体調がよくないので天ぷらそばにした。細目の麺で白い蕎麦であったが意外と美味しかった。

 

14:31~14.40 春日大社境内通過: 草原の様な風景で穏やかである。

 

15:00 平城京跡地、遣唐使の船: 広大な広間があった。遥かかなたに立派な門がある。その向こうに宮殿があったと思う。道路沿いには遣唐使船が見えた。長さは40mあるそうだ。一瞬だが立派な船に見えた。

 

15:17 唐招提寺: 駐車場が前にあるので助かった。門を入ると正面に金堂がある。階段を上がらず、裏手から回ってはいる。大きな仏像で圧倒される、また千手観音像も繊細であった。参拝客も少ないので、丁寧に教えてもらいあちこち行くといいよとか言われてうろうろした。

 

15:54 鑑真さんの墓: 奥手に墓があるが、中庭に細い木が間を空けて立っている。その下には苔が一面に生えている。薄緑の色で魅惑的である。光線で輝きが違って見える。思わず無意識にシャッターに手を添えていた。小さな池があり細い石橋がある。その向こうに祭壇があり高い石段の上に鑑真さんの墓がある。閉門が四時半と聞いていたので急いで戻った。塀に特徴はあり、土塀であるが補強に瓦を用いている。

駐車場では早めに清算したらしく出口に向かったが駐車券がない。 車を引きかえすと駐車券がそこに取らずにあった。こんな事はよくある話だが、後から思い出していた。

 

16:14~16.30  郡山城跡: 帰路に向かうはずが、最後に法隆寺にも寄る事にした。途中に郡山跡の看板が目についた。城と言えば条件反射的に反応する。写真を撮って素通りした。

 

17:14 法隆寺: 遅くなったが法隆寺に行って見たが、5時過ぎたので、みやげ店が開いていたので、お土産を買って帰る事にした。帰りには大阪城を見た、ライトアップされていた。六甲山のライトアップの綺麗でいつまでも見えていた。

 

21:15 帰宅

 

 

-------- 奈良旅行記、資料 -------

東大寺  聖武天皇 743年 創建 (752年)大仏開眼

     鑑真は東大寺に5年住んでいた。

◎唐招提寺  759年 戒律の専修道場 創建   

     鑑真(唐から) 688年~763年

     

聖武天皇の時代 第9次遣唐使 732年 580名の文化的、宗教的の派遣があった。

( 参考:遣唐使が15回行われた。)

仏教が伝来180年であり仏教においても混沌としており何も決まっておらず唐から吸収しなくてはならなかった。

当時40余り寺があったが、経典も少なく日本では戒律(修行者の生活規律)が備わっていなかった。

 

当時の仏教の中心地は唐であった。まず唐より優れた戒師を迎えて、正式な授戒制度を布くことが必要とされ、 今度の遣唐使派遣に、二人の青年僧を派遣することになった。

 

青年僧は鑑真に巡り合い、唐から鑑真一行は5度目の渡航の失敗を重ね、6度目に日本に向かった。20年後の第10次遣唐使に乗って、鑑真は来日した時には旅の途中で失明していた。奈良では大仏殿の西に鑑真は戒壇院を築き、授戒をもって仏教入門の正儀となった。

 

天武天皇亡き後、孝謙天皇は「唐招提寺」勅額を掛けた。 天皇は、出家たる者はまず「唐招提寺」にはいって律学を学び、のち自宗を選ぶべしと申した。 寺には学徒が集まり講律授戒が盛んになった。 

 

(感想) 授戒は仏教史の基本と言えると思う。難破したり当時の航海の大変さがわかった。