「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将と姫の墓めぐり、柳生宗章の墓の紹介です。
人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
---|---|---|
柳生宗章 | 飯山城 山麓 | 鳥取県米子市久米町 |
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柳生宗章の墓は飯山城 山麓にあります。
発見難易度★★★★☆
※墓への入り口がなかなか分からなかったです。
駐車場はありません。
発見難易度★★★★☆
※墓への入り口がなかなか分からなかったです。
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
柳生石舟斎の子・柳生宗章
柳生(五郎右衛門)宗章【やぎゅう(ごろうえもん)むねあき】は、柳生(石舟斎)宗厳【やぎゅう(せきしゅうさい)むねとし】の四男です。
二代将軍・徳川秀忠の剣術指南役・柳生宗矩の兄に当たります。
諸国行脚の武者修行の末に小早川秀秋(こばやかわひであき)に仕え、関ヶ原の戦いでは秀秋の警護にあたりました。
横田村詮に請われ米子藩の客将に
関ヶ原の戦いの後、小早川家が改易されると、中村一忠の家老・横田村詮(よこたむらあき)に乞われ、米子藩の客将として迎えられます。
しかし、慶長8年(1603年)、まだ若い藩主一忠は、近習の諫言に惑わされ、家老で後見役でもあった叔父の横田村詮(むらあき)を城中にて誅殺してしまいました。
飯山城にて斬り死に
その報を受けた村詮の子・横田主馬助は、一族や家臣らとともに米子城に隣接する飯山城に籠もりました。
村詮に恩義のある宗章もそれに加わり、籠城戦が繰り広げられます。
一忠は隣国の堀尾吉晴に助勢を求め、中村・堀尾連合軍が城を囲みました。
宗章は十文字槍を手に、中村配下・矢野助之進らと渡り合い、多くを斬った後に討ち死にしました。
柳生宗章らが籠った飯山城(左)と米子城(右)。
墓へは左の石段を登ります。分かりづらかったです。
柳生宗章の墓全景。祠などと一緒に祀られています。
柳生宗章の墓。宝篋印塔であったと思われます。
しめ縄が巻かれていました。
横から。
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