「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、徳川秀忠、お江の墓の紹介です。
人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
---|---|---|
徳川秀忠、お江 | 芝増上寺 | 東京都港区芝公園4丁目7−35 |
発見難易度★★☆☆☆
墓は本堂裏手のあります。
徳川将軍家墓所拝観冥加料 500円
定休日 火曜
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
三男・秀忠が徳川家を継ぐ
徳川秀忠は徳川家康の三男です。
しかし、長兄・信康は織田信長の命により切腹、次男・秀康は結城家を継いだため、秀忠が徳川家を継ぐこととなります。
ちなみに、秀忠の“秀”の字は豊臣秀吉の偏諱を受け、“秀”の字を賜ったものです。
秀忠、征夷大将軍に
慶長10年(1605年)、家康は将軍職を秀忠に譲り、秀忠が2代目征夷大将軍となります。
以降、家康は大御所として駿府に、秀忠は江戸に住んで二元政治を行うこととなります。
家康の死後は江戸幕府の体制強化をし、家康と同じように隠居して 次男・家光に将軍職を譲っています。
それにより、以後代々徳川家が将軍職を世襲するという慣例を作り、徳川幕府264年の礎を築きました。
織田信長の妹・お市の娘、お江
お江は、織田信長の妹・お市と浅井長政の間に産まれました。 姉はお豊臣秀吉の側室・淀殿。
はじめ、織田一族の佐治一成(さじかずなり)に嫁ぎ、次いで豊臣秀吉の甥・豊臣秀勝に嫁ぎました。
文禄4年(1595年)、徳川秀忠に再嫁。
秀忠との間に2男5女を儲けました。
徳川将軍家墓所
増上寺の将軍家墓所には、二代・秀忠、六代・家宣、七代・家継、九代・家重、十二代・家慶、十四代・家茂のほか、5人の正室と5人の側室、子が埋葬されています。
台徳院霊廟、消失す
秀忠の死後、霊廟が建立され、その荘厳な霊廟は近年まで残り、1930年には国宝に指定されました。
しかし、その霊廟も大戦の東京大空襲で焼失。
今は惣門を残すのみです。
武将の墓めぐり TOPページへ戻る
日本全国の武将の墓を紹介しています。
※返信までに時間を要する場合、お答えできかねる場合もございます。ご了承ください。
youtubeはじめました。
甲冑を着て日本刀で食材をさばき食べます。
チャンネル登録よろしくお願いします。
![ライン宣伝07](https://stat.ameba.jp/user_images/20190225/18/siro-sengoku-bushou/ff/42/p/o0162012214362344166.png?caw=800)
喜怒哀楽を兜の前立てで表現した可愛い「武将の日々と日常なサムライスタンプ」、
かわいい「たぬきサムライのスタンプ」などなど。
気に入ったら使ってくださいね。よろしくお願いします。
スタンプはこちらから。
ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。
ご使用等に関してはこちらまでお願いします。
この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!
ズルしちゃだめですよ。
© 2010-2022 siro-sengoku-bushou.