あらゆるものには二極あるという、
積極消極の法則についてまとめてご紹介してきました。
(四)積極消極の法則
積極・消極(プラスマイナス)の二極がないと
何物も存在することは出来ない。
あらゆるものに二極があることが創造構成の基本法則である。
「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より
という記事の続きです。
「秘教真義」(M・ドーリル博士著) の、
「陰と陽の極」という箇所をご紹介しました。
両極あるのを同時に捉える様になると、
バランスの取れた状態になってきます。
普段から、何かを考えた時に、
ひっくり返してみるようにします。
何かをポジティブに捉えた時には、
ネガティブな捉え方もあるのだから、
それはどんな考えだろうと探してみる、
私の立ち位置からの考えはこうだけど、
別の人からだとどうだろうかと、想像してみる。
勿論、他の人の考えは、
実際には正確に理解することは出来ません。
例えば、自分の好きな花を、
誰かが嫌いだとして、
その理由を聞くとします。
派手だから嫌いだとしても、
その派手というのがどういうものなのか、
どの程度を派手というのか、
自分の分かる範囲で想像するだけで、
相手の伝えている派手が、
詳細に理解出来ることはありません。
感じ方は人それぞれ違いますよね。
今まで培ってきたものの上に出来上がっていくものだから、
全く同じ人生を歩んでいる人は、
一人もいないから、
違うのは当たり前です。
そもそも理解する必要などないですよね。
相手は花が嫌いなのだと受け止めて、
理由を話すなら聞けばいいし、
話さない時も、
そうなのねと尊重すればいいだけですよね。
もし、どんなにその花が素晴らしいかを説明して、
相手にその花の善さを知ってもらおうとか、
好きになってもらおうと思うとしたら、
それは傲慢であって、押し付けです。
あなたは嫌いなのね、
私は好きです、
こんな理由で好きですというのなら、
相手が聞いてくれる場合は、
話せばいいと思います。
でも伝えることによって、
相手の考えを変えようとするなら、
それは両極を捉えた状態とは言えません。
自分の好きが絶対的に善いのだという、
固定観念に囚われています。
この時、自分の固定観念に気付くきっかけが、
自分の好きな花の善さを知ってもらいたい、
好きになってもらいたい、
どうして嫌いなんだろう、
信じられない、
あの花の善さが分からないなんて、
可哀想だといった様な、
様々な感情です。
自分に湧き上った感情を観察すると、
拘りが見えてきます。
相手の嫌いを許せない自分。
何故、許せないのか。
ここでまたひっくり返してみて、
自分が嫌いなものを、
誰かに延々とどんなに素晴らしいかと、
説明されて、
あなたと対話してお互いの理解を深めたい、
と言いながら、
こちらの嫌いについては全く理解をされず、
好きこそ正義という様に、
好きになることを勧められたとしたら、
どう感じるか。
自分ならどうするか。
と想像してみます。
もし不快な気分になったり、
絶対に好きにはならないと思うなら、
それはそっくりそのまま、
相手の気持ちかもしれない。
今まで生きて来た中で、
しつこくしつこく食い下がれば、
相手の人もそうだねと、
受け入れてくれたこともあったでしょう。
その度に、自分は正しいという確信を、
積み重ねてきたかもしれません。
でも、全ての人がそうかと言えば、
苦言を呈してきたり、
離れていったり、
喧嘩になった人もいたでしょう。
もし、その人たちは間違っているのだ、
全くこちらのことを理解していないと思うなら、
両極は捉えていません。
相手の方も、同じ様に考えて、
理解を得ることは出来なかったわ、
せっかく忠告したのに全く聞く耳を持たないわと、このブログ記事が
スピリチュアルをテーマにしたものではなく、
料理をテーマにしたものだとすると、
私は料理研究家とかではなくて、美味しかったものを紹介している一般人の様なものですと、
以前書きました。
レシピを考案した人と、
料理名、材料、手順や、感想や注意点などを、
紹介しているのと同じです。
レシピを見ながら料理を作ることはない、
レシピなんて必要ないわ!という人には、
伝えているつもりはないのよね。
だって、ここを読んでも試すことはない訳ですよね?
何で、必要ないものをわざわざ読みにくるの?
と思います。
でも、作らないにも関わらず、
例えば、ブログも読まないし
わたしたちが何よりもあなたがたに
思い出させてあげたいと思うのは、
この「許容し可能にする術」における
あなたがたの役割だ。
この「法則」を十分に理解して実際に適用すれば、
すべてが思いどおりになる。
言い換えれば、「引き寄せの法則」は
あなたがたが理解しようとしまいと存在する。
常にあなたがたに作用し、
あなたがたが考えることに
いつも正確に対応した結果をもたらす。
だが「許容し可能にする術」を
意図的に適用するには、
自分がどう感じているかを常に意識し、
思考の方向を選ばなくてはならない。
この「法則」を理解できるかどうかで、
「意図的に」創造するか、
「惰性で」創造するかが決まる。
「許容し可能にする術」を「引き寄せの法則」
「意図的な創造の方法論」の次にもってきたのは、
前の二つの法則を理解できなければ
「許容し可能にする術」は始められないからだ。
「許容し可能にする術」とわたしたちが言うのは、
次のようなことである。
わたしはわたしであり、
わたしはありのままの自分に喜びを感じて、
楽しんでいる。
あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。
なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。
わたしは「許容し可能にする術」を
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。
また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。
同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。
画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。
だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。
物質世界の視点に立っているあなたがたは、
自分自身の成長、拡大を認めないかもしれないが、
そのときには自分が腐りかけているような
嫌な気分になるだろう。
そして他人の成長、拡大を認めないときにも、
自分が腐りかけているような嫌な気分になるはずだ。
気がかりな状況を見て、
しかしそれを止めたり変えたりするために
努力するのではなく、
放っておこうと思うとき、
あなたはその状況を「我慢」している。
これは「許容し可能にする」こととはまったく違う。
「許容し可能にする」とは、
自分と「内なる存在」とのつながりを
維持し続けられる物事の見方を探す術だ。
それはこの時空という現実の世界にちりばめられた
データのなかを選択的に移動しながら、
心地よい物事に焦点を定めることで実現できる。
つまり「感情というナビゲーションシステム」を活用して、
思考が向く方向を決定するということだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
娘の同級生で不登校気味なんだけど、
隠れてやっているのかは分からないのだけど、
それを知っているのは、
クラスのほとんどの子たちが見ているそう。
クラスでは、浮いている感じなんだけど、
教室の中で誰とも話さずにぼんやりしている。
誰とも喋らないのに、皆がSNSをチェックしていて、
その子の事に詳しいとか怖くないですか?
わりと誰とでも仲良く出来そうだから、
みんなに馴染めないちょっとメンヘラな私を、
演じてしまっている状態。
SNSに依存し過ぎているというか、
現実と虚構が曖昧になっているというか。
個人情報を自ら発信してしまうのは、
捻じ曲げてしまう。
虚構だけど、現実的な生活と同じ様に、
銀河ネットワークさんの過去の記事では、
”統合領域の意識とは、三次元的に表現するのはとても難しいのですが、
要約すれば物事を複数領域の視点(意識・感情)を
同時に意識しながら物事を理解するということです。
(左右中心・陰陽統合など相反するエネルギーを
各々すべて同時に理解するということです。)”
という様な説明をされていました。
このタブレットに書かれている智恵は古代神秘の基本であり、
目が開き、心が開けた者が読めば、
その人の智恵を百倍にも増してくれるであろう。
とにかく読みなさい。
信じようが信じまいが読みなさい。
さすればその文章の中の振動があなたの魂に感応をめざすことであろう
ドーリル師は本書を百遍読んで
その振動を受けよと言っておられる。
日本流に言えば
その行間を読めということであろう。
わたしはわたしであり、
わたしはありのままの自分に喜びを感じて、
楽しんでいる。
あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。
なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。
わたしは「許容し可能にする術」を
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。
また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。
同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。
画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。
だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
終焉に向かうことになるだろう”ということです。
それもそれでよろしいと思いますよ。
多様性には必要なことで、
それが創造に繋がるんですよ。
あなたの様な反対側の人を知ることで、
さらに私に気付きが訪れます。
高次領域を低次領域に情報を保存させる場合、図形・数字・文字(比喩)等に周波数変換を行います。これらの情報を受信・解析するには、対象物の不可視的な本質情報を理解する行間認識スキルが必要になります。
行間認識スキルは意識レベルに応じて異なります。
……もし、あなたが本当にこの文字を読めないというのなら、
あなたは今、この紙に書かれた言葉を、
受け取る時期ではないのです。
ただそれだけのことですよ。
なぜなら、文字とは、おのおのの霊的レベルに応じて、
それぞれの感性によって読むものだからです。
宇宙言語とは表面をなでるだけではなく、
その裏に隠されている意味を堀りあてなければ理解できません。
一つの単語にも何層にも意味が連なっているのです。
あなたの言語に置き換えれば、
比喩的な表現・たとえ話、同音異義語・同じ音の違う意味の言葉にも
注意を払わなければいけないということです。
宇宙共通の光の言語を理解しない地球人類と
コンタクトをとる場合は、
幾何学模様、図形、数字、方程式
などを用いることが多いのだ。
光の言語や方程式の深淵に隠された意味を
理解できれば良いのだが、
それがダメな場合は比喩的な表現を用い、
それでも通じないならば、
比喩の比喩を使い、それでもダメなら比喩の比喩の比喩、
たとえ話の、たとえ話の、たとえ話を……。
最終的には本来の意味など原形をとどめていないことだろう。
あなたは今、この紙に書かれた言葉を、
受け取る時期ではないのです。
ただそれだけのことですよ。
なぜなら、文字とは、おのおのの霊的レベルに応じて、
それぞれの感性によって読むものだからです。”