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『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

「AST/ALT」

基準値:AST 8~40IU/L,ALT 5~40IU/L(ちなみに基準値には施設差あり)

肝臓の逸脱酵素の代表で,もともと肝臓の細胞に多く含まれている。

肝細胞が炎症などによって壊れる(壊死する)と,壊死した細胞から血液中に漏れ出て(=逸脱して)くる。

これを血液生化学的に測ることによって,肝細胞の「痛み具合」が数値的に示される。



▼ 変わりつつありますが・・・

「肝臓の数値」として有名な「GOT/GPT」。

これが最近「AST/ALT」に変わっている。

実際のところは,変更は酵素名の呼び方のみ。

つまり検査としては同じことをしており,当たり前だが検査の意味も同じなので,特に現場での混乱はない。

しかし,なぜ変わるのかという理由が分かりにくい。

そんなん○○だからじゃん!って論理的な理由説明を誰かしてくれっちゅーねん。

それに,どうやって変えていくのかがまったく見えない。

たとえば,まずは全国の大学病院から試験的に変えていく・・・とか,NHKで「変わります!肝臓の数値」って宣伝してもらう・・・とか,今度の自民党総裁選の重要な争点として「AST/ALTへの変更に賛成?反対?」を取り入れる・・・とか。

変えるのはエエけど,肝心な変えていくstrategyというか戦略が無いねん。



▼ なぜ?どのようにして?

あらかじめ断っておくが,自分の専門は肝臓ではないし,この「問題」に明るいワケではない。

そんな「不勉強な身」が医療現場を代弁するとはおこがましいが,現場での実感は「何となく変わっていってるなあ・・・」っていう程度。

聞けば,実は「AST/ALT」がすでに国際標準。

日本って,古い言い方である「GOT/GPT」に固執していた数少ない国?ってことなんだろうか。

聞けば,生化学分野がイニシアチブをとって(重い腰を上げて?)この変更が広まっているらしい。

たぶん学会などでそういう流れを作って,教科書記述の統一などを徐々に行っているのか?

とにかく,なぜ?どのようにして?がまったくもって分からん。

ただ単にみんなが変えてるから「右に倣え!」。

そうしてなんとなく変わっていく・・・・・

こういうことって,よくあるよなぁ・・・日本では。

っていうか,まさにこの変わり方こそ「純日本的」なのかもしれん。



▼ 「何で変えるんですか?」派がいるかも・・・

日本の多くの人が,肝臓が悪くなると血液検査でわかることを知っている。

考えてみれば,この「GOT/GPT」は意外に世間様にも広く知れ渡っている検査。

GOTと聞けば,場末の飲み屋で酔いつぶれたおっちゃんでさえ知っているかもしれん。

GPTと問えば,ひょっとすると平成教育委員会の渡嘉敷クン(古いか?)でもその意味が分かるかもしれん。

そんなレベルにまで日本文化に入り込み,流布した言葉「GOT/GPT」。

その定着ぶりは,もう少しで「カステラ」や「タバコ」のレベルになるか?

それならば,このままGOT/GPTでいけばええやん。

それで大半の人は困らん。

海外論文に投稿するような一部のヒトにはAST/ALTを「その時だけ」使っていただいて。

いっそのことGOT/GPTを無理やり「日本語化」するのはどうか?

たとえば,カタカナ表記に変えたり(たとえば,ジオテとジピテ),当て字を用いたり(たとえば,自汚手と自秘手)・・・・・

GOP/GPTの「カステラ化運動」。

こんな「変えちゃダメ」と反発するヒトがあってもよさそうだが・・・・・・・・・・・・おらんわな。



▼ 「すぐ変えるべきです!」派の本音?

現代の医療グローバリズム的パースペクティブで見ればきわめてヘン。

何がかって,旧来呼称の 「GOT/GPT」がいまだ残存し徘徊するのが。

しかもそれが肝生化学値の代表であるところのAST/ALTなんだから,聞いて呆れる。

これってまるで,日本の首相が「丁髷を結って」いるようなもん?

あるいはサッカー日本代表のゴールキーパーが「袴はいて」るようなもん?

ちょっと例えに切れがないけど・・・・・恥ずかしいったりゃあらしまへん。

とにかくこのグローバルでシームレスな現代においても,「一流国家」とやらを目指したい日本。

「一流」を目指すならば,日常使うようなモノから「一流」を心懸けねばダメ。

たかが肝逸脱酵素の呼び名の問題やろ?と思うなかれ。

いつも使う言葉が,明日の日本を作っていく。

そういう意味では,国際標準を意識した言葉を積極採用していくのは当然やん!。

しかし・・・・・

ホントは自分が「AST/ALT」変更の言い出しっぺになるのがイヤやねん。

「出る杭は打たれる」の諺通り,なんかイチャモンつけられると困るし・・・

なんか不具合あったら,「全責任」とか「変更の戦犯」とか,難問押し付けられそうやし・・・

そういう話に巻き込まれたくないんで,ここは黙って陰ながらサポートに徹してんねん。

少し経ってほとぼりが冷めて,「AST/ALT」に変わっていればそれでええ。

みんなが変われば自分も変わる,たとえ理由説明がなくっても。

「空気読んで」変わっていく日本。

それが日本のエエとこやねん。



・・・まぁはっきり言ってどうでもいいことなんでしょうけど・・・

変わりつつあるようです・・・という話。
▼ 持ち歩きつながりです

寺山修司に限らず,文庫本は常に携帯する。

それは病院内での仕事中でもそう。

白衣のポケットに必ず何かしらの本を入れておく。

いつか時間が空いたらその本が読めるかも。

いつか・・・いつか・・・

そうは思うが,これまでに病院内で読んだことはまれ。

それはしっかり働いている証拠?

ならば携帯する必要なんてない?

そう言われればそうなんだが・・・・・

自分にとって「携帯本」は時計やネクタイのようなもの。

絶対に必要なものではないが,なければちょっと不安。

あえて言えば,ただ単に自分が本に「つながって」いたいだけ。



▼ あこがれつながりです

マルチタレントな寺山修司的異才つながり。

劇作家であり演出家であり詩人であり俳人であり歌人であり小説家でありエッセイストであり作詞家であり映画監督であり評論家であり・・・

朴訥・反骨・人情・博打・裏街道。

風の吹くまま気の向くまま,時代に流され人情に流され好奇心に流されて。

とにかくなんでもやっちゃいましたっていう生き方。

満47歳没という死も,残した膨大な業績が若過ぎるとはあまり感じさせない。

そんな中身の濃~い生き様。

ええな~とあこがれる。



▼ 竹久夢二つながりです

一昔前の角川文庫の寺山シリーズはカバーが竹久夢二風(今は違うが)。

かわいらしい女性の着物姿。

大正ロマン風タッチの美人画。

一見すると,少女漫画的?。

ある時,この文庫を白衣ポケットに忍ばせて,学生のポリクリ実習に臨んだことがある。

すると,さっそく目ざとい学生から突っ込みが入る。

どうやら,白衣のポケット越しに透けて見えた本のカバー絵が気になった様子。

「シノ先生って,少女漫画が好きなんですか?」

「えっ?何で?」

「ポケットの中に少女漫画が入ってるのが見えたので,そうかな・・・と思って」

「少女漫画ちゃうって」

「じゃあ,その本って・・・・・ロリコンものですか?」

「ちょっと待てー・・・・・寺山修司やねん」

「誰です?寺山って?」

「寺山修司,知らん?」

「知りません,お笑いですか?」

「・・・あのな,昔のえら~い劇作家というかエッセイストというか・・・」

あやうくシノ=ロリコン教師へと誤解が「つながって」いきそうだった,アブネー。



▼ 偶然つながりです

学生時代のマージャン中に,なぜか寺山修司の話になる。

「昔,寺山修司の○○って映画見たけど」

「オレも見たぞ」

「どこで?」

「△△劇場で」

「いつ?」

「二年前」

「え~~っ,おれもそう」

「ホンマかよ」

「すげ~偶然!」

なんと大学時代の友人と,大学入学前にとある映画館で接近遭遇していたらしい。

映画を見た当時の自分は受験浪人の身。

その友人も医学部を目指した浪人中。

お互いに面識はまだない。

とある映画館にて「寺山修司特集」なる催しをやっているとの情報をキャッチ。

寺山修司が残した映像作品を一挙に公開するというファン垂涎の企画。

この時ばかりは受験勉強そっちのけで,映画館に入り浸る。

なんだか小難しくってよくわからんが,ちょっと裏町的外れ感・場末的寂れ感がカッコイイ「寺山ワールド」。

周りの客も,ヒトクセもフタクセもありそうなヒトばかり。

そんな客の中に,なんとその友人もいたらしい。

とある映画館で同じ映像に心酔した輩と,何の因果か年余を経て雀卓を一緒に囲む・・・・・

こんな偶然も,やっぱ「寺山つながり」のなせる業かもしれん。

病院内を歩いているといろんなヒトに会う。

患者さん・看護士さん・その他コメディカルのヒト・若手医師・薬屋さん・・・・・

知り合いにばったり会う可能性もあるが,自分の場合は偶然に親戚のおばちゃんに会ったくらい。

考えてみれば病院で会うということは,相手がワケありということ。

あまり知り合いに会わないのは「幸いなことに」と言うべきか。



先日に病院の階段を歩いていると,

「アレ?先生・・・」

「アレまぁ,ニッ○イのおばちゃんやん・・・」

ニッ○イの保険屋のおばちゃんに偶然出会した。

おばちゃんは病院内で営業活動中。

営業の対象である保険勧誘の相手は患者さんではない。

医療従事者がおばちゃんの勧誘相手。

考えてみると,医療従事者ほど保険屋さんにとって上顧客はいない。

疾患全般に対する知識がある程度あり,保険の大切を身を持って知っている。

医者の無養生という言葉もあるように,自分の健康には意外に無頓着。

しかも一般に身持ちは堅く安定志向。

こんな人種なので,くすぐる所がうまければ勧誘はしやすい。



このおばちゃんとのつきあいは古い。

と言っても,自分はニッ○イの保険にお世話になっているわけではない。

家族持ちなのでそれなりの保険には入っているが,ニッ○イではない。

言ってみれば,自分はおばちゃんの営業対象外。

なのに,なぜこのおばちゃんとは古いつき合いなのか?

話が合うのか,相性なのか,ヒマ同士なのか,会うタイミングがいいだけなのか?

自分には理由はわからない。



実はこのおばちゃんと話をするのは超久しぶり。

医学部講座から病院病理に異動して以来,ず~っと顔を見ていない。

病院病理の部屋は「関係者以外立ち入り禁止」なので,おばちゃんが入ってくることはない。

なので,おばちゃんとはかれこれ4~5年ぶりに再会したことになる。

久しぶりに出会したにも関わらず顔を覚えてくれたのはうれしいが,顔だけでなく細かい個人情報まで忘れないのはさすがと言うかすごい職業魂を感じる。

「そう言えばあの時の・・・はどうなったの?」と,よくもまあそんな古いこと覚えとるなあ~と感心するような質問をされる。

それからしゃべったことと言えば相変わらずで,

「この前に見かけた時より太った(自分が)」とか,

「△△先生が・・・へ転勤になって淋しい」とか,

「最近腰が痛くって,どの先生に診てもらったらええやろ」とか,

「最近の大学病院ではドクターを見かけないのはどうして」などの愚痴混じりの世間話。

そして一通り話が終わると,営業用のアメ玉をもらう。



こんなたわいない「袖振り合う」縁を大事にし続けるおばちゃん。

「営業とは自分を売る」ことらしいが,それを実践するヒト。
「子宮筋腫 leiomyoma uteri」

子宮に発生する良性腫瘍で,成熟した平滑筋細胞の増殖から成る。

一般には割面は白っぽく固い塊を作る。

ホルモン感受性があり,閉経後は縮小する傾向がある。



▼ ありふれた病気です

筋腫は頻度が高い腫瘍で,女性4人に1人は持つという。

厳密に診断したとすれば,3人に1人程度の頻度になると言うヒトもいる。

確かに,子宮に偶然に筋腫を見る機会は多い。

あまりにありふれているので,自分などは筋腫があっても気にならないレベルになっている。

大半が良性の振る舞いをするため,症状や事情がない場合は手術になることは少ない。



▼ 大きくなります

これまで病理部に提出された手術検体の中で,サイズが最も大きなものは筋腫だろう。

筋腫はほとんどが良性で,悪性はまれにしか遭遇しない。

もしも悪性だったら,周囲に飛び散ったり(転移),重要な部位を食い破ったり(浸潤)する。

そうすると痛みとか出血とかを訴える,つまりは我慢できない「症状」が早く現れる。

そして大きなサイズになる前に,不幸にして命を落とすこともある。

しかし,一般的な筋腫は良性。

飛び散ったり噛みついたりはしない。

なので症状は現れにくく,たとえ現れても我慢できてしまう。

そんな筋腫もいちおう腫瘍の仲間。

放っておいたら,どこまでも大きくなる・・・・・



▼ しかもた~くさん

また多発することも多い筋腫。

大きなものから小さなものまで,筋腫が数えきれない場合もある。

先日の多発筋腫切りだし担当は若手K君。

多発の場合は,基本はいくつもある筋腫一つにつき最低一つは標本を作るように・・・との内規(自分たちの決めごと)がある。

でもこの担当ケースは無数多発例。

大きなものは3センチほどあるが,小さなものは2~3ミリ。

しかもけっこうな数である。

大きなものは標本にしやすいが,小さなものはどうするか?

こんな小さなものまでいちいち標本にしていたら大変だ。

それに,肉眼的にもとても悪性には思えない。

しかし,1筋腫1切片というやかましい内規がある。

どうすべきか・・・K君は悩む。

悩んだ末,K君がしたことは「馬鹿正直に全部作ってしまえ」法。

その結果,標本の数が全部で50枚ほどにもなってしまう(通常は20枚程度か)。

結局は上司(=シノ)にお小言を言われる。

「切りだしは,ケースバイケースで臨機応変に・・・」

・・・なんか納得できないK君。



▼ 入れ物が大変です

先日に提出された大~きな子宮筋腫。

30㎝ほどの径があり,オトナの頭大の大きさ。

重さにして2~3kgもありそうな巨大腫瘍。

これを手術で取り出した後,ホルマリンという固定液に浸けた状態で,病理部に提出される。

しかしあまりにもでかいので,ホルマリン漬けをするための入れ物がない。

ホルマリン固定のためには数種類のタッパーが用意されているが,その最大のものでもこの巨大腫瘍は入りきらない。

手持ちで最大のタッパーでも,ホルマリンをなみなみ入れたところで子宮筋腫の1/3程が液面から顔を出してしまう。

顔を出した筋腫部分はホルマリンの浸透が不十分で,病理から文句を言われるだろう。

ならば半分に切って入れたらどうか?

しかし下手に割を入れると病理に叱られる。

・・・どうしよう?

困りに困った若手医師クン。

でっかい筋腫が入るようなでぇ~っかい入れ物はないかなっと思案して・・・・・

思いついたのは「ミッペール」の箱。

ミッペール,つまり医療廃棄物入れの「ゴミ箱」。

このゴミ箱だったら,大きなものは50センチ四方ほどあって,でかい筋腫も余裕で入る。

しかもポリプロピレン製で頑丈,ホルマリンを入れた後でもゴミ箱としての再利用は可。

ナイス・アイディ~ア!

っと言うことで,でかいミッペールにホルマリンをなみなみと入れ,筋腫を浸して病理部へ持ち込む。

すると・・・・・

「〇△□!」

やっぱり叱られた。
自分はいわゆる「マスオさん」状態。

家庭ではシノ妻方の両親と同居の身。

結婚直後は違ったが,それなりに紆余曲折を経て現在に落ち着いている。



この両親は,そこまでせんでもええのに・・・くらいに自分に気を遣ってくれる。

そして手が足りない時には,子供らの面倒を見てくれる。

いつも感謝しているし,いつまでも元気で自由気儘にして欲しい。

だから,なるべく干渉しないようにしているが・・・・・

こんな相互扶助と善意溢れる「二世帯状態」。

それをこともあろうに,都合良く自分勝手に利用しようとする悪い輩がいるんだな,これが・・・しかも身近に。



たとえば「おーいっ,テレビの約束時間,過ぎてるんちゃう?」となると,「そんなんムリやって」と一言残してばあちゃん部屋で続きを見る長男いっ君。

たとえば「こらっ,○△×すんな,アホっ」となると,「そんなん知らんわ~」とばあちゃん部屋へ避難していく長女ちー。

たとえば「もー,あんたはどうして・・・」となると,「うぇーん,ばあちゃんがいい」と泣き真似をしてばあちゃん部屋へ待避する次女みー。

ばあちゃん部屋は子供らの恰好の避難場所。

父母の怒りや,自分のしでかしたコトのほとぼりが冷めるまでの防空壕。



祖父母の部屋には決して入らない(特に自分は)ことを良いことに,子供らはばあちゃん部屋に逃げ込めばセーフなことを知っている。

時には,怒られても納得がいかない時など,「こっち来てみろ~」とばあちゃん部屋から挑発することもある。

特に狡賢いみーは,ばあちゃんは何でもしてくれることを良いことに,それを利用しまくりのまっくりまっくりで。

先日の週末も,みー以外のいっ君・ちー・母が出かけて留守。

売店でお菓子二つを買う条件で,みーを大学病院に連れて行こうとする父だが・・・

「え~~,大学病院,イヤや」とみー。

「お菓子二つの大サービスやん,みー」と父。

「お菓子三つならええわ」

「三つはアカン」

「三つなら行ったるわ」

「アカン,二つや」

・・・どうでもいい押し問答が続く。



「ほんなら,ばあちゃんに聞いてくるわ」とばあちゃん部屋へ向かうみー。

何やら相談の後,ばあちゃん部屋からうれしそうに戻ってきたみーが言う。

「大学病院やなくて,ばあちゃんとコンビニ行ってくるわ」

「なんや,せっかくのお菓子二つやのに」

「ばあちゃんなら三つ買うてくれるって」

「じゃあ,ばあちゃんにお菓子をみーに買い与えないようにって言うぞ~」

「べーっだ,ばあちゃんには何も言えへんクセに~」

確かに言えんが・・・・・最近は特に生意気な口をきくみー。



まぁこんな子供らの「逃げ場所」もあった方がええかもしれん。