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『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

青春ソング、教えて ブログネタ:青春ソング、教えて 参加中
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自分の青春ソング=「俺たちの旅」詞・曲:小椋佳,歌:中村雅俊

ホントはサザンあるいは松田聖子あたりなんだろうけど。

でも「俺たちの旅」のほうが,このテーマにはぴったりかと思った次第で。



実際にこの曲を初めて耳にしたのは,小学生の頃だったか。

再放送を夢中になって見たテレビドラマ「俺たちの旅」の挿入歌。

カースケとオメダとグズロクたちによって,笑いと涙とペーソスとドタバタまじりに描かれた青春。

細かいあらすじなど覚えていない。

残っているのは,強烈な甘酸っぱさと言ったらいいか,青臭さと言ったらいいか・・・

そんな青春的な「雰囲気」のみが強烈に記憶に残っている。

そしてその記憶の背景には,いつもこの曲が流れている。



今更ながらその詞を読むと,あまりの新鮮さ・瑞々しさに驚いてしまう。

・・・夢の坂道は   たどり着けない山の中へ続いているものなのです・・・

・・・夢の夕陽は   一番星に追われて消えるものなのです・・・

・・・夢の語らいは   うたた寝するものものなのです・・・



この曲を耳にすると,今でもその「雰囲気」が心に蘇ってくる。

希望と絶望,成功と失敗,恋愛と孤独・・・そんなもんがごっちゃになってドワ~って襲ってきて完全包囲ってな感じ。

先日も偶然にラジオからこの曲が流れてきた。

そうなると,もうダメ。

何もかもやってることを止めて,じっと聞き入ってしまう。

完全に持ってかれる・・・っていう感じ。

それほど聴く機会が多くないのも,新鮮さが密封されてる感じで良い。



こんな名曲と自分の多感な時期とのsynchronizationに,単純に感謝の念が湧いてくる。

・・・背中の夢に浮かぶ小舟に  あなたが今でも手を振るようだ・・・


小学校運動会での出来事をいっ君(長男)に報告するちー(長女)とみー(二女)プラス両親の会話抜粋。



ちー「・・・結局うちら赤がギッリギリで勝って,超うれしかったし」

みー「でも,赤ズルいし・・・」

いっ君「何がズルいん?」

み「玉入れで白が勝ってたら,うちら白が絶対優勝してたに決まってるわ」

ち「そんなことあらへん,みーウザいし」

母「でも,玉入れの点数があったら,ホントにわからなかったね」

い「なんで?なんで?なにが?どうして?」



ち「・・・けっこう競っててな,最後の方の玉入れになってん」

い「ほんで?」

ち「玉入れ終わったら,ちょっと白が多いのが数えんでもわかったし」

み「そうそう,見ればわかったわ」

い「ほんなら,そんでええやんか」

ち「でも数えよとして係のヒトが玉の入ったカゴ傾けたらな・・・」

み「ほったらな,白の玉がドサッとカゴからこぼれてな」

ち「そやそや,数える前にこぼれてんねん,白の玉」

い「ほんなら,正確に数えることできんちゃう?」

ち「ほんでな,結局玉入れやり直しになってな」

み「そやそや,やり直しになったらな・・・」

ち「二度目の玉入れでは,逆に赤が勝ってんねん」

み「そやそや,だからズルやねん」



い「そんなん,その係のヒトのミスのせいで白負けたんやし・・・最低最悪や!」

ち・み「そやそや,係のヒトのせいやん!」

母「そういうことは,言わないこと!」

父「人間はだれでもまちがいするしな・・・」

み「そう言えば,その係のヒト,最後に応援団席に謝りに来てたわ」

母「気の毒に・・・そこまでせんでもええのに・・・」

み「そして,ちょっと泣いてたし・・・」

い「当然や,当然!」



父「・・・それにしてもなんやねん,あの放送内容?」

母「そう言えば,閉会式で玉入れの一件を説明してたね」

父「玉入れは点数に入れてません,ご理解とご協力をお願いいたしますって」

母「やり直した玉入れは結局一勝一敗になって決着がつかなかったから,いい判断やし・・・丁寧な説明やし・・・何が問題?」

父「ご理解とご協力って・・・・・保護者に向かって説明してどうすんねん」

母「それは・・・いろいろ言うヒトがいるからね」

父「そもそも子供らに説明すればそれでええ話やん?そんな運動会の勝ち負けに顔突っ込んでくる保護者なんておるんか?」

母「モンスターペアレンツってのは,ここにもいるかもよ・・・」

父「そんなんで学校へ電話してくる奴は,ゴキブリホイホイと一緒にゴミ箱に捨てたらええねん・・・ホンマに腹立つ・・・」

い・ち・み「そーやそーや」



・・・すぐに“熱く”なる単細胞の集まりです。
台風一過の秋晴れのこの日。

ちー(長女)とみー(二女)の通う小学校で,運動会が開催された。

その開会式と閉会式で。

選手である子供らが,運動場に整列している。

並ぶ順番は団別で学年順で背の順。

つまり右に赤団・左に白団と別れていて,それぞれ内側から順に一年生・二年生・・・となり一番外側が六年生で,背の低い子が前・背の高い子が後ろという順番。

どこにでもある「学校の運動会の並び」。

そんな並びから,ラジオ体操になれば広い隊形に広がるのも,どこにでもある基本的風景。

左右と後ろ方向に広がってラジオ体操の隊形になるには,正面真中一番前,つまり一年生の一番背の低い子が中心になる。

お決まりの「体操の隊形に開け!」という合図があって。

その時に中心になった一年生で一番小~さい子がなんと みー



一年生で一番背が小さなみー。

それは,全学年で最も小さいという意味になる。

それは不名誉なんかもしれんが・・・

まぁ一番前なので,写真を撮ったりする時に見逃すことはない。

結局,開会式と閉会式で「 シノさんを中心に 体操の隊形に開け!」「1,2,3!」となる。

この名前を呼ばれるという名誉。

応援団やなくても,学年選抜リレーに選ばれなくても・・・・・

これでええやないか・・・と子供の活躍?に満足しようとするアホな両親。



っで,閉会式の「シノさんを中心に・・・」という二回目の栄誉に浴した後。

「紅組の優勝です」「わあ~~~」ってなったりするドサクサに紛れて,担任の先生に手を引かれてこっそり退場していくみー。

「アレ?・・・みーおらん」

「ホントや・・・どうしたん?」

「わからん・・・」

・・・・・

少しすると,知らん顔して並びに戻ってきたみー。

一体,何事か?



帰り道。

閉会式の顛末の理由をみーから聞き出す。

すると・・・

なんと閉会式中に耐えきれずにおしっこを漏らしたみー。

先生に連れられ,別室で着替えとなったらしい。

「あんたはホンマにもー・・・・・クックックッ」と笑って怒るシノ妻。

「だって・・・・・」とみー。

「おしっこくらい行きなさい,我慢しすぎちゃダメでしょ」

「だって・・・中心やから・・・」

「えっ?」

「中心がいないとダメでしょ」

・・・・・・・

体操の隊形の中心を死守することは,おしっこ漏らしなんかより重要なことなんだ!

そう主張するみー。

ヘンな理屈でよくわからんが・・・・・まぁよく頑張りました。
「霞ヶ関文学」なる難解な言葉があるそうだ。

いわゆる官僚が得意とする文章で,使用する文言を選ぶことで,そこに省益などを潜ませておくという高等テクニック。

実は病院の中にも,狭い閉鎖的な世界でほそぼそと命脈を保つ「難解な」言語がある。

それが「臨床病理文学」。

この文学を読みたいと思ったとしても,通常の書店には置いてない。

病院内の「病理報告書」というめったにお目にかかることはない文書でしか読むことはできない。

著者は病理医。

内容は,病理検査の結果が書いてあるだけなんだが。

具体的には,細胞がこんなヘンな形で,組織がこんなに壊れてるんで,ガンです・・・というような文章。

抽象的には,顕微鏡で見た「形」が織りなす意味を「意味もはっきりしない用語」で表現するという「超難解プロセス」を経た文章。

「霞が関文学」に負けちゃいないと思う。



この文学を理解するキーワードは「ワカラン」。

まずその病理組織が難解なる病変であった場合,その難しさに比例してコメントの文章が長くなるという特徴がある。

「わからん」と一言書けばええのに・・・・・

あえて言えば,この文学は「難しさ」とか「分かりにくさ」を表現する方法に長けている。

おもな読者は病院の「医療従事者,特に臨床医」ということになるが,この読者も変わっている。

何が書いてあるのかが正確に(あるいはほとんど?)分かっていない読者。

それなのに,たくさん書いてあると満足するという傾向がある。

逆にあまりコメントが書いてないと,文句の一つも言いたくなるようだ。

こんな読者の習性もなぜだかわからない。



文章内容を見てみると・・・

まず目につくのが,「異型」とか「異形成」とかワケわからん用語のオンパレード。

ワケわからんだけならまだしも,それを使うヒトもあまりそれを自覚していない。

それらの言葉の厳密な意味をいろんなヒトに聞いてみても,決して同じ答えは返ってこないのがおもしろい。

「異型?・・・・・普通じゃないっちゅーことかなぁ」とか,
「典型の逆やん」とか,
「細胞やその組織構築に不整や乱れがあるっちゅーことや」とか。

まぁ言ってる意味は似てるけどバッラバラ。



また,使うヒト(=病理医)のクセが丸出しになるのも特徴。

自分の場合は「・・・として矛盾しない」をやったらめったらと使いたがる。

これは以前の記事に書いた。

その他にも「乏しい」とか「示唆される」とか微妙な言い回しをよく使う。

先日には「CISが示唆される」とはどういう意味かと問われた。

「示唆」というのは,ほのめかすというようなのが本来の意味。

ということは,「CISがほのめかされる」となってしまう。

こんなように突き詰められてしまうと,いったいどういう意味なのか自分でもわからなくなる。

自分的には「CISでよさそう」という意味で使ったんだが。

ちょっとくらいは本義とズレて使ってもええやん・・・・・それが「文学」。



また以前に,「悪性所見に乏しい」と書いたところ,「悪性所見が全くないのか,ちょっとは疑わしいのか,どっち?」と詰問されたことがある。

これは「悪性じゃないみたい」っていうような断言を若干避けた意味で使ったんだが。

言い切らなくて,ボワ~ンと靄をかけたような言い回し。

それを「白か黒か,はっきりさせてーな」という臨床医。

気持ちはわかるが,はっきり言い切れない点が少しでもあれば,こう言わざるを得ない。

「灰色」を表現したいんだけど,たとえば白8の黒2で混ぜたくらいなどとわかりやすくは言いにくい・・・・・これも「文学」。



それから,何でも「no malignancy」でコメントを締めくくるヒトが多い。

「no malignancy=悪性ではない」という意味。

この情報が一番重要と力説するヒトもいるにはいるが。

たとえば「炎症の程度は?」と聞かれても「no malignancy」。

「○○分類をお願いします」という時でも「no malignancy」。

なんでもかんでも「no malignancy」でフィニッシュ。

最後に持ってくるのが「結論」ではなく「no malignancy」・・・・・こんな「文学」。



このようにいろんな特徴を持つ「臨床病理文学」。

この「文学」の完全なる理解には,相当の修行と経験を要する。

自分はまだまだ勉強の身。

早く極めたいとは思う。
「口内炎」

口の中を覆う「口腔粘膜」の炎症性病変。

ピンク色の粘膜の中に,白っぽくクレーター状に落ち込んだ直径数ミリ程度の病変。

それを顕微鏡で覗いたらどうなんだろう。

実際に見たことはないが,だいたいの想像はつく。

・・・・・口腔粘膜を覆っている扁平上皮は多くが薄っぺらになるか脱落。

病変の表面は,汚いフィブリンや変性壊死物で覆われる。

上皮が脱落した部分は肉芽組織がほぼ剥き出しになる。

肉芽は上皮下を広く占めており,好中球をはじめとする炎症細胞が浸潤している。

小血管も増えていて血流は豊富・・・・・

こんなところか。

そこにしょうゆや熱いお茶などが少しでも触れると痛いのなんのって。

そんなことはほとんどの人が経験済。



口内炎ができる原因は単純ではない。

原因の源を辿れば,おそらく「間違って口腔粘膜を噛んでしまう」というのがけっこう多そうだ。

しかしたとえ間違って噛んだとしても,ひどい口内炎にまでなったりならなかったり。

病変の進展には,その日の体調や口内衛生環境などが複雑に絡んでくる。

自分の場合は,あの「ガヂッ・・・」という「誤噛み←造語です」がけっこう多い。

仕事や車内で眠気覚ましによくガムを噛むので,誤噛みの頻度は馬鹿にならない。

特に下唇前内側がガヂッとやられやすい。

ボケ~~ッとしてガムをクチャクチャしてると,たまにガヂッとなる。

痛~~っ・・・やってもーた・・・

あまりに痛いので,涙目になりーの,腹が立ってくるわーので。

咀嚼という最も原始的且つ単純な運動がヘタクソな自分。

このどこにもぶつけようのない怒り。

でもどっかにぶつけざるを得ん怒り。

しょうがないので,自分で自分に当たり散らす。

ヘッタックッソー!

ボケッとしてガム噛むなっちゅーねん。

もっと気合い入れて噛まかんかい,このアホ!

心の中で汚い言葉を吐き散らす自分・・・・・



先日の週末の家族そろっての食事時。

いきなり「ドンっ」とテーブルを拳骨で叩く長男いっ君。

・・・・・何事か?

「クッソー・・・・・コノヤロー」

なぜか怒りに満ちた言葉を吐き出すいっ君。

「・・・一体どうしたん?」とシノ妻。

「いっってぇ~~間違えた・・・」と怒って答えるいっ君。

「何を?」

「間違って噛んだ・・・」

「はっ?」

「口ん中を間違って噛んで,痛って~~~」

「はっ・・・・・ハッハハハハ,バチやバチ」

「笑うな!コノヤロー,人が痛がっとるのに」

「・・・ちょっと,親に向かってその口のききかた,よくないんちゃう?」

・・・・・・・

この無口にドンッという感じが,異様に父親似のいっ君。

ヘンなところだけそっくり遺伝される。

これもDNA world。