「霞ヶ関文学」なる難解な言葉があるそうだ。
いわゆる官僚が得意とする文章で,使用する文言を選ぶことで,そこに省益などを潜ませておくという高等テクニック。
実は病院の中にも,狭い閉鎖的な世界でほそぼそと命脈を保つ「難解な」言語がある。
それが「臨床病理文学」。
この文学を読みたいと思ったとしても,通常の書店には置いてない。
病院内の「病理報告書」というめったにお目にかかることはない文書でしか読むことはできない。
著者は病理医。
内容は,病理検査の結果が書いてあるだけなんだが。
具体的には,細胞がこんなヘンな形で,組織がこんなに壊れてるんで,ガンです・・・というような文章。
抽象的には,顕微鏡で見た「形」が織りなす意味を「意味もはっきりしない用語」で表現するという「超難解プロセス」を経た文章。
「霞が関文学」に負けちゃいないと思う。
この文学を理解するキーワードは「ワカラン」。
まずその病理組織が難解なる病変であった場合,その難しさに比例してコメントの文章が長くなるという特徴がある。
「わからん」と一言書けばええのに・・・・・
あえて言えば,この文学は「難しさ」とか「分かりにくさ」を表現する方法に長けている。
おもな読者は病院の「医療従事者,特に臨床医」ということになるが,この読者も変わっている。
何が書いてあるのかが正確に(あるいはほとんど?)分かっていない読者。
それなのに,たくさん書いてあると満足するという傾向がある。
逆にあまりコメントが書いてないと,文句の一つも言いたくなるようだ。
こんな読者の習性もなぜだかわからない。
文章内容を見てみると・・・
まず目につくのが,「異型」とか「異形成」とかワケわからん用語のオンパレード。
ワケわからんだけならまだしも,それを使うヒトもあまりそれを自覚していない。
それらの言葉の厳密な意味をいろんなヒトに聞いてみても,決して同じ答えは返ってこないのがおもしろい。
「異型?・・・・・普通じゃないっちゅーことかなぁ」とか,
「典型の逆やん」とか,
「細胞やその組織構築に不整や乱れがあるっちゅーことや」とか。
まぁ言ってる意味は似てるけどバッラバラ。
また,使うヒト(=病理医)のクセが丸出しになるのも特徴。
自分の場合は「・・・として矛盾しない」をやったらめったらと使いたがる。
これは
以前の記事に書いた。
その他にも「乏しい」とか「示唆される」とか微妙な言い回しをよく使う。
先日には「CISが示唆される」とはどういう意味かと問われた。
「示唆」というのは,ほのめかすというようなのが本来の意味。
ということは,「CISがほのめかされる」となってしまう。
こんなように突き詰められてしまうと,いったいどういう意味なのか自分でもわからなくなる。
自分的には「CISでよさそう」という意味で使ったんだが。
ちょっとくらいは本義とズレて使ってもええやん・・・・・それが「文学」。
また以前に,「悪性所見に乏しい」と書いたところ,「悪性所見が全くないのか,ちょっとは疑わしいのか,どっち?」と詰問されたことがある。
これは「悪性じゃないみたい」っていうような断言を若干避けた意味で使ったんだが。
言い切らなくて,ボワ~ンと靄をかけたような言い回し。
それを「白か黒か,はっきりさせてーな」という臨床医。
気持ちはわかるが,はっきり言い切れない点が少しでもあれば,こう言わざるを得ない。
「灰色」を表現したいんだけど,たとえば白8の黒2で混ぜたくらいなどとわかりやすくは言いにくい・・・・・これも「文学」。
それから,何でも「no malignancy」でコメントを締めくくるヒトが多い。
「no malignancy=悪性ではない」という意味。
この情報が一番重要と力説するヒトもいるにはいるが。
たとえば「炎症の程度は?」と聞かれても「no malignancy」。
「○○分類をお願いします」という時でも「no malignancy」。
なんでもかんでも「no malignancy」でフィニッシュ。
最後に持ってくるのが「結論」ではなく「no malignancy」・・・・・こんな「文学」。
このようにいろんな特徴を持つ「臨床病理文学」。
この「文学」の完全なる理解には,相当の修行と経験を要する。
自分はまだまだ勉強の身。
早く極めたいとは思う。