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『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

昨年最後の院内合同カンファで。

某臨床科先生の画像診断が素晴らしかったと紹介された。

その道の教授先生も「実際には見たことないし,見ても気付かんなぁ」というような珍しい画像変化。

それを緊急の画像検査でピッタリと当てて,緊急手術 → 手術成功となった。

やや得意げにその経過を説明する某科先生。

実際のCT画像を示して,どこがその疾患のポイントだったかを皆に解説する。

「どこが変やねん?」
「へ~わからんわ~」
「よ~わかったな,スゴイ!」

こうして,その臨床医のファインプレーは大いに称えられた。



某科から提出された術中迅速検体。

顕微鏡で覗いたところ,臨床医達が想像していた腫瘍とは全く別物。

どうやらどこか別の臓器からのガンの転移に見える。

経験的というか諸事情から前立腺ガンの転移の可能性が第一に疑われる。

ので,その旨を報告する。

「え~,ホントですか・・・」と意外さを隠さない手術医達。

それっきり,その腫瘍については音沙汰なかった。

年末の休みに。

そう言えばあの症例,術中迅速で答えてからどうなったんやろ?

ちょっと気になったので,電子カルテでその後の経過を追ってみる。

すると,

→術中迅速の後すぐにPSAという前立腺ガンのマーカー測定
→検査結果は異常高値
→患者さん泌尿器科へ
→前立腺の生検がされて
→ガン確定
→さ~て治療をどうするか

・・・という段階になっていた。

誰もいない検査室で「うっしゃあ!やっぱりな!」と一人気合いを入れる病理医。

こっちも少しは褒めてくれっちゅーねん。



上記は,どちらも適切で迅速な診断が治療につながったファインプレー。

それにしても,

患者側にしてみれば,そんなファインプレーが当たり前でなきゃ困るということになるんだろうし,

医療側にしてみれば,そんなファインプレーなんて少ない方が良い医師であり病院なのかもしれん。

ファインプレーに対する賛辞を欲しがるようでは,まだまだ修行が足りんか・・・


シノ家自宅の横には神社がある。

たとえば,神社にお参りに行くとしよう。

まず大鳥居を潜り,長い参道を歩いていく。

すると,本殿が見えてくるだろう。

ちょうど本殿の敷地に入ろうとする参道沿い。

その近辺にシノ家自宅が位置している。

何でまぁこんな所にと言われても,単に縁あって義父母が手に入れた土地。

特に理由はない。



このロケーションは,神社の年中行事や参道の四季折々が味わえてなかなかよい。

なかでもこの年末年始の時期は格別で,桜満開の時期と甲乙つけがたい。

神社にとって最も大事な行事と言っていいだろう「初詣」。

歳末も押し迫ると,近所の氏子さん連中が集まって,そのための用意がなされる。

本殿前には,護国なんとかと書かれた旗が高々と立てられる。

参道沿いの両脇には灯籠が飾り付けられる。

大晦日に夜通し燃やされる焚き火の準備で,木を切る電ノコの音が響く。

そういう雰囲気を間近に感じながら,シノ家の年越しはいやが上にも盛り上がる。



大晦日の年越しを迎える頃。

「紅白」が終わってしばらくすると,大勢が参道に集まってくる。

大勢と言っても,4~50名程度の近所さんの集まり。

そんな気配が伝わってくると,誘われるように家族で参道へ出て行く。

集まった知り合いに挨拶などしていると,直に12時を迎える。

そんなに混み合いもしない神社で,12時直後に新年のお参りを済ます。

帰り際に振る舞われる甘酒を,長男いっ君が「ウメェ~」と飲み干す。

「あんた,まだ未成年でしょっ!」と,今年最初の母の一喝が落ちる。

長女のちーは,健康的に熟睡中。

次女のみーは「お金ちょうだい」としつこく母にねだっている。

先ほどもらった賽銭用の10円をどこかに落としたらしい・・・・・

こんな年の初めをこれまでずっと迎えることが出来た。

幸せなことだし,これからもずっと続けれたらと思う。



昨年の暮れにホソボソと始めたこのブログ。

お陰様で,1年以上続けることが出来た。

冷めやすい自分の性格からして,これは快挙と言ってもいい。

この快挙を祝って乾杯!



毎日更新にこだわらなくなった。

書きたいものを書くようになった。

ムリしてネタを捻くり出すことがなくなった。

差し障りがあって書けないことが出てきた。

匿名性に疑問を持つようになった。

そんな自分の変身に乾杯!



記事からこの一年を振り返ってみると・・・

「顕微鏡酔い」の記事が個人的には好きだ。

その後も,顕微鏡に酔う学生が頻発,けっこう多いもんだと実感した。

「泣き別れ」やら「霞ヶ関文学」やら,検索からの多数の訪問の栄に浴した。

後輩のアミ先生の妊娠→ツワリ休暇時期は,忙しすぎて死ぬかと思った。

研修医のテルさんが病理をやってくれると決まって,感激した。

若手技師Yさんの再就職が決まってホッとした。

我が病理部の前途に乾杯!



それでは今年はこれにてお開き。

みなさん,お世話になりました。

それでは最後は一本締めで。

いよ~~~~ポンクラッカー


今は実験助手をしてくれている若手病理技師Yさんは,就活中且つ受験生の身。

この冬も細胞診検査士試験(2次)に挑んだが,その結果が先ごろ発表された。

顔を強ばらせて神妙に結果報告にやってきたYさん。

その姿を見た途端,なにがどうなったのかはすぐに分かった。

「すいません,結果です・・・・・」

差し出された紙を見てみると「不合格」の文字。

採点結果は,各項目いずれも平均点に至らず。

また一からやり直しということだ。



近隣の病院からの誘いもそのままに,並々ならぬ決意でこの試験に挑んできたYさん。

今年はこれだけに賭けてきたといってもいい。

ちなみに一緒に頑張ってきたG君は辛くも合格。

明暗を分ける形になった。

さて,これから彼女はどうするつもりか?

少し前に話した感じだと,実験助手がおもしろいしやってみたいと言ってたっけか。

その後は,試験が間近に控えていることもあって,その件には触れないでいたが。

実験したきゃそれでもええが・・・・・マジかいな。


「ところで・・・これからどうするつもり?」
「できれば,ここの病理部に残って頑張っていけたらと思ってましたが・・・」
「何度も言ったけど,ここの常勤ポストの空きはここ数年はないぞ」
「わかっています」
「それなら,実験助手のポストしかないけど,それでホントにええんか?」
「ハイ,やってみてもいいかな~って」


自分の研究を手伝ってくれれば,そりゃあ自分は助かる。

なんと言っても,イヤなことも彼女なら言える関係にある。

それに彼女も,上司(=自分)のエエ加減な性格がそれほど苦にはならないようだ。

けれども,研究にどっぷり浸かったら,それはそれでちょっと不安ではある。

来る日も来る日も免染しながらPCRを回し続けなければならぬ。

今おぼえている細胞の形など,直に忘れてしまうだろう。

しかも,日雇い身分の安月給。

研究費が底をつけば,職を失うことにもなりかねぬ。

やっぱや~めたといって病理技師に戻ろうとしても,研究三昧の後ではまともな気質には戻れないかもしれん。

彼女にそれだけの覚悟があるのだろうか?


「研究助手なんてしんどいし,不安定やし,大変やぞ」
「はぁ~」
「そんなに楽しいもんでもないしな」
「そうですね」
「そんでもやりたいわけ?」
「ええ,まあ」
・・・・・


よくよく問い詰めると,彼女なりの考えがあるようだ。

それは・・・

→とりあえず研究助手として頑張る
→そのうちに病理常勤ポストの誰かが辞める
→あるいは常勤ポストが新設される
→次に雇われるヒトはYさんでええんちゃう?という自然な話の展開になる
→晴れて病理技師の常勤ポストに恵まれる(かもしれない)

この「タラレバ」ばかりの楽観思考,個人的には大好きだ。

けれども現実問題として,思った通りにいく可能性がほとんど無いに等しい。

ならば,最善の道に誘ってあげるのも自分の仕事か?



「Yさんは,最終的には病理技師になりたいワケやろ?」

「そうです」

「なら,なんで研究助手なんて選ぶわけ?」

「それは・・・・・」

「研究は片手間にはできんし,病理も片手間にはできんし」

「はぁ」

「どっちかしか,選べんよ」

・・・・・

っということで,二転三転したYさんの進路問題。

結局,彼女は近隣の病院に病理技師としてお世話になることに決めた。

まぁ,これでよかったんやろーね・・・




駅前のおにぎり屋さんに立ち寄って,今日のお昼ごはんを調達しようとする自分。

ここのおにぎりはふんわかしていて人気だ。

ご飯時にはまだ間があり,そんなに混んでいない。

おにぎりの種類と値段が書いてあるボードを見上げながら,素早く品を選ぶ。

「いらっしゃいませ」
「え~っと,すいません」
「はい,何にいたしましょう」
「梅ふたつと,こんぶふたつと・・・」

注文しているうちに,なんか具合がヘンなことに気付く。

この売り子のオバサン,どっかで見たことがあるようなないような・・・・・

この声,以前に聞いたことがあるようなないような・・・・・

う~ん,思い出せん。

・・・そう言えば!



この売り子さん,チビさんと言って,以前にカラオケスナックで会ったヒトだ。

と言っても,それは17~8年前のこと。

当時はまだバブリーな時代。

親の脛かじって,アホ学生をしていた自分。

なんやかんやと理由を作っては,繁華街にあるカラオケスナックに通っていた。

たった7~8席ほどのカウンター席しかない小さなスナック。

酸いも甘いもかみ分けた老獪・毒舌ママ(推定60歳)が一人で切り盛りしている。

週末にはそこそこ客は入るが,平日はガラガラ。

今日は客足がいまいち・・・という時には,ママから電話がかかってくる。

特に何があるわけでもない自分。

まぁちょっと飲みに行くかと,言われるがまま出かける。

水割りを数杯飲みながら,遅くまでママと話をしていると,夜中の12時をまわる頃にふらっと訪れる女性が一人。

それが,チビさんだった。



チビさんは仕事帰りらしく,けっこう派手めな服と化粧をしている。

たぶん水商売関係のヒトらしいことは分かる。

店にやってきたチビさんは,カウンター内に入ってママの手伝いを始める。

どうやらチビさんは,このカラオケスナックにアルバイト感覚でやってきているようだ。

その日の売り上げのいくらかをママからもらっていた・・・そんなところだと思う。

時には客然としてカウンターに座り,いろんな愚痴めいたことをママにこぼすこともあった。

そんなチビさんに対するママは,まるで母のよう。

チビさんに対するあれやこれやのアドバイスや指示には,母性愛のようなやさしさを感じる。

そんなママがよくこぼしていた。

チビは水商売には向いてへん。

早よ足洗い!って,言ってるんやけど。

なにしろ,若いだけで不器用。

しゃべりがヘタ。

歌もヘタ。

それにそんなに可愛くもないし。

あれじゃ,客がつかへんわ。

自分の店を持ちたいって言ってるけど,まぁムリムリ。

そのうち風俗に行ったりしないかと心配で心配でね。

だから,どうしても捨てられずに面倒見ちゃってるワケ。

そう思うでしょ?,シノちゃんも。

そう言われても,そう思っていても,そうだと言えぬ若かりし自分。

確かに会話はヘタだ。

歌も音痴で聞いてられへん。

でも,ヒトの向き不向きなんてそう簡単には分かれへんし。

がんばったらがんばったで,何か道が開けるかもしれんし。

そんな優等生的な感想を持ったのを覚えている。



大学卒業と同時に,フラフラと飲み歩くこともなくなり,パタリと止んだスナック通い。

あれから十数年。

年余を経て再会した,化粧っ気のないオバサン顔のチビさん。

売り子さんにしてみれば,ちょっと年取りすぎな気がせんでもない。

注文品を奥の調理場へ伝えて,次の客の注文を取る。

出来た品を袋詰めして,レジで勘定する。

混雑時には,接客人員がもう一人二人いないと仕事が廻らないかもしれん。

奥の調理場でおむすびを作る数人の人達からも,いろいろと質問やらが飛んでくる。

「○○はやってあんの?」
「いえ,まだです,すいません」
「すんません,次の注文いい?」
「はい,少々お待ち下さい」

当時は不器用ながらも精一杯だったチビさん。

あれから十数年の時が流れても,チビさんは相変わらず。

ぶきっちょで精一杯なのを感じる。

確かに正解だったのかもしれん。

「チビは水商売,向いてへん」というママの冷静な指摘は。

確かに不正解だったかもしれん。

がんばればなんとかなるんちゃう?って思ってた自分は。

「お待たせしてすいません,○○円です」
「どうも,ありがとう」

最後の営業スマイルが,もう若いとは言えないチビさんの顔の皺を強調させる。

時の流れは冷徹だと思うけれど,しかしそこにはいつもニコニコしていたあのチビさんの面影があった。

がんばりや! チビさん。