親自らの手でゲームの重要度を上げちゃってる(めっちゃあるある!) | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

例えば、嵐のことがめちゃくちゃ好きだとしますよね。

 

もうほんとに好きで、テレビ番組も全部チェックするし、グッズもなるたけ買うし、ライブもチケットが取れれば地の果てでも行く。

 

 

 

そこまでして嵐にハマる理由の1つに、

 

「普段、会えないから」

 

ってのがあると思います。

 

 

 

かっこいいし、歌も、踊りも上手い。

 

ほんとに魅力的。

 

 

 

「美人とイケメンは3日で飽きる」

 

って言いますよね。

 

 

 

外見的な魅力や、特殊な能力を持っているだけでは、嵐にそこまでのめりこみません。

 

もし、その嵐が、自宅の隣に住んでいたとしますよね。

 

友達のように、気軽に会いに行けて、いつでも会える。

 

好きなのは好きかもしれませんが、その熱量は「なかなか会えない」っていう状態よりは確実に下がります。

 

 

 

 

 

僕は大阪出身なのですが、ユニバーサルスタジオジャパンには、2,3回しか行ったことありません。

 

通学路のすぐ近くにあったのに、それでもあんまり行きませんでした。

 

 

 

なぜなら、

 

「いつでも行ける」

 

っていう気持ちがあったから。

 

 

 

「いつでも行けるから、今じゃなくていいや」

 

みたいに思っていたんです。

 

 

 

 

 

飽食の時代と言われる今の時代。

 

これだけ食糧廃棄が多いのは、

 

「食料が簡単に手に入るから」

 

ですよね。

 

 

 

これがきっと、戦時中とか、江戸時代の飢饉の時とかであれば、絶対に食糧廃棄なんてやらなかったはずです。

 

「捨てるぐらいなら、俺にくれー!」

 

ってなってたはずですよね。

 

 

 

 

 

僕らは、

 

「簡単に手に入るものほど重要度が下がる」

 

「なかなか手に入らないものほど重要度が上がる」

 

っていう心理的な特性を持って生きています。

 

 

 

結婚して、パートナーの相手をしなくなる、

 

「釣った魚に餌をやらなくなる」

 

っていう現象も、この心理が働くからです。

 

 

 

 

 

 

 

「簡単に手に入れば入るほど重要度が下がり、なかなか手に入らないものほど重要度が上がる」

 

この特性を知っていれば、

 

「子どものゲームに制限をかければ、子どもの中で重要度が上がる」

 

っていうことも理解できると思います。

 

 

 

つまり、

 

「子どものゲームに制限をかければかけるほど、子どもはゲームによりのめりこむ」

 

ってことです。

 

 

 

実際に、目に見えるプレイ時間は少なくなります。

 

制限をかけたり、取り上げたりしているわけですからね。

 

 

 

でも、子どもの心と、頭の中は、ゲームでいっぱいになります。

 

なかなか会えない嵐にずっと心を奪われている人と同じような心理状態になります。

 

 

 

ゲームをやってはいけない時には、ゲームのことばかり考え、

 

ゲームをやってもいい時には、思いっきりゲームにエネルギーを注ぐ。

 

その結果、寝ても覚めても、ゲームのことばかり考える。

 

 

 

ゲームに制限をかけることで、子どもにとって、

 

「ゲームは特別なもの」

 

「ゲームは重要なもの」

 

っていう暗示をかけているようなものです。

 

 

 

 

 

一方で、勉強に対して制限なんてかけませんよね?

 

「勉強は、1日1時間まで!」

 

なんてやりませんよね。

 

 

 

勉強は、やればやるほど称賛される。

 

自由です。

 

好きなようにやったらいい。

 

 

 

いつでも、好きなだけできるんだから、子どもの中では重要度は上がりません。

 

だからと言って、勉強に制限をかけたら重要度が上がるかと言われたら、そんなことないからね(笑)

 

 

 

重要度を上げることの本質は、制限をかけることじゃないです。

 

「元々、重要度が高いものに対して、制限をかけるとより高くなる」

 

ってことです。

 

元々、重要度が低いものは、制限をかけても低いまんまです(笑)

 

 

 

勉強に関しては、制限をかけたり、重要度を上げたりする関わりってしないんですよね。

 

だから、子どもの中で、勉強に対する重要度って上がらない。

 

 

 

一方で、ゲームは、子どもも注目してるけれど、親も注目する。

 

子どもがゲームをするのはやりたくてやっているんでしょうから、元々、重要度が高い。

 

 

 

そこに、親がゲームにエネルギーを注ぐし、ゲームへの制限もかけるから、子どもにとって重要度がカーン!って上がる。

 

親にとっても、子どもにとっても、ゲームが大注目になるんです。

 

そりゃ、ハマるでしょ。

 

 

 

ゲームにハマるのも、飽きるのも、やるもやらないも好きにしたらいいんだけど、

 

「そこまでして、子どもをゲームにハマらせようとしなくてもいいんでないかな?」

 

とは思うんです。

 

 

 

ハマらせようとすることをやめれば、子どもはゲームと適度な距離を取れます。

 

ゲームをやめるわけじゃないけれど、

 

「ゲームでも遊ぶし、それ以外の遊びもやる」

 

っていう状態になる可能性が出てくる。

 

 

 

ゲームの重要度を上げる関わりをやめて、

 

勉強の重要度を上げる関わりをする。

 

 

 

 

 

 

 

「制限をかけたら、ゲームを諦める子もいるんじゃないの?」

 

って思った人もいるかもしれません。

 

 

 

個人的には、こっちの方が問題だと思ってて。

 

だってさ、

 

「好きなことを諦める」

 

んでしょ?

 

 

 

「好きなゲームを諦めたのに、好きじゃない勉強には熱意をもってやる」

 

ってあり得ないじゃない。

 

 

 

めちゃくちゃ大好きだった嵐のファンクラブを親に退会させられて、

 

「よーし!嵐とも会えなくなったし、勉強でもするかぁ!」

 

ってなる?ならないよね。

 

 

 

好きなことを制限されて、勉強をする可能性があるとしたら、

 

「親が怖いから」

 

に他ならない。

 

 

 

恐怖に支配されて勉強をするわけさ。

 

「人生こんなもんか」

 

って思ってたり。

 

 

 

自分は好きなこともできない。

 

自分はやりたくもないことをしなきゃいけない人生なんだ、って。

 

恐怖があるから、そうじゃない選択肢なんて取れなくて。

 

 

 

「子どもの好きなことに制限をかけて、勉強をさせようとする」

 

っていうルートは、子どもにとっても、親にとってもデスロードだと思っています。

 

 

 

子どもにとっては辛いし、親も、全く幸せそうじゃない子どもの姿をちょくちょく目の当たりにしてしまう。

 

子どものしんどそうな姿を見るのって、親にとってもけっこう辛いんじゃないかな。

 

 

 

せっかく子育てしてんだから、子どもの幸せそうな姿とか、笑顔とか見たくなるもんじゃないんかな。

 

んで、しかも、制限を解放してあげた方が、子どもが"自分から"勉強を始める確率は、格段に上がる。

 

 

 

なぜなら、その子は、

 

「好き」

 

「楽しい」

 

を身体で体感しているから。

 

 

 

だから、勉強の楽しみを知れば、それも身体で感じることができる。

 

心が躍るようになる。

 

元々、遊びで心躍る体験しているんだからね。

 

勉強で心躍る体験ができれば、そこもちゃんと感じ取れて、

 

「勉強って、おもしれー!」

 

ってなれる。

 

 

 

そういう道への入り口を開くのが

 

『遊びの解放』

 

なんです。

 

 

 

他にも「ゲーム」「遊びの解放」の記事があるよ!

↓↓↓

ゲームを義務化する

子どもが勉強はやらないのに、ゲームはやる理由

 

 

 

 

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「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

※子どもの自立モデル ~前日譚~(全12話)を読めます