カレーを食べるにしてもいろいろな食べ方がある。スプーンで食べるのもひとつだし、フォークで食べたって良いし、箸で食べてもいいだろう。それでもインドでカレーを食べるにあたっては、なんとなく素手で食べてみようかなんて思う。そして実際に素手でカレーをぐちゃっと握り、食べてみる。こういうものなのだなと思いながら、そして、この食べ方もあながち良いななどと思いながら。そんなことを思っているやさかに、一人のインド人が、まるで満腹になって今にも寝転んでしまいそうなロバのような顔をして「スプーンで食べればいいじゃん」と言ってきたら、手についたカレーをきっちりと拭き取り、手にスプーンを握り、「な・・・ナマステ」と苦笑するに違いない。海外に行くとはそういうことである。
8月17日の朝9時(日本時間)に出発し、8月17日朝9時にシカゴ空港に着く(シカゴ時間)、といったそんな不可解なことにいちいち臆してはいられない。今、こうして早朝の日差しを浴びながら、「僕が36時間前にいたあの国は8月18日の夜10頃なのだな」と思いながら、パソコンのキーボードに手を合わす。
シカゴ行き日本航空の機内では人生で初めて機内食を味わった。何を隠そう僕は海外に行くのが今回で初めてであるし、基本的には新千歳—羽田間以上の長期フライトは経験したことがない。
乗って3時間ほどしたところお昼ご飯が配られた。ハンバーグとカレーとゆで卵とサラダと果物が入っていた。あまり期待はしてなかったけれど、これはこれでとてもおいしかった。しっかりあったかい。それだけで十分である。
座席にモニター(タッチパネル!)がついているので、映画やゲームや音楽が楽しめる。僕は映画を三本みて、麻雀ゲームで二回のチョンボとカジノゲームで12回の破産を起こした。最後にはあんなにやわらかいスポンジで包まれているヘッドホンでさえ耳に堪え、ひりひりと痛くなった。僕は2回トイレに行き、数えきれないほど肩と首を回した。5回ほど寝ようと試みたが僕のもとに眠気が訪れる気配はさらさらなかった。今思い出してもうんざりするほど長いフライトであった。
途中に機内が消灯し、それが六時間近く続く。そしてまるで忘れ物を思い出しかのように急にライトが付き、キャビンアテンダントが「おはようございます」と声をかけながら、僕たちにアツシボを配り歩く。その30分後には朝食を渡された。日本時間の夜9時頃の話である。いったいこの人たちは、どうしてこんな真顔でそんなおかしなことを言ってのけれるのだろう、と僕は半ば腹が立っていた。睡眠時間の不足がたたっているのだ。つまり、思い出せばあのハンバーグとカレーは夕食だったことになる。この機内の時制は一歩足を踏み入れた瞬間からシカゴ時間だったのだ。
時空が歪んでいる。
シカゴ空港からさらにクリーブランド空港に乗り継ぎ、そこから30分近くバスで移動して、ようやく目的地の留学先の大学に到着する。途中で中華料理店に寄り、初めてのアメリカの食事を味わう。ひとつひとつ料理を手に取るたびに、まるで格闘対戦ゲームをするときのように「ニューチャレンジャー、春巻き」といったアナウンスが流れる気分である。それも「春巻き」であるにも関わらず、画面に映っているのは、おそろしくガタイの良い黒人レスラーなのであるから勘弁してほしい。とにかくひとつひとつの料理が重い。ヘビー級である。そうこうして僕は15人ほどのレスラーを撃破し、最後に待ち構えていた、ロブスターなのかザリガニなのかまるで区別のつかないものを目にしたところで丁度箸を置いた。
その後、大型ホームセンターで寝具等を買い込み、いよいよ自分のアパートに到着である。東京で一人暮らししていた部屋よりは少し大きいので多少のテンションはあがるものの、一番恐ろしかったことは、玄関灯とトイレ以外にライトが無かったことである。伝わるだろうか。正直なところ、僕自身にも伝わっていない。それほどいまだに理解ができない状況である。つまりリビングというか(ワンルームなのだけれど)、一番大事なくつろぎのスペースである場所の天井には天井しか無かったのである。暗闇の中手探りでスイッチを探しまわるも一向に引っかかるものは無く、何度もひもを引っ張るような仕草をしてもこれもまた一向に手にかかるものは無かった。あのときの僕の動作はアメリカ史に名を刻むほどに間抜けなものだったと思う。
今でこそ、窓からの日差しで生活できているが、まさかライトが無いなんてことは想像していなかったので、なるべく早い内に卓上灯くらいの物で良いから用意したく思ったところだ。
今日の予定はオリエンテーションだけなのだが、昨夜の僕は暗闇の中でまったく方向付けできていなかったことを思い出すと、しっかり話を聞こうと思える。
ああ、眠い。
8月17日の朝9時(日本時間)に出発し、8月17日朝9時にシカゴ空港に着く(シカゴ時間)、といったそんな不可解なことにいちいち臆してはいられない。今、こうして早朝の日差しを浴びながら、「僕が36時間前にいたあの国は8月18日の夜10頃なのだな」と思いながら、パソコンのキーボードに手を合わす。
シカゴ行き日本航空の機内では人生で初めて機内食を味わった。何を隠そう僕は海外に行くのが今回で初めてであるし、基本的には新千歳—羽田間以上の長期フライトは経験したことがない。
乗って3時間ほどしたところお昼ご飯が配られた。ハンバーグとカレーとゆで卵とサラダと果物が入っていた。あまり期待はしてなかったけれど、これはこれでとてもおいしかった。しっかりあったかい。それだけで十分である。
座席にモニター(タッチパネル!)がついているので、映画やゲームや音楽が楽しめる。僕は映画を三本みて、麻雀ゲームで二回のチョンボとカジノゲームで12回の破産を起こした。最後にはあんなにやわらかいスポンジで包まれているヘッドホンでさえ耳に堪え、ひりひりと痛くなった。僕は2回トイレに行き、数えきれないほど肩と首を回した。5回ほど寝ようと試みたが僕のもとに眠気が訪れる気配はさらさらなかった。今思い出してもうんざりするほど長いフライトであった。
途中に機内が消灯し、それが六時間近く続く。そしてまるで忘れ物を思い出しかのように急にライトが付き、キャビンアテンダントが「おはようございます」と声をかけながら、僕たちにアツシボを配り歩く。その30分後には朝食を渡された。日本時間の夜9時頃の話である。いったいこの人たちは、どうしてこんな真顔でそんなおかしなことを言ってのけれるのだろう、と僕は半ば腹が立っていた。睡眠時間の不足がたたっているのだ。つまり、思い出せばあのハンバーグとカレーは夕食だったことになる。この機内の時制は一歩足を踏み入れた瞬間からシカゴ時間だったのだ。
時空が歪んでいる。
シカゴ空港からさらにクリーブランド空港に乗り継ぎ、そこから30分近くバスで移動して、ようやく目的地の留学先の大学に到着する。途中で中華料理店に寄り、初めてのアメリカの食事を味わう。ひとつひとつ料理を手に取るたびに、まるで格闘対戦ゲームをするときのように「ニューチャレンジャー、春巻き」といったアナウンスが流れる気分である。それも「春巻き」であるにも関わらず、画面に映っているのは、おそろしくガタイの良い黒人レスラーなのであるから勘弁してほしい。とにかくひとつひとつの料理が重い。ヘビー級である。そうこうして僕は15人ほどのレスラーを撃破し、最後に待ち構えていた、ロブスターなのかザリガニなのかまるで区別のつかないものを目にしたところで丁度箸を置いた。
その後、大型ホームセンターで寝具等を買い込み、いよいよ自分のアパートに到着である。東京で一人暮らししていた部屋よりは少し大きいので多少のテンションはあがるものの、一番恐ろしかったことは、玄関灯とトイレ以外にライトが無かったことである。伝わるだろうか。正直なところ、僕自身にも伝わっていない。それほどいまだに理解ができない状況である。つまりリビングというか(ワンルームなのだけれど)、一番大事なくつろぎのスペースである場所の天井には天井しか無かったのである。暗闇の中手探りでスイッチを探しまわるも一向に引っかかるものは無く、何度もひもを引っ張るような仕草をしてもこれもまた一向に手にかかるものは無かった。あのときの僕の動作はアメリカ史に名を刻むほどに間抜けなものだったと思う。
今でこそ、窓からの日差しで生活できているが、まさかライトが無いなんてことは想像していなかったので、なるべく早い内に卓上灯くらいの物で良いから用意したく思ったところだ。
今日の予定はオリエンテーションだけなのだが、昨夜の僕は暗闇の中でまったく方向付けできていなかったことを思い出すと、しっかり話を聞こうと思える。
ああ、眠い。



