さあ、日にち跨ぎまして、今日は五月の最終日でございます。
僕は本当に意思の弱い人間というかなんというか、何かといろんなものに責任転嫁してしまう癖があるみたいで、この五月は本当に遊びっぱなしだったね。不思議なもので、なんだか五月というものは僕にとって遊ぶ月だと決まっているみたいだ。おそらく、五月病という謎の病気に責任転嫁しているからだろう。五月病なんて無いらしいんだよね。プラシーボ。

昔から僕の癖で、キリの良い数字を基準に人生を過ごす。
五月は半分位から、「なんだか今年の五月もクソみたいな月だな」とかじわじわと気づき始めてはいたのだけど、「五月のラストまではとことんクズになりきろう」と吹っ切った考えに至り、今日に至り。僕は結構こんな考え方を良くしますね。多分良くないことだと思う。受験もこんな感じで失敗してる気がする。

例えば、10時35分くらいの段階でゲームをしてたとして、「キリのいい、11時までゲームしよう」って考えになるわけだ。それで、ひどいときには「11時で終わるはずが、なんだか11時15分になってしまったから、30分まで延長しよう」とかとか。こんなんで、最長10時間くらい延長したことあるよね。風俗なら出禁くらいますね。

↑こういうの、よくないよね、やっぱりね。でも、これが自分の性格だからしょうがないのかな、とか甘えたり。だいたい、五月は本当にすっごくお金を使ったし、しかもそれらは一瞬で形の無いものに消えていったわけなんだけれど、なにせ開き直ってるから、屁とも思ってないですね。

どうなんですかね。まあ、そんな五月も明日で終わるわけなんだ。
幸い、the クソest monthは、五月だけらしいから、この五月を抜ければ通常モードで生きていけそうだ。変な人生っすね。

こんな風に、自分の性格をある程度受け入れながら、なんだか客観視してみると、自分が二人いるような、俯瞰になって自分をゲームで操っているような感覚になって面白い。

では、では、本題。

「病むってなんすか?」

いや、これ本当の話で、僕、もう、ずうううううううっっっっっっっっと病んでないんだ。
ずっと病んでいない、ということは病んだことはある、と言い換えられるのだけれど、なんだろう、少なくとも二年間近くは沈み込んでないです。
もちろん僕はロボットでもないから、感情は持ち合わせてるわけで、喜怒哀楽、いろんなことがありました。だけど、なんだろうな、引きずる感じの落ち込み方ってのは全く無いね。

それはなんでかっていうと、やっぱり、「なんとかなる」っていっつも思ってるからかな。
これは諸刃の剣で、人によってはめっちゃイラつかれる性格らしいんだけど、例え周りがめっちゃ焦っていたとしても、僕は平常心というか、「なんとかなるっしょ?」て感じで構えてます。
でね、結局、「なんとかなる」んだよね。

このブログでも、いろいろなエピソードを語ったんだけど、なんだか僕は全部そんな感じ。

良いこと、悪いこと、って表裏一体だと思ってて、なんだか落ち込むようなことでも見方さえ変えればすっごい楽しいことだったりするんだよね。
極限の空腹の中、豪雨で帰れなくなったときでも、そんな非日常空間にわくわくしたし。
飛行機初めて乗り遅れたときも、貴重な体験したなって思うし、なにせ途中のスリルが楽しかったですよね。まあ、結局三千円くらいかかりましたけど、全然乗れましたし、なんとかなりましたし。
やっぱり落ち込みやすい人って、考えすぎちゃってるのかなって思う。

その瞬間はめっちゃ辛いことに思えても、それは多分、太陽があたってない月の裏側見てるだけだと思うしね。見方変えれば、結構なんともなかったりするし、意外と楽しいことだったりもする。
今まで乗り越えてきたピンチ思い出してみても、結局なんとかなったし、たいしたことなかったりするんだよね。

ピンチばっかりで、追い込まれてるな、ってときもある。
でもいったん心整理して、紙に書いてみたら、クリアしなきゃいけない出来事ってたったの三個だったりするんだよね。意外と少ないのよ。頭で考えてると凄い追い込まれてる気になるんだけどね。「あ、三個くらいならなんとかなりそうだな。とりあえず一つひとつ落ち着いてクリアしていこう」ってやっぱ思った方が精神衛生良いのではないですかね。

ピンチをチャンスと思え、とまでは僕は考えないけど、「ピンチはそんなにピンチじゃない、なんとかなる」くらいに思う姿勢ってのはなんだか僕は自分の中で生きやすくて凄い好きですね。

本当にゆったり生きてたし、五月も相変わらずクソだったんだけど、やっぱり楽しかったし、良い月だったなと思う。

なんだか、自分のそういうところ結構好きだな、って思いますね。

じゃ、借りた映画見てきます~。映画記事再開した方がいいのかな?軽く悩んでます。