ペーパー・ムーン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]/パラマウント ジャパン
¥1,500
Amazon.co.jp


聖書を売り付けて小金を稼ぐ詐欺師のモーゼが、亡くなった知り合いの娘アディと出会う。彼は嫌々ながら彼女を親戚の家まで送り届ける事になったが、ペテンの相棒としてアディと旅を続けるうち、モーゼは父親めいた愛情を感じていく……。モノクロの映像が30年代の雰囲気を巧みに伝える、心温まるロード・ムービー。(allcinema ONLINE)




★二人のツンデレ関係がたまらない


何度みても飽きない映画。

そんな映画に出会えることは人生においてとても貴重なことです。

それが、ペーパー・ムーン。

1970年の作品。誰かのおすすめなくしてはきっと手に取ることはなかったでしょう。僕の中では、一番好きな映画といってもいいんじゃないかという作品。ぜひ、これを読んでくれた方は、一度見てほしいなと思います。


とはいうものの、今回なぜかまったく筆が進まないのです。

何を書けばいいのやら、わからず。

完璧すぎると書くことなくなるんでしょうか。

脚本は至ってシンプルですが、とてもよく考えられています。

どのシーンに至っても手を抜いているようなところは見られず、すべてのシーンに良さがあり、そして僕はそのどのシーンも好きなわけです。



この作品は、いわゆるロードムービー。

もともと父親が不明だった娘アディですが、いきなりこの女の子の母親の葬儀のシーンから始まります。

葬儀参列者はわずか四名ほど。アディはついに母親までも失ってしまいます。彼女のことは遠い町に住んでいる親戚の家が引き取ることになるそうです。葬儀参列者は近所の方なんでしょう。


そこへ、車にのって詐欺師のモーゼが現れます。

どうやらモーゼは、この母とは昔にバーで出会い、一度関係をもったらしいことが彼が参列するときにいうセリフから察しがつきます。

彼にとっては、ちょっとした挨拶程度だったはずですが、事態は彼の思わぬ方向へ。


モーゼが車で来ていることに気付いた参列者は、アディを親戚のおうちに送ってくれないかとモーゼに頼みます。当然嫌がるモーゼですが、行き先を聞かれ、答えた場所がなんとその親戚の家がある方向なのだから、断るに断れなくなってしまいます。

そうしてこの二人の旅が始まるのです。


僕はまずなにが好きかって、アディとモーゼの距離感が本当に絶妙なんです。

二人とも利害関係が一致していて、持ちつ持たれつの関係なのです。


どういうことかというと、アディのほうは、当然身寄りがないわけですから、モーゼの助けは必要なわけです。それに極めつけは、もしかしたらモーゼが父親なのではないかと思っているところ。実際に作品内で明らかにはされませんし、あごの形が似ているだけと語られるだけなのですが、ここが物語全体の雰囲気をよくするポイントとして十分な効果を発揮していると思うんですよね。それに、実はこの二人のキャスト。実際に親子での出演だというのだから。。


モーゼの方はというと、詐欺を生業としていますが、アディがとても役立つことに気づきます。

聖書販売の詐欺をして、しかめ面をするようなお客さんでも、アディを娘としてコンビを組むと、「お嬢ちゃんかわいいね」みたいな感じで結構うまくいくのです。

それに、アディと出会ってすぐ、アディをだしに彼女のみえないところで、200ドル詐欺るのですが、それは実はばれていて、200ドルをアディに返さなくてはいけないという縛りがあります。


そうです。

なぜ距離感が絶妙かって、この縛りがあるからなんですよ。

モーゼの単なる厚意だけの関係ではないってところがまた一段と面白いんですよ。

実はこの縛りみたいなものはラストシーンにも効いてくるわけですよね。

見た人にしかわかりませんが、その縛りってのは、最後の下り坂で車が動いてしまうシーン。

車が勝手に動いちゃしょうがない乗るか。ってのが縛りです。


いや~実にツンデレ。

もう二人の関係はツンデレだ!たまんないね!


最初はビジネスパートナーとしか思っていなかったモーゼですが、次第にアディに愛着がわいていくのもいいです。

一番好きなシーンはモーゼが女関係で痛い目みたあとにアディにセリフを言うシーン。

「いいか、大きくなっても男をだますような女にはなるなよ」


たまらなくいいシーンです。

ビジネスパートナーにこんなこと言いますか?

二人がだんだんと本当の親子のようにみえてくるような描き方ってのが本当に好きですね。



本当にどのシーンも完璧で、好きの度合いは別にしても、この作品が面白くないっていう人はいないと思うんです。

モーゼの詐欺師とはいえど、結構優しいやつなんだなってのは詐欺の手口でも見て取れますし、

そしてアディのモーゼへの気持ち。鏡を見て、ポージング。ちょっと背伸びしたいお年頃。

僕はもう二人のキャラクターを愛してやまないですよ。

コーヒー&シガレッツ [DVD]/角川映画
¥1,890
Amazon.co.jp


『ミステリー・トレイン』『デッドマン』のジム・ジャームッシュ監督が18年に渡って撮りためたコーヒーとタバコをテーマにした短編映画集。11本のショート・フィルムに登場するのは、ケイト・ブランシェット、ビル・マーレイ、スティーブ・ブシェミ、ロベルト・ベニーニなど総勢24名。第3話目の『カリフォルニアのどこかで』はカンヌ映画祭短編部門のパルム・ドールを受賞している。監督ならではセンスのいい音楽とユーモアを最後まで楽しめる作品。


★コーヒーとタバコ好きに送る一本


とりあえず、わたくしの自己紹介から始めましょう。

飲み物はといえば、20歳を境に、コーヒーとビールに目覚めました。

居酒屋に行けば、みんなと同じく、「生」といえるようになったし、コーヒーに関しては、甘い雪印コーヒーではなく、ブラックコーヒーもありやなと思えるようになりました。

不思議と、20歳から。

(子供のころは世界で一番おいしい飲み物はファンタグレープだと信じて疑わなかった・・・。大人になった自分の中の何が変わって味覚に影響をおよぼしたのか・・・)


一方で、周りの友達が席につくやいなやまずタバコに火をつけるなか、私はそっと風下にのがれ、新鮮な空気をいまのうちにできるだけ吸い込んでおきます。

20歳になってもタバコは吸うようにならなかったですね。たぶんこれからも吸わないでしょう。


というわけで、コーヒーは好きだけど、タバコ好きの気持ちはわからなかったので、なんとか理解できたらいいなという思いで借りたのがこの一本。見終わったあと、私の価値観はどのように変化するのだろうか!?


この作品は11本の短編集になっています。

そして、そのどの作品にもタバコとコーヒーが出てきます。

そして、登場人物が、嗜好品を片手に、実にとりとめのない会話をしています。いわば、どこでも聞いたことのあるような世間話をまとめたもの。


ただ、それだけです。


これが好きかどうかはやっぱり好みによるでしょう。

どう考えても、ハリウッドの超大作には、見栄えは落ちるし、別に感動もしないし、泣きもしないし、そこまで笑えるわけでもない。

それでも僕はなんかかしらの魅力を感じたわけです。実は結構好きなんです。


ショートフィルム集なので、一本だいたい10分たたずに終わります。

その間の会話劇ですが、非常にシュールなんですよね。どこが面白いのかは口でうまく説明できないんだけど、なんか心に残る、そんな会話を彼らはしてくれます。

隣のカップルの会話を盗み聞きしてるような、そんな気分。


そして、コーヒータバコ好きの人に贈るのと同時に、人間観察好きにも贈りたい作品。

10分間の会話内容としぐさだけで、この人はどんな人間なんだろうかと考えるのが非常に楽しい。(というかそれぐらいしか楽しめる部分がない・・・)

どんな人生を送ってきたのかなとまで、考えられる話もありました。


というわけで、コーヒータバコ好きが、楽しむ映画、というよりかは、人間観察するのを楽しむ映画といったほうが本質をついてる気がしますね。


さて、この映画を観終わって、嫌煙家の私がタバコがいいものに思えたかどうかといえば微妙ですが、明らかに見る前と見た後で変わったところが一つ。




・・・めちゃくちゃ喫茶店いきたくなったわ。

17歳の肖像 [Blu-ray]/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
¥2,500
Amazon.co.jp

1961年、16歳のジェニー(キャリー・マリガン)は、ロンドン郊外の街で平凡で退屈な日々を送っていた。父(アルフレッド・モリナ)は成績優秀な娘をオックスフォード大学に進学させようと躍起になり、彼女はそのことに反発を覚えていた。そんなある日、彼女はデイヴィッド(ピーター・サースガード)という年上の男性と出会い……。

★恋は盲目・・・女性目線のラブストーリー

恋愛をしたことがあれば、熱する、冷めるといった感覚を理解できるでしょう。
これまた不思議なもんで、あれだけ好きだったのに、今振り返ればなんで好きだったかまったくわからないとかなんとか。
恋は盲目とよくいわれてますが、まさにその通りですよね。
きっと、好きという感情は理性とかとはかけ離れた場所にあるんでしょう。

というわけで、今回の作品の主演:キャリー・マリガン。
華麗なるギャツビーでのデイジーを演じた女性です。
彼女と年上男性との恋愛を描いた映画です。
この俳優さんで思うことは、めっちゃ惚れてる演技うまいなって思います。キャリー・マリガンの惚れてる演技はね、ほんとにかわいい。目がすごいよね。実生活でもそうなんですかね。

まぁ、キャリーのプライベートはさておき、とりわけこの作品で思うことは、語り方がうまいなー、です。
序盤、彼氏っぽい同年代の男の子とジェニーのショットからはじまります。
まぁ、この男の子がなよっぽい。ジェニーも困り顔です。
そんなところに、デイヴィッドという年上男性に出会うんですね。15歳差とかなんですかね、覚えてないですけど。
なよなよ男子とは対照的に、このデイヴィッド、とにかく大人の魅力を出すのがうますぎる。

デイヴィッドは普通の出会いをいかにも、運命的なものにする。(運命なんてこじつけだ・・・)
お嬢様のような真面目な生活を強いられていたジェシーに、とことん大人の世界をみせていきます。いままで見たことない世界、そして素敵な大人の男性。次第にジェニーはデイヴィッドにばっちり惚れていきます。

しかし、ふと思い返せば、ジェニーはこの男をまったく知らない。
どんな仕事をしているのか、どんな過去をもっているのか・・・
それでも恋をしてしまうのだから、やっぱり恋愛感情なんてのは、頭の中にはないんでしょうね。

当然、二人がらぶらぶ、ハッピーエンド。なわけはなく、次第に不穏な空気がただよってきます。なにせ、この男、ただものじゃない。

この作品の語り方がうまいなぁと思ったのは、男の正体がわかりはじめたころです。
どういうことかというと、じつは僕も同姓ながら序盤は
「なんやこのおっさん、かっこいいやんけ。そりゃジェニーも惚れるわな」
とまぁ、うまくいきすぎ感に若干あやしさを感じつつも、僕の目にもデイヴィッドがかっこよくうつっていました。

それが見終わった後一転して僕のデイヴィッドに対する感想は
「なんやこのおっさん、変態ロリコン嘘つきくそ野郎やないか」
に変わってしまう。

うまいですよね。プラスマイナスの描き方が
序盤はジェニーの親ってのは、うっとおしい、世間体ばかり気にするような嫌な親にとことんマイナスに描かれています。それに対して、大人の世界を見せてくれる、デイヴィッド。窮屈な家庭、学校から解放してくれる素敵な男性。とてもプラスに描かれます。(とはいえ、あやしいな、と思える程度の伏線はぱらぱらと振られている)

後半は見事に、逆転します。
あれだけ、見る人にいやな親にうつっていたジェニーの親が、とてつもなく素敵な親に見えてきます。やっぱりちゃんと娘のことを考えているんだ。周りの人全員に裏切られても、親だけは最後まで味方なのだ、ということを強く感じることができます。

デイヴィッドの方は、もうひどい。
初夜にかばんの中にバナナをしのびこませている男です。
見る人も、盲目状態だった恋から醒める瞬間です。

ただまぁ、ちょっと救いなく描かれすぎな気がしましたね。
女性の監督、ということで、非常に女性目線だな、ということはわかるんですが、ちょっと悪者にさせすぎかと。男のミスがあまりにも軽率すぎるのが気になるし、最後の最後に常習犯ですみたいなまとめられかたをしてしまうと、なんか全てが嘘のような感じがします。ジェニーだけに感情移入してると大丈夫だと思いますが、男性はデイヴィッドの方に感情移入することもできるので、結構混乱しますよね。彼が本気だったか本気でないのかくらいはっきりさせてくれてもよかったのかなぁって。常習犯でも、ジェニーだけは特別だったのか、それともいつものノリなのか。ちょっともやもやする放り投げです。

それでも、決して恋愛模様を描くだけではなく、学業とか、大学に対する意義ってのも描いていました。17歳って設定をしっかりつかんでいて、単なるラブストーリーに終わらなかったのはとても好きでした。(大学の意義・・・胸につきささる)

デートムービーとして非常におすすめです。
ジェニーは女性が非常に共感できるキャラクターです。
それにうってつけは、見終わった後、「彼氏が俺でよかっただろう」と言えること請け合いの出来。それを聞いた彼女は目の前の、信頼できる彼氏に安心するわけです。


(それも盲目なのかもしれないけど・・・)



ぼくは映画に関する専門知識など知らない。カット割の効果や、カメラワークの効果、監督それぞれの得意な演出などなどを大学の授業で習ったには習ったのだが、所詮それらの類は未だにぼくの中では感覚的なものに過ぎず、ご立派な専門的批評などはできない。そのためにこのブログの映画記事は素人感満載のレビューとなってしまっている。主観に溢れているはずだし、10点満点の作品も合わない人には合わないだろう。

それでもなぜこのブログでレビューをするのかというと、単純に共感を得たいのだと思う。
元をたどれば「映画をなぜ見るのか」という問いに対しては単純に楽しいのが一つあるのはもちろんだが、それと同様に大きな割合を占める理由として、他者とのコミュニケーションのネタになるからだ。

映画の話になったとして、「一番好きな映画はなに?」と聞いて返って来た答えにしっかりと反応したいわけだ。

「レオンって映画で…」
「知ってる、知ってる!おれも超好きだよ~!マチルダがさ…」

この共感できる瞬間がぼくはたまらなく好きだ。好きな映画を語る顔はどれも素敵だ。その笑顔をずっと見ていたいものである。そのためにはなるべく多くの映画に対して感想を持っておきたい。

映画の話を友達とするときはなかなか楽しい。その映画の話が終わったかに見えると、やれその俳優が出てる他の作品はとか、それに似てる作品が、とか。意外と話は尽きないものだ。ラストの解釈について語り合うのも楽しい。そしていろんな人の価値観を知ることにも繋がる。

映画は多くの人が趣味としているだけあって、その映画に詳しくあることはなかなかに得をすることが多いのである。

映画の上映時間はだいたい2時間。まれに3時間。
映画を見ようと思うと結構時間を取られてしまう。忙しい日などはなかなか見る時間が無いものだ。
それでも映画を見ることはその2時間と引き換えに数えきれないメリットがぼくにはある。
平日の夜12時から映画を見始め、深夜2時に見終わり、翌朝睡眠不足で起きたとしても、だ。

「ハリーポッター」や「パイレーツオブカリビアン」は僕たちを夢の国への2時間旅行に連れ出してくれる。

「ライフイズビューティフル」「リトルミスサンシャイン」を見終われば、気づけば実家の家族に電話をかけている。

「SAW」「ミスト」を見れば、隣にいる女の子が僕の手を握ってくれる。

そして、大好きなあの子が大好きな映画を見れば、素敵な笑顔で映画の感想を自分に語ってくれる彼女が見れる。

今日見る映画はどんな映画なのだろうか。
そんな思いと共に、ぼくは今日もスクリーンに思いを馳せる。


iPhoneからの投稿


深夜に急に目が覚めてどうしようもないので、この前食べたとろろそばの話をしたいと思う。

まったく魅力のないつかみではあるが、私の中では意外と印象に残っている日だったので、せっかく記事を開いていただいたのであれば読んでみて欲しい。

先日私は夜の9時まで松戸というところで授業をしていた。
池袋が私の家の最寄りのため、松戸から池袋を目指すとだいたい片道40分程度となる。
ここでまた塾講師の仕事の特殊な点としてあげられるのが、「いつ飯食えんのや」ということだ。塾講師の仕事は終わりが遅い。そうなると自然と夜ご飯を食べる時間帯というのもずれてくるわけで、この日だと仕事が終わった9時の段階でお腹はグウグウ。松戸で仕事終わりに何か食べても良かったのだが、せっかくだから池袋まで我慢してお気に入りのカレーでも食べようかと自分の舌と相談していた矢先だった。
脳内が食べ物のことでいっぱいだったからかはわからないが、なんと私は帰りの電車を乗り違えていて、気づけば逆方向の電車に10分以上乗っていた。
まぁ、このときほど自分の馬鹿さ加減にいらついたことはなくて、そしてまたこのような極度の状況で無意味な時間を過ごしてしまったことが耐えられなかった。松戸にまた舞い戻ることがどれだけ徒労か。車内は混んでいて無情にも私に座る場所など与えられない。

そして恐るべきことは片道40分であったはずが私の愚かなミスにより、片道1時間に脅威の変貌を遂げたということだ。
お腹が空いて泣いて崩れ落ちそうな気分を抑えつつ、なんとか片道1時間をかけて池袋に戻ったところだ。
山の手線が池袋に到着したときのこと。なにやら違和感があった。電車から降りてホームに足を預けるまでのわずかな時間に、自分の身体をなにやら生暖かいものが濡らした。そのときは特に気にもとめずにカレー屋を目指して出口に降り立ったところ、その生暖かいものの正体に気付いた。時刻は10時半にさしかかるところ。外はスコールかと思うほどの大量の雨であった。

どれほど凄まじい雨であったかということをうまく私の文章力で伝えられるのならそれは望ましいことであるが、皆さんの想像力におまかせ頂くと、今までで私が経験した中で最大の雨量であった。雷雨だ。5秒感覚で空は青く光り、そのまた2秒後にはものすごい雷の轟音が池袋に響き渡る、そんな状況である。
当時の私は傘など持っていなかったし、また持っていてもなんの意味もないほどの雨であった。外にはほとんど人が歩いていない。これはダメだ、ということで、たくさんの人とともに出口付近で待ちぼうけを食らうわけである。

あのとき、電車を乗り違えてなかったらこんなことにはならないのに!!
悔しかった。人の食に対する思いというのは時として恐ろしいものだ。
カレーを諦めきれなかった私はそれでも30分ほど雨宿りをしていた。つまらない時間だった。お腹の空きはとうに限界を超えている。ピークから2時間経っているのだから。

私は、重い腰をあげ、池袋駅構内で何か食べれるところを探すことにした。
そうだ、つけ麺屋があったはずだ。
意外なことに、そのつけ麺屋を目指す道中が楽しかったりするのだ。非日常的な事態にわくわくした気分。脳内では、となりのトトロの「さんぽ」が流れている。
不思議なことにすっかり私はこの状況を楽しんでいた。

しかし、そんな私をまだ不幸が襲うのであった。
店員からのお言葉。「すみません、もうラストオーダー終わっちゃったんですよー」(よー、よー、よー、)←エコー
そこは池袋駅構内であったはずなのだが、私の頭の上だけに集中豪雨が降り注いでいた。
なんてことだ、信じられない。時刻は11時を過ぎようとしているときであった。確かにシャッターが閉まっている店ばかりで嫌な予感がしていたんだ。
そのときであった。もう半べそ状態で戻ろうとした道で、私の目は立食い蕎麦屋を捉えていたのであった。

恐る恐る店員に聞く。「まだやってますかね?」
明るい笑顔で60歳近く見えるおばさんが答える。「やってるよ!」
私は意気揚揚と「とろろそば」を注文した。
目の前に置かれたとろろそば。ズルズルっと一口目。

ああ!なんて幸せなのだ!!!

こんなにうまい蕎麦を食べたのは久しぶりであった。しっかりと口の中で味わい、つゆの一滴も残さずに完食。
あまりの美味しさに涙がこぼれそうであった。
大満足で、先ほどの出口に戻った時、嘘のようなことが起きていた。
先ほどまで地獄絵図のような池袋が見違えるように、雨が上がっていたのであった。街灯に照らされた地面は私の気持ちを表すかのようにキラキラと光っていた。

こんなことってあるのだろうか。私の気分はV字回復。家についた頃には、あのとき電車を乗り違えて良かったと思っていた。本当である。


とまぁ、そんな話だ。
思ったことは、やっぱり気分がすぐれない時ほど、なにか楽しめることを見つけることだ。池袋構内をさんぽしていたときなんかまさにそうだ。あれは楽しかった。一種の冒険である。

それと、物に固定価値などないということだ。食べたかったカレーなど頭からすっとんでいた私は、440円のとろろそばにえらく感動していた。

とりとめのないことを言うようだが、幸せの感じ方なんて、その人の釈度による。いつまでも鬱屈した気分でいたら楽しめるときに楽しめない。
ものの価値なんて結局その人が決めるのだ。気分次第で、単なるそばでも、凄まじい変化が表れる。
それならば私は、どんなときでもいつでも楽しくいたいと思った。基本的に、どんなにつまらない状況でも、楽しめる手がかりは意外と残されているものだ。池袋構内を冒険している気分になったっていいじゃないか、憂鬱な顔をひっさげて冒険する勇者がどこにいる。

Be happy !! だ。
あの日本一美味しいそばにまた出会えるのではないかと思ってね。

iPhoneからの投稿
恋する惑星 Blu-ray/角川書店
¥5,040
Amazon.co.jp


麻薬取引にかかわる金髪の女ディーラーと、恋人にふられ落ち込み気味の刑事モウとの不思議な出会い。そして、モウが立ち寄る小食店の新入り店員フェイと、スチュワーデスの恋人にふられる警官との出会いとすれ違いという、平行線をたどる二組の関係を軸にして展開する、香港ニューウェイブ、ウォン・カーウァイ監督が描く恋愛映画。(allcinema ONLINE)


★鑑賞後1時間はあれこれと思いをめぐらせることのできる映画


映画には、一度みたらもういいやってなるものと、何度みても新鮮なものの二種類があります。その作品が面白いかつまらないかは別として。面白くても一回みたらいいやってなるのだってあると思うんです。いわば大味。「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズなんてのは、確かにそれなりに面白いとは思うのですが、個人的に二度目はない映画です。


さて、この「恋する惑星」に関しては完全に後者。何度みても味わえそうな作品です。

この映画は二部構成になっていて、2本のラブストーリーのオムニバス形式です。

前半:失恋した刑事223号(金城武)は、逃亡中の女性麻薬ディーラー(ブリジット・リン)と出会います。
後半:恋人とすれ違いが続く刑事633号(トニー・レオン)は、飲食店の店員フェイ(フェイ・ウォン)と出会います。


この前半と後半のストーリーはなかなか対照的で、それは完全なる明暗の対比。前半では4日間のストーリーを描くのですが、これでもかというくらいに昼のシーンがでてきません。その結果シリアスな描き方に。それに対して、後半では昼の印象が強くなり、前半の裏舞台に対して、表舞台。一転してポップな描き方に。一口で2度おいしいって感じか!?


そして共通点もあります。それは、前半後半どちらも男性キャラがなかなかしんどいものがあるということ。前半の男はハイパー女々しい。振られた女の名前がメイだからってんで、メイの好きなパイナップルの缶詰を5月1日(May)まで買い続けるというそれなりに狂った行動をしてくれます。

後半はまぁ、セリフがしんどい。そしてハイパー鈍感男。


この映画は雰囲気がとてもよく完成されているので、ちょくちょくなされる不自然な演出もある種アーティスティックな感覚でみることができ、それもそれでありだなとは思えるのですが、やっぱりこの両男性キャラのしんどさはちょっとぬぐいきれませんでしたね。


ところで、前半の話と後半の話を比べると、圧倒的に後半の話の方が人気だそうです。

そうまでいわれるとなんとか前半を好きになろうと思ってしまうのですが、やっぱり僕も後半が好きだ

つい最近みたアメリを彷彿とさせる女性キャラ。好きな男の部屋に忍び込んで、自分好みの備品を持ち込んで、色々と取り換えっこしたりする。いたずらもする。

うーん、、、思いっきり犯罪ですが、この超リアリズムな映画を好む僕がスルーしてしまうってすごいと思います。(何様や)

というのは、部屋をいじるシーンの美しさもそうですし、フェイ・ウォンがかわいいし(ショートカットだし)、なにしろ作品全体の雰囲気が気にならなくさせたのでしょう、きっと見とれていたのだと思います。


やっぱり、映画というのはラストシーンが印象に残るのが大半でして、この映画もなかなかに余韻の残るラストが待っています。

ネタばれは避けてなんとか表現しますが、僕らは男性側女性側の両視点から見れているので二人の心情は神のごとく把握できているのですが、当然ながら劇中の登場人物は他人の気持ちは分かりません。

そこで最後のやりとりですよ。

フェイの「どこに行きたい?」に対する男の返答!

僕らは二人の気持ちを知っていますからなんも不自然ではないですが、当事者のフェイからしたらあのセリフがなんとうれしいことだろうか。男でもキュンとしてしまいます。フェイの性格を思えば思うほどです。

あの瞬間がすれ違いだった二人の、初めてお互いが向き合った瞬間だったのではないでしょうか。


男のキャラに好き嫌いはあれど、何度も味わえるような余韻たっぷりの映画。

どんなに部屋をめちゃくちゃにするシーンが好きでも、現実世界ではまねしてはだめだよ。



恋する惑星

↑フェイ・ウォン。僕の大好きなFF8のEyes On Meも歌っています。

50/50 フィフティ・フィフティ [Blu-ray]/Happinet(SB)(D)
¥4,935
Amazon.co.jp


酒もタバコもやらない陽気な青年アダム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は27歳でガンを患い、5年の生存率は50パーセントと宣告される。職場の同僚や恋人、家族が病気を気遣い神経質になっていく中、悪友カイル(セス・ローゲン)だけはいつも通りに接してくれていた。何とかガンを笑い飛ばそうとするアダムだったが、刻々と悪化していく病状に動揺を隠せなくなってしまう。 (シネマトゥデイ)


★脚本家の実体験に基づいた勇気を与える作品


いや~かなり良かったんじゃないでしょうか。

「最強のふたり」が好きな人はぜひ見てほしい作品なわけです。

ガン宣告をされた主人公がその後どう生きていくのか、そして周囲とのかかわりを描いた作品です。

ガン宣告を打ち明けた瞬間に周囲の対応がガラリと変わる。

家族・友人・仕事・そして好きな人。


しっかりと主人公アダムの親友カイルが、この物語の雰囲気を作ってくれてますよね。彼以外の人物は、同情だったり、本当に悲しかったりで、どうにも暗くなってしまい、アダムも暗くなる。だけど、カイルは違っていて、一見自己中心的で女とヤルことしか考えてないようですが、病人扱いをしないというかアダムが人生を楽しんでくれるように実はすっごく気を使う人物だったんですね。

友達は大事だなってことに気づかされます。この作品で泣いたところはもちろんアダムかわいそうだなってことではなく、友達っていい~!でした。


ところで、主演のジョセフ・ゴードンーレヴィットなんですが、この人本当好きです。

基本的にこの方が出てる作品にはずれはない気がします。

50/50が気に入った方はぜひ「(500)日のサマー」も。


脚本的にも、しっかりリアル路線にのってくれていて、違和感を思うところはないですし、終わり方も余韻たっぷりですきでした。なにしろ、この作品の脚本は、脚本家のウィル・ライザーの実体験に基づいているというのだから当たり前。

タイトルの50/50ですが、これは生存率50パーセントの病気にかかったよという意味です。このへんが僕は好きでして、どういうことかというと、難病ものの、具体的にいえば生存率0.1パーセントだろうがなんだろうがいいですが、その難病から奇跡の生還を果たす映画のどこが面白いのでしょうか。 (生還なんてしなくていい、別に死んでいいと思います。その難病に敗れて死んでしまったことをどううまく描けるのかが、僕の思う映画です)

その点、50パーセントの生還率という、高いのか低いのかわからない数字がまた、生存したことを逆にリアルな感動に持っていくことに成功しているのだと思います。生存確率が低ければ低いほど、生き残った時の感動描写がうんざりしてしまうのは僕だけなんですかね。


そしてこの映画のキモは、見た人を必ず、元気にさせてくれるところでしょう。

ガン宣告を受けた人だってこんなに前向きに頑張ろうとしているんだ、なんで自分は健康なのに頑張れないのだ!と奮起するきっかけを与えてくれそうです。

ところで、この映画をみてもうひとつ思ったことがあって、それは人は死を意識するとものすごく周囲からの愛を感じやすくなるのだろうな、ということ。それがときには逆効果に…みたいなことも描かれてるわけですが、やっぱり日ごろから人への愛の気持ちってのは、感じていたいし、伝えていきたく思いました。

本当に大切にすべき人ってのが見えてくると思いますね。そんな人になりたいね。


塾業界には大きく分けて二つの指導方法がある。


一つは集団指導。もちろんこれも細かく分けようとすれば、小集団、大集団という区別もできるが、一概にいえば、学校の授業と同じ、一人の先生対複数生徒、である。

もう一つは、個別指導。

先生一人に対し、生徒が一人、もしくは二人。家庭教師のように思っていてくれればわかりやすいだろう。


ところで私は両方の指導方法を経験できる環境にいま身を置いていて、それなりに考えることがでてきたのである。

もともと私は中高の英語教員になることを目標にしていて、その結果塾講師のアルバイトをするということは当然の選択だった。それで、当初の計画としては、大学一年時は個別指導をやって残り三年は集団指導でスキルを上げようというものであった。

というのは、結局、学校の先生になる以上、集団指導の経験が大きくかかわってくるものだと思っていたために集団に比重を置きたい思いであったのだが、それでも個別指導の経験がないというのでは、学校の先生になるのもどうかと思ったからだ。(だって、居残りマンツーマン指導だけでなく個人面談とかもあるしねぇ)


その結果、一年目は順調に個別指導を経験し(体験記はこちら )、二年目の今年からは新たに集団塾で働き始めることとなった。

まず、思ったことは、集団指導はやっぱむずい!ということだ。(と、同時にめっちゃ楽!という側面もある。。)

どういうことかというと、基本的に集団指導における授業の仕方は、先生側に余裕がない。

個別だと、生徒とのコミュニケ―ションができていれば、ある程度の先生側のミスというのはあいまいにできるのだが、集団でミスると、確実にその教室の雰囲気が一瞬おかしくなるのがわかる。

生徒の顔は一気に曇る。

それに気付き私は汗だらだらである。


簡単にいえば、集団はやっぱり敷居が高いなぁというのが感想だ。

ぶっちゃけた話、個別の講師なんて誰でもなれる

個別をやっていたときの校舎なんてひどい講師がやまほどいたものだった。こんな授業にこの子は月に三万も払っているのかとかわいそうに思うくらい。(と、自分を棚にあげている)

それでまぁ、思ったのは、教師目指すものと、適当にアルバイト感覚でやってるものでは、塾講師という仕事はなかなか差が出るものだなぁと思った。


実際それは当然のことだと思う。というのは、塾講師という仕事でもっとも特殊なのが、時間外労働である。

基本的に、授業時間以外は時給は出ないために、その授業をよりよくするための努力ってのは、各自自由にやってきてくださいよ、ということだ。

授業準備というのは、たとえば、その授業の板書構成だったり、あらかじめ自分で問題を解いてみたり。要領の良しあしはあれど、90分の授業だと、どう短く見積もっても30分以上はかかるのが授業準備である。そして、当然その時間はサービス

そして、私なんかだと、その過程で細かい部分でよくひっかかってしまう。

最近印象的だったのは、be to-不定詞で、なぜ is to- が予定だったり、義務だったり、運命だったりを表すのかって説明。


The next meeting is to take place in Hong Kong.

(次の会合は香港で開催されることになっている)


って訳で、頭の良いクラスなら強引に進むことが可能だが、やっぱりここで

「is と to の間に going が省略されていると考える」とかって説明を一言いれてやったりするといい。

(ちなみに、他の意味なら、able や obliged が省略されてるとかって言う)


とまぁ、これは決して私が考えた説明ではなくて、どっかから拾ってきたものなのだけれど、やっぱりこういう説明の仕方を調べていると結構な時間が経ってしまったりするのである。


そこでだ。

一体教師をめざさないもののだれが、好んでこんなことに時間を割くだろうか、ということである。

こんなことに長いこと自分の時間を割いて、授業に挑むサービス精神旺盛な、教師に興味ない人間がいるのか。少なくとも、そういうことができる人間は教師になりたいとどこかで思ってるはずである。(やりがいを感じているからだ!というのなら、ぜひ一緒に教師を目指しましょう。。。懇願)

その結果やはりそういったモチベーションのずれを講師間で感じることがあるのだ。


話は戻るが、個別はそれでもなんとかなる。

説明が不十分でも、生徒と協力して何度か説明を繰り返しすればいずれわかってくれるからだ。

その点集団は厳しい気がする。授業準備がかなり必要になる、


私は、教師を目指さないものは塾講師をするなといってるわけじゃない


教師を目指すものは塾講師を必ず経験しろといっているのだ。

はっきりいって、教師を目指すのに、塾講師をしない理由など考えられない。

建前上、教育実習などといった、教師になる前の練習みたいなものが設けられてはいるが、教師になった以上一年目から、プロのパフォーマンスを求められるのだ。それには教育実習なんてあまりにもひ弱すぎる。

教師を目指すものにとって、実際に授業を行うことと、そのための授業準備がどれだけ力になることか。授業準備は説明の仕方のストックを豊富に蓄えることができる。その結果どんな生徒からの鋭い指摘にも、即レスポンスで返すことができる。それに、単純に、英語の知識が衰えない。

英米文学部でもない限り、英語に日常的に触れるという機会は少ないだろうからだ。


これほどまでに教師志望者にとって素晴らしいアルバイトはないはずなのに、それを選択しないのが理解できない。学生時代には他の経験がしたくて塾講師以外のアルバイトをするのなら、もっと別のことで経験を積むほうがいいのではないか。それでも、一年ぐらいに抑えて、残りは塾講師を経験してもいいのではないか。


塾講師を経験したのとしてないのでは、やはり雲泥の差が表れるとおもうのだ。

それに、先生になってから、向いてないかもと思うのでは遅い。

自分が教師に向いてないことに気づかせてくれるのも塾講師のアルバイトなのである。

教師をめざすものはみんな塾講師を経験してもらいたい。

こんなにも塾内で、教師志望者が見つからないなんて現状おかしい。(たまたま)

教師志望者全員が塾講師をやっていれば。。。



というわけで、単純に塾内で、教師志望の友達がほしい!誰もいなくてさびしいんだよ!!といった主張だったわけです。。(どーん)

変なオチで最後まで読んでくれたかたすいません。笑

アメリ [Blu-ray]/ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
¥2,500
Amazon.co.jp


小さい頃から空想の世界が一番の遊び場だったアメリ。22歳になった今でも、モンマルトルのカフェで働き、周りの人々を観察しては想像力を膨らませて楽しんでいた。そして、あることをきっかけに、他の人を幸せにすることに喜びを見出したアメリ。他人の人生にこっそりおジャマしてはたのしい悪戯を仕掛け、人知れずお節介を焼いて回るのだった。そんなアメリも自分の幸せにはまったく無頓着。ある日、不思議な青年ニノに出会ったアメリはたちまち恋に落ちてしまうのだったが、アメリは自分の気持ちを素直にうち明けることが出来ない……。(allcinema ONLINE)



★監督のずば抜けたセンスに脱帽


好きな映画を思い返すときに、僕はそのストーリー自体を思い返すのではなく、とある部分的なシーンを思い返すのです。ストーリーが良かったなぁと思い返すのではなく、あのシーン良かったなぁということです。

なんか僕だけ特別って感じの書き方をしてますが、きっとほとんどの方がそうだと思います。

そして、僕はそういった印象的なシーンが多い映画ほど、素敵な映画だと思っています。


このアメリはまさにその点でずば抜けています。

まさに印象的なシーンの宝庫。

それなりの数の映画を見てきましたが、これほどまでにセンスがダントツにぶっ飛んでる監督は初めてでした。まさに天才、そしてこの監督にしかアメリは描けない。(大絶賛。。)

全てのシーンにおいてこの監督のセンスの良さを感じます。


逆に言えば、この映画はこの監督ありきだと思いました。

ストーリー的には群像劇といっていいのでしょうか。ところで群像劇の定石は、各ストーリーを同時進行させて、ラストに怒涛のように全てのストーリーをクライマックスにもっていくというものです。

当然この映画もその形をとっているのですが、その各シーンにはアメリが関わっているので、全てのシーンにアメリ色を出さなければいけません。

となると、ぶっとんだアメリを描けるのはぶっとんだ監督しかいないために、他の監督が撮っていたら、全てのシーンが物足りなくなり、全体としてはパッとしない出来になっていたと思うんです。

いわば単なる「アメリという人物の紹介映画」に他ならないのですが、それをここまで見れる作品にできたのはやはり監督の手腕なのです。


ところで、途中、アメリが仕掛けるいたずらに顔をしかめる視聴者、

そしてそのいたずらによって他人が喜んでいく描写をアメリのおせっかいにすぎないなどといって異をとなえる視聴者ははっきりいってピントがずれていると思います。

「目が見えない人を強引に道案内することが実際は非常に迷惑なことだし、あり得ない」?

そういうことじゃないでしょう。そんなところで引っかかってしまってはお粗末この上ない。


アメリの行動が正しいか正しくないかなんて気にする必要はないんです。

アメリ、という人物を楽しむのがこの映画の本質であって、おそらくメインはアメリの恋愛なのではあると思いますが、他のサブに至っても、結局はアメリの人物描写の一部であり、彼女をわかっていくためのシーンなのです。

(というわけでこの作品が気に入らない人はアメリという人物像が嫌いだったからなのだろうか)


印象的なシーンが非常に多いために、きっと複数回みても楽しめる映画になるでしょう。

あと、かなりの私情を含みますが、やっぱりショートカット好きの僕にとってアメリはかわいくてしょうがありませんでしたし、彼女のコミュ障っぷりも共感、好感が持てて、作品中になんども彼女の鼓動が聞こえてくるようでした。


そんなわけでカップルでデートに見る映画に良い感じなんじゃないですかね。

この監督の素晴らしさを共感してほしいなぁ、これみたらアクション映画なんてしばらく見る気なくなっちゃいますよ。笑

小説第二弾なんですけど。笑

相変わらず自分の文章力が稚拙すぎて泣きたいです。映画でみたら面白そうな作品を書けるように頑張りたいです……

というわけで「嬰児(みどりご)」です。


PDF版できました!

「嬰児」





*あとがき


この小説は前回が一人称だったので、三人称で書いてみようと思った作品でした。

でもね、三人称って難しい。

というか、苦手でした。

三人称みたいな、登場人物の心情がみんな手に取るようにわかるみたいな、神の視点はなんか受け入れにくかったです。


それでもそれなりにメリットはあるなと思ったのが、三人称ってやっぱりすごく文体が締まります。個人的に、初めて書いた小説は稚拙すぎて恥ずかしいレベルだったので、初めて小説っぽい作品がかけたなって思いました。


この作品で好きだったのは、はじまりとおわりがつながる構成です。

それと、ミスリードまがいのものをしてること。

少し余韻が残ること。

実際には、里暮君はどういう人物だったのか、とかいろいろ考えられそうなところ。


そんなところです。