北海道限定の鉄道ブログ -5ページ目

北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

前々回くらいに、夕張鉄道という鉄道を紹介したかと思いますが、石炭の宝庫であった夕張はさらに大夕張鉄道というものもありました。夕張鉄道が、夕張から石狩平野への比較的広域輸送が目的の鉄道だったのに対し、大夕張鉄道は夕張のさらに山奥…現在のシューパロダムにあった大夕張の炭鉱から石炭を運び出すための輸送手段として使われていました。

 

今はほぼダムに沈んでしまいましたが、かつては2万5千人ほどが住んでいたこともある市街地とこの大夕張鉄道が走っていたのです。

 

大夕張鉄道はこの南大夕張駅から先の線路は、1973年とほかの道内旅客私鉄と同じようなタイミングで廃線となりましたが、南大夕張駅までは国鉄の第二次特定交通地方線の廃線ごろ、1987年まで残っていました。

 

その南大夕張駅に、保存車両がいます。保存されているのは廃線末期まで使用されていたであろう除雪車と客車3台、石炭ホッパ車2台です。

先頭にいるのは大夕張キ1 国鉄のキ100型ラッセル車に準ずる車両です。国鉄キ100も道内の保存はそれなりにあり、

 

有名どころの小樽/三笠に1台ずつ

比較してみると窓やヘッドライトの形状が違うみたいですね。

 

オホーツク管内は、北見の保存車群や滝ノ上の郷土資料館などに保存されています。まだ行っていませんが別海にもあるようです。

なお「正統派」ともいえるSLと連結した「除雪編成」として展示しているのは滝ノ上町郷土資料館だけですね。ほかは単車か別の車両と連結されています。

 

 ラッセル車の次位に連結されているこの客車がやばいそうです。スハニ6。製造が1913年 大正2年となんと大正製客車。既に100歳を超えています。もともとは鉄道省…?のオロシ9216…つまり食堂車と2等車の合造車として作られて、その後スハニ…荷物3等車の合造車に大改造されています。国鉄から私鉄への転属は1951年で行先は大夕張ではなく美唄鉄道でした。大夕張鉄道に移籍したのは1967年のこと。以降、廃線時まで30年間使用されていたようです…ってことは廃車の時点で74歳…。現在でいうところ1951年製…北海道でいうと、2025年に冬の湿原号の「スハシ44-1」のような43系客車が毎日の通勤列車で走ってくるようなものです…とんでもないですね💦

 

 その次の車両はオハ1 製造は1906年…明治39年…????ついに明治製造の客車が出てきました。1952年に函館で車体を更新しているので、ひょっとするとほぼ新造しているかもしれませんが、だとしても窓枠が古い客車特有の配置なので…((

 

 もともとは国鉄オネ7ということで、寝台車だったらしいですね。その後改造を繰り返して荷物車になったり座席車になったり、日本の情勢に合わせて改造されていたんじゃないかと思います。ということで、廃車時点で81歳のとんでもない長寿車両だったようです。さすがに81年前、2025年基準で、1944年製造の旅客車が走っている計算ですが、北海道ではそんな車両はわかりません…。

 

 なんとこのオハ1が2024年度の冬期間に横転してしまったとSNSで知りました(写真は2021年訪問時のものです)。可能であるならば再び起こすと思いますが、どうなるのか…見守っていきたいです。

 

 次の車両はなんかダブルルーフっぽいですが…

 こちらはナハフ1で、なんとこの見た目で1937年…昭和12年製造と3両の客車の中で一番新しいです。新しいですっていったところでですが…。前者の2両が国鉄払い下げ、他鉄道からの転属車両なのに対して、このナハフ1は自社発注の車両になります。

 

 南大夕張駅の車両は夕張市所有なものの、整備は有志の「大夕張鉄道保存会」が行っています。というのもの、このナハフ1は1999年に放置されすぎて横転してしまったそうで、これを線路上に復帰させ、整備していくために発足したようです。しかし、今度は別の車両が横転…地盤がよくなかったりするんですかねぇ…

 

続いてがラスト。ここ結構保存車両が多くて見ごたえがあります。三菱大夕張鉄道が自社で持っていた石炭車 セキ1とセキ2です。石炭を運ぶための車両ですが、基本的に私鉄の石炭輸送は国鉄所属の石炭貨車をそのまま自社線内にけん引するスタイルであったため、これらの車両は実質的なバラスト散布とか…となってたようです。もしかしたら、自社線内の石炭輸送にも使っていたかも?

 

 セキ1は、国鉄のセキ1型で、オテセ9500形→オテセ11000形→セキ1型 (セキ118)と改番改造をうけたもの。製造は1911年ごろのようです。予想外かもしれませんが、旭川電気軌道へ入線中に事故を起こした個体で、そのまま弁償買取となったものを大夕張鉄道が購入したもの。

 旭川電気軌道の石炭車は、旭川で撮れた石炭を輸送していたわけではなく 逆に石炭車ごと石炭を運んで、沿線の施設で使うためのもので 電車に石炭車が1両つながれる みたいなスタイルを撮っていたはずです。

 一方、セキ2は連番ですが形式は異なり国鉄のセキ1000型 セキ1217だそうです。製造は1934年らしいので、セキ1と比べると20年近く新しいものになります。履歴は同じで旭川電気軌道の事故買取車。以後の経歴もほぼ同じかと思います。

 

前回の三井芦別鉄道の時も書きましたが、石炭貨車の保存例は本当に少なく、ここにある国鉄セキ1タイプ、国鉄セキ1000タイプの保存はここが唯一の例です。

 

一般人目線では微妙ですが、鉄ちゃんとしては歴史的価値の高そうな車両ですね。

 

 

 

こんな感じで、南大夕張駅には車歴が非常に高い車両ばかりが保存されています。

(あとモーターカーが1台保存されていたかも?)

 

オハ1の今後の動向が心配ですが、何とかなってくれることを祈るばかりです。

 

 

 

ではまた次回です~('ω')ノ

山の中を走るディーゼル機関車けん引の貨物列車。

 

…としか見えないこの光景ですが、なんとこの機関車と貨車は保存車両です。

なんと、1年中高い橋の上に車両が保存されているとんでもないスポットが、空知 芦別市のはずれにあります。

 

場所はこちら。ちょっと駅から歩くのは難しいかも…?

 芦別の炭鉱からJRの芦別駅まで石炭を輸送する芦別鉄道は、旅客の廃止は1972年とほかの道内私鉄と大差ないタイミングでしたが、貨物輸送の廃止がJR化後の1989年まで継続していました。JR貨物に石炭列車を渡していた貴重な鉄道の一つになります。

 

 線路廃止後に、3台いたディーゼル機関車のうち、DD502はおそらく現地解体。DD503はなんと芦別駅まで自走後に、甲種輸送で青函トンネルをくぐり関東へ売却されています。今からは考えられない大輸送…といいたいですが、最近も風っこやらロイヤルエクスプレスやらがやってくるので、そんなに変わらない…のかも?

残りのDD501が橋の上にいるこいつです。

DD501は同線廃線後にここに保存。冬季は移動して小屋に保管されていることが多かったのですが、2019年以降は移動されずこの位置に固定されているらしいです。再塗装もされず色あせているのがちょっと悲しい…。

 

日本遺産の炭鉄港の一部としても登録されていますが、保全が心配です。

とはいえ、本線上にいるおかげでアングルによっては本当に走っているように見えて迫力があります。

 

ちなみに:後ろにつながっている石炭貨車はJR貨物のセキ3000型 セキ3820です。廃線時まで使われていた車両なのかはわかりませんが、立派な国鉄の保存車両。石炭輸送車両の保存は本当に少なく、無改造のセキ3000型はこの1台のみとなっています。(残りの2台はセキ6000改造済みです)

 

赤平の立坑見学なんかと合わせて、中空知地区の石炭の歴史を学ぶのにいいかもしれません。

 

ではまた次回です~(/ω\)

夕張鉄道ってなんだかご存じですか?

 

いまや財政破綻で有名になってしまった夕張から鉄道が伸びていました。つい最近まで走っていた石勝線夕張支線もあり、事実上あちらがメインストリートでしたが、これとは別で札幌を目指すルートがあったのです。

 

詳しくは調べてもらうのが一番ですが、経路くらいはご説明いたしましょう。

 国鉄の場合、夕張線で新夕張…当時の紅葉山へ南下。そこから追分を目指し、苫小牧や岩見沢を目指します。当時は石勝線がなかったため、札幌に行く場合は室蘭線を北上し岩見沢を経由するのが一般的だったっぽいです。

 一方の夕張鉄道は、山を無理やり上って一気に栗山へ。そこから江別に向かって突っ切り、国鉄野幌駅へ合流します。旅客列車の国鉄線乗り入れはなかったようです。

 

さて、そんな夕張鉄道は、気動車の運転こそあったもののディーゼル機関車はなかったようで、SL天国となっておりました。開業時から走っていた11型(国鉄9200型?)と、あとから導入された21型(国鉄9600型)の2種類が本線けん引の蒸気機関車になります。11型は保存があるものの2025年現在はすべて非公開。一方の21型は2.5台くらい見れます。

 

今回は夕張鉄道の保存機関車を見ていきます。

 

というわけで1台目は21号機。夕張鉄道が自社で発注した機関車で、先述の通り国鉄でいう9600型に該当します。個人的には9600型って考えるとありふれた保存車に感じますhahahahaha

…でも、この21号機が日本で最後に作られた9600型なんですって

 

せっかくなので同じようなアングルの9600型と比較してみましょう。愛国駅保存の19671が出てきました。比較すると夕張鉄道機は連結器周りがなにやらごついですね…??

 

ちょっと確証がないのですが、こちらは自動解結機械だと思います。夕張鉄道は先の扇形の通りで夕張市街地を出た瞬間、ごり押しで栗山に向けて山を越えるため、石炭列車には必ず補機が必要でした。その補機は上り勾配が終わった瞬間に切り離して帰るらしく、その際に使用する機械であると推測されます。

 

デフも夕張鉄道機のほうがごついですね。いろいろ差がありそうです。

 

後ろ姿。リベットがごつごつしてますね。車両にも乗ることができました。

 

 場所はこちら、栗山駅から歩くとちょっと距離がありますが、なんとか行けるかも?

町民の憩いの場、栗山公園内にあります。711系や朝日駅のB20なんかと合わせていく場合は車のほうが無難かもしれません。

 もちろん、夕張鉄道の廃線跡ではありません。

 

さて、もう1台も見ていきましょう。

続いてのご紹介は夕張鉄道25号機。こちらは自社発注機ではなく、1961年まで鷲別機関区所属であった49694を譲り受けたもの…と某wikiさんに書いてあります。夕張鉄道の21型は、21以外はすべて国鉄払い下げ機となっています。なので、製造年月日だけでいくと21が一番新しいことになるんですよね…。

 

場所はここ。長沼町の山側にある「ながぬまコミュニティ公園」内です。

ちょっと鉄道で行くのは難しいですね…というか、この近辺は別に夕張鉄道の廃線跡ともそこまで関係のないエリアになります。

ちなみに、近くに長沼温泉があります。筆者は泉質が合わないため苦手ですが、入れる方はぜひ。休憩所も広くてまったりできます。

 

2019年にお色直しされて、きれいになっていました。そして、保存車の中でも非常に珍しいSL専用のホームがあります。「SL専用」とわざわざ書いたのはホームの高さ。現在の旅客用のホームであればせいぜい高さが1mくらいだと思いますが、個々のホームは1.3mくらいはありました。旅客車を入れると、むしろ降りて車両に入ることになるかと…💦

 

ただホームがあるだけでも面白いのに、なんと屋根付き。そして、SL運転台付近には「乗車位置」の看板が…??? 繰り返しますがここは廃線跡でもなんでもありません。この妙にクオリティの高いホームは一体…??

 

後ろを見ても状態は悪くなさそうです。これからも町民に親しまれる汽車であってほしいです。

 

 

 

というわけで、夕張鉄道の保存機を特集しました。え、2.5台って言ったのに0.5台分紹介してない???バックナンバーをくまなく探すと出てくると思います…(震え

 

ではまた次回です~(;^ω^)

もう10年が経とうとしておりますが、北海道新幹線の開業と「はこだてライナー」運転開始に伴い、電化路線が増えた函館地区。かつてこの地区に、函館市電以外の電化私鉄があったことをご存じでしょうか?

 

あ、この書き方だと大沼電鉄とかも該当しますね💦

 

 北斗市の上磯側、現在の道南いさりび鉄道の上磯駅から分岐していたこともある上磯セメント専用線になります。上磯の裏山から海沿いの工場までセメントの原料を運んでいた鉄道で、北海道でも珍しい直流600[V]、軌間幅1067mmの電化路線でした。

 さらに興味深いのが1989年まで残っていたこと。北海道内のたいていの炭鉱鉄道よりよっぽど長生きだったのです。道中には江差線との立体交差もあり、つまるところ函館/千歳線の厚別付近の立体交差以外では、北海道唯一の電化路線の地上立体交差があったことになります。

 

後期型のEDタイプの機関車は残念ながら解体されたのか消息がつかめませんが

2号機が横浜に、そしてこの5号機が上磯町内…じゃなかった北斗市内の公園にあります。

 

この位置です。上磯駅から余裕で歩いて行けます。

 

説明もしっかり残っていました。大正製の電気機関車ってかなり貴重かも…?譲渡が1988年と廃止1年前なので、先行して廃車したのはたしかですが、何年まで走っていたのかはわかっていません。

 

合併して上磯町が北斗市に入れ替わってるのが個人的な見どころ。筆者はこう見えて元大野町民なもので…(;'∀')

 

2軸のB型機関車。制輪子がよく見えますが、手前には見慣れない装置が…?ブレーキシリンダになるんですかね。

 

運転台にも入ることができます。もとからこうなのか、いろいろ撤去されたのか殺風景です…が、マスコンはしっかり残っています。製造年を考えると妥当なのですが、路面電車のようなマスコンですね。

 

ブレーキは貨車についているような手ブレーキ。くるくる回して使います。

 

奥の機械の上には松ぼっくりがたくさん。子供にいっぱい遊んでもらっているようです。

 

そんなこんなで、貴重な電気機関車の保存車でした。

 

 

 

ではまた次回です~(*´ω`)

ちょっと前から保存車をめぐり続けておりますが、記載漏れのある保存車がちらほらいたもので…。

 

その中の一つがこちら。函館の横、北斗市 旧上磯町の茂辺地に保存されている「北斗星広場」の24系客車です。北海道で唯一の寝台…と言いたいですが、なぜか北海道には20系寝台車の保存(新得町新内駅跡)と、583系寝台車の保存(美深町トロッコ王国、白老町)があったり、10系寝台車の保存があったりします。

 

とはいえ、ここは断トツでしょう。なんていったって「泊まれる」のですから。

 

場所はこちら。道南いさりび鉄道茂辺地駅から徒歩圏内。また駐車場もあるので車で行くのも大丈夫です。ただし徒歩圏内にコンビニスーパーの類は一切ないのでご注意を。

 

 2020年にはだいぶ劣化した姿を見せておりましたが、2021年にお色直しがされて、現在は念願の「ブルートレインに泊まれる宿泊施設」として復活しております。

宿泊できるのはBコンパートメント改造を受けたオハネフ側だけで、スハネ25-500の「ソロ」部分には泊まれないそうです…(法律関係によるものかと)。

 とはいえ、シャワールームが復活しているため 寝台・ロビー・シャワールーム使用可能と、往年の北斗星を体感できる宿泊場所となっているようです。トイレだけは、封印して外のものを使うようになっています。処理部分が改造できかねたんでしょう。

 

さて、古い写真ですいませんが先頭はオハネフ25-2です。2014年にもしかすると乗っているかもしれない1台です。2015年3月定期運用までの1号車で、2段B寝台にドアをつけて無理やり個室化したもので、「北斗星全室個室編成」を達成するために作られた車両…と思っています。

今もドアを使わせてもらえるなら、音対策になるのでいいですが…今度泊まって確かめてみます。

苗穂工場で輸送間近の姿。現在は見れない妻面側になります。結構塗装が劣化した状態で運ばれてたんですね。

 新製配置は向日町で1974年だそうです。1979年に青森に、1987年に札幌に転属となっています。最初のころは九州ブルトレとかに入っていたんですかね…?

 

後ろはスハネ25-501。2015年3月定期運用までの6号車。ソロとロビーの混合車です。この時代の車両特有のソファのあるロビーでのんびり車窓を楽しんだのもいい思い出です。

 

同じく 苗穂工場での連結面側の姿です。経歴は先のオハネフ25-2とほぼ同じで1973年にオハネ25-18として向日町配置、1979年に青森に行き、北斗星向け改造を受けてスハネ25-501になった後に青函航路?で札幌転属。以後は北斗星を担当し続けました。

 

なんやかんやタイミングが合う車両で、輸送前最後の苗穂工場での移動も見ていました。黄色のDE15が引くブルートレインは、まるでロイヤルエクスプレスですね(笑)

 

 次にこの車両を紹介する際は、宿泊レポートにしたいですね~。いさりび鉄道の茂辺地駅から10分かからずにつくので行きやすい施設ですが、冗談抜きでコンビニ一つありませんので公共交通機関で宿泊に向かう際は特に気を付けてください。ごはんとか飲み物とか。

 あと、軽く調べたところ空調はあるが、それでも寒暖あるらしいとのこと。可能であれば、急行はまなすののびのびカーペットに乗るときみたく 毛布をもっていくなどの対策が必要かもしれません。

 

 

ではまた次回です~(*'ω'*)

お久しぶりです。特に更新できるようなこともなく月日が経っておりますね…

 

たまには過去画像でお茶を濁します。さかのぼること2017年5月31日…おっと、ちょうど8年前…!??!?(信じてもらえるかは別ですが、まじめに適当に漁った画像でした)

 

札幌駅です。左に見えるはキハ261系1000番台。ST1106っぽいのでスーパー北斗ですかね。サロベツ幕出てますが…。

たぶん、東側引き上げ線から7番線に上がって ヘッドマークを回送からスーパー北斗に回している最中なのでしょう。

 

一方の右側の789系はなんと臨時幕…当時は、789系0番台運用の「ライラック」を1000番台が代走する際は、運休扱いとして臨時特急列車を出していたので、たぶんそれかな…と思います。カメラの時刻がずれていて正確なところはわかりませんが、左が15時39分発のスーパー北斗18号、右が15時30分発の旭川行き臨時特急…かなと。

 

左も右も普段通りではないヘッドマークで面白いですね。撮った記憶がありませんが…←

 

 

ではまた次回です~(-ω-)/

筆者の都合でほぼ見る気がありませんでしたが、せっかくなので石勝線区間で1回だけ見てきました。

 

2025年3月のダイヤ改正でJR北海道 函館運輸車両所のキハ40系がすべて運用離脱となりました。そこまで運用されていたキハ40系のうち、「海の恵み」だけは日高本線等で使用するべく苫小牧運転所へ転属。残りは何本かに分けて釧路車両所へ廃車回送が行われているようです。

 

 

 そのうちの2本目の廃車回送列車は、JR東日本のイベント企画で団体臨時列車として運転され、それが今回の記事「キハ40 急行 函館発釧路行き」というわけです。函館から釧路までのロングラン!といいつつ、1日で走るわけではなく、初日は函館~藤代線~砂原線~苫小牧、2日目に苫小牧~追分~釧路。という工程だったようです。

 石勝線…特に新夕張駅~(楓信号場)~上落合信号場~(新得駅)を走るキハ40系は基本的に定期列車としては存在してなかったと思います。何気に初めて見ました。

 

編成は

←釧路

<キハ40-1787><キハ40-1803><キハ40-1805><キハ40-1801>

 

の4両編成。函館の1800代が多いですが、先頭は元苫小牧の1787となっていました。タイフォンが残っていることで配慮されたんですかね…?

 

キハ40系の4両は、定期で走っていた区間がそこまで多くなく、臨時を含めて撮った方も多くはないのではないでしょうか。ヘッドマークこそないものの、そういった貴重な機会ということもあって撮影者は多かったです。楓信号場は周囲含めて20台くらい車が来ていました…💦

 

キハ40がどんどん引退するのはさみしいところもありますが、こうした廃車回送を用いたイベント列車は、運営する側も回送費用が多少抑えられる気がしますし、いいのかなと思います。まぁ…運転乗客対応する人がいてこそ…ですけどね。

 

帰らぬ旅…少し寂しいところですが、個人的には見慣れすぎたキハ40系だけあってあんまり実感がわかないかも…。最後尾のキハ40-1801はほかのキハ40とスカートの形状が違い話題となっていた一台です。どうやら現場もこのスカートは出自不明とか…? ちなみに変形スカートなのは上の画像の側ではなく、連結面側のほうです。

 

今回は用事の合間での参戦ということで楓信号場の一発で終わりでした。

 

ではまた次回です~(/・ω・)/

 検修庫での撮影を終え、いよいよEH800とDF200を検修庫から出して、外で撮影です。事前に参加者に希望をきいていただき、多数決でDF200-1を先に出すことになりました。さすがに煙を出せないので、アントで押し出していました。

 

この時点ではエンジンをかけず、バッテリーでヘッドライトをつけていただきました。やっぱり鉄道車両を撮るならライトがついている方がうれしいものです♪

 

 DF200-1には、DF200が1994年にブルーリボン賞を受賞した際のヘッドマークが付けられました。ブルーリボン賞を受賞したのは厳密には901号機っぽいですが、当時も1号機にこのヘッドマークが取り付けられていたようです。当然ながら、ヘッドマークがついているDF200は近年ではここでしか見られません。

 

ヘッドマークがついたDF200を見るのは人生で初めてです。あ、嘘です。

2018年の札幌貨物ターミナルのイベントで、ヘッドマークがついたDF200を見ていました。こっちも赤スカートでしたね…。よく見ると、今回とはヘッドマークの取り付け方法が違います。今回のとれたて撮影会が正しい取り付け方法なんですかね…?

 

その後、EH800-1を自走で出庫させます。

 EH800-1にもヘッドマークが。こちらは大宮工場で初めてEH800が全般検査を行った際についていたヘッドマーク…でしたっけ?EH800にヘッドマークがついた光景は初…ではなく、過去に梅小路でやっていたみたいですね。手持ちがなかったんだと思いますが、北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスみたいな寝台特急のヘッドマークがついた姿も見てみたかったです。筆者の好みとしては、グレースカートの50・100番台に北斗星のヘッドマークがついた姿が見てみたかったり。きっと似合うと思うんですよ。

 

 EH800-1が出庫した後は、DF200-1のエンジンを始動させます。筆者もエンジン始動シーンを動画で撮ることはできましたが、果たして風切り音は回避できたかどうか…ハッハッハ

 北海道のJR貨物の2台本線機関車であるこの2車種ですが、先の通りEH800が入る検修庫にはDF200の入線をしないため、意外と並ぶことが少なかったりします。見れて五稜郭駅構内だけですね。

 

検修線の1番線?にはE800-5が待機していました。こういう留置車両も間近で撮影させてもらえるのはうれしい限りですね~。

 

個人的にはこの画が見たかったものの一つでした。五稜郭機関区に入れることなんて当然無いわけですので、こういう車両基地特有の雰囲気が撮れるのはこういう撮影会の魅力かもしれません。

 

その後は、午後の部のイベントのみで行われる。五稜郭機関区にある訓練用運転シミュレータの見学

 

 

 

 

 

 

…なんですが、なんとちょっと触らせてもらえるとのこと!!!

オイオイ、本物の機関車を触ったと思ったら、次は本物同等の運転台で運転体験となりました。

とんでもねぇイベント(ry

 こんな感じのお部屋にあります。JR北海道の今は手稲でしたっけ…研修センターにある721系のシミュレータからするとこじんまりとしていますが、CGのクオリティがすごく高く感じました。

 

 せっかく、BVEやらなにやらやっていたので、楽しめる区間がいいなと模索。運転してからわかったのですが、シミュレータで再現されているのは訓練に必要な最低限の区間…札苅~木古内~新中小国信号場っぽいです。

 一人5分ほどで交代してリレーしていたんですが、さすがに青函トンネルの中を5分走るのもな…と思い、わがままを言って地上区間に戻してもらいました。結構ブレーキが強くてびっくりしました。なんとかそれっぽい運転をして終了。

 

 そこそこ体験したところで、そろそろお別れの時間。あっという間の2時間半でした。最後にEH800-1の検修入区を撮影して終了です。

 実際の検修庫入線と同じ手順で入っていくため、その風景がまた機関区の日常を見れてよかったです。鉄道模型とかで再現したい味のある風景でしたっ。

 

 最後に物品の販売と、ノベルティをもらって終了です。機関車が空転したときに撒く硅砂が入っていました。嬉しい!どこで使えばいいかわからない!!あとは数年前のDF200とEH800の機関車運用表をもらっています。担当の方に実際の使っているものを見せてもらい、雪や鹿やインバウンドや線路破断や軌道短絡と戦うお仕事の辛さ楽しさを教えていただきました。あとはコンテナに挿し込む荷票が1枚、ネタで使ってみたいですねぇ。

 ほかにもいろいろ入っていて、非常に楽しめるイベントとなりました。

 

 最後に、JR貨物 五稜郭機関区で担当してくださった職員さん、所属の運転士さん 企画いただいた方へ 開催していただいてありがとうございました。このブログを見てくださっているかといわれると無さそうですが、私がSNSでエゴサしたところ結構いろんな(少なくともネットで)大御所の方が他の回ですが参加されていたりしてびっくりしました。

 運転台に乗せていただいたり、屋根上を見たり、ピットに入ったり、他にもいろんなサプライズをしていただいて、お支払いした額以上の経験をさせてもらえたと思っています。

 正直なところ、この手のイベントは競争が激しく、そうなってしまうと参加できるかは微妙なところですが、また「鉄道マンの姿」が見られるイベントを楽しみにしております。

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノヨシ

 

本日は、五稜郭機関区で行われた「撮れたて!EH800&DF200撮影会」へ行ってきました。

 

実はこういう有料イベントに行くのは初めてです。というのも、他のイベントはあまりに高い競争率で、わざわざ頑張って予約するのが面倒でして…。

今回は、予約開始日の2日くらいたってからでも間に合いましたので、適当にボタンをぽちぽちしていたらお金が飛んでいました…HAHAHAHAHA

 

DF200とEH800という、見慣れた機関車ということもあってなのか 参加率は低め。参加側としてはありがたいですが、これだと赤字だったり…しちゃうんですかね(+_+) 私としても、五稜郭機関区に行ってみたいという気持ちで参加していました故…。

 

ともあれ。集合時間の20分前くらいに行きました。五稜郭機関区の入り口は、地元民通称「お化けトンネル」と呼ばれ、かなーり狭いトンネルの間にあります。今回は車で行けないので、このトンネルを歩くしかないです。まぁ…仕方ないですね。

 

 このお化けトンネルの隙間に、両側に五稜郭機関区の入り口があるため、どっちに行けばいいのか調べていたら、声を掛けられ案内してくださりました。大変助かりました。

 一通り説明を受け、ヘルメットとチョッキをつけて機関庫へ。既にDF200とEH800のトップナンバー同士が待機していました。

 

五稜郭機関区を全く理解していなかったのですが、今回の撮影場所は「EH800の検修庫」のようです。そのため、交流2万Vで電化されていますが、蔵の中に排煙装置がないためにDF200が入線することはない場所とのことです。

空中写真で見ると、ここと北側にある1本だけ入る建屋が、EH800が入れる場所。DF200はもっと南にある2線の蔵が検修庫みたいですね。

 

 まずはこの検修庫で撮影会です。まずはEH800-1のパンタグラフ上げを撮影見学し、その後は自由に撮影しました。DF200-1は先の排煙装置がないことのため、無火で待機となっていました。

 その後は、後方に止まっていたEH800-4の屋根上を見学。ほかの撮影会で行くことがあるのかわからない屋根上点検通路に上らせてもらえました。EH800設計チームの方の解説も聞くことができました。

 

もう現役の車両をやりたい放題撮らせてもらえます。せっかく鉄道模型をやってますし、いろいろ聞いてみました。

Q.パンタグラフの集電板の間の棒(ホーンでしたっけ…)の端が塗られているのは?

A.パンタグラフの昇降を確認しやすくするため。

 

Q.碍子って検査のたびに緑色に塗っているんですか?

A.実は塗料ではなく、絶縁グリース。検査のたびに汚れを落としてグリースを塗ることで、意図せぬ短絡を防いでいる。なので、塗装のようにきれいに色がついているわけではなく、一部碍子の色(=白)っぽくなっている。

 

Q.EH800の貫通路は使ってるの?

A.使っている。中は点対称の通路になっている。

 

あと、EH800は2車体(1端車、2端車と呼ぶそうです)を切り離して運用することができないため、この2車体を「1両」と呼んでいるそうです。EH500も同じですかねぇ…?

 

なので、このどう見ても連結器に見えるこのパーツ。連結器じゃなくて…名前を忘れました「車体接続器具」みたいな名前だったと思います。要は「連結器」と呼ぶとEH800を2両とみなせるからなんだと思います。

 

そのあとは通電状態のEH800-1に誘導され、1エンド運転台を見学しました。ご丁寧にスタフまで飾ってありました。

 うわーすごい。そしてレバー触っていいよと言われ、なんとブレーキを緩解したり逆転レバーを入れてブロアー音が聞けたりと、なにやらとんでもねぇとこに来てしまったな…とテンションが爆上がりでした。いろいろ聞いたりしていたら、あんまりハンドルを操作することなく時間が来てしまった…(焦

 もちろん留置ブレーキが入っているので安全です。b

 

続いてはピットに入ってEH800-1の床下を見学です。いやいや本当とんでもないイベントに来てしまいました…(;'∀') さすがに床下に気になるものはなかったので、動画を回して歩くことだけに集中しておりました。

 

次回はいよいよ外に出しての撮影会を特集します。

 

 

ではまた次回です~('◇')ゞ

道南いさりび鉄道は、1週間前より使用する車両をHPで案内してくれます。

この日の夕方の2両運用は、なんと「ながまれ」2両をすべて使った編成。タラコ+急行色じゃないか…寝てよう。

 

…待ってください。

 

もしかしなくても「ながまれ」コンボなんて撮ったことはないのでは???

 

昼間に用事を済ませていたら、昼から風は強かったものの晴れてきたので、これはもう撮るしかないかな…と。

 

というわけで、順光…というには少しやわらかい夕日になっていますが…で、編成美が取れた「ながまれ」の2両編成を撮りました。紺色のボディはかなり横から日がさしてくれないと凹凸がきれいに見えない…らしいです。

 

なんとなく似てるかな…と思って、同じキハ40の「shu☆kura」を出してみました。思ったよりは似てなかった…。

 

せっかくなのでまた国道228号をぼーっと走っていつもの場所へ。昨年は草があって急行+タラコが撮れなかったのに、草が刈られていました。ここで貨物列車とか撮ってみたいものです…。

 

というわけで、満足して帰りました。

キハ40系は、まだまだいさりび鉄道で現役です。

 

 

ではまた次回~~((+_+))