北海道限定の鉄道ブログ

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北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

さて、今回の保存車遠征はここで終わり。なんですが、本来は見る予定の保存車が4台ほどありました。今回のお出かけで行っていませんが、行けなかったことをぼやいていたら公開しているときの画像をもらえたので紹介だけします。

 

1台目はC58 119。釧路機関区に長くいた車両のようで、ラスト1年のみ北見に在籍。1977年まで使用されていた石北本線旧線上に保存されています。

 

ちょうどこの部分は北見市内の地下トンネル「北見トンネル」がある場所で、線路の付け替えがありました。そのためほぼ同一線路上でありながら旧線が存在するのです。

 

もう1台はD51  444 ぞろ目です。道内を点々としていた個体で、北見には1年間在籍があったようですが、廃車は滝川の個体です。どうやって持ってきたんでしょう。無動力化、廃車時に北見機関区に持ってきたんですかね?

 

それともう一台。モーターカーがいました。詳細は分かりません。

 

以上3台が石北本線に保存されているのですが…

 

残念ながら、管理が限界のようで、2026年度は冬季にかけるシートを外さない方針が決まっています。このまま解体となってしまうのか、ご近所のNPOさんが引き継いだりするのか、どうなんでしょう…。

 

また、もう1台別の位置の蒸気機関車が保存されています。こっちも1枚だけあると言われたので画像をもらってきましたが、こちらも2026年度はシートをかけられたままの模様です。

 D50 25 実は日本国内として貴重なD50保存機(2台のみ!)です。めったにないだけあって廃車も早く1970年のようです。道央エリアをメインに活躍しており、北見の保存は意外っちゃ以外だったようで、もともと9600の保存を要求していたとか?

 結果的に貴重な保存例とはなりましたが、特にこの機関車は今後の行く末が気になるところです。一応、もう一台が梅小路にいるので0になることはないでしょうけども…。

 

場所はこちら。北見駅から歩けますね。

 

ではまた次回です~('ω')ノ

この旅のラスト保存車は北見市内の有名ポイントになりました。

 

ご存じの方も多いでしょう。北見駅からも徒歩圏内のこちらです。日程が合わせられず公開日じゃなかったので外からの拝見になります。かなりの車両数ですが元々個人所有(=公開を前提としていない配置)でしたので、見づらいものが多い点をご了承ください。

今はNPO団体が車両を引き継ぎ保全活動を続けています。

 

 

 

さて、先ほどお見せしたキハ56系は、キハ27 36 0番台になります。ほんの一瞬だけJR北海道を経験した貴重な0番台になります。最終配置は旭川で、そこから頑張って陸送してきたのでしょうか…。キハ56系保存車はそこそこ数があるとはいえ、床下含め保存され、原色で整備されているのはここと三笠小樽くらいのもので、かなり貴重です。いつまでも残っていてほしいものです。

 

続いては郵便車。荷物合造のスユニは保存がそこそこありますが、純粋な郵便車であるスユニ15は北海道ではここだけの保存。非常に貴重みたいです。製造して4年で廃車になる迷車でもあります。隅田川所属所属ゆえにどうして北見まで持ってこれたのかは非常に興味深いです。

 

せっかくなので20年前の画像もおいておきます。Hゴムの色が一部変わったっぽくも見えますが、ほぼほぼ様子が変わって無さそうです。すごいことです。

 

続いてはラッセル車。キ100形 キ229です。塗りなおされていて非常にきれいです。

 

20年前と比較しても全く変わりません。右側に変な車輪がみえますケド…。キ100の保存は非常に多く、今回のお出かけでも2台目です。そういえば何台あるんでしょう。今度数えてみます。

 

続いてはキ750形キ754です。いわゆるジョルダン。こちらはラッセルに比べて保存数が少なかったとは思います。それでも複数台いますけど。こちらも塗装されており、状態がよさそうです。この車両、ライトがいっぱいついていますが、スピーカーもついているんですねぇ。

 

続いて、DD14です。312号機が保存されています。小樽に323号機が保存されていますので、一応同型の保存がある1台。それでもDD14の保存はそこまでないので、当然貴重です。というか、こんな重たい車両どこから持ってきたんですかね💦

 

反対側。本当面白い形状をしています。平成になる前に廃車になったようですね。

 

あとは、スユ15の後ろにある2台。ヨ3500型のヨ4674と、ワフ29500形 ワフ29570の2台が保存されています。これらの車両も別のところに保存があったと思いますが、ワフ29500は北見相生駅跡にあるものしか記憶にないです。台車がついてないものであればそこそこ数があるかもですが…。

 

というわけで北見市内の保存車両群でした。

20年前はこの前には北海道ちほく高原鉄道の車両基地がありました。道路だけは今も全くかわりませんね。この後は北見市内のSLを見たかったのですが、今年はまさかの非公開。私の保存車旅もここまでになります。

 

 

ではまた次回です~( 一一)

さて、網走に別れを告げて、ちょっと湧網線沿線に戻ります。サロマ湖によりつつ、目的地はサロマの山の中。

そこになんとキハ56系が保存されています。

 

2026年時点でも一声かければ見ることができますので場所も公開。ただ、私の知る限り一般人が見られる保存車系では一二を争う難易度です。ライダーハウスに+αがあるみたいな施設になっています。

 

管理人さんのところへ了承をもらってから観察へ。お父さんは作業に出ていたようで奥さんにご対応いただきました。突然の訪問にご対応いただきありがとうございますm(_ _)m

 

さて、こちらに保存されているのはキハ27 113 ほぼ札幌運転所所属で急行に使われまくった1台です。末期2年間のみ旭川在籍。

キハ27の100番台でありながらJR北海道に引き渡されることなく廃車になった1台です。当初は湧網線常呂駅跡に保存されていたのですが、こちらに移設されています。元々保存されていた場所は温水プールになっていたので、立ち退きにあった、といったところかと思います。常呂だけに←

 

宿泊施設として使用されていた車両なので、内装は一部カーペットになっています。今は使われてないっぽく、中を拝見するには勇気が足りませんでした。。。

 

そしてもう1台 スヤ42 4があります。こっちが現役の宿泊施設だったっぽいです。後から知りました。旧客特有の屋根の朽ちを自作屋根でカバーするスタイルになっています。こちらも常呂駅保存組で、常呂駅時代は2台が連結されていたようです。

 

塗装はオリジナルになっていますが、形式表記が残っています。美瑛にある車両と同じ、保健車ですかね。昭和56年って、もう45年前なんですね…こわ

 

裏側もチェック。保健車にしては窓配置が自然ですね。

 

というわけで、次回がこのお出かけで紹介するものとしてはラストになります。

 

ではまた次回です~(^^ゞ

お次はこちら。私有地民たいな雰囲気で、ほぼ放置状態には見えますが入れ替え動車 or 構内ラッセル車が置いてあります。ここも蚊っぽい虫がすごかった。涙目になって逃げ回りながら撮影しました。(´;ω;`)

 

 

場所はこちら。旧常呂町の中心部からほど近く。常呂町百年記念展望塔の近くのバーベキュー小屋のあたりにあります。情報はほぼなし。常呂駅の入れ替え機兼ラッセル機とかでしょうかねぇ…。

 

本当に情報がないので書けることもないかも…。線路は木の枕木だったので、おそらくどこぞの線路を持ってきたんだと思います。

 

百年記念タワーは登るのが大変な割に景色が見づらいと書かれていて、この日は天気も悪かったのでやめました。というか時間がない故…。

 

 

引き続き、湧網線の線路上ではない保存車を見ていきます。

 

ではまた次回です~(/ω\)

翌日もタイトスケジュール。朝ものんびりしたかったのですが、たたき起こされました←

 

というわけで1発目はこちら。ごらんのとおり自走できる環境におります。

 

静態保存であればよく見る入れ替え動車ですが、つい最近まで使われた一台です。

 

場所はこちら。五稜郭駅に併設された五稜郭工場。移動がある日だけしか出てこないので筆者は見たことがないのですが、ここの入れ替え機として使用されていました。苗穂工場で言うDE15にあたる車両です。あっちも最近世代交代があるようですが…。

 

場所は大体このへんです。というか、本当はこちらの建物がメインになりますのでこっちを紹介します。国鉄保養所をそのまま流用した宿泊施設を経営されている方がクラウドファンディングで持ってきたのが先ほどの入れ替え機です。普通に乗りたかったんですが残念ながら時間がありませんでした…リベンジしたさありますね。

 

ではまた次回です~(^^)/

湧網線シリーズも今回がラストです。ラストは網走から2駅、仮乗降含めると4駅北にある卯原内駅になります。ここにはSL1台と客車1台。プラレールの様な編成で保存されています。

 

 先頭はこの付近では珍しい9600形の保存車。49643です。戦後は一貫して北見機関区にいた由緒正しき車両っぽいです。廃車が1970年と早いですが、保存されております。当然湧網線の廃線より早いですから、最初の保存位置は卯原内ではありません。

 調べたところ網走市資料館なるものがあったらしいのですが場所がわからず…。浜網走駅跡らしいんですけど、情報少ないんですよね…。

 その後、湧網線廃止に伴い移設されたものと思われます。卯原内駅は晩年は棒線だったので、その線路。元網走方本線に保存されている模様です。

 

基本的にはサイクリングロードになったため線路がはがされていますが、SLから中湧別方にちょっとだけレールが残っています。

 

繋がっている車両はオハ47 508です。オハ47なのでもともとは青色だったんじゃないかと思われますが、塗りなおされたときに変わった感じですかね。

所属表記が老眼でも読めるサイズになっていますが、最後は釧路の所属車だったんですかね~。

 

中はライダーハウスって感じの仕様。お座敷とボックスシートがコラボレーションしています。近代化改造してなかったのかちょっと内装が古めかしいです。あれ、そうだとしたら茶色であってる…?

 

すみません客車は正直専門外です…。

駅跡?には網走市鉄道記念館の看板と、建物があります。1階の喫茶店のご主人が管理されているようで、日時的には間に合うように来たのですが残念ながら1階の喫茶店は閉まっていました。

 

…というわけで、卯原内駅の保存車両でした。なんかんやで600km近く走ったようです。晩はビールをセルフで飲めるバイキングを堪能し、食べ過ぎてぶっ倒れてました←

 

ではまた次回です~(*‘∀‘)

さて、前回は計呂地まで来ました。ここから湧網線はサロマ湖沿岸を最短経路で…は走らず、佐呂間町の中心部を目指します。

 

というわけで、次は佐呂間駅跡です。駅ホームは残っておらず線路1-2番線?跡を利用した最小限だけの保存ですが、保存車のボリュームがあるのがここの特徴です。そして、明らかに見慣れたディーゼル機関車がいます。

 

DE10 1677になります。DE10の中でもかなりの後期ナンバー 。現役車両(例)釧路湿原の1660/1661号機など)のある形式の保存例になります。1974年製造で1987年廃車。実働13年という非常に短命な車両になります。その後、湧網線廃線に伴い陸送で佐呂間駅へ移動され保存。以後39年と実働の3倍近い時間を静態保存で過ごしております。

2015年に一度再塗装されたみたいですが、日焼けのしやすい赤色塗装ということもあり、どうしても日焼けしています。

 

 

これより古い車両がいまだに釧路、札幌、函館などで活躍していますが、それを言ったら三笠鉄道村にはこれより後番号の1702が保存されているので、なんとも言い難いところ。貨物需要、客車列車の激減で一部は短命なうちに除籍されたものの、令和になった今でも需要の高い機関車。DE10は複雑ですね…。

 

 

場所はこちら。佐呂間駅は佐呂間町役場の少し右にあります。駅舎が残っており、保存車の周囲も公園となっているのでかなりわかりやすいですが、駅舎は国道沿いじゃないのでご注意を。

 

 続いてはこちら。湧網線 SL+客車の組成シリーズ第2弾です。D51 565と一般的な標準型です。ただ経歴は非常に面白く、現役のころは小樽や鷲別、追分と点々としていました。ほかの車両と同じく小樽築港疎開留置組のため、追分機関区火災は回避。その後は佐呂間町へやってきたのかと思いきやまさかの函館市の本通公園に保存されていました。当時は函館市にもSLの保存があったんですね。1976年の空中写真を見ると、非常にわかりやすい場所に置いてあるのが見えます。

 

その後、放置され続けたのか佐呂間町がJRに車両を要求した際にほかの車両と合わせて輸送。はるばる来たぜ函館(から)

 今でもきれいに残っていますので、移転してよかったんじゃないでしょうか。オタクとしては、後ろの客車はDE10とつながっていると現役っぽい編成になって好みですが、SLでもサマになっているのでご愛敬。屋根も片支柱タイプのため、ごらんのとおり編成写真をとることができます。ちなみに、この線路が佐呂間駅2番線になるかと思います。

 

 続いてはスユニ50 517です。オハ46の台車をベースに車体は新造した「50系じゃないけど50系」車両です。スユニ50 500番台のラストナンバーで、車体を作ったのは1983年らしいんですが、1986年に廃車され、その後佐呂間駅に来ています。つまるところ、DE10 1677の実働13年が目じゃないレベル、実働3年の謎車両です。政策の転換で鉄道郵便・荷物輸送が86年に打ち切られたのが大きいんでしょうね…。

同行者曰く「日本最北の横軽対応車」だそうです。1997年廃止の碓氷峠に、EF63をつないで入線することが可能だった車両の1台ということになります。なので車番には対応車を示す●印がついています。

 

DE10と同じ内容がもう一つ。2018年まで同型のスユニ50 511が旭川所属で救援車として現役でした。また、514は釧路所属で救援車代用として2019年まで残っていました。車歴が浅いことで使いやすかったのですね。片や1986年廃車なので同じ時期の製造なのに引退まで32~33年の差が出た不思議な境遇の形式です。(とはいえ、現役が長かった511、514は解体処分となったので、結果的に517の方が長寿?)

 

経歴差という意味では、DE10はもっとすごい上に現在も更新中ですが(笑)

 

最後はヨ8017 また車掌車だ~~~(本日6台目) とはいえ、今までと異なりヨ8000になります。デッキに屋根がないタイプで、ヨ3500より新しい車両です。詳細不明ですが、同じように1986年前後に廃車となり、佐呂間町へもってきてもらったんだと思います。よく見ると札幌貨物ターミナルの表記が。ちょっと珍しい気が。

 

また、ホームの高さがSLに合わせてありますが、ホームも作られています。SLの運転台やスユニの中身を除くことができます。蜘蛛の巣が多いので接近は断念しました💦

 

佐呂間駅舎自体は現存していて、待合室側はいつでも入ることができます。

 

また、中には資料館もあります。行った日は管理先に連絡すれば開けてもらえるとあったのですが、残念ながら臨時休業(お祭りやってました)ので、入れず。Nゲージが見えますね👀

 

という感じで、見ごたえのある車両たちでした。

 

引き続き湧網線沿線を攻めていきます。

 

 

ではまた次回です(=゚ω゚)ノ

湧別町からは湧網線沿線を進みます。仮乗降場を除けば芭露駅だけですが、仮乗降場を含めると五鹿山、福島、芭露、志布志と続きます。その先の計呂地駅が次の目的地。

蒸気機関車が客車を引く構図。非常にかっこよいです。

 

計呂地駅跡にある計呂地交通公園にはC58と客車2台が保存されています。計呂地駅自体もかなり線路が残っています。画像左が側線、真ん中が湧別方の本線、右が網走方の本線です。湧別側の線路は分岐器直前までとなっています。

 

対して網走側は上下本線の分岐器を含めて残っています。駅舎側側線はなくなっているのか元からなかったのか。以前はトロッコ体験をやっていたみたいで、車両だけは残っています。

 

場所は計呂地駅跡です。国道沿いになります。

 

 

 

さて、保存車を見ていきましょう。まずは先頭車両C58 139号機です。

C58としてはそこそこ後期ナンバーかと思います。釧網本線を中心に大活躍していたC58は、道東地区ですと保存も違和感がないものです。この個体も製造後しばらくは本州で活躍していましたが、その後は釧路または北見機関区の配置でした。1975年の廃車で、その後は湧別町の湧別駅近く、郷土館の外に屋根付きで保存されていたようです。その後、湧網線の廃線にあたって移設された模様です。機関車に屋根がついたのは2000年代以降、おそらく2010年近くと思われます。

 

機関車の運転台は、管理人さんに言えば開けてもらえるようです。とはいえ、一般的なSLの運転台かと思いスルーとなりました。状態もぱっと見すごく良いです。かっこいい。

 

続いてはライダーハウスとして使われるオハ45 17。よく見る一般的な43系客車ですが、現役のころは青色の客車です。何度か塗り替えられて茶色…ぶどう色になったようです。ぱっと見違和感がないので、個人的には気になりはしないです。

 

車内はライダーハウス仕様。畳が引かれていて、ライダーハウスとして残っている車両の中でも上位の程度の良さで泊まることが可能なのではと思います。あれ、同じことをつい最近ブログに書いたような…。

 

 そして、個々の保存車で一番の目玉らしいのがこちら。オハ62 91です。60系は終戦後の自由の利かない期間に、国鉄が改造名目で鋼体(=当時多かった木造ではない)の客車を製造したものになります。その辺でよく保存されている43系客車や、そこそこ保存がある35系客車と比べると保存例が少なく、北海道型一般車であるオハ62は唯一の現存らしいです。

 

 保存例が少ない理由は定かではないですが、この車両国鉄の座席が等級製だったころでいう3等車にあたります。なのでシートピッチが奥のオハ45と比べても狭く、保存ラッシュとなる1980年代後半より前に廃車解体となったんじゃないかとも推測されます。どうなんでしょ。

 

この車両は従来もぶどう色なので、現役と同じカラーと思われます。以前は青色に塗られていたようです。

 

車内はライダーハウス営業中のみ開けてありますが、管理人さんに声をかけることで日中でも中を見学することができます。正直、そこまではいいかなと思ったのですが、資料館も気になったようで同行者が連絡してくれました。

というわけで、こちらが3等車。座ってみましたがとてつもなく狭いとまではならなかったです…とはいえ窓下にでかい暖房があるので足を置ける場所が思ったよりないですね。

 

あんまりいい画像がなかったですが、43系の2等車を出してみました。こうしてみるとかなり違いますね…。

 

あとは乗って気づきましたが座席番号の付番が違います。22A 22Bではなく、85 86と単純に付番されています。

 

 

というわけで、唯一のオハ62でした。

オホーツク海沿岸は謎の蚊っぽい生物が大量発生していて、逃げ回りながらの撮影をしてましたハッハッハ

また、計呂地駅舎も資料館兼管理人室として残されており、管理人さんに声をかけることで見せてもらえます。たくさんの展示物があり、窓口もしっかり生きていてとてもよいです。駅舎は保存されているだけで御の字ですが、こうやって活用されているとよりほっこりします(*´▽`*)

 

管理人さん、お忙しい中ご対応いただきありがとうございました!

 

ではまた次回です~(/・ω・)/

湧別町の見晴らしのいいところに五鹿山公園キャンプ場があります。ここで客車が宿泊施設(ライダーハウス)として使われております。

 

先頭に入れ替え動車、これに客車が2台。このスタイル、津別のキャンプ場でも見ました。

 

ここです。中湧別駅からそこそこ近いです。特に廃線跡とかではないですが、レールはどこぞの中古レールが使用されていました。

 

手前の車両はオハ45 31と思われます。ライダーハウス用にフルフラット化されています。Googleを見る限り1年前にも使用実績があり、電気がつくようです。旧型客車のライダーハウスで営業中のものはかなり少ない印象のため、魅力的物件(車両ですが)になりそうです。

とはいえ、筆者はバイク乗らないので…ハッハッハ

 

この車両の好きポイントは オリジナルのサボがついていることです。しかも字体含めてそこそこ本格的。こういうオリジナリティが個人的には好きなんですよ~~。

 

 

奥がスハフ42-518 軽く調べてしかいませんが函館に所属していた頃もあるみたいです。一般的なスハフ42の北海道改造車。そこそこ保存台数もあったと思います。

見た目の状態はそこそこいいのですが、老朽化で立ち入り禁止状態らしいです。

 

車内は原型のボックスシートに、テーブルが付いた観光列車スタイル。ちょうど、SL冬の湿原号のスハシ44-1と同じような感じになっています。

 

この時点ですっかり14時台。走行距離は500kmを超えていました。とはいえここから湧網線沿線の保存車をガシガシ進めていく必要があります。頑張るぞぉ~…。

 

天気が曇りだったので、SLが撮りやすかったり涼しかったりしたのがありがたいところでした。

 

ではまた次回です~(=_=)

遠軽を出て、一同は名寄本線を北上します。目指すは中湧別駅。中湧別駅は、遠軽からの名寄本線が紋別方向へ向かうのとは別に、湧網線が網走へ向けて分岐する駅。さらに名寄本線の湧別支線があり、湧別駅へ伸びている4方向へ線路が伸びていたターミナル駅です。

 

その当時を思わせるがごとく立派な駅が今も残っています。温泉付き道の駅と公園に挟まれてることもあってかなりしっかり手入れされているようです。現在も残っているのは駅舎側1番線と2番線の2線になると思います。

 

場所はここです。電車だけでくるのは無理ですね…

 

2番線もすんごくいい雰囲気で残っています。こんな感じで駅ホームが残っているのは北海道じゃここと三笠駅くらいなのでは…?(たぶん忘れてるだけ

 

そして名寄本線が本線であった証拠である、名寄本線高速化事業の際のPC枕木がしっかり残っていることからも、この駅がいかに立派な状態で残っているかがわかrそんわけないですよねなんだこの枕木!?

 

現役の中湧別駅の写真を見るとやっぱり木製の枕木を使ってますので、廃線後一度線路がはがされたんでしょうかねぇ。

 

さて、保存車を見ていきましょう。

まずはこれ。絶対現役のころは黄色だっただろと言いたくなるモーターカー。とはいえ黒色に違和感を感じるわけでもなく、手すりが色分けされてることもあって普通にかっこいいです。

 

また、排雪モーターカーでは基本的に使わないであろう連結器で後ろの社用車と連結されています。

 

車体長の短いヨと組み合わせることで不思議なほど機関車+客車みたいな構図に仕上がっています。もう札沼線末端とかこの方が安定していてよかったんじゃない(おい

 

 

続いてヨ4433 ポーカーだったら2ペア。ここから紹介するは怒涛のヨ35004連続です。本日の旅はここまで

・D51

・ヨ3500

・モーターカー

しか見ておりません。なんでだよ。

 

後ろにつながるはヨ4421 番号近いですね。表記の通り旭川所属だったんだと思いますが、さすがに車掌車レベルになると車歴を追うのが難しく詳細不明です。

 

2両の連結面ですが…あれ、連結面どこ???

 

????????????????

 

2両の連結面が無くなり、鉄板が引かれています。しかもよく見るとわかりますが、単純に真横に置いてあるだけでなく、枠の取り付けによって割と本格的に2両がくっついている状態です。地震などでは離れることはないでしょう。

 

左の車内は比較的原型を保っていますが、資料室に。右は写真があったような…違ったかも。

 

2番線側 ヨ4407です。こちらはごらんのとおり繋がってるどころじゃないです。

 

相方、ヨ4430と室内は2両で1つのちょうど旅客車1台分の空間になっています。イリュージョンしてますよ!!さらには空間をつなげるのに取り外したドアまで有効利用され、乗降ドアのようになっています。苗穂の匠もびっくりなのか、それとも苗穂の匠がやったのか、わかりませんが、びっくりクオリティです。

 

車内は鉄道資料館となっていたのですが、老朽化により展示物をふるさと館JRY、文化センターTOMに移設しており、車内の公開はしていないようです。

 

こちらの車橋も使用停止中らしいですが、普通に渡れる状態で渡ってる人もいました。

 

ヨ4407の連結器はどっかいったんですかね。

 

また、3番線側もホームはきれいに残っています。線路は跡形もないですが。

 

中湧別駅跡の遠軽側です。1番ホームの先端付近までレールが伸びています。当時は1番ホームにも屋根があったようなのですが、さすがにこちらは取り外されておりました。

 

湧別・網走・紋別側は人がいて写真が撮れませんでしたが、踏切もどきのすぐ先で歩道・車道と横切る道があるので線路もそこで止まっています。廃線跡は道路になっていました。

 

というわけで、次からやっと違う車両が見れます。

 

ではまた次回です~(^^ゞ