湧別町からは湧網線沿線を進みます。仮乗降場を除けば芭露駅だけですが、仮乗降場を含めると五鹿山、福島、芭露、志布志と続きます。その先の計呂地駅が次の目的地。

蒸気機関車が客車を引く構図。非常にかっこよいです。

計呂地駅跡にある計呂地交通公園にはC58と客車2台が保存されています。計呂地駅自体もかなり線路が残っています。画像左が側線、真ん中が湧別方の本線、右が網走方の本線です。湧別側の線路は分岐器直前までとなっています。

対して網走側は上下本線の分岐器を含めて残っています。駅舎側側線はなくなっているのか元からなかったのか。以前はトロッコ体験をやっていたみたいで、車両だけは残っています。
場所は計呂地駅跡です。国道沿いになります。
さて、保存車を見ていきましょう。まずは先頭車両C58 139号機です。

C58としてはそこそこ後期ナンバーかと思います。釧網本線を中心に大活躍していたC58は、道東地区ですと保存も違和感がないものです。この個体も製造後しばらくは本州で活躍していましたが、その後は釧路または北見機関区の配置でした。1975年の廃車で、その後は湧別町の湧別駅近く、郷土館の外に屋根付きで保存されていたようです。その後、湧網線の廃線にあたって移設された模様です。機関車に屋根がついたのは2000年代以降、おそらく2010年近くと思われます。
機関車の運転台は、管理人さんに言えば開けてもらえるようです。とはいえ、一般的なSLの運転台かと思いスルーとなりました。状態もぱっと見すごく良いです。かっこいい。

続いてはライダーハウスとして使われるオハ45 17。よく見る一般的な43系客車ですが、現役のころは青色の客車です。何度か塗り替えられて茶色…ぶどう色になったようです。ぱっと見違和感がないので、個人的には気になりはしないです。

車内はライダーハウス仕様。畳が引かれていて、ライダーハウスとして残っている車両の中でも上位の程度の良さで泊まることが可能なのではと思います。あれ、同じことをつい最近ブログに書いたような…。

そして、個々の保存車で一番の目玉らしいのがこちら。オハ62 91です。60系は終戦後の自由の利かない期間に、国鉄が改造名目で鋼体(=当時多かった木造ではない)の客車を製造したものになります。その辺でよく保存されている43系客車や、そこそこ保存がある35系客車と比べると保存例が少なく、北海道型一般車であるオハ62は唯一の現存らしいです。
保存例が少ない理由は定かではないですが、この車両国鉄の座席が等級製だったころでいう3等車にあたります。なのでシートピッチが奥のオハ45と比べても狭く、保存ラッシュとなる1980年代後半より前に廃車解体となったんじゃないかとも推測されます。どうなんでしょ。
この車両は従来もぶどう色なので、現役と同じカラーと思われます。以前は青色に塗られていたようです。
車内はライダーハウス営業中のみ開けてありますが、管理人さんに声をかけることで日中でも中を見学することができます。正直、そこまではいいかなと思ったのですが、資料館も気になったようで同行者が連絡してくれました。

というわけで、こちらが3等車。座ってみましたがとてつもなく狭いとまではならなかったです…とはいえ窓下にでかい暖房があるので足を置ける場所が思ったよりないですね。

あんまりいい画像がなかったですが、43系の2等車を出してみました。こうしてみるとかなり違いますね…。

あとは乗って気づきましたが座席番号の付番が違います。22A 22Bではなく、85 86と単純に付番されています。

というわけで、唯一のオハ62でした。
オホーツク海沿岸は謎の蚊っぽい生物が大量発生していて、逃げ回りながらの撮影をしてましたハッハッハ

また、計呂地駅舎も資料館兼管理人室として残されており、管理人さんに声をかけることで見せてもらえます。たくさんの展示物があり、窓口もしっかり生きていてとてもよいです。駅舎は保存されているだけで御の字ですが、こうやって活用されているとよりほっこりします(*´▽`*)

管理人さん、お忙しい中ご対応いただきありがとうございました!

ではまた次回です~(/・ω・)/