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北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

前回のあらすじ

三笠鉄道村の記念館完成が1987年、SLの全廃は1975年。空白の12年は一体?

 

という話です。2台目はC12の横に保存されている9600型 59609です。

 

この車両は、SL全廃となった1975年から先、岩見沢機関区でギリギリまで活躍し1976年3月1日の廃車となりました。おそらく、幌内線のD51/DD51が入れない三笠~幌内間の石炭列車を引っ張っていたものと思われます。その後、廃車を小樽機関区で行ったようです。

 

その後どうしたかというと、現役時に仕事をしていた三笠市へ戻り、三笠市運動公園に保存されていた とあります。1980年代の航空写真を見る限り、温水プールの西側にあったようですね。

 

その後、この三笠鉄道記念館が開業するに合わせ、移設されたようです。

 

もう一つ、この車両には面白い話があります。

 

どうもプレートの「59609」ではないそうです←

 

 

 

 現役の59609の写真があるのかはわかりませんが、もう1台 同じような経歴で1976年3月1日に廃車となった29622という9600型の機関車があります。現在は新潟市に保存されているのですが、この車両と現役の29622の形態に違いがあるようなのです。

 

 その29622が、この三笠鉄道村で「59609」として保存されている機関車だと言われています。理由は以下の通り

・当時の29622と現在の59609の形状が一致している

・動輪の刻印が29622となっている

・逆に新潟の動輪には59609とある

 

廃車後に小樽でナンバープレートを外されていた際に、この2台は連結されて留置されていたそうです。そのため、機関区職員が把握できておらず、保存する際にナンバーを間違って取り付けてしまった、という可能性が高いそうです。

 

 現役基準の「59609」は東北の一関、仙台に配置された後、1930年代以降ずっと北海道で使用されていましたが、逆に「29622」は東北の日本海沿岸側、秋田、新潟、長野エリアで使われ続けており、北海道に移籍となったのはSL全廃目前の1974年でした。

 つまり、北海道・三笠に縁があるのは正式な「59609(現:新潟保存機)」で、正式な「29622(現:三笠鉄道村)」はほぼ北海道に縁が無く、新潟に縁がある機関車というわけです。

 

 要するに、ナンバープレートを間違って逆に付けてしまったために、お互いに保存したかった地元に縁がある機関車ではない機関車を引き受けてしまったようなのです

 

ナンバープレートだけ見れば、地元に縁がある機関車なので、今後も正式なナンバープレートを掲げられることはないのでしょう。

 

 

ではまた次回です~ヾ(≧▽≦)ノ

こんにちは。Micchyです。

 

札幌からそこそこ近く、バストの乗り継ぎとはいえ廃線を走る列車で行くことができる隠れ鉄道ワンダーランド …と個人的に思っている三笠鉄道村のお話です。

 

ここには、貨車、客車、SL、ディーゼル機関車、電気機関車、気動車と保線車両&専用軌道車両と数多くの車両が展示されています。実は保線と専用軌道車両以外の車両は、国鉄、JRで余剰廃車となったものを三笠鉄道村まで伸びていたJR幌内線の線路を使って、廃線間際にディーゼル機関車で持ってきているのです。

 

その事実もすごいのですが、JR幌内線の廃線は1987年です。SLの全廃は1975年ですから、さすがに12年もどこかの鉄道施設で保管されていたとは思えません。

 

つまり、ここにいるSLはどこか別の場所で保存されていたはずなのです。

というわけで、非常に長い前振りでしたが、こちらのC12-2について、廃車後どこにいたのか?です。つい最近テレビでやっていました。

 

C12型2号機の廃車は、他の保存車両と比べて早く 1969年の廃車。廃車直前は、今のDE15-1520が担当している苗穂工場内の入れ替えをやっていたそうです。その後、札幌の円山動物園に保存されていました。当時の円山動物園は今と配置が全然違うので、保存されていた場所は跡形もなさそうですが、大体真ん中に保存されていたんじゃないかな…と。

 

その後、1987年の三笠鉄道記念館の開業に合わせて、札幌からはるばる持ってきたそうです。

 

予想ですが、円山動物園が今の姿に向けてリニューアルを始めていて、その際にC12が邪魔になった…とかじゃないですかね?

 

ここの車両は、三笠鉄道記念館の建物に入っていますが、入館料は不要なエリアです。車両を360°見れるうえに、車内にも入れます。楽しいですよ。

 

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

1年に1回、最近は9月の第1週の土曜日に開催される苗穂工場の大規模公開。北海道鉄道技術館の周囲の公開は、夏季シーズンの月2回行っていますが、広く見ることが出来るのかこの日だけ。

 

というわけで、やってきました。苗穂工場。いつも見れるD51-237の後ろに旧「ニセコ号」客車の並べて 保存用の屋根はありますが、ちょっとそれっぽいアングルになりました。

 

ちかくには、ミニSLがピストン輸送していました。なんか、前回見た時には想像つかないほど並んでいて、乗るとしたらしばらくかかりそうな雰囲気でした。 ミニとはいえ、石炭で動く蒸気機関車。雰囲気は抜群です。

 

手前はオハシ47 2001 ニセコ号編成のカフェカーです。後ろはスハフ42 2261です。

C11-207が貸し出され、SL列車が「冬の湿原号」だけになったあたりで、14系「すずらん」編成があれば十分な状態となり、10年放置されていた客車です。

元はJR東日本から購入した車両。状態も悪くはなさそうだけに、今後解体にでもなるなら残念な気もします。とはいえ、アスベストとかあるかもなので、使い続けられるかは…??

 

キハ281は屋根がつきました。数年前まで第一線の特急だったのに、すっかり保存車両の一員です。

 

一方それより車歴が10年以上新しい789系HE302?は貫通扉がもぎ取られていました。既に廃車済みだった気がするので、部品取りの状態ですかねぇ…(;´・ω・)

 

こちらには真っ白なキハ143系が。周遊列車「赤い星」「青い星」のどちらかになる車両ですね。修理と改善は苦戦しているようで、今年で廃止となるはずだった「釧路湿原ノロッコ号」「富良野美瑛ノロッコ号」の来年の続投が決まっています。

 

ニセコ号客車の1台、スハフ42 2071です。サビてぼろぼろですね。

 

横にはキハ282-108がいました。見た感じ、こちらも廃車ですかね…?

 

…と、工場平地の改造待ちor放置車ゾーンは以上です。

 

 苗穂工場イベントのメイン C62の体験乗車です。客車はニセコ号客車のオハフ33 2555でした。適当なタイミングで客車の方に乗ろうと思ったのですが、なんと先着順整理券制となっていました。10時50分の枠に並ぼうと思ったら満員で次は13時って言われ、たかが客車1往復に2時間半待ちはアホすぎてやめました。 いつの間にこんな大人気アトラクションになったんですかねぇ…某エキスポのアメリカ館と同じ待ち時間ですよ…??

 

こちらはお絵描き車両 721系F5201のうち、クハ721-5201とモハ721-5201が対象でした。去年何かあったのか、今年は小学生以下の親子連れのみが対象となっていました。こちらも待ち時間が発生していたりしたようで…??

 

SLの2時間半待ちと、工場見学の行列を見て嫌な予感がしたので、ここで早めに食堂へ行きました。いつものようにカレーライスを注文…と思ったら既にこちらもかなりの待機列が…。前回までの記憶を頼りに、すぐに食べられると信じで並びましたが、椅子がほぼ埋まっていて、焦りました。なんとか空いている机を確保し食べれましたが、出るときには大行列…まだ11時なってないんですけど…(滝汗

 

つづいては車体の分解整備を行う第3旅客車検査場です。例年の通り遠目から面白い車両が…いませんね💦

 

キハ260-1300?と733系ばかりです。右は721系かな?

 

 

裏を見れば台車検査場です。例年、キハ283系の台車を使って振り子の実演を行っていました。

 

キハ283系も振り子を辞めてしまったので、ついに今年は見るものが・・・・

今年もやっていました。

 

 

・・・え??

 

 

見たら台車はキハ283-20 現在検査中の現役の車両です。えぇ、間違いなく振り子していました。どうやら機械的な固定はしていないようで、あくまでコンピュータを停止させているだけの模様…?

 

これは、キハ283系引退時には振り子全開のリバイバルスーパーおおぞらが!!!アルワケナイデスヨネ

 

そしてこちらが北海道最後のFURICO283でs(殴

 

車体吊り上げ自体は見なかったのですが、今年の担当は733系B118編成より、クハ733-218だったようです。午前中の2回だけという特殊スケジュールで、実は今年が最後だったようです。

何回か見たことがあり、見ごたえはあるもののすごく好きというわけでもないので特に後悔もなく…。車体吊り上げは公開がラストというより、吊り上げ自体が今年度いっぱい…って話だったような気がします。

 

トラバーサー実演は1回目しか見ていませんが、担当はキハ260-1308でした。だいぶ前に札幌運転所の壁にぶつけて小破してたやつですね。元気そうで何よりです。激込みで見慣れた作業なので終わる前に退散してしまいました。混雑で匂いとかもひどくて…

 

トラバーサーのちょっと手前 第1旅客車検修場には子供縁日をいつもやっていますが、今年はこれに加えて鉄道お宝ガチャみたいなのをやっていました。既に疲れ切っていて思わずスルーしましたが、やっておけばよかった…かな?

 

その壁には毎年塗装済みの車両が置いてあります。今年はキハ261系SE102編成より、キハ260-102でした。編成中で唯一1エンジンの車両ですね。更新工事後は窓枠が引き締まっていて前より好きです。

 

最後は機関車検修場…いわゆるJR貨物苗穂車両所になります。

一番前にはDF200-9が展示され、記念撮影コーナーになっていました。特別入場で入ったそうです。どした?またエンジン壊れた? 大人気の赤スカートの0番台ですね。

その横にはDE15-2515が入場中でした。ここは機関車検修場なので、JR北海道の機関車…今のDE15のほかに、かつてのDD51やED79といった機関車も入ります。そういえばキヤ291はどこが面倒を見るんでしょうね??

 

 

後ろにはDF200 の50番台 55号機と57号機がいずれも全般検査を受けていました。ナンバープレートがしっかり外されていて、どっちがどっちかわかりませんでしたァ…

 

こちらはみなさん見慣れない車両 北海道では札幌貨物ターミナルでだけ見れるHD300-502です。重要部検査中でした。

 

JR貨物ブースのNゲージコーナー名物 お前なんだその編成シリーズは、今年はマヤ検でした。しかもキハ40にクーラーが見えます。そんな製品無いはずですが、どういうことなんですか!?!?

 

どうやらガチの改造勢がいるっぽいですね。素晴らしい。

 

あとは、今年から?おっきい模型も展示され始めました。皆様模型ライフを楽しまれてますなぁ…

私は絶対「ほゲージ」なんて手を出しませんからね!!!!!!!!

 

…というわけで、見れるものも大方見たので撤収です。北海道鉄道技術館は人混みがすごくて一瞬入っただけでめまいがしました。毎年見ていましたが、今年の混雑は以前と比べ物にならないような…。

 

そろそろ私は後輩さんたちに譲って苗穂工場公開は卒業しようかと感じた一日でした。

 


ではまた次回です~(+_+)

本日は幌加内のそば祭りFinal。誘われて行ってきました。

 

人口の何倍という人が来ていて、駐車するのも何時間かかるのかという車列。諦めかけたのですが臨時駐車場が別であったので九死に一生を得ました。打ち立ての蕎麦は角が立っていて確かにおいしく、また行きたいな と思いますがもうやらないんですね(´;ω;`)

 

さて、帰り際にロイヤルエクスプレスが走るのでどうか、ということで 非電化をリクエストさせていただきました。近所でばっかり撮っていたので実は初めて…というのは嘘。石勝線の東追分と滝ノ上で1回ずつ撮ったような記憶があります。

 

ただ、単線非電化の沿線で撮ったことが無いのは事実で、一度くらいは撮りたいと思っていました。

 

ちなみに、一眼レフは持っていましたがSDカードが見つかりませんでした。

泣きのコンデジです(-_-メ)

 

…天気に恵まれ、下には黄金色の稲穂が映え、そこを行く主張がしっかりした被写体。控えめに言ってとても良かったです。DE15の従連で6両の客車を引く、実質7.5両編成は、北海道の被写体としてはかなり長く、同線の旅客としては現在は最も長い列車です。

 

原色を先頭に圧縮した撮影もいいですが、線路から離れて編成全体が見えるように撮るのもまたいいものです。真っ黄色の機関車もこうしてみると国鉄色より古臭く感じないので、一般にはいいのかも(まぁそれでも国鉄重連の世界線の方が好きですが)

 

誘ってくださった某氏s ありがとうございました!!

 

満足しました。来週末はいよいよ苗穂工場公開ですね。

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

空知炭田と呼ばれ、「黒いダイヤモンド」こと動力の源 石炭を掘るための炭鉱が多くあった夕張山地。その名残として、現在は炭鉱があった自治体に資料館が多くあります。どこも素晴らしい展示が多くあるのですが、ここ 夕張市の「石炭博物館」は一味違います。

 

個人的意見としては「覚悟して楽しんでほしい」ところ。なんと実際に坑道に入れるのです。

しかも「すごい展示だった、これは入館料払った甲斐がありますわ~ 出口ここ?」と思えたあたりで"坑道の入口"が出てきます

 

本当に石炭が見れる坑道であり、そして、それが逆に2019年の坑道火災にも大きく影響しました。

2019年4月。ちょうど夕張線が廃線となって半月を過ぎたころに、この模擬坑道から原因不明の火災が発生しました。ちょうどオープンに向けた整備が行われていたそうですから、その関係で何かがあったのでしょう。

 

それから6年たった2025年4月。クラウドファンディングやふるさと納税の支援もあり、ついに模擬坑道が再び公開となったのです。本当によかった…

 

 

場所はこちらです。

 

筆者はまだここが石炭の歴史村だったころにも来たことがあります。模擬坑道内は本物の炭鉱よろしく、ちゃんと暗くて懐中電灯を持ってこなかったことを後悔したほど。記憶が正しければライト付きのヘルメットを渡されたような?

 

さて、肝心の外観を撮影し忘れたのですが、まずは一般的な博物館と同じく 展示物のある建物に入ります。駐車場からちょっと歩くのですが、これもまた意味があるのです…(意味深)

 

模型も扱う弊ブログではこういうのも見ていきます。夕張駅のジオラマに、HOゲージのキハ58が置いてありました。

 

また、夕張の立坑のジオラマ、後ろには鉄橋のジオラマも。このあたりは全部 旧夕張(1代目)駅近辺の施設何ですかね…?

 

入館料を払って、まずは建物の2階へ。夕張を中心とした、夕張炭田の始まりから衰退までを学ぶことが出来ます。撮影OKとありましたが、そのあたりはぜひ行ってみてほしいのでここでは鉄道系だけ軽くご紹介を

 

 

 

夕張の鉄道の遺品。主に夕張鉄道に関する鉄道グッズが展示されていました。記憶が定かではないですが、石炭の歴史村のSL館にこれ系の展示があったと思うので、2018年のリニューアル時に移設したんだと思います。たぶん…

 

夕張は石炭関係で私鉄が非常に多くあった地域でもあり

国有

・国鉄(夕張~紅葉山/新夕張~… 登川~紅葉山)

私鉄

・夕張鉄道(夕張本町~野幌)

・大夕張鉄道(清水沢~南大夕張~大夕張)

専用鉄道

・真谷地炭鉱専用鉄道(沼の沢~真谷地)

・角田炭鉱専用鉄道(夕張鉄道の新二岐~角田抗 一時期電化!)

・平和炭鉱専用線(夕張鉄道平和駅~平和抗)

 

などなど、これ以外にも旅客を扱った私鉄専用軌道がいっぱいあります。

周辺の史跡を含め、結構楽しめますよ。

 

また、廃止となった石勝線夕張支線のグッズも追加されていました。「ファッション踏切」が残っているのが個人的にうれしいです(笑) ついこの間廃止となった滝ノ上駅の看板もありますね。

 

その先に行けばあるのは坑道で使われていたであろう人車と貨車でした。

ついでに「北炭の幌内炭」ののぼりがあります。ついこの間、青森でこの文字列の看板?があった建物が解体された気がしたのですが、どなたかご存じだったりしますかね~( 一一)

 

それを抜けると、エレベータが出てきます。

「立坑ケージ」と書いていて、地下1000mにご案内してくれるそうです。石炭の歴史村だったころからありました。実際のエレベータは、それこそ赤平の立坑でやっているガイダンスに参加すると見れます。あとは奔別公開日とかですかね。

 

というわけで、あっという間に推定地下1000mへ ここは明らかにトンネルって見た目ではありますが、各時代の炭鉱の様子が再現されています。ちなみに真夏でもそれなりに寒いです。最初に「覚悟して楽しんでほしい」といった理由の一つ目ですね。

 

本当の地下にあって雰囲気は抜群。ここも全体は見せずに、炭鉱の鉄道車両系を中心に見せていきます。トロッコが3台ほどいました。流石に復元ですかね…?

 

しばらく歩くと、開けた場所に出ます。窓の外には太陽が。あれー地上がずいぶんちかいぞー

貨車をひっくり返して石炭をおろす機械がありました。

 

奥にはトロリー終電の電気機関車が。坑内は火気厳禁で、空中放電も危険なので 終電方式の機関車は使わずにバッテリーロコ(BL)を用いるようになっています。結構古いってことですかね。

 

こちらは見た記憶のない車両ユニッククレーン車だそうです。こいつ、線路を走るんですね💦

 

その対岸には昭和後期~平成の 採炭末期における実際に石炭を掘るときの様子が再現されています。これ、動くらしいんですけどこの日は残念ながら見れず。今はやってないんですかね…?

 

このほかにも石炭を掘って運び出す様子が再現されています。

いやぁ、入館料の数倍のいい体験をさせてもらいました。出口はこの下り階段の先ですかね~。

 

(冒頭に戻る)

いや、初入場じゃないのでわかってるんですけども、改めてブログにすると本当こんな気持ちになります。ここからが本番です。閉所恐怖症なら普通にお勧めしない本格的な洞窟探検が待っています。

 

この坑道は明治後期に作らたものです。昭和ではなく大正を通り越して明治です。

ここは「天龍坑」と呼ばれる斜坑の補助坑道でしたが、のちに昭和天皇がご訪問された際に、見学用坑道として整備されたものになります。ただ石炭層が見られるだけでなく、本当に石炭を掘るときの坑道の配置となっていて、当然自力で地上に戻ってくることになるので覚悟が必要です。

 

まずは上の画像のように、坑道を下っていきます。すると上添坑道につきます。

石炭を掘るときは、この「上添坑道」と、下にある「ゲート坑道」の間に、石炭を掘るための枠(自走枠など)を斜めに通します。その中で、ドラムカッターなどで石炭を削り、石炭以外のもので埋め戻す という作業を繰り返すのです。

 

というわけで、今度はこの枠の横を降りていきます。言っちゃなんですが前より全然整備されていて明るいし歩きやすいです。昔はこのあたりが本格的過ぎて普通に怖かったです。

 

ゲート坑道まで降りてきました。ここがこの施設で一番深いところ。ですが、かつての炭鉱は地下400mとかまで降りていたそうなので、それから比べたらほぼ地上なんだと思います。

 

ここも、昔は真っ暗な場所が何か所かあったのですが、今はすっかり明るくなりました。

 

地下深くにも貨車がいました。このほかにもいろいろな展示などがありましたが、それは行ってのお楽しみということで…。

 

ラストは、80段あるらしい階段で、一気に地上へ抜けます。途中には「上添坑道」への連絡通路がありますが、ここは閉まっていたので使えない様子。

 

ここを登れないと我々は生還できませんので、覚悟を決めて上りましょう。途中に何か所か休憩できるポイントもありました。

 

出てくると、ありがたいことに駐車場の目の前に出ます。なので、帰る人はサクッと帰れて楽です。

 

特に男の子はとっても楽しめる施設なので、気になる人も冒険が好きそうなお子様をお持ちの方も、ぜひ行ってみてください。マジで冒険できます。

 

ではまた次回です~(*ノωノ)

今回の保存車巡りの旅もいよいよラスト。最後は阿寒町に保存されているC11と車掌車を見ていきます。

阿寒町の道の駅の少し奥に、阿寒丹頂の里 自然休養村という保養施設?があり、キャンプ場の横にある「炭鉱と鉄道館」にこのSLが保存されています。

 

屋内展示施設がありますが、ここが開いてなくても見学は可能です。極力夏じゃなくて秋~春がおすすめかも…。冬季も積雪が多い時期では無ければ、SLを見れるっぽい情報がちらほらあります。

 

というわけで、炭鉱館はあきらめてSLのみの訪問。リベンジしたいかも…。

 

C1165は、国鉄C11そのものですが阿寒にゆかりのある車両になります。前前前回くらいに「8722」を紹介したと思いますが、その車両と同じく「雄別鉄道」に譲渡された機関車です。ただ、保存されている場所は雄別鉄道線の跡ではないです。雄別炭鉱はこのSLが保存されている最寄りの国道240号線ではなく、西側に分岐する道道222号線をかなり北上したところにあります。

 

 このC11 65は雄別鉄道譲渡前には一切北海道にいなかったところが特異点かも?関東北陸を移動していた個体で、1961年に高岡機関区から一気に雄別鉄道へ転属。1970年の路線廃止まで使われていたようです。

 雄別鉄道機ですが、国鉄配置のまま廃車になったC11と大して差はなさそうです。そこまで詳しく見れていませんが、キャブにある「雄別炭鉱の紋章」くらいかと思います。

 

ちなみに、雄別鉄道には5台もC11が配置され活躍しましたが、もう1台保存された車両がいます。というか、動態保存されています。

 

それが、東武鉄道のC11 123です(画像無)。元は滋賀県 江若鉄道の自社発注機 C111で、ナンバーを変えない雄別鉄道スタイルによりナンバー維持のまま運用。江別市の某所で保存されていましたが、なぜか東武鉄道に売り払われ?ナンバーを変えてC11 123として、JR北海道貸し出しの

C11 207とともに活躍しています。

 

C11 65に話を戻しますが、雄別鉄道廃止直後は阿寒駅跡地の「阿寒町郷土資料館」に保存されていたようです。おおよそ場所の検討がつくのですが、保存場所の建物が今でも残っているっぽい…気がします。その後、1988年に現在の位置に、実質施設ごと移設されました。

 

もう1台。ヨ8000のうちの1台「ヨ8057」が連結されています。こちらはSLとも雄別鉄道とも無関係なようで、おそらく1988年の「炭鉱と鉄道館」への移設時に譲渡されたものと思われます。

当初は60系客車がこの後ろに保存され、それこそ「SLニセコ号」のような編成スタイルだったようですが、60系だけは寿命が来たか解体されています。

 

SLも車掌車も保存状態がよく、草の生えてないときに対岸からもう1回撮りたいです。

 

 

ではまた次回です~ ^^) _旦~~

今回の長い長い保存車巡りの旅もいよいよ終盤。今回は、釧路から北の「鶴居村」を結んだ簡易軌道「鶴居村村営軌道」の車両の生き残りが、鶴居村のふるさと情報館「みなくる」にあるので、これを見ていきます。

 

こんな感じで、屋根付きの線路の上に2台の保存車が載っています。簡易軌道の車両としてはかなりのVIP待遇ですね。

 

場所はこちら。鶴居村って釧路から30kmも離れてるんですね…Σ( ̄ロ ̄lll) 筆者は15kmくらいの近所かと勘違いしておりました。

 

この鶴居村から、釧路の新富士駅までを結んでいたのが鶴居村営軌道になります。途中で、釧路から雄別炭鉱へ続いていた「雄別鉄道」の上を超える立体交差もありました。いかんせん距離が長いため、自走客車やディーゼル機関車の導入が早かったようです。現在も立派な車両が残っています。

 

自走客車は、奥行臼にあったものと同じ札幌の秦和車両製です。見た目もほぼ同じですが、比較するとちょっと違う点があります。

運転台横の窓のサイズが違ったりしています。

 

窓越しに車内ものぞきました。狭くて安心するような…そうでもないような。簡易軌道でありながら、荷物棚がしっかり装備されているのがいいですね。

 

 

奥行臼のが6tディーゼルでしたが、こちらは8tディーゼル機関車です。浜中町営軌道のものとほぼ同じかと思われます。

 

実はもう1台保存車両があります。

それがこちら。有蓋貨車です。簡易軌道には似つかわしくない大きさで、もはや「ワム」サイズに見えてきます。こちらは鶴居村営軌道が廃止となった1968年以後、中学校の倉庫として使われていたものが村によって保存される運びとなり、修繕ののちにこの場所に移設されたようです。

 

道路の発展にともない、不要となったため廃止となった鶴居村営軌道。廃線が1968年とかなり早期ですが、3台も保存車両が残っている珍しい路線になります。

…と見せかけて、実は4台目が存在します。

 

 

丸瀬布の「いこいの森」で動態復元されている雨宮21号とともに使われている6tディーゼル機関車。実はこの車両が、鶴居村営軌道のディーゼル機関車なのです。

 

残念ながら筆者未撮影のため、姿をお見せできません。いつかリベンジして必ずや写真に収めたいと思います。

鶴居村営軌道の資料等の保存に鶴居村自身が頑張って取り組んでおり、ふるさと情報館には鶴居村営軌道関連の資料が多くあるそうです。また、郷土資料館もあるので、かなり見ごたえがあります。

 

気になる方はぜひ行ってみてください。

 

ではまた次回です~(/ω\)

釧路市街地の保存車をめぐり終わり、次のエリアへ移動しようとしている道中、カーブをやたらダラダラ走るレンタカーをパスして一定ペースで走り始めたころ…

 

なんか出てきました。最近続けている保存車巡りの旅は、車掌車や有蓋貨車(ワム)については「車輪がついているなら見たい」というレギュレーションでやっています。

 

 

…車輪がついてますよね?

 

というわけで、慌ててUターン。私有地のようでしたので道路からちらっとだけ拝見しました。

ヨ3500のようですが、車番はわからず。今も使っているのかスロープが整備されています。置き方のおかげでスポーク車輪がよく見えますね。

 

一見、芝生の上に直置きしているように見えますが、ちゃんとレールが敷かれています。ダルマにしてしまえば楽なのに…と思いますが、確かこの状態だと固定資産税がとられないんですよ~

 

というわけで、地図は控えます。気になる人は頑張って調べてみてください。

 

 

ではまた次回です~(/・ω・)/

この日の釧路市内は26℃くらいで、釧路としてはかなり暑い方…加えて、湿度が高かったためしんどい移動となりました。

 

唯一よかったのは、日が出ていなかったことでしょうか。保存SLを撮るときに太陽が出ていると黒つぶれしてしまうので…

 

お次のSLは、道東にはいっぱいあるC58。その106号機です。状態がすんごくよさそうな見た目をしています。塗装もかなり違和感ない部類かと思います。製造後の新製配置が北海道の珍しい個体です。というか、新造から5年後の1944年以降、戦後はずっと釧路機関区にいた個体で、釧路~帯広間のSLさよなら列車をけん引した、まさに釧路ゆかりの蒸気機関車です。

 

場所はこちら。釧路駅から歩いていけます。というか、周囲に駐車場がないので車で行くより電車で行く方がおすすめです。不幸ラッキーなことに和商市場がお休みだったおかげで、路駐ができる場所に停めれました。お土産買いたかったぁ…。

 

SLの横には、レールと枕木でできた何かがありました。ベンチ?それとも遊具?モニュメント…?いずれにしても近寄らせないようロープが張っていました。

 

ここまで見てきた中で一番いい感じのSLでしたが、特にこれ以上書くことが浮かばないため終了です。

 

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

北海道の保存SLの中では、一番特徴的だと思うのが釧路製作所に保存されている8722かもしれません。

 

北海道で特徴的なSLというと

・幌内鉄道のSL - のちの7100型と7150型

・美唄鉄道東明駅にあるE型の2号機 - 国鉄4110型の同型機

・万字線朝日駅にあるB20-1

・旧石炭の歴史村跡-SL館にと某所にある11型

・入れ替え機の室蘭コークスS205、(三笠鉄道村)S304

・丸瀬布の雨宮21号

 

くらいでしょうか。某所にはいろいろあるのかもませんが。

と、まあそんな中でも特徴的と思っている8722…国鉄8700型に該当します。このSLは前半ナンバー(8700~8711)と後半ナンバー(8712~8729)で意味合いが異なる車両です。前半は19世紀…1890年代にイギリスで製造され、輸入された機関車になります。同時に輸入した機関車と比較して、性能がいまいちだったようで、そのまま増えないはずでしたが、いろいろあって国内で同じ機関車を18両製造しました。そのうちの1台がこの8722です。

 

場所はこちら。釧路駅の北の釧路製作所の敷地内にあります。

 

 

ちなみに:釧路製作所の営業日、または事前に連絡をすることで敷地内に入って確認することができます。

 

Q.どう見ても敷地外からとっているように見えますが

A.連絡をし忘れていました…。

 

 8722は東北エリアで活動を始めたっぽいですが、その後は倶知安に転属し岩内線・胆振線(まだ全通していないため京極線)を担当、滝川へ移って入れ替え機となっていましたが、1952年に十勝エリアの拓殖鉄道へ1台だけ売却されました。しかし、業績が悪かったせいか、特に使いどころがなかったのか、わずか5年で釧路エリアの雄別鉄道に売却されています。

 雄別鉄道には、1953年から8721がいたため、2台体制で使われるようになりました。1966年にディーゼル機関車導入にともなって8722は廃車となりましたが、その時にこの釧路製作所が引き取り、以後半世紀以上にわたって保存されているようです。

 保存開始当初からここにいたわけではなさそうですが、少なくとも画像検索では現在の位置の画像しかないですね。

 

パット見ですが状態もよく、いつまでも大切にされててほしい1台です。

 

ではまた次回です~($・・)/~~~