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北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

茶内駅から、厚岸を通過し(カキぃ…(´;ω;`) )、約1時間。あと一歩で最東端や風連湖が見える場所まで行ったにもかかわらず、何も見ないで釧路駅に戻ってまいりました。

 

ここからは、釧路市街地の保存車をめぐ…る前に、もうすぐ引退することになっている、アノ臨時列車を見に行きました。

 

 釧路湿原ノロッコ号です。実は筆者は冬にばっかり釧路に行っていて、この車両は乗ったことはあるものの、その1回しか見たことがありません。道央に近いところ走っているうえに、苗穂運転所にも来てくれるふらのびえいノロッコ号ばっかり見ていました。

 車両デザイン…特に前面のスタイルは釧路湿原のほうが好きです。たぶん、筆者は貫通扉がある車両が好きなんでしょうね。

 

さて、そんな釧路駅ですが、在線が非常に多いことにお気づきでしょうか。このノロッコ号(9331)は3番線から釧路車両所に入庫するところで、1番線は「おおぞら3号(4003D)→(折り返し)おおぞら8号(4008D)」、2番線は花咲線の根室行きの普通列車(5325D)の普通列車、4番線は根室本線の帯広からやってきた普通列車(2523D)です。

 

釧路駅は、ホームの数が岩見沢駅や滝川駅と同じ5ホーム。この時間は、そのうちの4ホームが埋っている都会っぷりを見せつけていました。

 

しかも、そのあとも…

H100が続けて釧路車両所に入庫する手前で、5番ホームに根室からの快速「はなさき」(9626D)が到着しました。通常であればキハ54型1両(3626D)での運転ですが、7~8月の間のみ、一部指定席のキハ40を増結した2両編成で運転されています。ここまで、50系ノロッコ、キハ261-1000、キハ54、キハ40、H100とすべて別種類の車両が並んだ釧路駅。全く予想してなかっただけに余計楽しめました~。

 

 

ちなみに、ノロッコ号の機関車はDE10 1660でした。同じくノロッコ塗装になった1661を見たことがない気がします…。

 

ではまた次回です~(*^^)v

日本最東端にしてとてつもないボリュームだった奥行臼の保存から比べれば、こちらは車両のみである分少ないです。でも保存車の台数としては大差ないので、簡易軌道を見ていく際は外せないと思います。

 

前置きが長くなりました、今回は浜中町の茶内の集落にある「浜中町営軌道」の保存車です。前回の別海村営軌道と同じく簡易軌道の類で、茶内から上風連、西円朱別、別寒辺牛へ走っていったそうです。

 

場所はこちら。花咲線の茶内駅から頑張れば歩いても行ける場所にあります。

 

保存されている1台は釧路製作所製の8tディーゼルです。

 

他の保存では基本的に後ろは連結されてしまうので、あまり見れないかも?後ろにもヘッドライトがあるため、バック運転が可能ですが、乗務員の座席が前を向いていたはずなので、あんまりつかずに転車台で向きを変えていたと思われます。

 

 

その後ろは、奥行臼にあった自走客車と同じものの台車部分です。たまたま見つけてきたので保存した…という流れなんでしょうか。台車だけあってもどうしようもなさそう、と思わなくもないですが、貴重なものには変わりない故、保存した方がいいとの判断に至ったのかと思います。

 

レールについても簡易軌道で使われていたものを使っているようです。

 

 

ちなみに、花咲線沿線の保存車両はこれしかありません。

SLの保存は0になります。

 

 

ではまた次回です~(;'∀')

簡易軌道…最小限の軌道設備で国鉄線の駅と近隣の集落の間の輸送を行ったものになります。在来線で使用される1067mmに対して、簡易軌道は大体が762mmのナローゲージです。

 

 石炭輸送があったことで、比較的早い時代からきめ細やかに線路が引かれた道央地域とは異なり、広い地域を林業や酪農等で開拓していた道北、道東地域には多くの簡易軌道がありました。

 とりわけ、根釧台地のエリアは花咲線、釧網本線、標津線しかない国鉄線に対して、多くの簡易軌道があったようです。

 

道路の発達によって早期に廃止されたこともあってか、簡易軌道の保存車は少ないですがそれでも何か所かにあります。

 

一つ目は別海村営軌道の保存車両。場所は標津線の奥行臼駅近くにあります。車輪がついた鉄道車両では、推定で日本最東端に保存されたものになります。もっとも、鉄道自体は2025年現在もここより東の根室駅まで、線路としては旧東根室付近まで走っていますけどもハッハッハ

 

場所は、現:別海町の中心部ではなく、10km以上離れている場所にあります。特に集落がある場所ではなさそうですが、この場所には国鉄標津線の奥行臼駅がありました。

 

別海村営軌道は、文字通り別海村(現:別海町)が管理していた鉄道です。起源は根室本線の厚床駅から中標津までを結んでいた鉄道で、こちらは国鉄標津線にバトンタッチ。残った厚床~上風連間がこの線路に該当します。

1963年に簡易軌道ながら、馬による輸送から内燃機関車両への切り替えへ向けて大規模改修が行われ、その際に国鉄線との接続線が根室線厚床駅から標津線奥行臼駅に変更になりました。

 

 

その1963年に導入され、8年ほど使われたのがこちらの自走客車。よくわからないのですが「気動車」という言い方はしないようです。釧路製作所製で、液体変速機がついているので、相当速度が出るようですが、最高速度は不明です。簡易軌道の車両としてはかなり性能の高い車両であるとか。

 

続いては、6tディーゼル機関車とミルクゴンドラ車。酪農が盛んになった根釧台地の簡易軌道の主な役目は通学輸送とこの「牛乳輸送」。そのためこのミルクゴンドラ車両がたくさんいたようです。

 

保存車が置いてあるレールは当時のものではないっぽいですが、大体このあたり、この向きに1963年建設の線路があったようです。上の画像の地図でいう、左上の分岐があるあたりに該当します。

 

保存車の向かいにはなにやら古そうな建物が建っています。

鉄道と特に関係のない物置かと思ったのですが、実はこれ 別海村営軌道 奥行臼駅の駅詰所になります。そして、現在は資料館となっているのです。筆者は同行者が中に入っていくタイミングまで気づきませんでした…💦

 

中には写真等の資料のほかにNゲージサイズのジオラマが展示されていました。地図っぽいジオラマになっているので位置関係がよくわかります。左手前にあるのが国鉄奥行臼駅。実際には1面2線+一部待避線がある駅のはずです。そして、右にあるのが別海町営軌道の奥行臼駅。旅客乗降も手前の停車場側でやっていたと思うのですが、さすがにわからないです。

そして、奥にあるのがこの資料館となっている駅員詰め所です。これに加えて転車台や車庫、ミルクタンカーをトラックに乗せ換える施設があったようです。

 

線路は特にありませんが、転車台跡がきれいに残っています。簡易軌道の転車台跡は非常に珍しい…のではないでしょうか?

 

このほかに、資料館には別の車両の車輪が。貨車のものと思われますが、あまり詳しい情報が載っておらず…。

 

保存車展示に使っているレールは、再敷設とは思いますが、おそらく当時物のレールです。簡易軌道特有の極小サイズになります。

 

ちょっとネタバレになりますが、国鉄車が使うレール(割と幹線用の50kgレール?)と比較したものです。明らかにサイズが違います。

 

さて、これで展示物は終わり…と思いきや、まだあります。

保存車はさすがにこれですべてですが…

 

のどかな風景の駅舎。こちらはJR標津線の厚床支線の駅「奥行臼駅」です。なんとこちらも残っていて、今は正式に保存されている状態です。

 

駅の中は、JR北海道の駅として1989年に廃止された当初の姿が維持されていて、年季の入った建物にJR北海道の文字がいくつも残っていて、令和の今となっては不思議な雰囲気があります。

このほか、現在「冬の湿原号」となっているC11-171の現役時代の標津線での活躍写真が飾ってありました。

 

 残っているのは駅舎だけではありません。線路も非常に広く残っています。いや、残りすぎています。上の写真は駅舎から中標津方を見ています。手前の線路は1番ホーム…にしてはホームの形状が乗り降りできる見た目をしていません。

 

その答えはちょっと中士別側に行くとあります。ワムなどの貨物で使う貨物ホームです。どうやらこの線路は貨物の積み下ろし用の線路だったようで、この駅は貨物駅として重要だったんですね。ただ、標津線の貨物取り扱いが1980年、線路の廃止が1989年なので、9年間は使われておらず、廃線末期には少なくとも分岐部分がなかったようなので一部は復元かもしれません…??

 

ホーム付近から厚床側を見た様子。コーンがなかったらただの現役の線路にしか見えません…すごいです。

 

駅舎の厚床側に建物が建っていましたが、こちらも明らかに古そうです。このあたりの建物等が全て土木学会の土木遺産に選ばれているっぽいです。

 

本線の外側にある引き上げ線です。保線用だったのか、こちらの線路は廃線末期まで残っています。保線用と思われる90°クロスの線路があり、その先の小屋もまた歴史がありそうな見た目をしています。何もかも味がありますねぇ…。

 

JR標津線支線として最後まで使われたであろう本線ホームです。崩落が進んでいるようで、立ち入り禁止となっていました…。見た目も微妙故、補修してくれることを祈るばかりです。

 

同じ立ち位置から中標津方向を見てみます…と、なんと駅から先もしばらく線路が続いています。三笠鉄道村やりくべつ鉄道、富内駅のような線路の残りっぷりです。保線等の費用や人員がなんとかなるのであれば、キハ40とかを保存して走らせたら楽しいでしょうねぇ…(*´ω`*)

 

中標津側の分岐部分から150m、トータルでは350m以上線路が伸びています。

 

その先にはコンテナがつながっているあたり、軌道自転車が保存されていそうな雰囲気ですね。1回くらい体験してみたいですが、いかんせん日本最東端の保存車がある場所故、行けるかどうか…。

 

なんとか、達成したいです。

ではまた次回です~(*'ω'*)

1面2線のホームに停車するキハ22。完璧な駅の雰囲気があります。

 

ここは別海町…の市街地からは直線距離で約30kmも離れたところにある「西春別」という集落。そのなかに別海町鉄道記念公園という場所があります。

ここです。ちなみに駅の周りの住所がどこも「駅前」とついています。

 

先ほどのホームが西春別駅のホーム…にしか見えないのですが。

逆から見るとこのキハ22は車両が載る最低限の分だけレールが敷かれており、後はすべて芝生となっています。それだけであれば違和感を感じる程度ですが、航空写真で調べたところ西春別駅のホームはここからだいぶ西側の、現在はAコープが建っているあたりだったようなので、このホームはまさかのレプリカであるようです。

 

このクオリティどっから見ても駅ですよ。。。

 

合わせてこちらがキハ22-239です。正統派の白JRマークがついた、首都圏色末期の姿を今に残しています。再末期まで釧路に残ったグループで、標津線廃止後は釧網本線で使っていたようです。トレーラーで持ってきたからこそ、この本線じゃない位置なんでしょうね。

 

その疑似島式ホームの対岸の線路は標津線の本線であると思われます。レールに使用痕も残っています故…。この線路の先にも保存車があります。

 

 

一番中標津寄りにあるのはラッセル車。キ276です。小樽や三笠、オホーツクエリアにもある一般的なキ100型ですが、ここの個体は特筆すべき内容が。

 

なんと、JR北海道に引き継がれた「JR北海道キ100型」なのです。というのも標津線は路盤が非常に弱く、「軸重を抑えてローカル線に入れるラッセル」を謡ったDE15ですら入線ができない線路でした。そのため、標津線は降雪時には排モかDD16+キ100を投入せざるを得ずキ176とキ276の2台がJR北海道に引き継がれたのです。

 

その、由緒正しき車両がここに保存されています。検査表記も異例のS62-10が入っています。

願わくば、DD16と一緒の姿を見たかったですね…。

 

続いて「ラッセルの先頭側に連結される車掌車」ヨ4642です。S59→1984年の検査表記があるので、1986年くらいまでは使っていたんですかね…?おそらくキ276と一緒に持ってこられたものと思われます。一般的なヨ3500だと思います。

 

さて、続いては…??

予想外の刺客「サハリンD51」です。日高の山の中、旧富内線振内駅にもある、国産ですが日本を一切走っていないD51のうちの1台。

 

向こうはD51-23でしたが、こちらはD51-27になります。

 

他にも数台がサハリンから北海道に戻ってきていたようですが、他の個体は全て解体されているようです。ちなみに22号機は現地サハリンで保存されています。

 

せっかくなので比較してみましょう。今回の目的である西春別のD51-23

車輪や前面が赤く塗られています。派手に見えますが、ソ連走行時代はこの塗装だったっぽいため、これが現役当時の姿に近いっぽいです。

他には、連結器が日本のものと違います。ウィリソン式?というっぽいです。

一方で、他の個体にあった正面のボイラーの扉の留め具がないように見えます。

 

振内駅のD51は塗りなおされたのか、やたら日本のD51っぽくなっています。ロッドが赤いほかは全て黒塗装。連結器も自連になっていますが、これはソ連時代からなのでしょうか…?

 

保存のされ方がまるで違って面白いです。

 

さて、ラストは線路について

 さっきのD51-27が置いてあったあたりにポイントレールがあります。上の画像の向かって前が標茶側、後ろが標津側です。西春別駅はY字分岐で島式ホームに入るように見えるのですが、このポイントは左が直進する分岐に見えます…?とはいえ、わざわざポイントレールを設置しなおすこともないと思うので、この線路が標津線本線であり、分岐が上下本線(ホームのある線路)のものと思われます。

 西春別駅のホームは、この先にあります。

 

この先にあるのは別海町鉄道記念館。入場無料で標津線の資料を見ることができます。

なんなら、起動自転車やモーターカーがいます。見た目のわりにボリュームのある内容で見ごたえがありました。

 

西春別駅は画像のトイレの建物の奥当たりに立っていたようです。正面を横切る道路が元の駅前通り(延長わずか500mの西春別停車場線)になります。

 

今もここがバスの停留所らしく、ちょうどバスが待機している時間でした。

 

失礼ながら、西春別という地名を認知できたのは今回が初めてでしたが、展示内容が豊富で非常に楽しめる場所でした。ちなみに、鉄道以外にも場内で自転車を走らせられるものやスケートリンクもありました。

 

よかったら足を運んでみてください。

 

ではまた次回です~(*^_^*)

 硫黄山に行きました。摩周湖の時もでしたが、画像では伝えられないほどスケールが大きいです。そして、「え、ここまで行けるの?」っていうほど硫黄山に近づけます。そして、その辺に硫黄っぽい黄色いものがあります。

 この時期は一般車で駐車料金が500円かかりますのでご注意を。

 

そんな硫黄山、実は鉄道が走っていました。しかも1887年というとんでもない早期にです。

 

 ここには釧路鉄道という鉄道がありました。硫黄山の文字の通り「硫黄」を運ぶために作られた鉄道で、この川湯温泉の硫黄山から、現在の釧網本線、標茶駅付近までの40キロほどを結ぶ鉄道でした。釧路鉄道といいつつ、釧路にはつながっていなかったのは面白いところですが、開通が1887年…つまり幌内鉄道に次ぐ北海道で2番目の蒸気動力鉄道になります。

 

そんな釧路鉄道の2台のSLのうち「進善号」の模型が展示されています。

 

結局、硫黄の採掘で今でいう「労災」が多発したこと、硫黄の発生量と採掘が合わなかったことで釧路鉄道線はなんと1896年に事実上の廃止となりました。1900年以前に廃線となった路線はめったにないでしょうし、とんでもない例だと思います。

 

そんな釧路鉄道線のうち、標茶駅から摩周駅までの間は現在の釧網本線が30年後の1929年の開業時から引き継いでいるそうです。摩周駅から川湯温泉付近までの線路は、流用している区間があるかもですが、していない区間が多そうです。手がかりがあんまりないです…。

 

機関車は、最終的に鉄道省が引き継いで7000型となり 岩見沢・旭川で入れ替えや工事用の機関車として使われ、1920年前後に廃車になりました。

 

 

車両も線路もあまりに早い終焉となった鉄道のお話でした。

 

 

では、次回からまた保存車を見ていきます

ではまた次回です~(V)o¥o(V)

 北海道の駅名に「温泉」がつく駅は特急が止まらないジンクスがありますが、ここ川湯温泉はそもそも特急が走っていないグループになります。また、釧網本線のヘッドである「釧路湿原ノロッコ号」「SL冬の湿原号」は基本的には標茶駅どまりで、弟子屈のこの駅まではすっかり足を延ばさなくなりました。

 年に数回ほどノロッコ号がこの駅までやってきますが、廃止後の代替列車ではどうなることやら…。

 

 そんな川湯温泉駅ですが、温泉宿泊を含めてわりと便利な時間に列車があります。夕方チェックイン時間帯は、網走発・釧路発共に16時前後に上下1本ずつ、18時過ぎに上下1本ずつあります。逆に、摩周エリアの観光をした後の帰路の列車にも便利そうです。

 筆者は18時過ぎの網走・釧路行きの離合を見ることができました。レトロな駅には似つかわしくないH100ですが、最新型が釧網本線にも入ったのは、当面線路が継続してくれそうとも取れるので、一安心かもですね。

 

 注意ですが、この18時18分ごろに発車する釧路・網走行きの普通列車が"最終列車"です。これを逃がすと網走はおろか釧路にも行けません。釧路行きの最終列車は弟子屈町の中心駅 摩周駅始発なので…。

 

1番線のホームに面白いものがありました。3727Dって書いてあります。減便前の釧路行き快速しれとこ(摩周)の列車番号かと思います。1番線のこの位置に止まるルールとかあったんですかね…?

 

網走方を見たところ。2番線からの出発はできず、1番線のみに信号機があります。

停車目標は1と2だけなので、臨時列車は全て仮説停目を使ってそうです。

 釧路方は、両方に信号機があります。ついでに、よく見るとポイントが1番線を本線側としたスルー方式となっています。もしかすると1番線は昔の斜里貨物の名残で通過対応になっている…のかも?

 また、夜朝にある川湯温泉着発便や釧路湿原ノロッコ号等の折り返しために、1番線が折り返せる構造となっています。

 

温泉駅とだけあって足湯もありました。なんで写真撮らなかったかな…。

無事に見るものも見たので、これにて本日はお宿へ…

 

ではまた次回です~((+_+))

いよいよお宿にイン~!したいですが、その前に1台保存車を見ていきます。

 

 スハフ42 522だそうです。ホテルのカラオケルームとして使用されていたそうですが、現在使われているかは怪しいところ…。本当はこの保存車のある宿に泊まれればいいなと思いましたが、満室で断念となりました。

 

 スハフ42-500の保存車はそこそこありますが、ここに置いてある車両は一般的なスハフ42-0からではなく、スハ43-700からの改造です。その前も改造歴が結構多いようですが、最終的にはスハ43-435に該当するっぽいです。

 

種車が違うため特徴ある一台であるとは思いますが、スハフ42-500自体は結構見たので、これにて戻ります。

 

ではまた次回です~♨

 この日のお宿は川湯温泉であったため、道中ちょっと寄り道すると摩周湖に行けました。弟子屈市街のルートはそこまで険しくなかったですが、川湯温泉からのルートはヘアピンカーブだらけのとんでもなく険しい道だったのでご注意ください。

 

 さて、摩周湖といえば霧が出ることで有名…というのも、この湖は湖岸に降りる方法がないほど険しい山に囲まれています。そして、この湖から流れ出る川はありません。ここの湖の水は、地下水として染み出すか、蒸発するしかないのです。

 そして、流れ出る川がないと書くように、一見美しいとみている湖岸の山がぐるっと一周しています。この湖は大噴火した火山の火口…つまりはカルデラで、周囲の山は全て外輪山だそうです。この湖に落ちちゃうと、45度くらいの斜面を登らない限り外に出られないのです。

 

そんな条件が重なってか、かなり霧が出やすい俗称「霧の摩周湖」ですが、なんとこの日は晴れておりました…💦 摩周湖の晴れに立ち会うと婚期が遅れる、なんて羨みから出たであろう言葉もあるほど珍しいらしく、いいものを見られました。

 

上の画像は第一展望台から見たもの。

つづいて、同じ道路沿いにある第三展望台からみたものです。絶景ではあるのですが、下を見ると急な斜面や崖が湖へ向かって、文字通り続いているのを見るとソワソワします…。

 

スケール感が伝えにくいというか、現地にいてもスケール感が狂うのですが、左に見えるのが第三展望台です。斜面が全て写っているわけではないですが、展望台の大きさと比べるとスケールの大きさが少しはわかるかも?と思います。

 

硫黄山と屈斜路湖?も見れました。

 

ではまた次回です~b

 根室標津に続き、2台目のC11を見ていきます。

今回見るのは中標津町の市街地の端っこにある「丸山公園」に保存されているC11-209です。横には郷土資料館もあり、間違いなく標津線がらみの資料がありますが残念ながら開館時間に間に合わず…。

 C11型蒸気機関車の保存は現在の北海道では4台で、これに「SL冬の湿原号」用の171を合わせて5台になります。その中では唯一ヘッドライトが2つある「カニ目」の機関車です。

 

場所はこちら。中標津といえば標津線のうち根室標津駅と厚床駅、標茶駅へそれぞれ分岐をする「中標津駅」がありましたが、中標津は今でも発展があるほどの町ですので、駅跡はすべて再開発されたようです。

 

 さて、北海道で唯一のC11のカニ目。なんて書きましたが、カニ目のC11といえばもっと有名な個体がいるかと思います。2014年ごろまでJR北海道で活躍し、現在は東武鉄道に貸し出されて使用中のC11-207です。

 一応、在籍は今も旭川運転所らしい…?です。

C11-207もC11-209も新製配置が静内で日高本線の運用に入っていました。その日高本線が特に霧が出やすい線区だったために、対策で2つ目になっていたものと思われます。

 

比較してみましょう。やっぱり油で磨く現役機と比較すると、塗装で保全する静態保存機は塗装が派手になりますね。復活時についたと思われる煙突の火の粉止めや、デフの形状に微妙に差があるのがわかります。

 

 また、C11-209が複線型のスノープロウをつけているに対して、C11-207は現在は単線スノープロウをつけています。C11-207が静内の山手公園に保存されていた頃は複線スノープロウをつけていたようなので、復活運転時に単線型に変更されたっぽいです。

 このスノープロウ変更はC11-171でも行っており、「一般的に思い浮かべるSL = 単線スノープロウ」というイメージで、付け替えが行われているのかもしれません。筆者も単線型のほうがしっくりきますし…。

 

 さて、筆者にもなじみがあるC11-207の後ろといえば、カニ目機なので当然後ろもヘッドライトが2つでした。このノリでC11-209も見てみたところ

 

あれ?????こちらは1つ??????

 

 C11お得意のバック運転を前提としないのでしょうか。なぜか前が2つ目、後ろは一つ目でした。どうもC11は前だけが2灯のシングルカニと、前後が2灯のツインカニの2種類がいるそうです。不思議ですねぇ…。

 

また、後ろ側のスノープロウもついていません。廃車時につけていなかったってところですかね。

 

夕方になってきましたがまだ暑い…。ぼちぼち宿へ向かっていきます。

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

 標津線を西へ向かって一駅目。次は川北駅になります。ここにはキハ22 168が保存されています。駐車場の一角に最低限の線路とキハ22が置いてあるスタイルですが、たぶん標津線の川北駅の線路がそのまま使われていると思われます。空中写真を見る限りは、このキハ22がいる位置が川北駅の2番ホームの位置であるっぽいです。廃線時にここにキハ22を置いて行ったんでしょうかね…?

 

特徴は緑のJRマークですが、そういえば緑のJRマークのキハ22が当時走っていた画像が見当たりません。実際にあったんですかね…?

 

 やけにきれいだと思ったら、数年前に塗りなおされたようです。また、根室標津駅のC11と転車台の保全を行っているところが整備しているようで、この日もお祭りを前に電装系を一部復活させようと作業をしていました。暑い中ご苦労様です…無理なさらず頑張ってください♪

おかげで、乗降扉や窓のほかに貫通扉が開いている珍しい姿を見れました…ちょっと嬉しい←

 

 確か、去年にJR北海道から互換部品を提供されていたのもこの車両だったと思います。今はテールライトがすべてなくなっています(補修のために外した?)が、つけた姿が楽しみです。今年中にはつくのでしょうか…?

 

というわけで、次は中士別へ向かいます。

ではまた次回です~(^_^)/