簡易軌道…最小限の軌道設備で国鉄線の駅と近隣の集落の間の輸送を行ったものになります。在来線で使用される1067mmに対して、簡易軌道は大体が762mmのナローゲージです。
石炭輸送があったことで、比較的早い時代からきめ細やかに線路が引かれた道央地域とは異なり、広い地域を林業や酪農等で開拓していた道北、道東地域には多くの簡易軌道がありました。
とりわけ、根釧台地のエリアは花咲線、釧網本線、標津線しかない国鉄線に対して、多くの簡易軌道があったようです。
道路の発達によって早期に廃止されたこともあってか、簡易軌道の保存車は少ないですがそれでも何か所かにあります。

一つ目は別海村営軌道の保存車両。場所は標津線の奥行臼駅近くにあります。車輪がついた鉄道車両では、推定で日本最東端に保存されたものになります。もっとも、鉄道自体は2025年現在もここより東の根室駅まで、線路としては旧東根室付近まで走っていますけどもハッハッハ
場所は、現:別海町の中心部ではなく、10km以上離れている場所にあります。特に集落がある場所ではなさそうですが、この場所には国鉄標津線の奥行臼駅がありました。
別海村営軌道は、文字通り別海村(現:別海町)が管理していた鉄道です。起源は根室本線の厚床駅から中標津までを結んでいた鉄道で、こちらは国鉄標津線にバトンタッチ。残った厚床~上風連間がこの線路に該当します。
1963年に簡易軌道ながら、馬による輸送から内燃機関車両への切り替えへ向けて大規模改修が行われ、その際に国鉄線との接続線が根室線厚床駅から標津線奥行臼駅に変更になりました。

その1963年に導入され、8年ほど使われたのがこちらの自走客車。よくわからないのですが「気動車」という言い方はしないようです。釧路製作所製で、液体変速機がついているので、相当速度が出るようですが、最高速度は不明です。簡易軌道の車両としてはかなり性能の高い車両であるとか。

続いては、6tディーゼル機関車とミルクゴンドラ車。酪農が盛んになった根釧台地の簡易軌道の主な役目は通学輸送とこの「牛乳輸送」。そのためこのミルクゴンドラ車両がたくさんいたようです。

保存車が置いてあるレールは当時のものではないっぽいですが、大体このあたり、この向きに1963年建設の線路があったようです。上の画像の地図でいう、左上の分岐があるあたりに該当します。

保存車の向かいにはなにやら古そうな建物が建っています。
鉄道と特に関係のない物置かと思ったのですが、実はこれ 別海村営軌道 奥行臼駅の駅詰所になります。そして、現在は資料館となっているのです。筆者は同行者が中に入っていくタイミングまで気づきませんでした…💦

中には写真等の資料のほかにNゲージサイズのジオラマが展示されていました。地図っぽいジオラマになっているので位置関係がよくわかります。左手前にあるのが国鉄奥行臼駅。実際には1面2線+一部待避線がある駅のはずです。そして、右にあるのが別海町営軌道の奥行臼駅。旅客乗降も手前の停車場側でやっていたと思うのですが、さすがにわからないです。
そして、奥にあるのがこの資料館となっている駅員詰め所です。これに加えて転車台や車庫、ミルクタンカーをトラックに乗せ換える施設があったようです。

線路は特にありませんが、転車台跡がきれいに残っています。簡易軌道の転車台跡は非常に珍しい…のではないでしょうか?

このほかに、資料館には別の車両の車輪が。貨車のものと思われますが、あまり詳しい情報が載っておらず…。

保存車展示に使っているレールは、再敷設とは思いますが、おそらく当時物のレールです。簡易軌道特有の極小サイズになります。

ちょっとネタバレになりますが、国鉄車が使うレール(割と幹線用の50kgレール?)と比較したものです。明らかにサイズが違います。
さて、これで展示物は終わり…と思いきや、まだあります。
保存車はさすがにこれですべてですが…

のどかな風景の駅舎。こちらはJR標津線の厚床支線の駅「奥行臼駅」です。なんとこちらも残っていて、今は正式に保存されている状態です。

駅の中は、JR北海道の駅として1989年に廃止された当初の姿が維持されていて、年季の入った建物にJR北海道の文字がいくつも残っていて、令和の今となっては不思議な雰囲気があります。
このほか、現在「冬の湿原号」となっているC11-171の現役時代の標津線での活躍写真が飾ってありました。

残っているのは駅舎だけではありません。線路も非常に広く残っています。いや、残りすぎています。上の写真は駅舎から中標津方を見ています。手前の線路は1番ホーム…にしてはホームの形状が乗り降りできる見た目をしていません。

その答えはちょっと中士別側に行くとあります。ワムなどの貨物で使う貨物ホームです。どうやらこの線路は貨物の積み下ろし用の線路だったようで、この駅は貨物駅として重要だったんですね。ただ、標津線の貨物取り扱いが1980年、線路の廃止が1989年なので、9年間は使われておらず、廃線末期には少なくとも分岐部分がなかったようなので一部は復元かもしれません…??

ホーム付近から厚床側を見た様子。コーンがなかったらただの現役の線路にしか見えません…すごいです。

駅舎の厚床側に建物が建っていましたが、こちらも明らかに古そうです。このあたりの建物等が全て土木学会の土木遺産に選ばれているっぽいです。

本線の外側にある引き上げ線です。保線用だったのか、こちらの線路は廃線末期まで残っています。保線用と思われる90°クロスの線路があり、その先の小屋もまた歴史がありそうな見た目をしています。何もかも味がありますねぇ…。

JR標津線支線として最後まで使われたであろう本線ホームです。崩落が進んでいるようで、立ち入り禁止となっていました…。見た目も微妙故、補修してくれることを祈るばかりです。

同じ立ち位置から中標津方向を見てみます…と、なんと駅から先もしばらく線路が続いています。三笠鉄道村やりくべつ鉄道、富内駅のような線路の残りっぷりです。保線等の費用や人員がなんとかなるのであれば、キハ40とかを保存して走らせたら楽しいでしょうねぇ…(*´ω`*)

中標津側の分岐部分から150m、トータルでは350m以上線路が伸びています。
その先にはコンテナがつながっているあたり、軌道自転車が保存されていそうな雰囲気ですね。1回くらい体験してみたいですが、いかんせん日本最東端の保存車がある場所故、行けるかどうか…。
なんとか、達成したいです。
ではまた次回です~(*'ω'*)