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北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

日本で一番東にある国鉄保存車両がこちらのC11-224であると思われます。お手入れがされているためかなりきれいな見た目をしています。

 

場所はこちら。根室標津駅の転車台のあった位置にあります。根室標津駅の転車台は、標津線が廃線となる前からずっと残ったままとなっていました。それを2018年ごろにクラウドファンディングて復活させ、近くの標津文化ホールに保存されていたC11-224を移設して「動く保存」をするようになったようです。

 

 

転車台は手押しで、3人分の押手がありました。標津線はC11しか入れないような超低規格線区ゆえ、これ以上の転車台が必要になることはなかったのかもですね。

 

転車台から南…中標津方を見てみた図です。ちなみにこの線路は本線ではなく、北側に根室標津駅のホームなどがある構造のため、この線路は当時物で、かつ当時から行き止まりの転車台線であると思われます。

 

保存されているC11-224は、1つ目で複線スノープロウをつけています。せっかくなので同じ1つ目で現役のC11-171と比較してみましょう。

 

あんまりいい写真がありませんでした。比較してみるとC11-224のヘッドライトが小さいような…?別の車両から持ってきたとかでしょうか。逆にC11-171は復活直後までは複線スノープロウをつけていたそうですが、以後は単線のものに置き換えられています。

 

根室標津駅のC11-224は実は動くことができます。筆者はてっきり圧縮空気で動くと思っていたのですが、実は違ってなんと…

動輪の間にうまーく入っていますが、なんとバッテリ?とモーターで動かしているそうです。やっていけるもんなのですね…(滝汗) 理屈の上では動くとわかっていても、これを静態保存機にやってのけたという実績にただただ敬服します。

 

 

やっぱり直近で動いているSLってどことなく雰囲気が違います。錆じゃなくて汚れがあるというか、いい雰囲気を出しています。

 

根室標津駅側はビニール製の車庫とピットレールがありました。ピットでかいですね…これの有無で整備難易度が全然違うと思います。

 

ちなみに、写真を撮り忘れましたが、根室標津駅側は空き地でしたが特にそれっぽい遺構は見当たりませんでした。

 

検査表記はH29.9 標津工場 だそうです。こういうの好きです。やっぱり整備したら検査表記も書きたくなります。区名札は盗まれちゃうから常設はしない…とかですかね。

 

現役の雰囲気を楽しむことができたところで、今度は標津線沿線をめぐっていきます。

オホーツク海が近いからか、帯広が33℃とか言っている中、標津は23℃と非常に涼しかったです。一瞬ですが避暑ができました。

 

まぁ、ちょっと内陸入っただけで26℃とかになったんですけどね💦

 

 

 

ではまた次回です~(;_;)/~~~

国道横にそびえたつ橋。一見水路の端にも見えるこの端こそ、根北線の有名な「越川橋梁」です。

 

 場所はこちら。そもそも根北線とは「北見」「根室」を結ぶ鉄路を示します。釧網本線の知床斜里駅を起点に、越川を経由して根北峠を越え、旧標津線の根室標津駅へ結ぶ線路…の予定でした。戦前に計画され、記事にしている越川橋梁こと正式名「第一幾品川橋梁」は1941年にほぼ完成状態にまでなっていたのですが、情勢の悪化で工事は凍結、線路もはがされました。

 その後、戦後に再開して1957年に越川~知床斜里間のみ開業しました。そこから越川~根室標津間の工事がはじ…まることはありませんでした。もともと根北線を作成しようとした理由も「国防のため」だそうで、戦後には需要がないと建設に踏み切る理由がなかったのかと思います。この路線、途中に町らしい町がないもので…。

 

 結局、残った越川~知床斜里間もあまりに乗る人が少なかったため、地方交通線に指定されるまでもなく1970年に廃止となりました。

 

こんな越川橋梁は、根北線で真っ先にできたといわれる区間にもかかわらず、越川駅より先…つまり「未開通区間」の端です。戸井線と同じく列車が1本も走らなかった鉄道遺構で、wikiさん曰く「渡らずの橋」と呼ばれていたとか。

 

構造はコンクリートアーチ橋ですが、戦時下のため「鉄筋」がありません。耐震とか心配ですが…まぁ…。加えて、ここを通る国道244号の新道を建設する際に、アーチを2つほど崩しています。残りを崩す理由もなかったのか、放置されていたのがこの遺構なのです。

 

 

北海道の未成線遺構で有名なところの一つでした。ほかは戸井線のアーチ橋s、名羽線の到達困難なコンクリート橋+トンネル でしょうか。

 

ではまた次回です((+_+))

本当に9600型はどこにでもいます。こちらは斜里町にある59683になります。

と、書いてながらなんですが、C58やC11が多い道東では他地域と比較すると、そこまで9600がいません。ここの59683も最終配置は帯広であり、そこまで斜里から近い場所からやってきたカマではありません。

 まぁ、深川のC58が北見からやってきたくらいですし、SLの保存は割とランダムに飛ばされている感がありますね。最終配置が北海道でも北海道外に保存された例も多いので。

 

場所はこちら。知床斜里駅からそこそこ近い「ゆめホール知床」の端っこに置いてあります。空中写真からですと、木の陰に擬態していてほとんど見えません。

ちなみに、この場所は特に廃線跡とかではないです。

 

使い勝手の良さある9600ならではの、SL全廃となった1975年に帯広機関区で廃車になりました。屋根なしで保存後50年経過したわりになかなかの状態を維持しているように見えます。今回の巡り旅は連続して屋根や柵がある保存車両を見続けていたので、新鮮です。SLに上らないでって書いてたのでキャブ内は見ていませんが…。

 

テンダーの上にあるアーチは、ブルーシートをかけやすいようにするためのものでしょうか…?

 

おなじみ、腕木式信号機も設置されていました。

 

…と、これだけかなと次に行こうとしたら道路越しに何かが見えて慌ててUターン

 

夢ホール横の道路の先に、別の9600の動輪が保存されていました。フェイントをかけれたぁ(((

 

動輪があったのは、知床博物館の駐車場。おそらく先ほどの9600とは管理所有が別なのかも?

 

1919年製造ということは、9600型の中でも中期の製造、29XXXとか39XXXに近い番号のものと思われますが、残念ながら動輪からも手がかりなし。ネットでも番号の特定には至ってないようです。

 

 

 

というわけで、斜里町の保存車+αを見ました。

ここからは山を越えていよいよ根釧台地へ向かいます。

 

 

ではまた次回です~♪

どんどん保存車両を見ていきます。斜里町近辺は2か所保存車があり、いずれもSLです。

そのうちの1台が清里町の公園にあるC58 33になります。なんと2台連続でC58を見ることとなりました。

 

なんとJNRマーク付きです。せっかくなのでさっき見たC58 82と比較してみましょう。

 

デフの形が全然違いますね。JNRマークといい、特殊なデフであるようです。

 

場所はこちら。釧網本線の清里町駅から1kmちょっとと歩けそうな距離ではあります。どちらかというと釧網本線の本数が怪しいところ…。

 

なんといっても特徴的なこのJNRマークと特殊形状のデフは、もとからC58 33についていたわけではなく、C58 385が廃車となった際に本機に移設されたものになります。

 

状態はきれいですが、白い柵にしっかり囲まれていて撮るにはちょっと(´・ω・`)となってしまいます。

とはいえ、SLは子供が上りやすいわりに落ちたら危ない構造をしていて、なかなかノータッチ柵なしで展示…とはならないよなぁ…と思います。

 

ヘッドライトのレンズがなくなっていますが、それ以外は特に問題無さそうかと思いました。特徴ある機関車でもありますので、なるべく長く残ってくれることを祈ります。

 

ではまた次回です~((+_+))

相生線を北上してやってきたのは美幌町。石北本線が今もあり、特急が2往復ですが停車する町です。そんな美幌町までやってきたのですが、なんと今回は石北本線を見ることすらなく…

 

こちらのSLを見に来ました。C58 82です。

 

場所はこちら。美幌駅からは2.5kmとそこそこ遠い高台にあります。

C58の保存車は、今のところは深川でしか見たことのなかったC58ですが、道東エリアにはそこそこ配置があります。

 これにもちゃんと理由があって、北海道の特に道央地区は石炭輸送を目的として敷設された鉄道が多く、そのために比較的重量級のD51が入れるような線路ばかりになっていたのです。そのため、旅客には軸重が大きいC57が入線可能だったため、こちらばかりが入っていました。一方で道東…釧網本線や網走地区などの石炭輸送を行わない線区はこれらの機関車が入れなかったために9600型以外だとC58がメインで入っていたのでした。

 

ですので、道央や周囲の地区では保存は人気の貨物機「デゴイチ」や旅客機C57と、入れ替え機として長寿だった9600型がほとんどです。深川に保存されているC58 98も最終配置は北見で、今回のC58 82と同僚でした。

 

状態は屋根もついていて、そこそこよさそうです。

 

美幌まで見たところで、北見・網走エリアには入らず

この後は斜里方面から根釧台地に向かって走っていきます。

 

ではまた次回です~(*'ω'*)

 

 

さて、前回に続き相生線沿線を北上していきます。

この日は帯広の気温が最高33度、湿度も77%と非常に蒸し暑く、この時点でだいぶきつかったです…。

 

というわけで、今回は廃線跡ではなくキャンプ場です。

 

津別町にある「津別21世紀の森キャンプ場」に保存車両があります。ちなみに、相生線の津別駅には特に跡が残っていないっぽいです。

 

1枚目の画像にもちらっと写っていますが、1代目は入れ替え動車…が機関車のようなポジションで待機しています。このサイズだと連結器が大きく見えますねぇ。

 

そして、その後ろに客車が保存されています。しかし、ここに保存されているのはいつもの43系客車ではなくなんと「10系寝台客車」です。20系登場より前にできた軽量化寝台客車で、北海道では14系寝台車が本州より転用改造で導入される1983年ごろまで主力として活躍していました。そのせいで廃車時には車体が限界を迎えてしまったのか、北海道での保存例が非常に少ないです。ここ以外には以前取り上げた深川市の桜山公園でのみ保存があったようです。

 

今はSLのみが保存されています。

 

ここの10系客車はもともとはキャンプ場の宿泊施設として使用していたみたいですが、最近は使われず放置されていたっぽいです。しかし、現在ちょっとずつ修理が行われているらしく、再び泊まれるようになるかはさておき、しばらくは解体されずに残るんじゃないかと思います。

 

 入れ替え動車の後ろにつながるはオロネ10 502です。もしかしなくても、北海道で唯一のA寝台保存車両じゃないかと思います。10系寝台車オロネ10の北海道型で、14系以降の車両にはない1965年の「新造時から500番台」の車両です。

 一貫して札幌所属だったらしく、急行すずらん、急行まりも、急行狩勝、急行利尻、急行大雪といった道内夜行の寝台車として使われたのちに1984年に廃車となりました。廃車後はすぐにここに移動となったのかはちょtt

 

車両の上に屋根もあるため、そこそこきれいな状態を維持していますが、よく見ると車体の屋根が心配な様子…。

 

2両目はスハネ16 510です。車体は1両目のオロネ10より3年新しい1968年製ですが、製造時のオハネ17-510の台車は32系客車を流用しており、すでに100年近いものになっているっぽいです。

 

オロネ10側はカーテンがかかっていて中が見れませんでしたが、スハネ16側は覗くことができました。どうやら3段寝台?の上段部分を取っ払って、最下段に寝るスタイルをとっていたようです。「消灯十時」だそうです( ˘ω˘)スヤァ

 

台車は再塗装していなかったおかげで、最終検査表記が残っていました。オロネ10-502の最終検査は昭和57年6月14日、場所は閉鎖した五稜郭工場(GK)です。

 

廃線跡ではありませんでしたが、使わなくなった腕木式信号機や踏切もありました。

 

人がいたのでキャンプ場の様子は撮れませんでしたが、よく手入れされた芝生キャンプ場で、薪の貸し出しもあった気がしたので、山沿いにしては割と快適かも?と思いました。川が近くて釣りもできそうでした。

 

ではまた次回です~(-_-)zzz

士幌から山の中を走り続け、自分がどこ走っているのかもわからなくなるころに、やっと到着。次の目的地は道の駅あいおい横にある相生鉄道公園です。

 

ここには、美幌駅から分岐した相生線の終着駅がありました。この路線、本来であれば線路が釧路まで伸び「釧網線」のポジションをとる予定だった線路でもあります。

…と、とてもいい感じに昭和っぽい風景が撮れました。

 

相生鉄道公園は、道の駅あいおいの建物と駐車場の裏、白樺並木を挟んだところにあります。

 

相生駅は1番線のホームに、側線が2本くらいあったみたいで、そのうち本線と側線1本はこんな感じで残っています。気が生い茂っていますが、かなり長く線路が残っています。

 

また、先の本線側とは分断されていますが、車庫?へ続く線路も残っていました。

 

また、本線サイドも草が生い茂って見えませんが分岐部分を含めてかなり残っています。春先に調査してみたいですねぇ。

横の建物も、明らかに国鉄関係の建物に見えますし、かなり当時物の施設が残っています。

 

また、駅舎も残っていて、現在はカフェになっています。せっかくなので利用したかったのですが、時間がなく断念…。

 

さて、足早に保存車を見ていきます。まずは一番終端側にある除雪車から

キ700型 いわゆる「ジョルダン」のキ703です。旭川所属で深川駅常備…留萌本線か深名線で使われていたものですかね。なぜか遠く北見相生駅で保存されています。

羽が開いているのがポイントで、開いた状態のものはここにしかなかったような…?

 

続いてはワフ29500型 車番が消えていますが、wikiさんによればワフ29574だそうです。車掌車兼荷物車ですね。連結位置がすごいことになっていますがご愛敬

 

続いてはワム80000のワム180455、本日3代目です。今まであんまりワムの保存車を見てこなかったので、1日でこれだけ見れるのは新鮮です。

 

続いてはトラ74509 トラックと同じように木材でも砂利でもなんでも積んでいける貨車です。北海道ではここと三笠鉄道村に保存があります。

 

 続いては旧型客車 スハフ42-502です。北海道へ転用時に改造を受けた車両で、軽くググったところ元はスハフ42-111であるようです。最終配置は旭川で1984年廃車とのことですから、北見相生駅へはトレーラーで輸送された…のかな?ライダーハウスになったようで車内の座席はなくなっていました。

 

1両でポツンと置かれていました。ここ最近は使われている気配はありませんでしたが、客車自体は最近塗りなおされたっぽく奇麗になっています。

 

最後はキハ22 69です。キハ22 0番台で、後年…って言っても相生線廃止の1985年ごろまで生き残ったグループと思われます。廃車時期もわかりませんが検査は昭和58年?59年の表記があったような…。たぶんですが相生線廃止時にここに残って廃車になったのではないでしょうか。

 

つい最近、塗り直しが行われてきれいになっています。また、キハ22の一般色の保存はもしかするとここだけ?ほかは全て首都圏色かオリジナル塗装だったような気がします…間違っていたらごめんなさい。

 

せっかくなら、このキハ22が駅のホームに止まっていたらよかったのに…と一瞬思いましたが、ここはここでそれっぽい構図が見れたので満足です。

 

 

線路があまり見えない時期に来てしまったので、リベンジしたいですね。

ではまた次回です~('_')

保存車制覇を狙う場合、根室エリアが一番難関です。1泊しないとまともに見てまわれません。というわけで、1泊2日保存車巡りの旅が始まることとなりました。

効率よく東側の車両を見ていくために道中はすっとばし、一つ目に選んだのは十勝エリア。士幌線の士幌駅跡にある「士幌交通公園」です。

 

士幌線は、帯広駅から音更町を経由して、この士幌駅へ。そこから上士幌を通って糠平 さらにはその奥地 十勝三股へと登っていく路線でした。廃線より10年以上前に糠平~十勝三股間は利用客の少なさから休止となっていたようです。道中の主要の駅の保存はそこそこあり

 

音更駅はこの間見たこちら

 

糠平駅は訪問したもののまだ記事にしていないっぽいので、再訪後に取り上げます。

 

そして糠平より先の区間にも遺構があります。糠平近辺はダムの設置により旧線と新線に分かれていますが、その旧線の名所がタウシュベツ川橋梁です。

加えて、途中にある幌加駅は、かなりしっかりとした状態で残っています。

 

 

以前は上士幌駅にも旧型客車がいたようですが、老朽化で解体されたようです。…この士幌線、中士幌、士幌、上士幌と駅名も線名も士幌だらけで混乱しそう(((

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが本題に入っていきましょう。

士幌の駅に向かう道にこんな看板が。センスあってこういうのが好きです。

 

士幌駅は駅舎が残っています。中に入ることができなくはないですが、鍵がされていて役場に連絡して開けてもらう必要があるそうです。土日祝日はやってないのでなかなか厳しい方が多そうですね💦

 

駅前通り。センターラインが入った立派な道路ですが…おや?

 

出ました。一般道道「士幌停車場線」ここに駅があった名残の一つですね。

 

道道417号は士幌駅を出て、最初の画像の交差点を北方向に曲がり、道道134号との交点まで続いているようです。わずか1kmちょっとの短い道道です。

 

 

…話がそれました。駅構内を見ていきます。

ホーム近辺は2面2線 + 貨車線が1本だったようですが、そのうち本線側2本が残っています。

ここは構内踏切跡…ではなく、後から作られたもののようです。

 

こちらが帯広側。きれいに芝刈りがされているので非常に見た目がいいです。ホームも芝に貼り替わった上でそのまま残っています。

 

糠平側も、同じように途中でぷっつり切れていますが、芝が手入れされてとてもよいです。

 

 

本来の構内踏切…と、ようやっと本題にありつけました。今回の保存車です。

 

士幌駅は車掌車1台、有蓋貨車2台の3台が保存されています。2軸車のみの保存ということで、保存車の中ではかわいい部類ですね。

 

順番に軽ーくだけ見ていきます。

まずは車掌車。ヨ3500型のヨ4842です。ちょっと表記が少ない気がしますけども…

 

車軸発電機のベルトが健在でした。すげぇ。

 

昭和59年12月27日 苗穂工場 という検査表記が。年越し前に仕上げきれたんですね。士幌線の廃線が昭和62年なので、廃線前に車両を持ってきたといったところでしょうか。

 

残り2台はいずれもワム80000で、1台はワム187711

 

もう1台はワム187936だそうです。台枠側の番号が一致していたので、間違いなさそうです。

 

連結もしっかりされていて、ブレーキホースもつながっていました。

 

何回か塗り直しをされているのか、車体はそれなりにきれいだったと思います。

貨車にしては贅沢…というとあれですが、屋根がついているのが特徴ですね。残っている駅の雰囲気を楽しむとなると邪魔ではありますが、貨車が長持ちしそうで安心です。

 

公園の整備が行き届いていていいところでした。

 

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

前々回くらいに、夕張鉄道という鉄道を紹介したかと思いますが、石炭の宝庫であった夕張はさらに大夕張鉄道というものもありました。夕張鉄道が、夕張から石狩平野への比較的広域輸送が目的の鉄道だったのに対し、大夕張鉄道は夕張のさらに山奥…現在のシューパロダムにあった大夕張の炭鉱から石炭を運び出すための輸送手段として使われていました。

 

今はほぼダムに沈んでしまいましたが、かつては2万5千人ほどが住んでいたこともある市街地とこの大夕張鉄道が走っていたのです。

 

大夕張鉄道はこの南大夕張駅から先の線路は、1973年とほかの道内旅客私鉄と同じようなタイミングで廃線となりましたが、南大夕張駅までは国鉄の第二次特定交通地方線の廃線ごろ、1987年まで残っていました。

 

その南大夕張駅に、保存車両がいます。保存されているのは廃線末期まで使用されていたであろう除雪車と客車3台、石炭ホッパ車2台です。

先頭にいるのは大夕張キ1 国鉄のキ100型ラッセル車に準ずる車両です。国鉄キ100も道内の保存はそれなりにあり、

 

有名どころの小樽/三笠に1台ずつ

比較してみると窓やヘッドライトの形状が違うみたいですね。

 

オホーツク管内は、北見の保存車群や滝ノ上の郷土資料館などに保存されています。まだ行っていませんが別海にもあるようです。

なお「正統派」ともいえるSLと連結した「除雪編成」として展示しているのは滝ノ上町郷土資料館だけですね。ほかは単車か別の車両と連結されています。

 

 ラッセル車の次位に連結されているこの客車がやばいそうです。スハニ6。製造が1913年 大正2年となんと大正製客車。既に100歳を超えています。もともとは鉄道省…?のオロシ9216…つまり食堂車と2等車の合造車として作られて、その後スハニ…荷物3等車の合造車に大改造されています。国鉄から私鉄への転属は1951年で行先は大夕張ではなく美唄鉄道でした。大夕張鉄道に移籍したのは1967年のこと。以降、廃線時まで30年間使用されていたようです…ってことは廃車の時点で74歳…。現在でいうところ1951年製…北海道でいうと、2025年に冬の湿原号の「スハシ44-1」のような43系客車が毎日の通勤列車で走ってくるようなものです…とんでもないですね💦

 

 その次の車両はオハ1 製造は1906年…明治39年…????ついに明治製造の客車が出てきました。1952年に函館で車体を更新しているので、ひょっとするとほぼ新造しているかもしれませんが、だとしても窓枠が古い客車特有の配置なので…((

 

 もともとは国鉄オネ7ということで、寝台車だったらしいですね。その後改造を繰り返して荷物車になったり座席車になったり、日本の情勢に合わせて改造されていたんじゃないかと思います。ということで、廃車時点で81歳のとんでもない長寿車両だったようです。さすがに81年前、2025年基準で、1944年製造の旅客車が走っている計算ですが、北海道ではそんな車両はわかりません…。

 

 なんとこのオハ1が2024年度の冬期間に横転してしまったとSNSで知りました(写真は2021年訪問時のものです)。可能であるならば再び起こすと思いますが、どうなるのか…見守っていきたいです。

 

 次の車両はなんかダブルルーフっぽいですが…

 こちらはナハフ1で、なんとこの見た目で1937年…昭和12年製造と3両の客車の中で一番新しいです。新しいですっていったところでですが…。前者の2両が国鉄払い下げ、他鉄道からの転属車両なのに対して、このナハフ1は自社発注の車両になります。

 

 南大夕張駅の車両は夕張市所有なものの、整備は有志の「大夕張鉄道保存会」が行っています。というのもの、このナハフ1は1999年に放置されすぎて横転してしまったそうで、これを線路上に復帰させ、整備していくために発足したようです。しかし、今度は別の車両が横転…地盤がよくなかったりするんですかねぇ…

 

続いてがラスト。ここ結構保存車両が多くて見ごたえがあります。三菱大夕張鉄道が自社で持っていた石炭車 セキ1とセキ2です。石炭を運ぶための車両ですが、基本的に私鉄の石炭輸送は国鉄所属の石炭貨車をそのまま自社線内にけん引するスタイルであったため、これらの車両は実質的なバラスト散布とか…となってたようです。もしかしたら、自社線内の石炭輸送にも使っていたかも?

 

 セキ1は、国鉄のセキ1型で、オテセ9500形→オテセ11000形→セキ1型 (セキ118)と改番改造をうけたもの。製造は1911年ごろのようです。予想外かもしれませんが、旭川電気軌道へ入線中に事故を起こした個体で、そのまま弁償買取となったものを大夕張鉄道が購入したもの。

 旭川電気軌道の石炭車は、旭川で撮れた石炭を輸送していたわけではなく 逆に石炭車ごと石炭を運んで、沿線の施設で使うためのもので 電車に石炭車が1両つながれる みたいなスタイルを撮っていたはずです。

 一方、セキ2は連番ですが形式は異なり国鉄のセキ1000型 セキ1217だそうです。製造は1934年らしいので、セキ1と比べると20年近く新しいものになります。履歴は同じで旭川電気軌道の事故買取車。以後の経歴もほぼ同じかと思います。

 

前回の三井芦別鉄道の時も書きましたが、石炭貨車の保存例は本当に少なく、ここにある国鉄セキ1タイプ、国鉄セキ1000タイプの保存はここが唯一の例です。

 

一般人目線では微妙ですが、鉄ちゃんとしては歴史的価値の高そうな車両ですね。

 

 

 

こんな感じで、南大夕張駅には車歴が非常に高い車両ばかりが保存されています。

(あとモーターカーが1台保存されていたかも?)

 

オハ1の今後の動向が心配ですが、何とかなってくれることを祈るばかりです。

 

 

 

ではまた次回です~('ω')ノ

山の中を走るディーゼル機関車けん引の貨物列車。

 

…としか見えないこの光景ですが、なんとこの機関車と貨車は保存車両です。

なんと、1年中高い橋の上に車両が保存されているとんでもないスポットが、空知 芦別市のはずれにあります。

 

場所はこちら。ちょっと駅から歩くのは難しいかも…?

 芦別の炭鉱からJRの芦別駅まで石炭を輸送する芦別鉄道は、旅客の廃止は1972年とほかの道内私鉄と大差ないタイミングでしたが、貨物輸送の廃止がJR化後の1989年まで継続していました。JR貨物に石炭列車を渡していた貴重な鉄道の一つになります。

 

 線路廃止後に、3台いたディーゼル機関車のうち、DD502はおそらく現地解体。DD503はなんと芦別駅まで自走後に、甲種輸送で青函トンネルをくぐり関東へ売却されています。今からは考えられない大輸送…といいたいですが、最近も風っこやらロイヤルエクスプレスやらがやってくるので、そんなに変わらない…のかも?

残りのDD501が橋の上にいるこいつです。

DD501は同線廃線後にここに保存。冬季は移動して小屋に保管されていることが多かったのですが、2019年以降は移動されずこの位置に固定されているらしいです。再塗装もされず色あせているのがちょっと悲しい…。

 

日本遺産の炭鉄港の一部としても登録されていますが、保全が心配です。

とはいえ、本線上にいるおかげでアングルによっては本当に走っているように見えて迫力があります。

 

ちなみに:後ろにつながっている石炭貨車はJR貨物のセキ3000型 セキ3820です。廃線時まで使われていた車両なのかはわかりませんが、立派な国鉄の保存車両。石炭輸送車両の保存は本当に少なく、無改造のセキ3000型はこの1台のみとなっています。(残りの2台はセキ6000改造済みです)

 

赤平の立坑見学なんかと合わせて、中空知地区の石炭の歴史を学ぶのにいいかもしれません。

 

ではまた次回です~(/ω\)