前々回くらいに、夕張鉄道という鉄道を紹介したかと思いますが、石炭の宝庫であった夕張はさらに大夕張鉄道というものもありました。夕張鉄道が、夕張から石狩平野への比較的広域輸送が目的の鉄道だったのに対し、大夕張鉄道は夕張のさらに山奥…現在のシューパロダムにあった大夕張の炭鉱から石炭を運び出すための輸送手段として使われていました。
今はほぼダムに沈んでしまいましたが、かつては2万5千人ほどが住んでいたこともある市街地とこの大夕張鉄道が走っていたのです。

大夕張鉄道はこの南大夕張駅から先の線路は、1973年とほかの道内旅客私鉄と同じようなタイミングで廃線となりましたが、南大夕張駅までは国鉄の第二次特定交通地方線の廃線ごろ、1987年まで残っていました。
その南大夕張駅に、保存車両がいます。保存されているのは廃線末期まで使用されていたであろう除雪車と客車3台、石炭ホッパ車2台です。

先頭にいるのは大夕張キ1 国鉄のキ100型ラッセル車に準ずる車両です。国鉄キ100も道内の保存はそれなりにあり、


有名どころの小樽/三笠に1台ずつ
比較してみると窓やヘッドライトの形状が違うみたいですね。


オホーツク管内は、北見の保存車群や滝ノ上の郷土資料館などに保存されています。まだ行っていませんが別海にもあるようです。
なお「正統派」ともいえるSLと連結した「除雪編成」として展示しているのは滝ノ上町郷土資料館だけですね。ほかは単車か別の車両と連結されています。

ラッセル車の次位に連結されているこの客車がやばいそうです。スハニ6。製造が1913年 大正2年となんと大正製客車。既に100歳を超えています。もともとは鉄道省…?のオロシ9216…つまり食堂車と2等車の合造車として作られて、その後スハニ…荷物3等車の合造車に大改造されています。国鉄から私鉄への転属は1951年で行先は大夕張ではなく美唄鉄道でした。大夕張鉄道に移籍したのは1967年のこと。以降、廃線時まで30年間使用されていたようです…ってことは廃車の時点で74歳…。現在でいうところ1951年製…北海道でいうと、2025年に冬の湿原号の「スハシ44-1」のような43系客車が毎日の通勤列車で走ってくるようなものです…とんでもないですね💦

その次の車両はオハ1 製造は1906年…明治39年…????ついに明治製造の客車が出てきました。1952年に函館で車体を更新しているので、ひょっとするとほぼ新造しているかもしれませんが、だとしても窓枠が古い客車特有の配置なので…((
もともとは国鉄オネ7ということで、寝台車だったらしいですね。その後改造を繰り返して荷物車になったり座席車になったり、日本の情勢に合わせて改造されていたんじゃないかと思います。ということで、廃車時点で81歳のとんでもない長寿車両だったようです。さすがに81年前、2025年基準で、1944年製造の旅客車が走っている計算ですが、北海道ではそんな車両はわかりません…。
なんとこのオハ1が2024年度の冬期間に横転してしまったとSNSで知りました(写真は2021年訪問時のものです)。可能であるならば再び起こすと思いますが、どうなるのか…見守っていきたいです。

次の車両はなんかダブルルーフっぽいですが…
こちらはナハフ1で、なんとこの見た目で1937年…昭和12年製造と3両の客車の中で一番新しいです。新しいですっていったところでですが…。前者の2両が国鉄払い下げ、他鉄道からの転属車両なのに対して、このナハフ1は自社発注の車両になります。
南大夕張駅の車両は夕張市所有なものの、整備は有志の「大夕張鉄道保存会」が行っています。というのもの、このナハフ1は1999年に放置されすぎて横転してしまったそうで、これを線路上に復帰させ、整備していくために発足したようです。しかし、今度は別の車両が横転…地盤がよくなかったりするんですかねぇ…

続いてがラスト。ここ結構保存車両が多くて見ごたえがあります。三菱大夕張鉄道が自社で持っていた石炭車 セキ1とセキ2です。石炭を運ぶための車両ですが、基本的に私鉄の石炭輸送は国鉄所属の石炭貨車をそのまま自社線内にけん引するスタイルであったため、これらの車両は実質的なバラスト散布とか…となってたようです。もしかしたら、自社線内の石炭輸送にも使っていたかも?
セキ1は、国鉄のセキ1型で、オテセ9500形→オテセ11000形→セキ1型 (セキ118)と改番改造をうけたもの。製造は1911年ごろのようです。予想外かもしれませんが、旭川電気軌道へ入線中に事故を起こした個体で、そのまま弁償買取となったものを大夕張鉄道が購入したもの。
旭川電気軌道の石炭車は、旭川で撮れた石炭を輸送していたわけではなく 逆に石炭車ごと石炭を運んで、沿線の施設で使うためのもので 電車に石炭車が1両つながれる みたいなスタイルを撮っていたはずです。

一方、セキ2は連番ですが形式は異なり国鉄のセキ1000型 セキ1217だそうです。製造は1934年らしいので、セキ1と比べると20年近く新しいものになります。履歴は同じで旭川電気軌道の事故買取車。以後の経歴もほぼ同じかと思います。
前回の三井芦別鉄道の時も書きましたが、石炭貨車の保存例は本当に少なく、ここにある国鉄セキ1タイプ、国鉄セキ1000タイプの保存はここが唯一の例です。
一般人目線では微妙ですが、鉄ちゃんとしては歴史的価値の高そうな車両ですね。

こんな感じで、南大夕張駅には車歴が非常に高い車両ばかりが保存されています。
(あとモーターカーが1台保存されていたかも?)
オハ1の今後の動向が心配ですが、何とかなってくれることを祈るばかりです。
ではまた次回です~('ω')ノ