所得格差
今朝NHKで所得格差のことを取り上げていました。
その中で紹介されていた女性(20代後半くらい?)は、旅行会社の契約社員をしていて、月収は15万円。 家賃2万円のトイレ共同のアパートに一人暮らししていて、暖房器具もなく、服を何枚も重ね着して寒さをしのいでました。 節約していても、給料日前には預金が100円を切ることもあるそうです。
彼女は大学を卒業後に就職した旅行会社を1年で辞めて、ドイツに1年間語学留学。 帰国後もドイツ語の勉強を続けようと、週に4日だけアルバイトをするけれど、その収入だけでは暮らしていけなくなったために今の旅行会社の契約社員になったということでした。
彼女は、今はまだ健康で働けるからなんとか食べていけてるけど、体を壊したりしたらどうなるんだろう、駅でホームレスの人を見ると、自分と紙一重だなと思うと言っていました。
私は、彼女の経歴を聞いていて、夢のために努力してきたわけだし、不真面目なわけでもないし、そういう人がどうして明日の生活不安をかかえて生きなきゃいけないのか?不思議に思ったのです。
彼女のような考え方をする女性ってものすごーく沢山いるんじゃないでしょうか。 収入よりも、自分のスキルアップを目指したいと考えて語学留学して。 でも帰って来たら収入のいい仕事になんて就けなくて、気がついたら毎月毎月食べていくのがやっとで...
多くの女性は、彼女と同じような道を歩んできても、養ってくれるダンナさんがいたり、親と同居したりしてどうにかなっているのかも。
しかし、ほんとーに良く分かりません。 私は、生活や収入のために自分に合ってもいない仕事をずーっと続けて、死んだような人生を送るのは間違ってると常日頃思っています。 だって、会社にいると「この人何のための人生を送っているんだろう... 家族を養うためだろうけど、人生の大半の時間をただ会社に来て時間を過ごしているだけじゃん。」っていう人をよく見かけます。 仕事を生き生きとやっている人はいいんですよ。 でもそうじゃない人も多いし、そんな生き方でいいのだろうかって思います。
しかし、かといって番組に出てきた女性みたいに、「この仕事では私のスキルは磨けない」と思って会社を辞めたら食べていくのもやっとになってしまい、生活も不安だというのも何か不幸です。
私はどうかというと、私も彼女みたいに最初に就職した会社は2年半で「ここにいても何ら自分のためにならないな」と思って辞めてるし、考えてることは別に彼女と変わりません。 だから、彼女のことを「考え甘いんじゃない?」なんてことさら責める気にもなりません。 かといってじゃあこれが社会のせいかっていうと、別にこれは個人の考え方であって、そういう人が増えたからって社会に何か責任があるとも思えないし。
実はその彼女の生活だって、別に不幸かっていうとそうじゃなくて(ただ彼女の場合は不安そうではあったけど)考え方次第なのかな。
最初に就職した会社にただぼけーっといるだけで高いお給料をもらっている人、でも社会的にはこういう人の方がえらいとみなされる。 に対して、好きなことを追求して努力しているのに少ないお給料しかもらえないし、将来何の保証もない人。 こういう人は自分の好きに生きていて無責任とか言われる。
実はさ、やっぱり彼女の生き方は間違ってないんじゃないかな? でも彼女みたいに正社員になれない(ならない)人が増えると社会問題って言われるんだよね。 それは何故なんだろう? 国民総生産が落ちるから? みんなでお金を稼がないと国の財政が破綻するから? なのかなぁ?
でもこの辺で、みんながみんな我慢して我慢して暗い顔して頑張るの、やめてもいいんじゃないかと思うよ。 労働力が減ったなら減ったなりの、スローライフをしていけばいいんじゃないのかな。
まあ、所得格差という点では後々良くないことが起こり得るのかなという気もしますけどね。 例えばだんだん所得の高い層の人達と低い層の人達が住む場所が分かれてきて、「あの地域の人達はよくないわよー」なんて差別が生まれるとか。 差別が起きるとどこかの国みたいに暴動が起きたりするのかな。 わからないけど。
う~ん、なんかそんなことを、その番組を見たあとごちゃごちゃ考えた私だったのでした。
ぎょ!?
昨日、川崎方面に出張したもんで、いつもより帰りが遅くなったんです。午後7時頃、家に着いてドアを開けたら、玄関に男物の革靴があるじゃないですか!
あ、あれ?! 先生来てる!?
一瞬、頭の中パニック(笑)
そう、倫太郎の担任の先生が家にあがって、倫太郎とUNO(カードゲーム)をやっていたんです(^^;
いえいえ~、月曜日か火曜日に来ると先週倫太郎に電話があったんですよ。 なのでいらっしゃるつもりなのは分かっていたんですが、いつも直前にもう一度電話をくれてから来るので、その時点で私がいなかったら来ないだろうと私はふんでいたのです。
出張で先生が来る前に部屋を片付ける時間もないし、私がいなければ先生も来たりしないだろうから大丈夫と思っていたら、なんと~~。 来てるし~~!!
いやいや、いいんですけどね。 勝手にあがっててもらっても、その程度の信頼関係は出来てると思うし。 そもそもそういうずけすけした人でもないし、私も7時頃には帰ると子供たちに言ってあったのですぐ帰ってくるだろうということであがって待ってたというくらいの感じだったんでしょう。
しかし予想してなかったのでびっくりしました。
良かった、洗濯物の山とか出しっぱなしにしてなくて(^^; テーブルの上などはふうちゃんがとっさに片付けてくれたらしい。 さすがふう様、ありがとう(笑)
今学期、家庭訪問はこれが2回目かな?
なんか、来れる時にはなるべく来たいとおっしゃってくれてます。 う~ん。私は来て欲しいとも、来て欲しくないともどっちとも思ってないし、先生と子供におまかせするつもりなのでどっちでもいいのですが、なんか先生も忙しいのに悪いような... しかし結局なんだか傍観しちゃってます。
昨日は先生がいたので早速コーヒーを淹れて、私はカフェオレにして一息いれました。 なんか先生に「お疲れ様です。」などと言われて、「ああ~、なんか仕事から帰って誰かにお疲れ様って言ってもらうのっていいなぁ~。」なんて思ったりして...びっくりした後は完全に呑気モードになってました(笑)
そういえば交換日記
れいこさんのブログを読んでいて、娘と何年か前に交換日記をやっていたことを思い出したのです。 なんか当時は娘に「書いて書いて」と言われて「めんどくさいなぁ」と思いながらやっていた記憶しかないのですが、今日本棚で探し物をしていたら、その時の交換日記が出て来て、読んでみると、なかなかなつかしく、じ~んときてしまったのでした。
毎日書くわけでもなく、平気で1ヶ月くらい日付はあいているし、内容も何の脈絡もなかったりするんですが、ところどころ、「ああ~、こういうこともあったっけ~。」としみじみ思い出したりもしました。
最近よく売っている子供向けのかわいい~交換日記帳知ってます? イラストがいっぱいで、「得ダネだっち!」とか「ナイショの話」とか、「でんごん板」などのコーナーがあったりするノートなのです。数冊あるはずですが、今日たまたま出てきた1冊から少し抜き出してみました。
娘8歳の時の交換日記*****こんな感じ
ふうちゃん4月24日
「おかあさんへ あのね、今日けっこうからかわれて、もういやだ!」「ナイショの話:ぼく、すきな人がいる」
おかあさん4月25日
「おかあさんね、小学生の時まいにちいやなおとこの子にからかわれて、いやだなぁって思ってたの。でもね、その子がただふざけてるだけかもしれないと思って、からかわれたとき、『なによぉ』って言ってわらったら、それからからかわれてもぜんぜんへいきになっちゃったんだよ。にこにこしていると、むこうもいじわるしている気がしないみたいよ。」「ナイショの話:すきなひとってだれ?すきなひとがいるとたのしいよね。」「特ダネだっち:きょうはりんたろうがひとりで学校に行ったよ」←注:入学後、やっと無理やり連れて行かなくても学校へ行くようになった頃
ふうちゃん10月1日
「おかあさんごめんね。おかあさんいつもいそがしいのに、あんなこといって。今日はおかあさんおこらせちゃったから、ごはんくれなくていいよ。」「ナイショの話:ふうちゃんがわるかったよ。」「得ダネだっち:もえっちときってをかったよ。」
おかあさん10月29日
「今日はPTAで学校に行ったんだよ。ふうちゃんとあえたらよかったのにね。おかあさんはふうちゃんのことだいすきだよ!きのうはごはんをたいてくれてありがとう。とってもたすかったよ♪」
ふうちゃん11月4日
「今日は10:00になったからYちゃんたちとあそぼうと思ったのに、Yちゃんたちがどっかいっちゃったの~~くすん。さみしいよ~うえ~~~~ん。てへへ。お母さんはいいことあるかな?今日せっかく休みなんだからどっかいこうよ!お父さんがいたらどっかいけたのに~~お母さんはどう思う、ふうちゃんの気持ち。」「ナイショの話:しょんぼりしてるときは、100%ゆうきを思い出してうたうといいよ。」「得ダネだっち:お母さんになぞなぞ・かみさまがつかうコップってなあに?」
おかあさん1月29日
「ふうさま 9級ごうかくおめでとう!がんばったね。すごいね!おかあさんも月曜日はスイミングがんばってるよ。まだ25mおよげないけど、もうすぐおよげるようになるよ。25mおよげるようになったらきょうそうしようね。」ナイショの話:おかあさんはえんぴつをちゃんともてるようになりたい!←注:私は子供の頃えんぴつの持ち方を間違って覚えてしまい、この頃自分で矯正しようとしてました。
ふうちゃん1月29日
「ふうちゃんは今日おくれちゃったんだけど、おばあちゃんからたんじょう日プレゼントをもらったんだっちょ~~かわいい!だからすぐきるのもったいないからどうしようー!あと、あのチョコおいしい?ふうちゃんおいしそうに見えたんだけど。ふうちゃんまだおねつだから食べなかったんだけど。」「得ダネだっち:えんぴつかってもらったこと。」
今読むと、かわいいな、ふうちゃん。 でもこの日記を書いてた頃は、私は倫太郎のことを考えると胃の中に重い石が入ってるみたいで、ふうちゃんにまともに目を向けてあげられていなかった気がします。 いや、今もね、一人の時は、もっとふうちゃんに暖かく接したいと思うんですが、どうもそう出来ていないのです。
娘ともう一度交換日記をしてみようかな... でも、今やったら内容が重くなりそうでこわい私なのでした...
本の読み聞かせ
我が家はいまだに、時々夜寝る前にふとんに入って本の読み聞かせをしています。 もう読み聞かせをする年齢でもないんですけど、まあ、私が好きなんですよね、子供と一緒に本を楽しむのが。
小さい頃は絵本でした。 図書館に行っては好きな絵本を選んで毎晩一冊ずつ読みました。 下の子が小学生になる頃に読んだので面白かったのは世界の昔話シリーズ。 興味深いことに、全く離れた地域なのに、そっくりな昔話が伝わっているんですよね。 あと、何故かインドには賢い王様が出てくる話が多いとか。たいがい他の地域の王様はおバカで民衆が苦しむ(^^; 下が3年生になる頃からはだんだんと長編の物語を読むようになり、去年はエンデの「はてしない物語」や「モモ」を読みました。 「はてしない物語」なんかはけっこう難しいお話なので、内心「分かっちゃいないかもなぁ~」なんて思いながら読みきかせるのですが(気が付くと寝ちゃってる時もあるし)、案外ちゃんとストーリーを把握しているので驚かされました。
今読んでいるのは「マーリン1・魔法の島フィンカイラ」というファンタジー。毎晩2章くらいずつ読むのですが、毎回「えっ、続きはどうなるの?」というところで終わるので、毎回「もっと読んでよー」と言われます。 そんな時私は疲れているので「そんなら続きはふうちゃんが読んでよ」とか「倫太郎続き読んで」などと言って続きを読ませて、私はぐーすかぴーっと寝てたりします(^^; どっちが読み聞かせているのやら。
私は小さい頃、あまり本が好きではなかったんです。 絵本は好きでしたが、文学というのは良い子ちゃんによる良い子ちゃんのためのものだとずっと思ってました。 いわゆるまたとない心のきれいな子が出てきて困難にもめげず、最後はしあわせになるという非常にたいくつな話だと思い込んでいたんです。
なのでもっぱら中学生まではマンガにはまってました。 マンガはマンガで奥が深くて大好きですが、本も同様に面白いことを子供に知って欲しいです。 そんな気持ちもあって、いろいろな本を読んでやっているのかなぁ。
ふうちゃんは最近はティーンズ向けの軽い感じの本をよく読んでいます。 倫太郎は自分では本は読まないタイプかな。 でも大きくなった時、おかあさんが読んでくれた本って面白かったなと思い出してくれたらいいんじゃないかと思います。 本に対して全く思い出がないよりは、本を読むきっかけになってくれるかもしれないなと思うのです。
バレンタインデー
昨日はバレンタインデーでしたね。
私はオフィス勤めをしなくなって4年なのでよく知らないのですが、最近の義理チョコ事情ってどうなんですか?
デパートには毎年ずらーっとチョコレートが並ぶけど、義理チョコの習慣は徐々にすたれて来ている気がするんですが、そうでもないんでしょうか。
私は義理チョコに対しては私なりの美学(?)があり(^^;今まで毎年、手作りしてきました。 1個300円のチョコじゃなんだかいかにも「義理でぇ~っす」って言ってるような気がしてお世話になっている人に対して返って失礼な気がするし、かといって高いものをあげるのはかしこまりすぎる。 そこでお金はかけずに手間をかける作戦だったのです。
でもその手作りも最近あげる人がいないもんで、やる気半減して、ここのところ毎年無印良品の手作りチョコキット(超簡単)を買ってきてささっと作って、たまたま14日周辺に会った人(女性含む)などに適当に渡していました。
今年も同じ作戦で、息子に1個、昨日たまたま家庭訪問に来てくれた担任の先生に1個、今日はいつも英語を教えてもらってるDavidさんに1個あげて終了って感じ(^^; もしかして今週末出張に行く用事があればそこで親しくしてもらってる人にあげるかな。
ふうちゃんは友チョコを学校で沢山もらって来ました。 自分も手作りで作るつもりだったんだけど風邪でずっと休んでいて作れなくてあきらめたみたい。 私が作ったのを持って行けばと言ったら嫌だって(^^;
みなさんはどんなバレンタインデーをお過ごしでしたでしょうか?
愛のあるバレンタインデーでしたか?(^o^)
「リトル・トリー」
たまにふと寄る本屋さん、ヴィレッジヴァンガード。 ここへ入ると何も買わずに出てくるのが大変(^^;
店主の趣味に合致した本だけが置いてある感じで、いつ行っても面白そうな本に出会ってしまう。 面白いのは品揃えだけではなくて、本や雑貨(本屋だかなんだか分からないくらい雑貨も置いてあるんです)に付けられている独特のポップが面白くてついついポップを見て買ってしまうのです。 以前この本屋のネイティブアメリカンに関するコーナーで、「リトル・トリー」という本を買いました。 その本に付けられていたポップは「この本が売れるのを見るのが何よりも一番嬉しい」。 「そこまで言うなら買ってやろうじゃないか!」って思ってしまいませんか?(笑)
でもそのポップの言葉にうなずけるほど、その本はいい本だったのでした。 フォレスト・カーターというアメリカの作家が書いた、ネイティブアメリカンの少年の物語で、すでに白人から土地を奪われ山の中でひっそり暮らしている祖母や祖父と少年との暮らしが素晴らしい言葉で綴られているのです。 私の中では、灰谷健次郎の「太陽の子」と並んで、心の中にいつも大事にしまっておきたい二つの本のうちの一つになったのでした。
私がこの本を読んで一番心に残った言葉「ボディー・マインド」と「スピリット・マインド」についてリトル・トリーの祖母が語る部分を抜書きしてみました。
祖母は話しつづけた。
「誰でも二つの心を持っているんだよ。ひとつの心はね、からだの心(ボディーマインド)、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。からだを守るためには、家とか食べ物とか、いろいろ手に入れなくちゃならないだろう? おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、子どもをつくらなくちゃならないよね。そういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。でもね、人間はもうひとつ心を持ってるんだ。からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、スピリット・マインドはどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。
からだが死ぬときにはね、ボディーマインドも一緒に死んでしまう。でもね、スピリットマインドだけは生きつづけるの。そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。ところが生きている間、ヒッコリーの実みたいにちっぽけなスピリットマインドしか持ってなかったらどうなると思う? 生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさのスピリット・マインドしか持てない。 だから、何も深く理解することは出来ないんだ。 (中略) スピリット・マインドってものはね、ちょうど筋肉みたいで、使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。 どうやって使うかというと、ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。それしかないの。 ボディーマインドの言うままになって、欲深になったりしないこと。そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。努力すればするほど理解が深くなっていくんだよ。
いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。理解してもいないくせに愛してるふりをする。それじゃなんにもならない。」
ぼくはすぐに心に決めた。すべての人を深く理解するよう努力しようと。
こんないい本に出合わせてくれたヴィレッジヴァンガードに今日もついふらふらと入って行ってしまいました。
今日目についたのはこれ、「人生ゲーム M&A」。 大きさは普通の人生ゲームなんだけどふたに書いてある絵がいかにもふざけた感じ(笑) M&Aって何?ひょっとして企業買収?!しかも対象年齢15歳以上とか書いてあるしー、欲しい! と思ったのですが、値段(2700円)を見てなんとか思いとどまって買わずに帰ってきました(^^;
AMAZONで調べたら「徹夜するほどハマリました」とか書いてあるし、そんなに面白いのか!? やってみたーい。 でも一緒にやってくれる人がいなさそうだな(^^;
こうして私のヴィレッジバンガード通いは続くのでした...
- フォレスト・カーター, 和田 穹男
- 普及版 リトル・トリー
- タカラ
- 人生ゲーム M&A
なんだかんだで
あっという間に2月ですね。 更新をさぼっていて申し訳ありません。
さて我が家の近況はというと、倫太郎は何があったのか知りませんが「オレもう一生学校行かないからね!」と言っています(^^;
そっかー、それはそれで大変だと思うけど、お母さんは応援するよ!
ふうちゃんも別に学校が好きなわけじゃないけど、不登校にはなりたくないって思ってるみたい。 ふうちゃんはどっちかっていうと世の中のトレンドに乗るタイプで、学校は行きたくないけど不登校はかっこ悪いくらいに思ってるような気がします。
そして私は最近また英語に対するモチベーションがアップしてきてすっかり英語学習にハマってます。 ホントーに毎日勉強してますが、楽しくてしょうがありません(笑) 興味のない方にはまったくつまんない話ばかりですが、英語学習ブログ の方は元気に書いていますので良かったら遊びにきてください。(残念ながらmsnユーザーじゃないとコメントを残せないのですが...)
こんな感じなので不登校に関する話題はもうあまりなくなってくるかもしれません。 でもきっと子供のことではこれからも悩むだろうし、その他日々もろもろのくだらない話題もぼちぼち書いていこうかなと思います。 更新頻度が減ってる時はたぶん私に悩みがない時ですので(^^;、みなさんまた忘れた頃にふら~っとのぞいてみてください。
通知票を持って行く
先週、担任の先生が倫太郎に電話をくれて、「通知票持って来れる?」と本人に直接聞いてくれたのですが、倫太郎がはっきり答えないため、私が電話をかわることになりました。 本人が行かないからってわざわざ先生に取りに来てもらうのも悪いし、しょうがないから、「じゃあ、あとで本人と話して、行けるようであれば来週放課後に持って行きます。」と返事をしてしまう私。
本人の意思で何事も決めて欲しいと思っていても、結局私が主導権を握ることになるのよね、どうしてだか... 放課後となればもう外は暗い時間なので、私がついて行くことになるしさ。
電話を切ってから、倫太郎に「来週だったらお母さん一緒に行けるけど、どうする?」と聞くと、「どっちでもいい。」という返事。 どっちでもいいってわけに行かないんじゃー!
しかし本人にしてみれば通知票なんてそもそもいらないだろうし(私もいらない(^^;)、学期が始まったからって学校に届けなきゃいけないなどという意識もないもんね。
私だって正直、なんで毎学期末に通知票をもらって学期始めに戻さなきゃいけないかなんて理由説明出来ないし。 学校行ってないのに。
そういえばずっと不登校している(全く登校していない)うちはいつも通知票はどうしているのだろう? 毎回取りに行ったりまた届けたり(先生に届けてもらったり、取りに来てもらったり)ということをずっと繰り返しているのかな?
本人がどっちでもいいというふうなので、じゃあ月曜日に行こうかということになりました。
その翌日、最近またよく遊ぶようになっていたR君のママからメールがあり、「月曜日に学校行くんだって?うちも一緒にいい?」というので、月曜日は放課後に4人で連れ立って学校に向かいました。
学校へ行く道々、R君ママと通知票の話になったのですが、通常登校していないと評価の部分は斜線でしょ? でもR君ママはCでいいから評価を書き込んでくれたらいいのにって言うんです。 そうかなぁ?オールCなんて私だったら気分悪いけどなー(^^; というかそれが狙いだったりして? よく分からないけどお母さんもいろいろです。
学校に着いてそれぞれの担任の先生と会い、、それぞれの教室に入って少し雑談などして帰りました。 私は倫太郎が先生と教室で話しているあいだ廊下で一人でぶらぶらしてましたが(笑)
帰り道、私とR君は「どうぶつの森」の話で盛り上がりました。 「なんでそんなに詳しいんですか?」と言われました(笑) だって倫太郎ほどじゃないけどやってるもん、ふふ。
こうして通知票は無事先生に渡すことが出来ました。 終業式の時はたぶんまた倫太郎が一人で取りに行ってくれるだろうし、新学年では持って行く必要ないし、当分今回のようなことはせずに済むでしょう。
考えすぎ?
ずっと会っていなかった友達に久しぶりにメールを書いたのです。
もう年賀状だけの付き合いになって10年以上経過していて、今年は彼女からの年賀状に携帯のメールアドレスが書いてあったのと、実は彼女の勤務地と、私の出張先がすごく近いことが判明して、びっくりして連絡してみたのです。 そしたらお互い、今年は会おうねみたいな話になって、それでこちらから「ちょうど火曜日にそっちに行く用事があるので会わない?」と書いたんです。 「もしダメだったら、そちらの都合のいい日を教えて。日程は合わせられるから。」と言葉を添えて。
そしたら、「残念!第2、4火は本社なのです。次来る時に是非。」っていう返事でした。 こういうのって私はどうしようか考えてしまうのですが、みなさんだったらどうですか?
次に出張に行く日にもう一度「会えない?」ってメールしますか?
もし私が彼女で、本当にその日会えなくて残念だと思っていたら、「別の曜日なら空いているけどどう?」とか、新たに提案すると思うのです。 私が彼女のような返事を誰かにするとしたら、たぶん「まあいつかまたね~。」みたいな、あ んまり会う気が無い時だと思うので...
私が気にしすぎなのかな? とりあえず、また出張があったとしてもメールする気がちょっと失せてます(^^;

