怒りの矛先は…パート3 わたしは良い子?悪い子?
よっこらしょっと。
そういえば、おとといのブログで、「次回はお手伝いについて…」と言っていましたね。
すっかり忘れていました。
仕事でイライラしたことをきっかけに、怒りの原因を探ることを試みていたんです。
パート2で、わたしの怒りのクセのようなものに気がつくことができました。
「どうしていつもわたしばっかり!」
小学6年生のときの一場面以外に、思い当たることがあります。
それは、「お手伝い」です。
わたしは、家の周りで遊ぶことが大好きでした。
農家だったこともあり、作業場や物置小屋、畑や田んぼ、小川など、子どもにとっては全てが楽しい遊び場です。
あちこち歩き回っている中で、おじいちゃんやおばあちゃんが働いているところに行くことも多かったと思います。
収穫時期によって異なるさまざまな野菜や果物、それぞれの梱包に必要な箱や道具なども、物珍しくおもしろそうな空間でした。
「なにしてるの~?」
「わたしもやりた~い」
いつからだったか覚えていませんが、おそらく小学校に上がる前から、おじいちゃんおばあちゃんの仕事のマネをするのも、ひとつの遊びでした。
そして、
「じょうずだね~」
「ぷくしまは器用だね~」
「お手伝いしてくれて偉いね~」
そんなふうに褒められることが、とってもうれしかったことを覚えています。
この、遊びのような「お手伝い」とは別の「お手伝い」がありました。
それは、母親のお手伝いです。
最初は料理だったでしょうか?
「ちょっと来てごら~ん」
そう呼ばれて台所へ行くと、母親が夕食の支度をしています。
「じゃがいもをつぶしてくれる?」
もしかしたら、きっかけはわたしがやりたいと言ったのかもしれませんが、
「つぶす」にはじまり、カレールーを入れる、パン粉をまぶす、まぜる、包む、切る…
そうやって、だんだんとお料理のお手伝いができるようになりました。
母は、よくわたしに頼み事をしていたように思います。
「お風呂のお水どれくらいたまったか見てきて」
「肩をもんで」
「食器を洗って」
「お米をといで」
どのお手伝いも、最初はとてもおもしろそうだし、やるとほめられるので喜んでやっていたことでしょう。
でも、大きくなるにつれ、その状況は変わってきます。
特に、お夕飯の支度をする時間というのは、子どもにとっておもしろいテレビをやっている時間です。
兄とお茶の間でテレビを見ていると、
「ぷくしま~、ちょっと来てごら~ん」
と、声がかかります。
当然、テレビがおもしろいので断ります。
でも、あれこれ言われて(いいから来なさい、とか、お小遣いあげるから、とか、怒りそうになる、とか)、結局わたしだけテレビから離れることになります。
兄が呼ばれることもありました。
でも、特に料理に関しては、女の子ということもあってか、わたしに集中していました。
おじいちゃんおばあちゃんの遊びのようなお手伝いも、わたしが成長するにつれ少しずつ状況が変わってきました。
最初はきっとほとんど役には立たなかったけれども、だんだんと「働き手」としてつかえるようになるわけです。
農業は、収穫・出荷に忙しい時期があります。
その時は、おじいちゃんや父から
「おい、ぷくしま!ちょっと手伝え~」
と、声がかかります。
学校のお休みの日の朝です。
当然、まだ寝ていたかったり、ダラダラとテレビを見て過ごしたいわけです。
でも、おじいちゃんや父は、あまり無理強いすることはありませんでした。
それよりも、「まったく…」と言いながらまたすぐ作業場に行ってしまうので、テレビを見たりごはんを食べながら、そのうち「やっぱりお手伝いしようかな」と思いたち、自ら作業場へ行っていました。
それに、「お手伝いにきたよ~」と作業場に行くと、おじいちゃん、おばあちゃん、父が、「おお~、ありがとう~」と笑顔で迎えてくれ、作業場にしかないジュースなどをもらえるのも、成長してからでもうれしいものでした。
それに、農作業はなんだかんだ楽しかった記憶があります。
時期ごとに手伝う作業が異なるのもひとつの要因です。
春は苗の種うえ、育った苗の田植え。夏はきゅうりや菊の花。秋になって稲刈り。冬は柿の皮むき…。
それぞれの手伝いは、早くて1日、長くても数日で終えるのです。
どちらにせよ、わたしは3人兄妹の中で最も「お手伝い」をする人間でした。
兄は農作業はよっぽど忙しく人手が必要なときか気が向いたときくらいしか手伝いませんでしたし、それで許されていました。妹も同じくでした。
特に料理に関しては、また一から妹に教えることは大変(面倒?)だったのでしょう。
でも、わたしだったダラダラしたり、気が向かないことは当然あります。
特に思春期くらいからは、手伝うことが減り、また結局手伝うとしても、そこまでかなり反抗することが多くなりました。
「なんでわたしばっかり!!」
「お兄ちゃんや妹に頼めばいいでしょ!」
「いっつもわたしばっかりやってるじゃん!」
そんなふうに、反発していました。
そして、返ってくる言葉は、
「昔はなんでもお手伝いしてくれる、いい子だったのに」
今思えば、「条件付きの愛情」として捉えていたのだと思います。
お手伝いするわたしは良い子で、お手伝いしないわたしは、悪い子。
だけど、兄や妹は、なにもしなくても怒られない、なにもしなくても良い子。
わたしだけ、違う。
わたしだけ、お手伝いしなくちゃいけない子。
わたしは、良い子でいたかった。
でも、兄や妹のように、なにもしなくても愛されたかった。(実際は愛されていたのでしょうが)
このテーマのきっかけとなった仕事でも、パート2の小学6年生のときの出来事でも、わたしは周りが嫌がることを率先してやりました。
それは、わたしが良い子でいるために(愛されるために)必要な条件だと思っていたからです。
だけど、心の奥底では、何もしなくても愛されていたい、そんな思いがあったのでしょう。
それが「いっつもわたしばっかり!!」という言葉となって、「無条件でも認めて!愛して!」という本心を吐き出そうとしたのですね。
はぁ、これを書きながら、泣いてしまいました。
そうなんだ、わたしは、ただ愛してほしかった。そのままでいいんだよって、認めてほしかったんだな。
ちょっと疲れたので、今日はここまで。
今日も読んでくださって、ありがとうございます☆
<モラトリアム>本当にやりたいのに、うまくいかない…?
よっこらしょっと。
わたしって、なにがしたいんだろう…。
突然、すみません。
でも、なんだか今日、しみじみそんなことを考えてしまいました。
「絶対ステキ!!」と思って実際に行動に移すと、「そうでもないや…」といった感じの出来事がありまして。
期待しすぎてしまったので、落差が大きくなってしまいました。
昔から、「これだ!」と思いながら行動すると、失敗してしまう傾向にある気がします。
なんとなく、適当にしていると、とんとん拍子にことが運んでいくことの方が多いです。
でも、それって、期待や理想とは違うので、「もっと違うなにかがあるはず!」と外に目を向けてしまいます。
自分で決断したことがうまくいかないって、何か原因がありそうだと思いませんか?
その決断自体が、わたしのねじれた思考が生みだした故に本当のこころとリンクせずにうまくいかない、とか。
「自分の決断はいつも失敗する」、という深層心理が邪魔をする、とか。
「幸せになってはいけない」と、自分にブレーキをかけている、とか。
「本当にやりたいことがいつまでもみつからない」、という考えが、その状況を引き寄せている、とか。
はたまた、本当にわたしのやるべきことはその道ではなく、神様かなにかスピリチュアルな力が働いている、とか!?
なんとなく最後のパターンを期待しちゃう自分、まだまだ修行が足りない…笑
やっぱり、ちゃんと自分と向き合いたい!
でも、そうは言ってもその間に働かなくちゃ生きてはいけない。
いつまでも、モラトリアムではいけないな。
と思いつつ、今の時間をきちんと味わい、消化したいと思っています。
カウンセリングの先生は、モラトリアムを肯定的に捉えてくれました。
「そういうサナギの時期を経てこそ、きれいな蝶として羽ばたけるんですよ。」
本当は、大学生とかそういう時期が当てはまるんでしょうが、考えてみれば、学生時代のわたしは、いまよりもっと働いて、稼いでいました…。
モラトリアム2年目。
どんどんわたしを取り戻していくぞ!
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
怒りの矛先は…パート2
よっこらしょっと。
関東では、深夜から明日にかけて雪が降るかもしれないとのこと。
最近あたたかかったので、にわかには信じがたいのですが、どうなることでしょう。
帰りの電車では、車内アナウンスで
「明日は雪との予報です。余裕をもってご利用ください…」
と、用意周到なアナウンスが流れていました。
成人の日の雪による混乱で、どこもかしこも用心深くなっているようですね。
わたしは、あたり一面真っ白な風景にとってもウキウキしていました☆
さて、きのうの続きです。
きのうの記事は↓↓
☆☆こちら ☆☆
(リンクを習得しました笑)
「わたしは○○さんに対して怒っている!」
と感じでいたはずが、少しずつ掘り下げていくと、
「わたしを認めてほしい!ほめてほしい!」
という、満たされない気持ちがそこに隠されていたことに気がつくことができました。
そして、それと同時に気がついたことがあります。
それは、わたしが怒るとき、
「どうしていつもわたしばかっり!」
という気持ちがよく登場するということ。(口にだすこともあります)
特にこの気持ちで記憶に残っていることがあります。
小学6年生のときです。
(わたしの通っていた小学校はとても小さく、わたしの学年は20名程度。
それも、みんな保育園や幼稚園からずーっと一緒の仲です)
学活の時間に、わたしも担当している係りに関することで他の先生に確認に行かなければいけないことがありました。
でも、それはちょっと面倒なことでした。
わたし以外にも、あと3名くらい同じ係りの友だちがいます。
「誰が聞きに行くか?」「どうする~?」「え~でも~」という空気の中、わたしは自ら、席を立ちました。
そして、
「いっつもわたしばっかり…」
と言って、教室を出たのです。
(わぁ~、これまた面倒な子どもですね…)
その発言を受けて、同じ係りの友だちは後を追ってきてくれました。
(気を遣わせてごめんね…)
でも、自分で、「おかしいな?」と思っていました。
あんなことを言って教室を出て、廊下を歩いているときです。
「あれ、なにが“いっつも”なんだろう…言うほどやっていないかも…」
そして、少し恥ずかしくなり、あんな態度をとってしまったことを後悔したのです。
う~ん、正直、いま書いていてもうまくまとめられないのですが…
とりあえず、きのうの朝、
「この感情はわたし自身の課題であって、仕事や職場の人は関係ない!」
と気がつけたので、それ以上モヤモヤせずに済んだことはラッキーでした。
「わたしばっかりがんばっている」という気持ち、どうやら大切なポイントになっている気がするんです。
ここをクリアできたら、なんだかスッと楽になれる気がしています!
小学6年のときの出来事と、それ以前に、兄妹3人の中でいつもわたしが家のお手伝いをしていたことも関係があると思います。
次回は、「お手伝い」について思い出していきたいと思います。
もし、「それって、こういうことじゃない?」と気付いたことがあったら、お気軽にコメントくださいね。
今日も読んでくださって、ありがとうございます☆