空と太陽と月 ~本当のわたしへの帰り道~ -12ページ目
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母親と子ども

よっこらしょっと。


今日は朝から、読書にふけっていました。


数か月前に、母親と娘の関係性について書かれた本を2冊購入したのですが、読まずにいました。

だって、それを読んだら、きっとしばらく考え込んじゃうから…。

興味はあるし、わたし自身の母親との関係性を解決しない限り、わたしは楽になれない気がするし、読んだらきっと参考になる。

でも、それだけ根が深い(と思っている)テーマだからこそ、さっと読んで、へーそっか、とは済ませられない。

それに、「お母さんと一緒に幸せになりましょう☆」とか「母親との関係が一気によくなる○個のポイント♪」みたいな最近流行りの軽いノリの本ではないので、余計に…。


内容は、実際に著者が見聞きした母親とその娘の関係をベースに創作した問題ケースの紹介と解説。

まだ最後まで読んでいませんが、今のわたしにとっては、母親になることは本当に責任が重大だと感じてしまいます。


正直言って、わたしは少し前まで「簡単に子どもを授かるのはいかがなものか…」と考えていました。

「できちゃった結婚」、「でき婚」と流行語のように注目されはじめたのが、ちょうどわたしが母親との関係に問題を感じ始めた時期と同じだったことも関係しているかもしれません。

母親、父親ともに自分を律し、子どもを本当に幸せにしようという責任感をもち、覚悟を決めて授かるべきだと。


今もその考えはあまり変わっていませんが、偏見のような考えではなくなりました。

ほとんどの親となる人は、その覚悟をもって出産までの日々を過ごすと思います。

けれども、子どもを育てていく過程で初めて、母親や父親自身の課題が表面化するのでしょう。

その子どもを通して。


完璧な人間なんていませんよね。

でも、問題が表面化してしまった時には、きちんと対処しようと問題に向き合うべきだと思います。

そしてそれは、親がアクションを起こすべきだとも。

子どもは、必ずメッセージを発しています。

怒りや悲しみ、問題行動だけでなく、異常な甘えや笑顔によっても。


きのうも書いた通り、私の母親のヒステリーや暴力は、私へと引き継がれてしまいました。

自分でも、どうしてそんなことをしてしまうのかわからないし、はじまると止められなくなります。

怒鳴り散らし、泣きわめき、自分の部屋へ行って感情がおさまるのを待つしかありません。

そして、自分が恐ろしく思えてくるのです。

このままだと、いつか家族に怪我や、もしかしたらそれ以上のことをしてしまうかもしれない…。


母親との言い争いで「あんたおかしいんじゃないの!」と母親に言われたとき、本気で「わたし本当におかしいんだよ!お願いだから、わたしを病院に連れて行って!」と泣きわめき懇願したことがあります。

今思えば、それが唯一、はっきりと伝えた「HELP」でした。

母親は、ただ聞き流しただけでした。もしかしたら、カウンセリングや心療内科などへの知識が少なく、その術を知らなかっただけかもしれません。

わたしも、どうしていいかわかりませんでした。

でも、わたしが助けを求められるのは、母親しか考えられませんでした。

どんなに憎んでいても。


母親に、ただ優しく「どうしたの?」と聞いてほしかった。

母親に、「辛い思いさせたね、一緒に考えようね」と言ってほしかった。

母親に、ゆったりとした空間で、寄り添ってほしかった。

母親に、心の底から、愛してほしかった。


いまはそう感じています。

もしかしたら…いいえ、きっと、母親もわたしに助けを求めていたのでしょう。

かわいそうな母です。


私は私。母は母。

一見、冷たいようにも思えるこの言葉。

わたしにとっては、ある種の救いの言葉にも思えますし、まだ囚われの最中のような言葉にも思えます。

みなさんは、どう感じますか?


≪今日読んだ本≫

「私は私。母は母。 ~あなたを苦しめる母親から自由になる本~」

フェミニストカウンセラー 加藤 伊都子さん著 (すばる舎)

よっこらしょっと

よっこらしょっと。


なんだかんだ、もう15年くらいになるんだな~。

「こころ」というものに対して興味を持ちはじめたのは、中学2年のとき。たしか。


イタリアの心理学者ピエーロ・フェルッチ(男性)が書いた、「子どもという哲学者」という本を読んでから。

いま思えば、これが運命の出会いだったのかもしれないな。

本屋さんでこの本の表紙を見て、買ってみた。ジャケ買いのような感覚で。

まるで絵本のような表紙の絵に、魅かれた。


そして、読み始めたら、止まらなくなった。

新鮮だったような、腑に落ちたような、とにかくおもしろい。

その時の感覚を今は正確には思い出せないけれど、

子育てとか、親とか、子どもとか…これが理想だな、こういう親だったらもっと良くなっただろうな。

な~んて、中学2年のわたしはすっかり影響を受けてしまった。


なにより、「こころ」と「行動」の結びつきを意識するようになったと思う。


その後その本を読み返したのは1度くらいだけど、絶対にわたしのターニングポイントだと言えるくらい、

強烈にわたしのこころと脳みそを刺激した。



わたしは、家族が嫌いだった。

とくに、母が嫌いだった。

小さいころ、突然ヒステリーを起こしては、わたしを叩いた。時には蹴った。

感情にまかせているから、しばらく収まらない。

その間わたしは、うずくまって耐えるしかない。

寝ているときに突然頬を何度も叩かれたこともある。


最初は兄が対象だった。

無理やりビー玉を口に押し込もうとしている姿を見たときはぞっとした。

母の運転で買い物からの帰り道。

おうちまで2~3キロくらいはあるところで、突然兄を車から降ろしたことが何度かあった。

(田舎でほとんど車の通りがない山道)

家に着き、わたしは泣いて「お兄ちゃんを迎えに行って!お兄ちゃんを迎えに行って!」

と母へ訴えた。

きっと、わたしが覚えていない、見ていないだけで他にもいろいろあったのかもしれない。


けがをするようなことはなかったし、常にというわけでもない。

本当に、ときどき、母は爆発した。


そして、暴力とヒステリーは、わたしに引き継がれた。


それ以来わたしは、わたし自身の行動、言動、思考にずっと悩まされ続けた。

わたしに、母が染みついている。

大嫌いな母が。



そんなことを感じはじめたときに、この本に出会ったのです。

わたしも著者のような「こころ」と「行動」を冷静に、そして愛をもって分析できる親に育ててほしかったと強く思ったことを、今でも覚えています。


でも、生まれた環境を自分で変えることはできないですよね。

わたしは、母から生まれたのですから。


だけど、わたしは幸せになることができます。

「辛い過去を背負っている、不幸だ…」これは、わたしの思考がもたらしています。

要因が家族であってもです。

だって、感情や思考はわたしのものであって、誰かから指図されても変えることはできないですよね?

それならば、過去を消化し、幸せに目を向け、希望をもつことも、

思考としてわたしが選択することができるはずです。


それには、いまのわたしでは訓練(訓練って表現は微妙かな?)が必要です。

感情や思考はわたしのものであっても、それは環境によって形成され、定着しつつあります。

いま、その思考の「クセ」を、ちょっとずつ修正しようとしています。


その一環として、このブログを書き始めました。

約15年たって、ようやく。よっこらしょっと。

そろそろ幸せになろうかね~♪そんな感じです。

(正確に言うと、きのう自分の思考に耐え切れなくなってカウンセリングに駆け込んだ笑)


どうぞ、よろしくお願いします。

1月25日の午前3時

生まれた。生まれたよ。

こんな夜中に、生まれたよ。

うっすら月が、もう見えない。大きな星座が傾いている。


今日は初めてだし、少し格好つけて・・・。


今度はいつになることやら。また気が向いたら会いましょう。


煙草を吸うたび、君は語りかけてくれる。

全ては意識の世界である。

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